2009年11月 6日 (金)

Wasted and wounded

ドラマ「不毛地帯」のエンドロールに流れるトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」です。  →http://www.youtube.com/watch?v=9ZmqbcBsTAw

哀愁に満ちた旋律が、極寒のシベリア抑留地の映像に重なるからでしょうか、組織に翻弄される男たちの涙のように感じられるからでしょうか、胸に迫るものがあります。

任務にまつわる悲哀は男だけのものでなく男女で分かち合うものとなった現代ですが、「構造主義」とやらによれば、菩薩ならびに聖母の復活が望ましい・・・・・ということではないですよね。無知ですみません。

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2009年10月28日 (水)

妬まず欲張らず

鳩山総理大臣の所信表明演説を聞きました。

とにかく長かった。議場でじっと座って聞いている人々にとっては難行苦行だったのではないでしょうか。

もう少しコンパクトにまとめられなかったものか。

あれもやりたいこれもやりたい、という意気込みゆえなのでしょうが、「冗長」の印象は免れないし、語られた二つのエピソードも感傷的で、首相の人柄を表すものだとは思いますが、弟の鳩山邦夫氏が評したように乙女チックでわざとらしい。私は全然心を動かされませんでした。

まあ、それはともかく、私は、みんなが幸せな友愛社会、大賛成です。

大賛成だけれども、それを実現するための長く辛い道のりを、鳩山演説に感激した人たちは本当に覚悟しているんでしょうか。

まず、地域社会や家庭の健全化や再構築が不可欠となりますが、これは政治でどうにかなるものではありません。

国民はまず、自らを律する気持ちを持たなければならない。
ある種のストイシズムが求められると考えます。

それはどうしてかというと、人は金があるから思いやりの心が生まれるのではなく、たとえ貧しくても愛をもって幸せになるべきなのが人間だからです。
・・・・と鳩山さんも演説の中で仰っています。

それがどういうことを意味するかというと;
ある程度の収入があれば(節約に努めながら慎ましく暮らせるだけの最低限の収入さえあれば)、幸せになれるもなれないも、全て自分の心が決めることだ、ということに他なりません。
みんなが思いやりの心で助け合い、支え合い、愛し合えば、お金などなくても幸せになれる。ぜいたくを言ってはいけない、欲望は抑えなければならない、という戒めであります。
もうそんなに欲ばるな。自分に少しでも余裕があれば、たとえ税金を多く取られても、それが貧しい人に分配されるのならば満足という度量の大きい人間になれ。という人道の勧めであります。

これはまことに正しい。共生のためには人間はこうでなくてはなりません。

鳩山さんは、「経済のしくみを変えるのだ」「人間のための経済に転換するのだ」と言っています。
「もうそんなに大きな経済成長がなくてもいい」ということ、つまり経済の量ではなく中身だと言っているのだと思います。

非常に正しい。

この方向に持っていくには、まず政治が着手しなければいけないこともありますし、同時に国民も心を入れ替えなければなりません。

政治は今すぐにでも新しい産業創出に取り掛からなければいけませんし、国民もうわついた生活に決別しなければなりません。

その新しい経済構造への変革には相当な覚悟が必要になると思われます。

国民は欲望を抑えることに耐えられるでしょうか。

しかもその過程で、日本だけ世界経済の中で沈んでしまう時期があるかもしれない。だって世界はとにもかくにも景気回復と経済成長を目指しているのだから。

法政大学の田中優子教授は江戸時代に思いを馳せ、このような記事を書かれます。 →≪【ちょっと江戸まで】法政大学教授・田中優子 今こそ「縮小の時代」を≫  

首都大学の宮台真司教授なども「もう経済は成長しなくていい」と仰います。→「頓痴気」  

私は61年生きてきましたから、人間の欲望は留まるところを知らないのを観察してきたつもりです。

人間は昔からずうっと欲望をふくらませながら発展してきました。

小泉・竹中のせいで世の中に欲望が満ち溢れたなんて言い方をする人がいますが、そういうことではないと思います。

たしかに、このたびの世界経済危機は、金融工学を駆使して複雑な金融商品を編み出した人々、それに乗って儲けようとした欲望の突出した人々による失敗だと思います。
でも、ほとんどの人はそのトバッチリを受けただけで、ごく普通の欲望を持っていただけだと思います。

人間はごく普通の欲望は誰でも持っているものだと思います。

資金があれば少しでも増やしたい。これだけの生活ができるようになったので更にこういうことを目指したい。また、自分が努力して得たお金や時間を見も知らない人に分け与えるのはいやだ。
普通の人が持っている欲望というのは、そういうごく普通の希望や所有欲だと思います。それは時代につれ、発展していきます。

江戸時代の縮小経済の良さというのもわからないではないですが、今の時代にそれができない決定的な理由は、自由と民主主義なのではないでしょうか。

江戸時代には「分相応」という価値観がありました。厳然たる身分社会で、それぞれの分をわきまえていた。

今のように情報もなかった。

だから、与えられた環境に順応して生きていくしかなかったでしょうし、自分たちが縛られているという自覚すらなかったのではないでしょうか。

身分制度が社会のバランスをとっていたと思います。

しかし日本人が国際社会に漕ぎ出し、情報を得、民主主義を手に入れてから、欲望は加速し続けてきました。

さらに個人の自由が至高の価値だと信じられるようになった戦後は人々はさまざまな垣根を越えてさらに飛び回るようになりました。

個人主義には無論、良い面と悪い面があります。

江戸時代がのんびりしていて良かった、という憧れの気持ちは充分わかりますが、時代精神や人々の気持ちというものが決定的に違う。これだけは確かです。

私個人は、田中教授の言う「縮小社会には、それに合った技術や循環システムや仕事がある」ということ、つまり新しい産業とその雇用の創出には大賛成です。

鳩山首相も同じ考えでしょう。

しかし、そのために最も必要なのが「教育」であり、「自律心」と「痛みに耐える我慢強さ」なのですが、鳩山演説にはそれが一言もありませんでした。

思うのですが、日本の貧困率が高いといえども、やっぱり日本人は楽をしているのではないでしょうか。
困っているのかそうでもないのか、なんだか人としての姿勢がとてもちぐはぐな感じがするのです。

子供たちを見ればわかります。
テレビゲームや携帯電話に時間を浪費し、繁華街をうろつき、余った時間を塾で過ごして穴埋めする。
で、貧困家庭では塾に行かせるカネがない、などと言う。
なんかすごくヘンじゃないですか。

鳩山さんや田中教授や宮台教授は、「経済の成長でなく、生き方で幸福感を感じなければいけない」と力説なさいます。

そりゃあそうですよ。みなさんお金に困ってないし、鳩山さんの奥様なんかブランド品をいくらでも買えるし、いろいろな揉め事も易々とお金で解決できるし、余裕があるから「友愛」という美しい言葉をノンキに連発できるんですよ・・・・・あ、いけない、金持ちへの妬みがつい出てしまった。こういう汚い心がいけないんですよね。こういう邪心を抑え込んで、分相応に、自分のやるべきことを粛々とやり、助け合いながらつましく暮らす、それが友愛社会なのでした。
そうです。理想は実現するためにあるんです。

日本人が、鳩山首相の言う価値観を共有し理想を実現するための方法はただひとつ、「教育」です。

鳩山独裁政治でぜひそれをやっていただきたい。独裁政権ならではの強権を発揮して。

所信表明演説だけで国民が心を入れ替えるとはとても思えませんから。

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2009年10月23日 (金)

「日本らしい対応」

「アメリカの言いなりになるな」「アメリカに対してもっと毅然とした対応を」と望む国民がおり、新政権の鳩山首相は「アメリカと対等な関係を築く」と宣言します。

アメリカの横暴とか言いなりとか、何か日本が損害をこうむってるかのように言う人がいるけれど、それは日本自身が日本の国益の為に選択してることだと日米同盟の重要性を説く人たちは言うし、私も何度も書いてきました。
それでも、ひたすらアメリカ憎しの念にとりつかれている人々の耳には入らず、新首相が「対等の関係」と口にしただけで、それがどういうことを意味するのかということに考えが及ばず、無邪気に喝采を送ります。

「日本自身が選択してきたことだ」と、アメリカ人のほうから指摘されようものなら、「勝手なことを言うアメリカめ!」と、さらに憎悪の念は増幅するようです。
産経新聞≪正論「日米関係への鳩山政権の誤解」≫に怒る人もいます。  

しかし、アメリカだって慈善事業やってるわけじゃありませんから、自国の利益のための(狡猾さを含む)対日本政策であり、裏取引などしながらこれまでお互いにとって最良の道を歩んできたわけです。

実はアメリカよりもっと傲慢で狡猾でお話にならないのは中国やロシアであり、これらの国にこそ日本は言いなりになりカネは取られ放題、それでも毅然とモノが言えず我慢をし続けているんですよね。

それに比べたらアメリカは話ができるだけまだましなんじゃないですかねえ。

「自民党が対等に話をしてこなかったのを、民主党がやると言ってるんだ」と息巻く人もいますが、白日の下でのアメリカとの「対等な議論」は本当に可能なんでしょうか。
対等になり得ないからこそ、密約なんて事態も起こるんじゃないでしょうか。

でも、民主党も「対等にやる!」と意気込んでいることですから、やる前から文句を言わないで期待をして見ていきたいと思います。

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2009年10月21日 (水)

妻をめとらば

内田樹さんの記事です。→「配偶者の条件」

なんたる屁理屈!と笑い飛ばすも、次の瞬間「そうだよねえ。正論だ」と納得するのです。

条件に合致する配偶者選びは間違っていて、収入が低くても、ブサイクでも、「たった一人の自分だけの人」を探すのが一番良いのだと、結局はそういうことになりますか。

「そういう人を探すのが一番難しいのよ」と、はるか昔、花嫁修業中におばさまがたに言われましたっけ。

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2009年10月19日 (月)

いつかきっと

出先で週刊誌をパラパラめくっていたら、「微妙なタイミングの雅子さま、甘え上手の紀子さま」というタイトルの記事があってざっと目を通しました。

婚家が嫁に何を求めているのかを敏感に感じ取って気に入られる紀子さまと、タイミングの悪さに気付かず私的な日程を入れてしまう要領の悪い雅子さま、とまあ、だいたいそんな描き方だったと思います。

一平民の経験と比べては恐れ多いのですが、結婚した当時の自分を思い出しました。

要領はなはだ悪く、お世辞がうまく言えず、気の利かないことといったら天下一品の私は、婚家にとってはさぞかし「不出来な嫁」だったことでしょう。

男子は一人だけなので、他の嫁と比較されるというようなことはありませんでしたが、「どれだけ気が利くかが女の価値」みたいな価値観を持つ婚家では、頭の回転の良い義母も義妹もめまぐるしく立ち働き、ことごとくタイミングをはずしてしまう要領の悪い私は居心地はなはだ悪く、先を越されてしまう度に「今やろうと思ったのにぃ」と何度思ったことでしょう。

合理的で自由な家庭で育った私は、おそらく「こんなことも知らないのか」と思われ続けたことでしょうし、反対に、本当に大事なことより形式を言い募る義母や義妹に深く傷つけられ、心中に阿修羅を抱えたこともあります。
気を利かすこともお世辞を言うことも「嫁」に求められる資質だとは思いますが、人間そんなことばかりじゃつまらない、という批判精神も多少はありました。
まあそれもこれも価値観の違いからくるものでしょうし、誤解も多分にあったと思います。

しかし、真心で訴えれば夫は理解してくれましたし、夫さえわかってくれれば私はどんなことでも耐えることができると思っていましたので、同居もしていなかったし、普段は忘れることができました。

今となっては、長い間に婚家もさまざまなことを経験し、人間の価値や幸福は気を利かすことやお世辞上手だけでは決まらないということがわかってきたと思いますし、私もむずかゆくならない程度に年寄りを喜ばせることができるようになりました。

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自由闊達に育ってこられた雅子さまが日本で一番の旧家に嫁がれたことには想像を絶する軋轢と苦悩があったことでしょう。

もちろん雅子さまも相当の覚悟を決めて皇室に入られたことでしょうが、そこには既にいかにも皇室好みの完璧な紀子さまの存在があり、皇族の妃としてのお立場をしっかりと確立なさっていて、比較されることも多々あったでしょう。
マスコミ報道もひどかった。
お子様にもなかなか恵まれなかった。
男子をもうけることもできなかった。

一市民の私のように「言いたい人には言わせておけばいいのよ」なんて態度は絶対に許されない特別の立場であれば、ご病気になるのは無理もないと思いますし、割り切ることができないのだから、ご病気が長引くのも当然と思います。

でも私は思うのですが、やはり、ご病気を治すのが先決なので、どうか国民もマスコミも思いやりの心をもって妃殿下を見守るようにしていただきたい。

妃殿下におかれては皇太子殿下と愛子さまとの家族の幸せをしっかりと確立なさることです。
ご実家やお友だちとの交流が心の安定につながるなら何も後ろめたくお感じになることはありません。
土台がしっかりすれば、その後のことは自然についてくると思います。
公務のためには死ね、なんてそんな時代じゃないんです、もう。

いずれの時か、全てのことには意味がある、と思える日が来るでしょう。

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≪関連記事≫
    「はじける笑顔」 
    「沈黙と忍耐」  

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2009年10月10日 (土)

めんどくさい女

男の人って、元々そういう性質を持っているのか、ちまちまと節約するのが不得意です。

不況の折柄、お小遣いをやりくりする、というようなことはやらざるを得なくて、昼食代、飲み代、その他種々の購入などは自制に努めているかもしれませんが、家の中のこまごまとした事柄、例えば電気水道ガスなどについては割合大雑把です。

もっとも、本当に困っている人は、そういうことにも細かく気を遣っているかもしれません。
しかし、そういう男たちも少し生活に余裕が出てくると、おそらく細かい節約はしなくなるでしょう。

ところが、女性というのはだいたいにおいて、余裕があろうがなかろうが細かい節約をするものです。

久田恵さんのエッセイです。→【家族がいてもいなくても】 「出しっぱなしにめまいが」 

うんうん、同感。「私一人だったらもっと効率よく節約できるのに」。細かく節約に努めて、浮いたお金でどーんと楽しむほうが利巧。妻はそう考えます。

「男が私の足を引っ張るのよ。男ってどうしてこういうことがわからないのかしら」

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妻たちの不満は、夫が小さな節約に協力してくれないことだけではありません。

夫と旅行しても全然面白くない、と言って、妻は気の置けない女友達と出かけるほうを好む傾向があります。

一緒に出かけても夫はぜんぜん空気が読めなくて、こちらが気を遣うばかりで全然楽しくない、と妻たちは言います。

同感同感。

例えば、以前「大人の社会科見学」に娘も交えて3人で行った時のことなんですが、最後の東京タワー見学が終わってツアー解散し、タワーの外の道路に出るなり、夫は手を挙げてタクシーをとめてしまいました。「これで渋谷まで出たほうが早いんだよ」とせっかちに自分だけで決めてしまうのです。

夜の7時を過ぎていましたのでライトアップされた東京タワーが夜空に美しく映え、「あれをバックにして写真撮りたかったのに」と娘は小声で不満を私に洩らしました。

なんか、余韻を楽しむってことをしないというのか、夫と出かけるとこんなことになるのはしょっちゅうで、私はもうある程度慣れましたけど、娘は憤慨します。

夫は自分勝手だ。空気が読めない。会話ができない。趣味もなくてつまらない。趣味があっても自分だけのもので一緒に楽しめない。

夫は妻の気持ちをわかってくれない。

よくわかる。

わかるけど、それじゃあ、夫が心を入れ替え、妻の望みどおりに気を遣うようになり、「これでいいだろうか。これで妻は満足するだろうか」と、常に妻の顔色を窺うように行動してくれれば妻は満足するのだろうか、と言えば、そんなことはないのではないかと思います。

「ああもう、そんなに卑屈になることじゃなくってぇ、要するに少し気を遣ってくれればいいのよ。それぐらいできるでしょ」、妻はそう思うでしょう。

でも、たぶん、それもこれも、「女だからこそ」の発想なのです。

「もう少し気を遣って」というのは、「私のように(女のように)なってくれ」、と要求することに他ならないのではないでしょうか。

「女のメンタリティを持ってくれ」というのは、考えてみるとなんと傲慢な要求でしょう。

要するに、みんなが女になれば世の中はうまくいく、そのような主張に思えるのです。

しかしその傲慢さは、今となっては「傲慢」でもなんでもなく、この男女共同参画社会では、後戻りできないほどに当たり前の現象になってしまい、男性特有のメンタリティを堅持することがだんだんと難しくなってきています。

男だけのものだった遊びの領域に女もずかずか入り込むようになってからは、男のルールで、というわけにもいかなくなり、「男の文化」も廃れてまいります。
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昔、「金曜日の妻たちへ」という大ヒットテレビドラマがありました。
女子校時代からの4人の仲良しグループがそれぞれの家庭を持ったあとも近所に住み、週末にメンバーの家に集まっては飲んだり喋ったり「家族ぐるみのつきあい」を楽しむ、という設定でした。
欧米的というのでしょうか、こんなライフスタイルを私も「なんて素敵なんでしょう」と思ったものです。
みんなで集えば共通の話題で盛り上がり、女性だけが台所で奮闘ということもなく、立ち働くのは男女平等。男女同権。

しかし、男は本心ではこういう付き合いがとてもめんどくさいのではないか。もちろん、そういうのを楽しむ人もいるでしょうが、「妻が喜ぶなら」と、実はちょっと無理をして付き合っている夫も多いのではないかと思います。

この頃、「めんどくさい女」に疲れる男が多いという話を聞きます。

「めんどくさい女」というのは、「自分で何もしないで人に頼ってばかりの世話のやける女」ではなく、その反対で、活動的で趣味も多く、それを男にも付き合わせる女のことだそうです。

つまり、「私と同じようにやりなさいよ」というめんどくさい女。

節約に心がけてとか、もっと気を遣ってとか、一緒に趣味を楽しみましょうとか、地域活動やりましょうとか、そういった奨励の数々は家庭のためにも社会のためにも男性自身のためにもなることではあるのですが、そして、しばらく男はその注文通りやってきたのですが、ここにきて、疲れがどっと出てきたんじゃないでしょうかねえ。

こういうことが晩婚化非婚化の原因の一つでもあるような気がします。

注文の多い女と一緒に暮らすくらいならいっそのこと一人のほうが気楽、なんて。

だけれども、流れを元に戻すことなどできません。

女が我慢して、男のやりたいようにさせるなんて、そんな非民主的なことできますものか。

社会の要求に抗いきれず滅びていく文化なんて珍しくありません。

男の文化だって滅びていくんです。女の介在を許さぬ男の世界、光り輝いていたあの数々の男の文化だって。

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もちろん、不況や世界的資源の枯渇などを考えれば、男も女もなく節約に励まなければならないし、家庭や社会の調和のためには男にも細やかな気遣いが求められます。仕事も遊びも男女共同参画社会。
だけど、男がみんな女性にならってそれらを忠実に実行するようになると、男というもの、根底から変わっていくんじゃないでしょうかねえ。すでに変化は始まっているとは思いますが。
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「こんなに涼しいのになんでエアコンつけるのよ」「ティッシュを一度にシュッシュッ何枚も出さないで」「そんな無駄なもの買って。もったいないでしょ」「なんで人の話聞かないの」「テレビばっかり見てないで」「もっとご近所づきあいしないと」「そんなにせかせか歩かなくたって。急ぐ旅じゃあるまいし」「そっちじゃなくてこっち」「あれじゃなくてこれ」「ああしなさいこうしなさい」
要望や指図を羅列すればこんな口うるさい女房によって、男はうんざりするか、女性化するか、思い通りの男に変貌するのか。
いやいや、口うるさいのは妻の専売特許で、大昔から男たちはそれを容認し、それでもなお一家の稼ぎ頭として一応は君臨していたに違いない。

「ま、男はしっかり稼いできてくれりゃあそれでいいんじゃない」。
知的かつ進歩的な女性諸君が聞いたら卒倒しそうな思想で、数々の文句を洗い流す。それも案外悪くないか。いや、もしかしたら幸せの真髄かも。こういうの「昔風の妻」っていうんだろうかねえ。

そんなこんなで夫婦やっとります。

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2009年10月 4日 (日)

いいとき悪いとき

中曽根元総理大臣が、時折テレビに出演して、思い出話など交えながら今の政治をあれこれ論評なさいます。今朝も「サンデープロジェクト」でご意見を述べられていました。
引退後もあちこちから声がかかり、毎日忙しくてお昼ご飯を食べる時間もない、と仰います。

大変ためになる良いことを仰っているのだと思いますが、中曽根さんが政治の中核を担っていた頃の日本って、黙っていても景気が良くて、政治家にとって今と比べるとはるかにやりやすかったんじゃないでしょうか。
財政も景気も雇用も何もかも危機的な状況にある今の時代、幸せだった時代の総理大臣が「ご意見番」と称してご託宣を並べるのって、アドバイスとしてはほとんど意味がないような気がするんですよね。
なにかしら別の意味や効果はあるのかもしれませんが。

91歳でまだまだ忙しいと、ご機嫌麗しい長老のお姿を眺めながら、先日の選挙の直前に産経新聞に掲載されたスマップの新曲の広告の文面を思い出しました。

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≪みんな、いいときはいいんです。でも、うまくいかなくなると、誰かのせいにしたくなる。
よく考えてみると、だから、景気のいいときの首相はいまだに人気があって、悪いときの首相は人気がイマイチ、なのかもしれません。

たしかに、政治家にもいろいろな人がいますが、みんな、日本をよくしたい!と頑張っているんだろうと思います。
なかなかうまくいかないことも、裏目に出てしまうこともあるでしょう。

自分たちで選んだ人なのですから、ちょっと大目に見て、応援することも必要なのかな、とも思うんです。
正直、みんなで足の引っ張り合いばかりしているようで、少しうんざりしてしまうところもありますが・・・。

とはいえ、人のせいにしてしまうのはカンタンです。でも、実際に自分でやるとなったら、これはタイヘン。

そう考えると、いま選挙の最後の頑張りで声を枯らしている政治家を見かけたら、みんな頑張れ!という気持ちにもなってしまいます。

・・・・・・・以下略≫

「そっと きゅっと」という新曲の広告だということですが、新聞の2面を使ったその前半の文面が政治家へのエールになっているのは何なんでしょう。

でも、頷けます。

民主党も、こんなひどい状況の時に政権を担当することになってさぞかし大変なことと思いますが、日本のために頑張ってください。

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2009年10月 2日 (金)

経済のまわし方

シニアクラブのバス旅行で、八ヶ岳山麓の三分一湧水身曾岐神社サントリー白州蒸溜所に行ってきました。

雨が少々降っていましたが、森林の美しさはこういう気候のほうが際立つそうで、たしかに薄暗くしっとりとした木立の中の湧水や神社やウィスキー工場のたたずまいはまさに静謐の世界。湿った落ち葉を踏みしめながらの散策は大変に気持ちの良いものでした。

人間は誰でもたまに山や森や川といった自然に触れたがるものだと思いますが、中高年は特に喜びます。
それが健康志向と結びついて、最近の山歩きブームにもつながっているのでしょう。

ここで唐突に八ッ場ダムの話なんですが、「せっかくダム湖を観光の目玉にしようと思っていたのに」というのが、移転した住民たちの希望だった、と聞きます。

私は思うのですが、ダム湖ってそんなに見に行きたいものなんでしょうか。

あのあたりは渓谷が美しいそうですね。トレッキングコースなど整備して、中高年を呼び寄せる作戦はどうでしょうか。
自然の中を歩くことは、それだけで心が洗われる思いがします。
パトロール要員としてレンジャーを配備すれば、高齢者や女性の一人歩きでも安心です。(これは私の妹のアイデア)

加えて、清潔な和風コテージに温泉とおいしい山菜料理などあればもう最高。

先週、テレビ東京「土曜スペシャル 秋の絶景ハイキング」で、奥鬼怒川や京都美山のハイキングコース紹介を見ていて、その風景や素朴な宿泊施設が魅力的で、妹と「八ッ場ダム問題もこういう風な切り替えにできないものかしらねえ」と話していたのです。

こんなこと誰でも思いつくことで、それでも何か難しい問題があって(採算が合わないとか)できないことなんでしょうか。

これがだめでも、みんなで知恵を出し合えば、何か良い考えが浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。

ダムが必要か必要でないかは私にはわかりませんが、必要というなら何故必要なのか、必要でないなら何故作るのか、それをよーく考えてから「こういう道もあるじゃないか」という結論が導き出されることを切に願います。

人間は色々なことを思いつきます。みんなで一生懸命考えれば採算の取れるいいものが生み出されるんじゃないでしょうか。

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2009年9月18日 (金)

おばあさんはコタツでみかんを食べる

街中の案山子さんにコメントをいただいて、神戸女学院大学教授内田樹さんのブログを知り、いくつか記事を読んでみました。

内田さんの記事に人間の本質と矛盾がわかりやすく表れていると思いますので、ちょっと書いてみます。

「日本の人口は、国土と資源に比して多すぎる」とか、「少子化で何が悪い」とか、「経済成長はなくてもいい」とか、「家の中でコタツに入ってみかんを食べる幸せさえあればいいじゃないか」、というお考えだと思います。
文章は長いですが、要するにそういう至極単純なことだと思います。

私もそう思います。そんな文章を以前からいくつも書きました。

それは好ましい社会のあり方を示唆していますし、多くの人が思っていることでもあります。でも、「だからこうすればいいのだ」という解決法を実践することができません。

解決法とは、革命的に日本人の意識を転換させることです。

ずっと前「国家の構成員としての自覚」という記事を書きました。冗長なので、お読みにならなくてもいいのですが、こういう文章があります。

≪しかし、「国家の品格」でも書いたように、世界中で価値観が変わってきているのに、日本だけ「武士道で行こう!」なんて張り切ったところで空回りするだけです。 昔のような社会規範を取り戻すなんてことがいったいできるものか。 子供も大人も、楽しく、ラクなことにどっぷり浸かりすぎてしまったのに、今さらそれらをやめることなんてできるはずがないのです。

革命的なことをやらない限り、いくら「国家の品格を取り戻そう!」と一部の人々が大声で叫んだところで、大人たちは株に狂奔することをやめないだろうし、小学生は化粧して渋谷をうろつくことをやめるわけがないのです。

教育を根本からくつがえすくらいの覚悟がなければそんなことは無理無理。小泉さんほどの独裁者が出現して、有無を言わせず教育の建て直しを実行に移せなければ無理無理。 ____中略___しかし、もし、ほんとに、日本人が、昔のような子育てをしたいなら(昔に戻りたいなら)、色々な面で「覚悟」しなきゃいけないことがたくさんあります。 子どもに「大人の言うことを聞きなさい」という子育てをしたいなら、おとなの側だってぐうたらじゃいけないし、昔の人が我慢したようなことを、同じように我慢しなきゃいけなくもなります。→「ヨイトマケの唄」
___中略___「昔は良かった」なんて昭和30年代を懐かしむ団塊世代もいれば、戦前戦中の日本人の凛々しさを称えるご老人もおられることでしょう。 でもね、どう考えたって、今のほうが良いに決まってるのです。今の豊かさ便利さを手ばなすことなんかできっこない。 豊かで楽しいまま、「毅然として」「凛々しく」なんてできますか、あなた。 ≫

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これは、「品格」について書いたものなのですが、「身の丈に合った生活」のような言葉に置き換えても同じです。

内田先生が、いくら「少子化ではなく増子化なんだ」「この日本国のサイズなりの生活があるはずなんだ」と何度も何度も繰り返して仰ろうが、生活水準を下げたくない日本人が、それに同調するはずがないのです。

だから、国家財政が自然に破綻を迎える時まで「経済成長」や「新たな市場開拓」をもくろむしかなく、従って、「働き手をもっと産まなくては」「グローバリズムに乗らなくては」と叫び続けるしかないのです。

学者や評論家は実効性のある現実的な対策を提案する必要はなく、「思想」を論じ続け、何十年か何百年か後で、その思想の「真っ当さ」がわかってもらえればそれでいいのだと思います。

でも、生活レベルを保ちたい、もっと豊かになりたい、それが日本人の願いであるならば、政治はその願いに沿うべく、政策を練ることしかできません。

内田さんの最新記事「デモクラシーのコスト」 の意味はそういうことだと思います。

私は日本人の意識を変えるには教育しかないと思っているのですが、内田さんもそのような記事を書いておられます。→  「教育のもたらす利益について」 

≪教育は私人たちに「自己利益」をもたらすから制度化されたのではない。
そのことを改めて確認しなければならない。
そうではなくて、教育は人々を「社会化」するために作られた制度である。≫

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どうして人々を「社会化」しなければならないか。
それは共同体としての秩序を守り、生存を維持し、もっと言えば、幸せを得るためでしょう。

生存しさえすればいい、幸せでなくてもいい、という人はまずいないわけで、幸せになればなったで、より上の「幸せ」を人は追い求めます。

そして追い求めて疲れた時、「幸せとはなにか」という人生最大のテーマがいつものように現れ、人は「お金がなくても幸せになれるのではないか」といつものように思い始めます。

で、どうしろというのでしょうか。

資本主義社会の当然の成り行きだとか、やはり社会主義政策がいいのだとか、そんなことを言いながら、歴史を繰り返すしかないのでしょうか。

内田さんは「サイズに合った社会システムを」と言い、藤原正彦さんは「武士道を取り入れて誇り高く生きよう」と言い、佐伯啓思さんは「自由と民主主義をやめろ。グローバリズム反対」と叫びます。

しかし、悲しいかな、すべては「民意」です。

民意は変わるものでしょうか。

学者さんたちがこういうことを言い続け、それに同調する人たちが増えれば人間の意識は変わりますかね。

これらの学者さんたちはとても人気があって、著書も随分と売れているでしょうに、人の意識は一向に変わる気配もなく、相変わらず「お金が足りない」と言い続けます。私もできたらお金はほしい。森の中に住むおばあさんになっても年金はもらいたい。

「うん、良い考えだ」とは思っても、自分だけは得をしたいという「総論賛成各論反対」が人間の本質だからです。

その本質、変わるものですか。

いくら言論の旗手たちが「意識を変えろ」と叫んでも変わらないんだったら、宗教とか秘密結社とか立ち上げて密かに地下運動を広げるしかない、と思いついても、そんないかがわしいものは広まるわけがないのです。

そう、いかがわしい。

個々の人間の欲望制御は美徳ではありますが、自由と民主主義が至上の価値である社会では集団的欲望制御はいかがわしいものでありますから、個々の美学を称えて自然な流れができるのを期待するしかありません。

内田さんんも「私たちはすでに無意識的にそう判断して、それに添うように行動し始めている」と書いています。

それが具体的にどのような形で現れているのかが書いてありませんが、内田さんの言う「成熟しない大人」とは、「いくつになっても不自然な若さを保ちたがったり恋愛をしたがる年配者」や「いつまでも自立しないニートたち」も含まれるんでしょうか。

均質化され、区別のなくなった大人と子供、男と女、それぞれの年代や性がそれぞれにふさわしい役割や欲望を持つようになれば、環境負荷が軽減される、ということなのでしょうか。

それはわかるような気がしますが、内田さんの言うように自然に流れが変わってきているのでしょうか。それはどんなところに表れているのでしょうか。

長くなってしまいましたが、時間のかかる意識改革はさておき、このたび「革命的政権」が誕生したことでもありますし、あまり悲観的にならずに、子供がほしい人が産みやすいよう、少子化対策もしてほしいし、世界にまだまだ市場があるうちは、なんとか進出を果たして国としてお金儲けもしてほしいものです。

「集団内部に、それぞれ生態学的地位と社会的行動を異にする多様な種を作り出す」にはどうしたらいいかについては、しかるのちに、じっくり考えることにいたしましょう。

「増子化」
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2009年9月16日 (水)

何より命が大事

野党が与党に変わるとなると、気楽だった立場から一転、激しい批判を浴びながら政権運営をやっていくことになります。

新聞やテレビは連日、民主党政権に対する不安や不満を報道しますし、週刊誌の広告などでも、連立の党首たちに対する意地悪な見出しを目にします。

まあそれは与党だから仕方がないことで、自民党は今までそうやって批判をされながら政治をやっていたわけです。

産経新聞の≪【新・民主党解剖】第1部 海図なき船出(1)無視できぬ「小沢」≫という記事を読んで、面白いなあ、と思いました。

小沢さんとの二重権力構造に興味はないので全部は読まなかったんですが、笑ったのは最後の数行です。

≪少子化・男女共同参画担当相などに起用される社民党の福島瑞穂党首は同日午後、「土井ママ」と呼ぶ土井たか子元衆院議長から電話を受けた。

 福島氏「体を張って頑張ります」

 土井氏「体なんか張ったらダメよ。体を大事にして頑張って」

 鳩山連立政権の実像と方向性が、徐々に明らかになってきた。≫

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「体のほうが大事。政治に命なんか賭けちゃダメ」ってことですね。

2年前、倒れる直前までなんとか続けようと頑張った安倍さんへの「死ぬまでやれ」と言わんばかりの野党やマスコミの攻撃を思い出してしまいました。 →    http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ebc6.html 
お気の毒に、倒れなかったばかりに、「途中で放り出した」といまだに言われ続けておられます。

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2009年9月14日 (月)

森のおばあさん

ノンフィクションライターの久田恵さんが産経新聞にエッセイを連載していて、私はいつも楽しみにしているのですが、先日こういうのがありました。

≪今年の夏、ちょっとした冒険を試みた。ある小さな山荘で、女一人の夜を過ごしたのだ。周りには、いくつかの別荘もあるのだけれど、なぜか、その時期は誰も訪れる人もなく、むろん、テレビなし、新聞なし。世間とは隔絶したまったき静寂の中で、この私、来し方行く末などを思って過ごしてみた。
なぜ、そうしたか。実は、60代になって夫と二人で田舎暮らしを始めた友人がいる。夫が留守の折など、山の家で彼女は一人で過ごしている、と言う。
そこはかなりの山中である。都会暮らしに慣れた奥様育ち(?)の彼女が、よくそんなところに思い切って家を建てたなあ、と思い、「ねえ、夜なんか、一人でいると怖くない?」と聞いたら、「それが全然なの。すてきよ」とあっけらかんとしている。ふ~む、そういうものか。私も、それがどういうことか経験してみたいと思っていた。それによっては、今後の人生に、「脱都会」の新たな選択肢も加わるな、と。以前から森の中に住むおばあさんになりたい、というイメージを抱いている私である。この際、その可能性を追求してみようかしら、と。そして、初めて森の中での「女一人の夜」を迎えたのだった。
昼間から霧に包まれていた山荘は、日が落ちて気が付くと月明かりも星明かりもなく、たちまち闇に包まれた。外へ出ると、そこは、もう自分の足元さえ見えない「真の闇」。おお、真っ暗!それは、黒いビロードのようなしっとりとやわらかな闇だった。けれど、怖くはなかった。むしろ、感動だった。その闇の中を一歩、二歩と踏み出すたびにわくわくした。まったき闇が自分を包み込み、すべてのものから自分を守ってくれている安らぎさえ覚えた。
そして思った。自分はいろんなことをして長く生きてきた気がしていたけれど、人間という動物として、こんなシンプルな、基本的な、自然の夜の闇さえ人生で一度も体験せずにきた女だったのか、と。都会で生きるということは、しみじみ浅薄なことと思った。思えばランプ以外に明かりのなかったころ、人々に魑魅魍魎の跋扈する想像豊かな世界を生み出させたのは、この夜の闇だったのではなかったか。というわけで、この夏、一人で生きる練習の項目に私は、堂々、「闇夜に一人」の体験を加えることにした。お試しあれ。≫

実は私も昔から森の中に住むおばあさんに憧れてはいるのですが、防犯や医療やその他生活上の不安を考えると現実的ではありません。
しかしこの頃思うのです。
たとえ病気になって人知れず死んだとして、それのどこが不幸なのか?
人里はなれた田舎の一軒家に強盗など押し入るだろうか?
電気、水道という最低限のインフラさえ整っていれば、おばあさんは森の中で暮らしていけるのではないか。

ここで大抵の人は「人のいない寂しさに耐えられないだろう」と言うでしょう。
でも、一人でも寂しくない人はいるものです。
たまに人に会いたくなることもあるでしょうが、その時は街に出て行けばいい。

さらに、「退屈に耐えられないだろう」とも言われるでしょう。
でも、決して退屈しない人もいるものです。
身の回りのどんなことにも興味を持ち、驚き、楽しむ性分でありさえすればいい。

そんなことを思っていた時、某Y.ikeさんのところで、こんな記事を読みました。→ http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/d1c1951513e0fd2fdcdf77a50f68be2c

「退屈病」は、今の時代ならではのものではないとは思いますが、人の生活がかくも豊かになり、寿命が長くなった現代では、その病はちょっと重症化しているかなと思います。

しかし、“change”に熱狂する人、それを見つめる冷静な人、と二つに分けて考えるものでもありますまい。

腐敗が進めば新鮮さを求めるのは社会の必定であり必要です。

改革の切望は退屈さゆえ、だけでもありません。

神谷さんはエミリ・ブロンテを例に挙げ、
「むしろ精神の世界が豊かで、そこでの活動が烈しいひとほど、外界での生活に大きな変化を求める欲求が乏しいとさえいえるかも知れない」と書きました。
これはいつの時代も変わらない真理だと思います。

そういう人は「寂しさ」とか「退屈」を感じないでしょう。

曽野綾子さんのエッセイ「荒野の娯楽としても戦争」の中にこんな文章があります。

≪タリバンの生活も特殊な幹部が住む場所は別として、電気も、水道もない。泥で固めた小屋、洞穴の家、テントなどに住み、泥にまみれ埃の中で暮らしている。日が暮れたら寝る他はない生活だ。アルミサッシ、風呂、トイレ、テレビ、冷たいコーラ、新聞・雑誌、コーヒー店や映画館、マイカーや電車、リクリエーション、そうしたものの全くない荒野の暮らしをしているのである。
もし私たちがそうした生活に追い込まれたら、我々は何を楽しみに生きるか。答えは簡単だ。セックスと戦争以外に何の娯楽があるというのだ。恐らく彼らは、楽しみのためのサッカー・ボール一つ持っていない。ゲームもない。トランプもないだろう。そんなところへ、ロケット砲や戦車をもらったら、私でもおもしろくて決して手放しはしないだろう。≫

日本ではどんな田舎に行っても、電気や水道は整備されているし、都市部より多少不便ではあっても、何の楽しみもない荒野の暮らししかないということにはなりません。

なんと恵まれていることでしょうか。

だから、「退屈」への対処は容易であるはずなのです。

しかし、退屈を感じればこそ、人は新しいものを求め、お金を遣い、経済が活性化して、国が豊かになり、貧困者の救済もできるわけですから、人は隠遁生活などしないほうがよろしいですね。60になっても70になっても、ブティックであれこれ試着して着飾ることに興味を持ち続けることで、景気回復の一端を担うことになるのですから。(鳩山夫人のことではないですが)

森の中で一人でも平気、野垂れ死んでも平気、などという心境に至ることこそが現代の病理、と指摘されるかもしれません。

いや、しかし、昔からそんな風な生活を好んでいた人はいたはずで、あながち病理とも言えないかも・・・・・・、こう考えてくると、何が健全で何が不健全だかわからなくなってきますねえ。

幸せは自分の心が決める、ま、そんなとこに落ち着きましょうか。

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2009年9月10日 (木)

理想よりカネだ

鳩山さんが、朝日新聞主催の「朝日地球環境フォーラム2009」で、「地球温暖化防止対策として日本は2020年までに1990年比で25%削減をめざす」と明言しました。
「日本がこのような厳しい目標を掲げることで、温暖化対策において世界の先頭に立つべきだ」ということだそうです。

このことについて、各方面から驚きや反発が噴出しています。

これまで世界のどの国よりも削減に努力してきた日本が、こんなに高い目標をさらに掲げるとなると、日本では生産活動ができなくなり、それどころか、すべての家庭で、ハイブリッドカーやエコ家電に買い換えることを義務化でもしないと不可能なんだそうです。→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000036-san-bus_all

この削減目標を太平洋戦争時の「インパール作戦」に例えている人もいます。

≪日本兵が我慢強く従順なのをいいことに、食糧や武器の補給を軽視したずさんな作戦により、4万人もの餓死者を出し歴史的敗北を喫した無謀なインパール作戦と同じではないか≫

しかし、一昨日のテレビ朝日「報道ステーション」に出た民主党の福山哲郎議員が、このように説明していました。
≪25%削減目標というのは、いま最も温暖化ガスを排出している中国や京都議定書を批准していないアメリカを巻き込むためのものです。それらの国々を参加させるという前提のもとでの数字です。
さらに、最先端を行く日本の省ネネ技術を世界に売り込むビジネスチャンスでもあります≫

温暖化ガス削減に向けての世界戦略ということなら、日本だけがバカを見るということもなさそうだし、ここはひとつ「鳩山は一体何をねぼけたことを言ってるんだ」などとヒステリックに騒ぎ立てないで、温暖化問題の国際会議に誰が行くのかわかりませんけど、堂々と考えを述べて世界をリードする日本代表の勇姿に大いに期待しようじゃありませんかみなさん。

それより、気になるのはニューヨーク・タイムズに掲載された「鳩山論文」です。

鳩山氏は友愛精神に基づく「東アジア共同体」を提唱しました。
それだけなら、オバマ大統領のプラハ演説と同様の将来への壮大な夢として、歓迎すべき構想だと思うのですが、問題は論文冒頭のアメリカ批判です。

「アメリカ批判(アメリカとの決別を予感させる)」と「アジア共同体構想」が一つの論文の中で同時に語られるということは、かなりの問題ではないのでしょうか。

鳩山さんは友愛精神を元に、EUのような共同体を想定しているのかもしれませんが、EUと東アジアは状況が異なる、ということが言われます。
これを発案した当時のヨーロッパでは経済的軍事的に同等の力を持つ複数の国があって、それらの協同利益の観点からの出発であったことや文化的類似などの条件がありました。

東アジア共同体の難しさについては検索すれば沢山出てきますが、一番上に出てきたものを貼り付けます → http://homepage3.nifty.com/ryuota/eastasia.html 

百歩譲って、「ヨーロッパ統合の構想を最初に提言したオーストリアのクーデンホーフ=カレルギー伯爵の着想だって、最初は夢のような話だった。その最初のアイデアが出された時からEUが実現するまでには長い道のりと困難があった。誰かが最初に踏み出さなければならない。」ということだとしましょう。

鳩山さんは論文の中で、クーデンホーフ=カレルギー伯爵の言葉を引用しています。
≪すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった。一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている≫

立派な考え方であって、私も大いに賛成です。何ごとも勇気ある一歩から始まるのです。私も理想家だからわかります。

しかし、これから総理大臣となって、日本の豊かさと安全を守る立場にある人が、現実的戦略である日米同盟を軽視してまで発言するようなことなのでしょうか。

そういう理想は学者や市井の人々が持ち続け発言し続ければいいことで、もし鳩山さんがどうしてもそういう理想を語りたいのであれば、総理大臣になるのはやめて、学者として熱心に発言し続ければいいのではないでしょうか。

政治は国民の生活を豊かにするためのものであり、未来の理想社会のことなど、後回しにするしかないのです。

現実政治というのはそういうもので、一国のトップはそれを行う責任があるのではないでしょうか。

さて、野党になる自民党は、鳩山さんより現実的だと思いますが、敗戦の混乱の中、これからどのように党を立て直していこうと考えているのでしょうか。

自民党の再生のためには世代交代が必要だと力説する河野太郎議員は次のように語ります。
≪自民党とはこういう政党だという明確な理念を打ち出すことが肝心。それに合わない人は出て行ってもらう。
民主党がバラマキで、大きい政府、結果平等という考えの党なら、自民党は小さい政府で、経済成長をめざす。
それでまとまらなければ、自民党から出て新しい党をつくるべき。
自民党の再定義をまずすること。
それもなくして総裁を決めるのは意味がない。≫

現実的ですね。
頑張ってください。

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       総裁立候補推薦人10人に賛成しなかったのは
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2009年9月 4日 (金)

若手に席を譲れ

今朝のテレ朝「スーパーモーニング」の選挙総括は、なかなか良かった。
自民党若手河野太郎氏が出演し、古い体質の高齢者が比例で復活して、有能な若手が落選していることに怒りをあらわにしていた。
「わしらはもう身を引くからと若手に議席を譲るべきではないのか」と。
同感である。

落選した佐藤ゆかり元議員へのインタビューでは、インタビュアーが「今回の得票率の高さから考えると小泉路線からの決別をアピールすれば佐藤さんは当選していたのではないか」と聞くと、「構造改革が間違っていたのではなく、国民のための政策を実現するために構造改革が必要なのです。当選するだけのために白を黒とは言えません」と言った。

番組は、「小泉構造改革がもたらした負の部分だけが強調され、有権者を一方向へ誘導したことはマスコミとしても反省しなければならない」と結んだ。

疲弊した社会に改革は必要、私はそう思っている。
小泉改革のどこが悪くてどこが良かったのか、改革はまだ途上だと思うが、一度冷静になって考えてみる必要はあると思う。

で、検索でこんなところを見つけた。 → http://news.goo.ne.jp/hatake/20090128/kiji2878.html

こういうのをじっくり読めば、雪崩をうった人々も少しは落ち着くのではないか。

「小泉構造改革は失敗だった」とする人のほうがずっと多いのだが、私は「成功だった」「どちらでもない」の意見に共感する。
「失敗だった」の意見は、感情的なものが多い。

≪議論のスタイルが「市場原理主義」対「反市場原理主義」という不可思議な論争になっている。「市場原理主義」というのは改革路線への反対派が持ち出した、政治色が強くて定義があいまいな「わら人形的攻撃対象」だ。≫(伊藤元重)

ところで、河野太郎氏の発言は自民党分裂を予感させる。河野さんは、どういう政治理念を持った人かはよく知らないが、「小さな政府」を目指しているらしい。

沢山の火種を抱える民主党が何らかの問題でつまづいた時、政界再編が起きるのではないか。
若手は勇気を持って行動してほしい。我々も支えるから。

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2009年9月 1日 (火)

自民党よ、男らしく

民主党が圧勝したのは、民主党を支持する人が増えたのでなく、自民党に愛想が尽きた国民が自民党を下野させるために行った投票行動の結果である、ということが言われる。

私は自民党の景気対策のどこが具体的に悪いのかよくわからないのだが、長期政権による疲弊は決して良い政治をもたらさないと思うので、世代交代や政界再編はぜひ必要だと思っている。

麻生内閣がさしたる失政はなかったにもかかわらず支持されなかったのはなぜだろうか。

「私は郵政民営化に賛成じゃなかった」などと、後付の言い訳をするところが私は嫌いだ。
反対ならば、亀井さんや綿貫さんや平沼さんのように反対を貫いて離党するという筋を通すべきだろうに、それをせず、あとから「賛成じゃなかった」などと言う男気のなさにはうんざりだ。

麻生内閣に人気がなかったのは、政策うんぬんより、首相個人の人柄ではないかと思う。

好き嫌いで政治を決めていいのか、と怒る人もいるだろうが、それは仕方がない。
「今の不況はひとえに小泉改革のせいだ」という考えが世の中を席巻しているようだが、相変わらず小泉さん個人の人気は高い。まあ、小泉改革を否定する人と小泉さんを好きな人は別なのかもしれないが。

好き嫌いの問題は別にして、自民党が何故こうもガタガタになってしまったかの理由は、ねじれ国会により何も決められなくなってしまったことにあり、何故ねじれることになってしまったのか(自民党が参議院で議席を減らしたこと)については、長年の間に積み重なったしがらみによりあらゆる面で改革ができないことに国民が失望したからだろう。

閉塞感を打破したい。自民党政治に飽き飽きした。とにかく霞ヶ関をぶっ壊してもらいたい。成熟した二大政党制にするための前段階だ。 民主党圧勝の背景にはそういった国民の思いがあるだろう。

さて、自民も民主も、国内経済対策に関しては大差ないと言われるが、多くの人が抱える民主党に対しての不安は、鳩山さんの反日左翼のような言い草であり、党内の左翼勢力に対してだろう。我が国存続の根幹を成す外交、防衛に対する民主党の姿勢に「いったい日本国民の生命財産を守ることををどう考えているのか」という不安を覚えるからだろう。

今朝の産経新聞【人界観望楼】に、外交評論家岡本行夫さんがこのように書いている。→ 「鳩山さん よく考えてください」  

民主党はどういう日米同盟像を描いているのか、米軍基地の縮小や撤退を主張するのであれば、日本独自の軍事戦略が必要であり(核武装を含む)、それもしないというなら、岡本氏が以前に表現したように「お前の顔をみたくない、と奥さんを家から追い出して、『病気になったら看病に来い』と命じるようなものです」という自分勝手な国を目指していることになる。

しかし、民主党にも、日米同盟の重要性を認識している議員はいるし、自民党という野党も誕生した。

自民党はどうか男らしい野党になって、賛成できることには積極的に協力し、国のためにならないと思えば、断固として反対を貫いてほしい。国民の理解を得るための丁寧な説明も必要だ。

そしてなにより大事なことは、国民がしっかりと与野党の議論を見つめて冷静な判断を下すことだ。

この日本という国の豊かさと平和はいったい何によって保たれているのか、そのおおまかな構図ぐらいは、いかに政治に関心がない人でも知っておくべきだと思うのである。

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2009年8月29日 (土)

ヒステリック

私は経済政策の細かいことについてはわからないし、数字を挙げてあれこれ論ずることはできない。
60年以上生きてきて、「結局人間社会とはこんなことではないか」、といったおおまかな見方で、世のことを解釈しているにすぎない。

国民は自民党に愛想をつかせ、政権は民主党に移ることがほぼ確実である。
いったい自民党のどこが良くてどこが悪いのか、素人ながらよく考える。

山本大成さんの記事に、「良く整理して考えなければならないのは、現在の景気の悪化が与党を中心に運営されてきた日本の政治のせいで起こったのかどうか?(他の政党が政権を担当していたら防ぐことが出来たかどうか?)」
とある。

また、こちらの記事では、小泉内閣時代の政策への穏当な検証がなされている。→ http://blogs.dion.ne.jp/hanemone/archives/8651907.html

今や世の中は、「小泉改革が世の中をめちゃくちゃにした」と、一人ひとりが抱える不満を何でもかんでもコイズミのせいにする風潮に流されているが、目の前の不具合を評価の基準にするのでなく、時間的空間的にもう少し視野を広げて全体の流れを見たらどうだろうか。

竹中さんの経済政策には欠陥もあったのかもしれないが、バブル崩壊後のあの酷い日本経済を、では、いったい誰だったら、綺麗に処理してみせ、その後の経済を完璧に回復させることができたというのだろうか。

小泉改革はぶっ壊しただけだった、そのあとの構築をやらなかった、というけれど、小泉内閣はしぶとい政治勢力をついに動かすことができなくなってしまったということではないのだろうか。先日ラジオに出演した竹中さんは「政治は負けることがあるんです」と言っていた。
そう、負けたのである。おそらく、政治の裏をいやというほど見せつけられ思い知らされたことだろう。

郵政選挙で、反対した自民党議員は排除された。しかし、排除されたくないので賛成を装って残った勢力の存在が改革を中途半端なものにしてしまったのではないだろうか。

「民営化に反対なら元に戻せばいいんですよ。中途半端が一番いけない」と竹中さんは言った。

激しいせめぎ合いの末、敗北し、政界を去ったあとの状態をもって、「こんなことになってどうしてくれるんだ。にっくき小泉竹中め」と短絡的に糾弾するのは、ヒステリックに過ぎるというものだ。

とは言え、このまま自民政権が続くのも自民党自身のためにならないので、政権交代は許してもいいのではないか。

平凡な国民の視点でもって語るとこういう具合である。
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