2012年1月30日 (月)

我慢しない女

週刊新潮に連載されている「TVふうーん録」(吉田潮)が好きでよく読む。

新年号の【「カーネーション」の清々しい「我慢しない女」たち】が面白かった。
NHKの朝の連続ドラマについてである。

抜粋・要約すると;

「コケにされても失敗しても『今に見とれ~!』と立ち上がる主人公を演じる尾野真千子の雄姿」

「出てくる女たちのほとんどが『我慢しない女』で、頑固でたくましく、我をぶつけ合っている」

「『ゲゲゲの女房』や『おひさま』のように、人の言いなりで耐え忍ぶ女の苦労自慢に辟易していた私が、岸和田弁で我を通す女たちの姿に毎朝拍手喝采している」

私はドラマを見ていないが、評判は上々のようだ

ただただ我慢強い女が耐え忍ぶ、というより、言いたいこと、したいことを思い切りぶつける、という描写のほうが、ドラマとしてはたしかに面白い。

しかし現実を考えてみれば、我を通す人間同士ぶつかり合えば、結局は、どちらかの敗退、あるいはわかりあうことなく断絶するしかないだろう。

「旺盛な生活力」と「先見の明」のある女性のがんばりは筆者の書くとおり、清々しいものである。おおいにエールを送りたい。

そういうものを持ち合わせていない女性はやはり我慢するしかないわけで、「ゲゲゲの女房」や「おひさま」も見ていないけれど、耐えることで人生を切り拓いた女性の物語と考えていいのではないかと思う。

先日、フジ「新報道2001」に「きんさんぎんさん」のぎんさんの娘4人が出ていた。
平均年齢92歳で、政治に関心があるという彼女たちが、スタジオの安住財務大臣と言葉を交わしていた。
話の中身は大筋で特にどうということはないのだが、消費税が上がるとさらに生活が苦しくなるという母子家庭の嘆きをVTRで見た感想を求められ、娘さんのひとりがこんなことを言った。
「自分のわがままで離婚したんだから、消費税が上がって苦しくなってもしょうがない。我慢が足りなかったのではないか」

スタジオのキャスターは「なんだか人生相談みたいになってきましたけど・・・」と苦笑していた。

VTRの母子の詳しい事情はわからない。
離婚以外に選択肢がないほどひどい夫だったのかもしれないから、単純に「わがまま」と決めつけることはできない。

しかし、よくある「性格の不一致」みたいなことであるならば、「我慢」についてひとつじっくり考えてみることが必要だろう。
我慢のならない夫を我慢して結婚を継続させて生活苦を回避することと、消費税増税におびえるほどの経済的困難と、どちらが自分や子供たちにとって有利だろうと考えてみることだ。

女性の経済的自立が難しかった時代には、女性は離婚もできず、我慢を続け、結局は添い遂げることになった夫婦が大多数だったと思う。
今の時代でも、母子家庭になって苦労するくらいなら、我慢して結婚を継続させる努力をするほうが経済的には有利だ。

経済的自立して子供を育てる力量のある人は自由に離婚すればいいが、自分で充分に稼ぐことが出来なければ、何を選択するか計算することも、生き延びる知恵と言える。サバイバルの問題ではないだろうか。

「国がなんとかしてくれる」と頼る前にまずは子供を食べさせるために自分はどうすべきか考えよと、一見短絡的に思えるぎんさんの娘さんの言葉は示唆しているようだ。

「きずな」大はやりの昨今だが、絆とは決して甘く優しいものではない。

男であれ女であれ、そして老人だろうが若者だろうが、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍んで、切れないようにするものではないか。生き抜くために。

我慢する女もしない女も、どちらもなんてしたたかなんだろう。女は強い。

.
       いつもありがとうございます 人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月26日 (木)

腹が減っては戦はできぬ

「若者が勝った」に、ekさんからコメントをいただき、返事を書くうちに長くなってしまったのでこっちに載せます。

≪コメント抜粋≫ 

>今の民主よりもっと危険です。彼の頭にあるのは国のことでも国民のことでもなく自分のことだけです<

何か証拠でもありますか。

>公明党とも組むし小沢氏とだって組む<

組むかどうかわかりませんがいろいろな人に接触してあれこれ裏工作するのも政治家の技量なんじゃないですか。

>「天下」をとり独裁者になることを目指していると思います<

仮にそうだとして、橋下さんはそれでどうするつもりだと思いますか。独裁者になって自分の思い通りに国を動かして快感に浸ろうと悪だくみをしている、と思いますか? 日本でそんなことが本当にできるというなら一度やってみてほしいものです。

冗談はさておいて、ではどういう指導者なら大阪の(日本の)財政再建や景気回復ができるでしょうか? 誰がどういう方法でやれば既得権益を手放さない人たちに少し譲ってもらうということができると思いますか?
誰も動かない、誰も決断しない、このような政治が何年も続いているのを見て「じれったい。どうしてさっさとできないんだ」と思った国民の代表が橋下さんじゃないんですか?
「話し合いで穏便に」というのは理想的ですが、では誰がそれをやって改革を速やかに進めてくれるんですか?

たしかに橋下さんのような乱暴なやり方では反感を買うし、不安にもなると思います。
もっと良いやり方ですぐに改革できる、という人がいるならその人がやればいいと思います。
その具体的なやり方も示してほしい。

ちょっと前の「週刊新潮」に、京都大学教授の佐伯啓思さんの橋下批判が載っていました。この人は「保守の温かみ」みたいなものを重視する人で、小泉さんにも激しい批判を繰り返していました。

記事は、「橋下氏も小泉氏も、大衆を自らに引き付けたデマゴーグ」、 「ヒトラーは当初ユダヤ人殲滅も欧州制覇も掲げておらず、『ドイツの栄光を取り戻す』、この一点を訴えて民主的な選挙で選ばれた。国民は熱狂とともに彼に全権を与えた」、 「選挙で選ばれたわけではない『非民主的』な官僚組織が行政を担ってきたことの意味に思いを馳せるべき(つまり官僚政治はポピュリズム防止の意味がある)」

まあ、そんなようなことが書かれています。閉塞感が覆う社会ではこのようなことが起きやすい、と。
これは小泉改革の頃からさんざん言われてきたことで何ら目新しい意見ではありませんが、佐伯教授は最後にこう書いています。

【では、どうすれば良いのか。
「否の連鎖」により独裁的政治家を生み出す危険性を孕んだ地平から脱するには、民主主義というものは一歩間違えば非常に危険であると我々が認識する、民意なるものが政治であるとの浅薄な民主主義理解は間違っている、と自覚することに尽きます。つまり、プラトンの原点に立ち返り、「民主主義の全能感」から抜け出すことしかないのです。】

どうですか。
「では、どうすればいいのか」と言うから何か妙案でも提示するのかと思えばこの抽象論ですよ。「どうすればいいのか」の答えでもなんでもありません。失礼ながら、これが評論家のお気楽さと無責任さだと思います。

私は佐伯さんや藤原正彦さんの保守の考え方が大好きです。
でもそのことと、喫緊の課題である行政の無駄や財政赤字やデフレをどうするかというのは別のことです。これはとにかく今すぐ何とかしなくてはなりません。

もちろん橋下さんが全能だなんて思っていません。でも今の政治家に欠けている勇気と決断力がある。いま必要なのはそこじゃないですか。

リーダーを批判する言葉として「この国をどこに導こうとしているのか。何をやりたいのかが見えてこない」というのがよく聞かれます。

佐伯教授も「大阪都構想は手段であって目的ではありません。大阪都を実現した先に、大阪や日本をどうしたいのか、橋下さんからは聞こえてこない。そこに、私は怖さを覚えます。」と書いています。
でも、どんな国にしたいとかなりたいとか論じる幸せを得るには経済を立て直すことが大前提となるのではないでしょうか。
金もないのに理想は語れません。

佐伯先生は「怖さを覚える」と言いますが、何もイデオロギー政党や宗教政党じゃないんですから、そんなに怖がる必要があるでしょうか。
心配しなくても橋下さんは総理大臣にはなりませんよ。自分は起爆剤だと自覚している、と私は思いますね。

私は個人的には、改革などしなくたって生きていけます。むしろ改革などすれば色々手放さなければならないと思います。
それでも私は、このまま経済が立ち直らなければ未来に生きる若い世代が可哀想だと思うのです。

橋下さんの改革を怖がる人はそこのところをいったいどう考えているのか知りたいものです。

参考記事→ 「革命を起こすのは」

                  「根回し・暗躍・水面下」   

                   

.
       同調するなら押してくれ → 人気blogランキング

.
            

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2012年1月21日 (土)

根回し・暗躍・水面下

橋下徹大阪市長の勢いがすごい。
仕事も早いし決断も早いし絶大な支持も受けている。

で、地方改革のためには国の制度も変える必要があるので、今度の国政選挙には、考えに同調しない議員に「維新の会」から刺客を立てる手筈になっているらしい。
自民や民主の現職議員たち(閣僚経験者などの大物たちも含む)は戦々恐々としている、と週刊誌に書いてあった。

「維新の会」は政治塾も立ち上げ、候補を育てる計画だという。

.
しかし、勢いに乗って改革をどんどん進めるというのはいいのだが、そういう選挙戦略というのはいかがなものかと思う。

候補者を粗製乱造し、経験豊かな現役政治家を蹴散らすというのは果たして得策なのだろうか。

むしろ、現役議員の中から、一本釣りのようにして同志を集めていくというようなことはできないのだろうか。

与党にも野党にも熱意のある政治家はいる。
彼らが公開の場で本音が言えなかったり、信念に従って思い切った行動を起こせなかったりするのは、「核」となる人物がいないからじゃないだろうか。
橋下さんのような大胆な人がもし国政の場にいて、改革の旗印を上げれば集まってくる議員は少なくないんじゃないだろうか。

集まってどうするんだと思われるかもしれないけれど、私はとにかく今の政党の枠組みのままじゃだめだと思うのだ。政界再編がぜひ必要と思う。

野田首相は腹をくくったようで、消費税解散も視野に入れていると言われるが、総選挙になって、経験のある議員が落選し、代わりに未経験の人間がいきなり国会に入ってきたってやはりおかしなことになるのではないか。急いで探してきた候補者や、政治塾で短い期間学んだ者が大きな力になるとは思えない。
民主党が大勝した選挙の時に当選した議員の中にはわけのわからないウゾームゾーがたくさんいた。あれと同じことになりはしないか。

橋下さんやブレーンたちが手分けして、これと思う議員に密かに接触し、本音を引き出したり説得したりして自分たちの陣営に引きこむ企みをするほうが本当の改革につながると私は思うのだが・・・。

.
        政治には暗躍が必要 →人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年1月15日 (日)

革命を起こすのは

経済学者の浜矩子氏が、テレビでこんなことを言っているのが、耳に入った。
(資本主義の行き詰まりを見せつけられたかのような経済混迷の世の中、「何か方策はあるのでしょうか」というインタビュアーの問いに答えたもの)

「そうですねえ・・・『協調』でしょうか。それとやはり『絆』ですねえ」

これ、経済を安定させるためにそういうことが必要だということなのだろうか。

つまり、価値観の転換や欲望の制御をしなければ問題は解決しないということなのだろうか。

そういうものを「制度」として整備するのであれば、「規制」や「教育」、それもかなり厳しいコントロールが必要になる。

それならそれで良いと私は思う。

浜さんの意図するのはおそらく社会主義革命を起こせということなのだろう。
だって、人の価値観を変えたり欲望を抑えるたりすることは自由主義の世の中では不可能なのだから、「財政が正常化するほどに協調し絆を強める」ためには、革命を起こして無理やり社会主義社会を作るしかないんじゃないだろうか。

この社会の行き詰まりを打開するためにはそれしかないというのであれば、そうしたらいいと思う。

でも、この浜矩子さんとか、同じようなことを言っている人たち、例えば内田樹さんとか山口二郎さんとか香山リカさんたち(「橋下主義《ハシズム》を許すな!」という橋下批判本を共著)は、自分で革命を起こす気など毛頭なく、こういうことを言い続けていれば誰かが決起するだろうと思っているのだろう。

橋下徹大阪市長が、こういう人たち、つまり批判するだけで何もしない人たちに対して腹を立てる気持ちが私にはよくわかる。

「協調・絆・分け合う」というきれいな言葉を発する人々が高い評価を受ける一方で、腐敗・疲弊した組織や構造を改革すべく思い切った革命的行動を起こす人が「独裁者」だと批判を浴びる。

「性急すぎる」とか「荒っぽい」とかの批判の言葉が聞かれるが、革命は荒っぽいものである。

橋下さんが「統治機構をそのままにしては改革はできない」と、3年間大阪を預かって実感したのであるならば、それを信頼して任せるべきだと思う。

政治の構造を変えるのは容易なことではない。権力闘争は避けられず、荒っぽくならざるを得ない。

それでもその困難をやってみよう、と手を突っ込んだ勇気ある人がいるのだ。殺されかねない危険を犯してもやってみようという人がいるのだ。

学者は、安全な場所から気楽にものを言うが、口だけでなく実際に行動を起こす人を、私は評価したい。

.
しかしながら、橋下さんにも言いたいことがある。
自分を批判する人を口汚く罵るのはやめなさい。
「紫頭おばはん」なんて言ってはいけない。
年長の学者を目の前にしてバカにするような喋り方をしてはいけない。
頭の固い人にイライラするのはわかるが、ああいう言動は自分自身を貶める。
ツイッターで悪口書く暇があったら、政治をしっかりやってほしい。

あなたに期待し、応援する人はたくさんいるのだから、罵詈雑言を並べるのはネット住人に任せておけばいい。

.
          どうか頑張ってください 人気blogランキング

.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月26日 (月)

おースザンヌ

24日の夕方、おばさん仲間4人でみなとみらいのクリスマスキャンドルを見に行った。ま、クリスマス的光の祭典ならどこでも良かったのだけど。
ものすごい人出だった。
日本丸の停泊しているあたりから赤レンガ倉庫まで行列状態で、そのほとんどがカップルであった。

若い男性の68%が彼女がいなくて、女性も50数%が彼氏がいないんだって。そうすると残りの3割4割の人がここに集まってるってこと? でもデートスポットはここだけじゃないでしょ。相手がみつからないと言いながら恋人同士けっこう多いじゃないの。全部が恋仲というんじゃなくて友だち同士とか、にわかカップルってこと?

まあそんな話をしたわけだ。

お見合いの習慣がなくなって男も女も伴侶探しに苦労しているということはさんざん書いてきたけれど、問題は「相手を探す」という作業が、もう昔の価値観に基づくものではなくなったということだ。

年頃になればそれなりの縁談が舞い込んで適当な相手と結婚するのが当たり前だった時代では既にない。

世の中の色々なことが変わるのと同じで、結婚形態も大きく変わるのは仕方がない。誰にも止められない。

結婚とか家族の形成に関してはどんなに時代が変わっても、変わってはいけないのではないかと思い続けてきた私も、これは自然の成り行きなのだと悟った。

震災があって、家族の絆だとか結婚の重要性を人々が再認識するようになった、なんて言われているけれど、相手選びの手続きに関してはもう昔のようにはいかない。

カップルはどんどん成立しにくくなっている。

.
以前、TBSラジオ「デイキャッチ」で、こんなやりとりがあった。
タレントのスザンヌの結婚報道に関して、司会の荒川強啓とコメンテーターのジャーナリスト井上トシユキのこんな会話だ。
井上氏は独身で結婚願望があるらしい。

井上「僕は合コンじゃなくて、『知人の紹介』がいいですね」

荒川「じゃ、舞さん(サブキャスターの女性)、誰か紹介してあげたら」

舞 「あら、独身の女性たくさんいますよ」

井上「でも僕、(女性と)何を話していいかわからないんです」

荒川氏は、そんなことない、話上手ですよ、と持ち上げるが、井上氏はしきりに「僕、ほんとにつまらないですよ」と言い続ける。
お酒飲むとどうなるの、と聞くと、喋ることは喋るけど、その内容は女性受けしないということらしい。

女性が喜ぶ話ってどういうのか知らないけれど、こういう男性って多いんだろうなあ、と思う。

やっぱりあれか、男性として魅かれる男であれば、難しい話だってなんだって女は喜んで耳を傾けるということなのか。

.
芸能レポーターの報告によるとスザンヌの相手は野球選手で女癖があまりよくないらしい。それで周りはあの男はやめろ、と忠告していたということだが、「好き」という気持ちはどうしようもないらしく、結婚してしまったということだ。

中島みゆきの「空と君のあいだに」の歌詞が頭に浮かぶ。

  君の心がわかる とたやすく誓える男に
  なぜ女はついてゆくのだろう そして泣くのだろう

あとで泣くのがわかっていても好きな男についていくのが女の幸せなんだろう。
誠実だが面白くない男と結婚して子供を産んで家族を育てることより。

そんな時代なんだ。

収入が少ないから結婚できないというのは、景気が良くなればなんとかなるけれど、女性が社会進出し、お見合いがなくなった時代には、そもそも相手がみつからないのである。

.
     ありがとうございます 人気blogランキング

.
  (というか、前と同じようなこと書いてます → http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_3691.html )

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月 5日 (月)

若者が勝った

大阪府知事市長ダブル選挙で維新の会が支持され、圧勝した。

普段投票に熱心でない若年層や無党派層の心をつかみ、投票率も大幅にアップした。

若い世代はあまり選挙に行かないので、政治はどうしても選挙に熱心な老年世代に有利に働く。老人パワーにはかなわない。

しかし橋下候補は若年層に訴えかけた。
「若いあなたたちが今、政治を動かさないと、あなたたちの未来が危うくなる。いま変えなければ、ツケは自分たちに返って来るんです」と。

そして橋下さんは支持を得、当選した。若者が年寄りに勝った。

支持したのは若者だけではないが、若い世代が自らの意志で未来を選び取ったのであれば、この選挙結果は大きな意味がある。

今回の大阪の選挙戦の盛り上がりを以って、「異様」だとか「ポピュリズム」だとか「劇場型」だとか「景気の悪い時は大衆は独裁者を好む。危険だ」だとか、紋切り型の批評をする人々がいる。
そういう感想を短絡的に発する人々が存在するのも、まあ、意味のないことではないが、やはり、そういう人々が理解するべきは、「構造を変えなければ結局は何も変わらないままだ」ということなのだと思う。

そして、「構造を変えるためには、個々の政策を調整するだけの政治では絶対に無理だ」ということを、我々は長年の経験で知った。

「無駄を省く」「景気を上げる」、このことが大阪の人々の願いであるならば、独裁的と叩かれながら根本のところを作り直そうとしている橋下氏の「本気」を応援したのはまことに正しい。

選挙には「戦略」が必要だから、たしかに橋下陣営は勝つための戦略を練ったことだろう。それが功を奏した部分もあるかもしれない。
しかし、果たしてこの選挙結果は「戦略に乗せられた有権者が動かされた」などということなのだろうか。

有権者は、橋下氏の「本気」に賭けてみたのだ。

体制を根本から立て直さないと大阪は変わらない、ということを理解した人々が、自らの意思で「維新」を選んだのだ。単なる熱狂ではない。

もちろん、橋下氏とて聖人君子ではないから、名誉欲も自己顕示欲も人並みに持っていることだろう。しかし、大阪をここまで衰退させたその元凶を「ここまでしなくちゃ変わらないんだ」と訴えるその真剣な姿に大阪の人々は共感したのだ。

「組合のエゴと、保身のためにそれに媚びた政治家たちの所行が大阪を滅亡に導き国家の活力をさえ奪ってきたのだった。それに異議を唱え、既成の行政のシステムに反発して立ち上がったのが橋下徹だった。」 (石原慎太郎「正論・異端な存在の意味」より) 

橋下を危険人物として批判する人というのは、「今のままでいい」「変わってほしくない」という、つまりは既得権益にどっぷり浸かっているか、あるいは、ものがわかっていないか、どちらかにちがいない。橋下氏の言動に不安を覚える、というのはそういうことだろう。

「大阪都構想などと荒唐無稽なことを口走るだけで、その計画の具体的な道筋について何も語らない」との批判もよく聞かれるが、一般大衆に複雑で難解な行政組織の立て直し計画を長々と説明することに何の意味があるだろうか。

「膨大な無駄を生んでいる現在の行政のシステムを根本から立て直す」、これを理解しさえすれば済むことだ。
やるべきことは決まっているのだ。それをやるかやらないかの問題だ。やる人であるかどうかの見極めの問題だ。

大阪の動きは同様の問題を抱える他の自治体にも影響を与え、やがて国政をも動かすだろうと言われる。

「地方から国を変える」、長年言われ続けてきたこのスローガンを本物にするために「頼もしい独裁者」が出現したと、私は思っている。

ただ、並大抵のことでは改革は難しい、本当にできるのだろうか、という心配は誰しも持っていると思う。

小泉さんにもできなかったことができるかどうか、そして、大阪市民・府民のみならず国民は辛抱強く見守ることができるかどうか、当選後の会見で「これからです」と語る橋下氏の厳しい表情は、行く道の困難さを暗示している。

しかし誰かがやらなくてはいけないことなのだから。

.
          よろしくお願いします →人気blogランキング  

.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年11月22日 (火)

男の流儀

若い男性へのアンケート「なりたい顔」

一位:福山雅治
二位:向井理
三位:木村拓哉

だそうである。
なりたい、ということは、この顔であれば「もてる」という期待があり、つまり、女性の好みがそのようである、ということだろう。

「昔はねー、三船敏郎さんだとか、山崎努さんだとか、高倉健さんだとか、いかつい男性が好まれたもんですけどねー」とこのトピックを報道するラジオのキャスターが言っていた。

そうかな。 昔とか今とかの話じゃなくて、「キレイな顔の男」っていつの時代ももてるんじゃないだろうか、と私は思う。

個人的には私はこういう顔が好きである。

井ノ原快彦  

太賀  

福山より向井より木村よりこっちのほうがずっと魅力を感じる。

因みに、太賀くんは、今年初めNHKドラマ「迷子」で高校生役をやった時に初めて見たのだが、主演の南沢奈央と共にその自然な演技に好感を持った。
やはりNHKの「下流の宴」で美波の弟役をやった時もなかなか上手だった。

男が眉毛を整える風潮にゾッとする私としては、18歳の若者である彼が、その流行に背を向けていることに骨っぽさも感じる。

このような流儀であれば、流れに逆らうほうが頼もしいし、流れを変える可能性も大いにある。どうか眉毛、そのままで。

.
      いつもありがとうございます →人気blogランキング

.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年11月20日 (日)

「逝きし世の面影」

好感度抜群のブータンの国王ご夫妻が帰国された。

国王から発せられる言葉には誠実さと確固たる意志が感じられ、国民から信頼されているのがよくわかる。

観光と水力発電による売電で外貨を得、国内は主に農業の自給自足体制だそうだ。

国民のほとんどが幸せを実感している「世界一幸せな国」ということだが、国王が慈悲深く英明であること、人口が少ないこと、信仰心が厚いこと、鎖国をしていたこと、こういう条件が揃えば、そういう国になる可能性は高いと思う。

江戸期に我が国を訪れ、滞在した外国人たちの日本の印象もおそらくそのようであったろう、と思っていたら、昨日の「産経抄」に、このような記事が載った。 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/111119/imp11111903110001-n1.htm 

国土・人口の規模も歴史も違うので、一つの村のようなブータンとは異なる面もあるだろうが、おそらく日本は「美しく幸せな国」として西欧の人々の目に映ったことだろう。

【気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩(まばゆ)い光を放っていた(『ヒュースケン日本日記』から)。質素で飾り気がなく、子供たちの無邪気な笑い声に満ちた幕末の日本を愛した彼は同時に、この国の将来に大いなる危惧を抱いた。】
ハリスに随行した通訳のヒュースケンは自分たち西欧の悪徳がこの国を飲み込んでしまうことを悲しんだ、というのだ。

戦いに明け暮れ、資源獲得のため世界中の民族を無理やり自分たちの経済圏に引っぱり込む植民地主義を自ら「悪」と認めながらもその流れは止まらず、素朴な人々の住む地域の資源や労働力を搾取していった。

それだからグローバリズムは悪だ、植民地を作り、搾取した西欧諸国は悪だ、グローバリズムを推し進めるアメリカは悪だ、というのは物事の本質を語っていない。

なぜなら、ヨーロッパがやらなくたって、アメリカがやらなくたって、他の誰かがそれをやったに決まっているからだ。

人間の欲望にきりがないのも、自分だけは生き残ろうとするのも、人間であるかぎり、当然なのだから。

強いものが主導し、世界を巻き込んでいく。アメリカがそれをしなくてもどこかがやる。

道徳は歯止めの作用があるが、道徳など神代の昔から今と変わらずあったものだ。にもかかわらず人間は欲望を抑えることをせず、戦争と再生を繰り返し、発展してきた。

この広い宇宙には争いの概念を持たない種族があるいは存在するのかもしれない。宇宙のことは知らない。しかし、地球の人類は欲望と挑戦の原理で動く。

「ブータンの人々が無知だからではない。世界の国々の事情を知った上で、あえて自分たちの流儀を守っているのだ」と力説する社会学者もいるけれど、エリート層の人々と肉体労働をする人々との間のさまざまな格差はいずれ問題になってくるのではないかと思う。

グローバリゼーションを悪いことと決め付ける人もいるが、これは当然の成り行きであり、その流れの中で起こるさまざまな苦難を乗り越えた先に統一世界があるのだと思う。

タフなのは「変わらず幸福な国」に住む人々なのか、それとも、変化を受け入れ、経済低迷や争い、それに伴う悩み苦しみを経験した人々なのか。

「まあ、それはわかってはいるけど、せっかくの国王ご夫妻の来日の時に、そういう水を差すようなことは言わないようにしてるだけですよ」ということかもしれないけれど。

.
心優しいブータン国の皆様、多大な義援金に感謝いたします 人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 6日 (日)

昭和の匂い

テレビなどで目にする、主に若い世代の行動を二点。
良くも悪くも気になるのだ。

一つは、「いただきます」の時に手を合わせる人が非常に多くなったということ。
テレビの中だけのことかもしれない。若い人は実際に外でも家の中でもあれをやっているのだろうか。
同年代の友人知人とたまに食事をしても、「いただきます」とは言っても手を合わせることまではしない。
あれは一種のはやりなのだろうか。それとも、命をいただくことを天に感謝するのに「いただきます」だけでは足りない、という非常に殊勝な人々が増えたということなのだろうか。

宗教を持っている人は食事の前に習慣として感謝の祈りを捧げたり手を合わせたりするが、私の覚えている限り、子供の頃から最近まで、普通の家庭でそんなことをする人はいなかった。
近頃、爆発的に増えたのだ。
検索してみると、やはり気になってる人が多いようだ。「わざとらしくていやだ」とか「手を合わせるのは常識。それをしない人はどんな躾を受けてきたのか」などという意見も見られる。

与えられた日々の糧をありがたくいただく気持ちを持つのはとてもいいことだと思うし、それが多くの人の習慣になっていくことに何の異存もない。

ただ、確かなのは「ちょっと前まで食事の前に手を合わせるという行動をテレビで見ることはほとんどなかった」ということだ。

.
もう一つは、これもドラマの中だけのことだろうが、大人が子供と話す時、必ずしゃがみ込み、「子ども目線」というか、むしろ子供より下の位置になって、子供を見上げながら喋る場面が非常に多い。

「子供への対応は、同じ目線で対等な立場で」という、戦後民主主義の精神からくるものだろうし、それが良いのか悪いのかはさて置いて、気になるのは、戦前からの昭和を描いたドラマにそういう場面を持ち込むことである。
私の子供の頃、あんなことをしてくれる大人はいなかった。子供に対しては上から目線が当たり前だった。
ドラマ制作の現場に当時の状況を知っている人々がいたにもかかわらず、ずいぶん前からそういう細部の事実が軽視されていたと思うが、これからはますますそういうことが多くなって、私たち年配者は近過去ドラマに臨場感も得られないし共感もできなくなっていくのだろうなと思う。

ついでに言わせてもらえば、TBS「南極大陸」の木村拓哉に全然昭和の匂いがしない。

.

     いつもありがとうございます →人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 3日 (木)

空を見る

週刊新潮今週号の三記事が興味深かった。

・大阪府橋下知事のスキャンダル

 これは誹謗中傷の類なのだろうか? 誹謗中傷というより、人間橋下徹の逞しさの根源を探るものであり、3年9ヶ月という期間で府の財政を黒字に導いたその「冷酷さ」はどのように育まれたものであるかを描いた記事と読めなくもない。
国の非常時にあって改革を断行しようとすると、急激な変化を嫌う勢力に抑えられ、結局はだらだらと悪習や制度温存を続けることになる。そんなだらだらが国でも地方でも長年続いてきた。
「全体」のためにそれを突き破る意志が必要であるならば、リーダーは「いい人」でなく「冷酷な人」でなければならない、と読めた。

・アップル創始者スティーブ・ジョブズの「悪い逸話」は枚挙に遑がない

 「メディアが狂ったようにジョブズ礼賛を繰り返し、アップル本社前で人々が泣くのが、私には理解できません」と、彼とのビジネス経験のある人物が語る。
冷酷な独裁者ぶりが各方面からの証言で露わになる。前期アップルを追われた理由がわかるようだ。
しかし、記事はこう結ぶのだ;
「もっとも古来、たいていの変革者は奇人、変人だった。すると「悪い逸話」も時代の閉塞感を破るための処方箋になるか___。」

橋下氏とジョブズ氏の記事はリンクしているようにも見える。

もう一つ、
・科学作家、竹内薫の「サイエンス宅配便」

 専門家や天文ファンの間ではとっくに知られたことだろうが、オリオン座の一角を成すベテルギウスが近い将来、超新星爆発を起こすかもしれないということだ。この赤色超巨星がここ15年で大きさが15%も縮んでしまったという。ものすごく膨らんだものが縮む傾向を示すという不安定な状態は星の終焉の可能性がある、というのだ。
ベテルギウスは地球から640光年と極めて近い距離にあるのでもし爆発を起こせばきっと、昼間でも明るく輝いたという1054年の超新星とは比べものにならないくらいの強い光を放つだろう。
ただし、今爆発が起こっても、それがここから見えるのは640年後ではあるけれど。640年前に起こっていれば、もうそろそろかもしれない。見たい。

.

    いつもありがとうございます 人気blogランキング

.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月31日 (月)

永六輔その新世界

TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO」で、大橋巨泉のTPP参加反対の演説があまりに面白いのでつい聞きほれてしまいました。

「TPPなんて、環太平洋のほんの一部の国が参加してるだけで、インドネシアだってアルゼンチンだって入ってないんだよ。 いま参加しないと乗り遅れる、なんてことは全然心配しなくていいの。野球だって最初の一球は見送るでしょ」 (野球知らないので、「一球目は見送る」の意味がわかりませんが)

「日本はたった150年前まで鎖国してたんだよ。それでもちゃんと生きてた。内需拡大すればいいの」 (今の世界で鎖国して大多数の人が幸せになれるのかどうか。私のようなアナログ人間はどうにかやっていけると存じますが)

「今の70代以上の人は30万40万という年金もらってるでしょ。その人たちがどんどん消費すれば景気は良くなる」 (ハッピーリタイア組の消費も必要だけど、若い世代との年金格差にもっと真剣対応すべき)

「要するに世界が国単位で動かず、企業で動いてるんだよ」 (それは当然の成り行きでは?)

「外国に出て行かないと日本は置き去りにされる、なんて嘘っぱちなんだよ。不思議で仕方ないのは、推進派はそういう嘘をついてまで日本にTPP参加させて、いったい自分たちに何のメリットがあるのかということなんだよね」 (国の衰退を防ごうとしているんじゃないでしょうか)

「百歩譲ってTPPに参加するにしても、野田さんは『TPPに参加します。その代わり沖縄の基地はグァムに移転してもらいます』ぐらいの交渉をするべきなんだよ」 (意味不明)

字にするとヘンですけど、思わず納得してしまいそうなほど弁舌は巧みだったのです。

それでブログ検索してみると、同意している人も少数ですが見かけました。(だいたいこの番組を取り上げているブログ自体少ない)
あの番組のリスナーの大半を占めるお年寄りなど、簡単に「なるほどなるほど」と納得しちゃうんじゃないかなあ、と思いました。

この人はとんでもなくおめでたい人なのか、それとも、もし総理大臣にでもなれば、日本を立ち直らせてくれるものすごい知恵と勇気を持った人なのか、TPPの詳しい事情を知らない私には判断ができません。

.

    いつもありがとうございます →人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月23日 (日)

脱皮

TPPに参加するかしないかで政治家や評論家たちの意見が真っ二つに割れている。

一般の国民は専門的なこともわからず、未来予測もできず、賛成ですか反対ですかなどと聞かれても判断のしようがない。

メディアで繰り広げられているややこしい議論を聞いていても、TPPに参加または不参加で日本がどうなるのかよくわからない。

ただし、私でも予想できるのは、やがて通貨は統一され世界はひとつになるだろうということだ。グローバリゼーションは否応なく進む。

今の世界の嘗てないほどの経済の混乱や貿易自由化の動きは、その始まりなのではないだろうか。我々はその胎動を経験しているのかもしれない。

    *   *   *   *   *

鳩山由紀夫さんや福島みずほさんたちが、「TPP絶対反対」の集会で気勢を上げているのを見て違和感を感じた。

たしかこの人たちは「世界はひとつ。人類はみな兄弟」「国境はいらない」「日本列島は日本人だけのものではない」といった地球市民的思想を持った人たちではなかっただろうか。
鳩山さんなんか「東アジア共同体構想」なるものをぶち上げて、東アジア一体化(ひいては世界統一)を主張してきた人だと思うのだが。
東アジア共同体構想では、国益を背負った国家間の交渉は不必要だと想定しているのだろうか。

中国となら同じ経済圏で日本も損することなくうまくやれるが、アメリカはとにかくずるいから、日本は言いなりにならざるを得なくなる、という思い込みだろう。

要するに、「反米」なのだ。

    *   *   *   *   *

国益とはなんだろうか。

国全体として得をすることであって、特定の分野を保護したがために国全体として損をするのであればそれは国益とは言わない、ということぐらい私でもわかる。

問題となっている農業や医療にしても、現状を維持させるためだけにTPP絶対反対というのであれば、それは木を見て森を見ないということではないのだろうか。

組織や制度自体が疲弊しているのだから、むしろTPPをてこにして改革を進めるほうが得策だ、と説明する推進派政治家の意見を私はもっともだと思う。

もちろん、組織が解体されたり制度が変わったりすれば最初は痛みがあるだろうし、廃業せざるを得ない人も出てくるだろう。その人たちへの手当てを考慮しつつ、疲弊した構造を変えていくことこそが、長い目で見れば国益になるのではないだろうか。

あとどのくらいたてば世界はひとつになるのか。50年か100年か。あるいはもっと早いかもしれない。

第三者の介入(宇宙からの来訪者)なしに、人類が自力で国境を取っ払うことができるかどうか。これは地球人としての自立の問題と言えるかもしれない。「幼年期」はいずれ終わる。

世界統一された後も依然として残り続ける地域益のために、生き残り術を磨いておくことは必要だ。なぜなら、「世界統一」イコール「人間の欲望がなくなること」ではないのだから。

.
      いつもありがとうございます →人気blogランキング

   .   

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2011年10月19日 (水)

こんな時代だもの

23歳の末息子が就職して半年ぐらいたった頃だった、仕事から帰るなり、ぶ厚い封筒を差し出した。
中に30万円入っていた。
「半年分の食費」と言う。
びっくりして、「せっかくの給料なくなっちゃうでしょ。いいのよ。食費にそんなにかかってないから」と押し返すと、「100万円たまったから」と言うのだ。

この息子である。→「本日、未熟者」  

.
国の財政が逼迫していて、年金受給年齢引き上げの案が出てきている。
団塊世代に対する受給年齢引き上げは遅きに失したし、なによりこの巨大な塊に早く辞めてもらわないことには企業の運営に大いに支障がある。

定年退職後、無収入では困るので、年金支給されるまでのあいだ働かなければならないとしても、新たな就職は難しい。若年世代との仕事の奪い合いになる。

一方で、少子化で労働人口が減るので、高齢者にも女性にも働いてもらわなければならないし、外国人労働者も入れなければならない、という。

仕事があるのかないのか、働き手が足りているのかいないのか、よくわからない。

要するに、仕事はあるが、割りに合わない仕事は敬遠されるということだろう。

新卒採用については「仕事が減ったわけではない。大学生が増えすぎて、大卒としての雇用が足りなくなったのだ」ということが一説にある。

いやいや、中小企業ならある、とも言われるが、中小企業だって人を選びたいだろう。

大企業にも中小企業にも採用されない大卒者はどうすればいいか。
いわゆるブルーカラー職に目を向けるしかないのではないか。

かわいそうだろうか。

かわいそうといえば、ホワイトカラーで働いていた人が定年後60歳過ぎて肉体労働に従事しなければならない事態のほうがよほどかわいそうだ。

大学生にもいろいろいて、学業に励み、在学中から将来のためのスキルを身につけるべく努力してきた者はきっと望みどおり上級の働き口がみつかるだろうし、大学生活を受験後の休息の期間と捉えてのんびり遊んでいた者はきっとそれなりのツケを払うことになるのだろう。
昔なら大学に行かなかった人間が、我も我もと大学生になり、大卒が特別な資格ではなくなった。

私の息子は、今どきの大学生としては(あるいは今どきの大学生だからこそなのか)そんなに遊ばず真面目に授業に出ていたほうだと思うが、若者にありがちなちょっとした勘違いの結果、大卒らしくない仕事に就いている。

彼は「格差社会反対」のデモに参加しないが、若者に敬遠されるような職場に一度も欠勤することなく黙々と通い続ける。
私が「それだけでも偉い」と言うと、彼は「奴隷根性が染み付いてるんだよ」と自虐的に返してこちらをガクッとさせる。

3Kの職場で、言われるまま黙々と働き続け、その状態が変わることなく一生を終えるのか、それとも、とりあえず金を稼ぎ、何かを始める資金にするのか、その選択は個人々のものである。

今の社会構造では、スキルを身につけないと転職もできないから、いくら底辺の仕事で金を貯めたり精神的筋肉を強くしたところで使い物にならない、と決め付ける人もいるだろう。

しかし、その社会構造を変えるのも人間の動向によるだろうと思うのだがどうだろうか。

たとえば底辺と言われる仕事を2・3年真面目にこなして貯金をし、その資金で1年くらいかけて農業を学び、農業系企業に就職することも可能だ。何人か集まって起業することもできる。

息子がそういうことを考えているのかどうかわからないが、若者の柔軟な発想や冒険、そしてそれをする人間が増えれば社会の構造は変わってくるのではないか。

自民党衆議院議員の平将明氏は、若い時に3年ほど青果卸売市場で働いていたという。
仲卸業の社長の子息なので、将来の経営者としての現場研修という形だったのだろうが、「キャベツの箱とか運んでたんですよ。夜中の仕事だから給料は良かった。そういう仕事ならあります」と言っていた。
それは大卒者の仕事ではないが、良い経験だったろうなと思う。

底辺の仕事に就いていると、上に行こうという気概を失っていくというが、それは当然個人の資質による。
一生、昇進もせず、肉体労働で終わるのか、覚悟を決めて資金を貯め、つぎのステップを目指すのか、それは個人の意志の問題だ。

制度や社会構造を言い訳にし続けることは、それらが変わらないことに逆に言い訳を与えているような気がする。

今の時代、一番かわいそうなのは、お金のかかる子供を抱えた40代50代の人たちではないだろうか。その人たちが、年金支給年齢を引き上げられ、高齢になってから肉体労働を余儀なくされるというのはあまりにもかわいそうだ。

若者が、惨めさを経験しながら寄り道・回り道をするのを「かわいそう」と思う人もいるかもしれないが、まだ所帯を持たないうちなら、それは若者ならではの特権とも言えるのではないだろうか。

人はたまたま生まれついた時代の中で、なんとか生き延びるしかない。

.
息子がこのまま変わらないのか、それとも、成長し、気概を身につけていくのか。そうならないのは制度のせいでも社会構造のせいでもない。

本人の気持ちひとつだ。

“Stay hungry. Stay foolish”の言葉が、スタンフォードのエリートたちだけでなく、日本の落ちこぼれ大学生の心にも染み入るものでありますように。

.
          いつもありがとうございます →人気blogランキング

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 5日 (水)

一か八か

復興増税について、すべき、すべきでない、と意見が二つに分かれ、お互いを「とんでもない。国をつぶす気か」と罵り合っている。

どっちが正しいという問題ではなく、また、利権の絡む問題でもなく、単に未来予測は難しいという話なのだろう。

経済のことはほとんどわからないしろうとだが、それでも、両方の言い分を聞いていると、「増税は更なる不況を招く。60年償還の建設国債の発行。復興債を発行して日銀に引き受けさせる。同時に用心深く金融緩和を進める」という案のほうがなんとなく良いような気がする。

経済や金融の専門家が綿密に考えて、それでも意見が真っ二つに割れてしまうのなら、国民の「なんとなく」な気分に任せてもいいのではないだろうか。
なんせ、経済は「人の気持ち」に大きく動かされるらしいから。

どっちにしますか、と国民に問えばいいんじゃないでしょうか。それを争点に総選挙。
国民が自分で選んだ道ならば、失敗しても、自分自身を責めればいいだけの話だ。
政治家を責めるだけでなく、自分で選択したことの結果を自分で受け止める度量を持ちたい。

失敗によって日本全土が焼け野原になるかもしれないが。

.

・・・・・・・・・と言いたくなるような、我が国政のかよわさ。

.
            ありがとうございます →人気ブログランキング

.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 3日 (月)

マスコミの力

国にお金がないから、増税して国民からお金を集めるしかない、と考える人と、まず無駄をなくしてから増税論議をやるべきだ、という人に分かれている。

たしかに、お金が足りなければ、これ以上借金するのは恐ろしいことなので、税金を取るしかないのかもしれない。

しかし、こんなに無駄をやっているのに、なぜ国民だけが負担が大きくなるんだという理不尽はひしひしと感じる。
無駄をなくしても、出てくるお金は財源としては微々たるものだという。 それでも、せめて為政者の真面目な姿勢を見せてくれなくては国民もやりきれないではないか。

マスコミは、「こんな無駄がある、あんな無駄がある」と日々報じる。

マスコミが報じなくても、民主党は野党当時、与党を責めていた。

そして「自民党には無駄をなくす改革ができないから、我々にやらせてくれ。我々ならできる。必ずやってみせる」と力強く言っていた。

たしかに声をそろえてそう言っていた。

でも、できない。 あと2年かかってもできないだろう。

マスコミはほんのひと言の失言を取り上げて騒ぎ立て、大臣をやめさせるほどの力があるのに、なぜ、最も重要なこと(民主党にも自民党にも改革ができないということ)をもっと大きく取り上げて騒ぎ立てないのだろう。

まずはそのことを理解しなければ、これからも総理大臣はころころ変わり続けると思うよ。

.
          ご支援ありがとうございます 人気blogランキング

.
     

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«もうわかったでしょう