子どもへの愛情
子どものころ、夏休みのあいだ中、海辺のおじいちゃんの家に滞在し、毎日、海に通った。
あとから、監視役のおとなが一人か二人、おにぎりなどを持ってやって来たが、午前中出かける時は子どもだけのことが多かった。きょうだい、いとこたちの子ども集団は最年長が中学生などという時期もあったし、まれに小学生だけだったこともあった。
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子どものころ、夏休みのあいだ中、海辺のおじいちゃんの家に滞在し、毎日、海に通った。
あとから、監視役のおとなが一人か二人、おにぎりなどを持ってやって来たが、午前中出かける時は子どもだけのことが多かった。きょうだい、いとこたちの子ども集団は最年長が中学生などという時期もあったし、まれに小学生だけだったこともあった。
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有名人でいわゆる「女のことならまかせなさい」タイプのおじさんっていますよね。
例えば、作家の渡辺淳一氏のような女性遍歴の豊かな「恋愛の達人」「女性論の第一人者」みたいな人が、「女とはこういうものだ」というひとくくり論を滔々と述べます。あたかも自分はあらゆるタイプの女を知っているかのごとく。
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埼玉県内の駅前交番で、25歳の男性が数人の暴力団員風の男たちに暴力を受けていたが、交番内の警官数人はそれを見ていながら助けなかった、という事件がありました。
そのニュースを聞いて、スタジオのコメンテーターが、「これはね、警察官、はっきり言って、怖かったんですよ。警察官が暴力怖がっててどうするんですか。性根をたたきなおさなきゃいけません!」 と、語気を荒げていました。
それは、その通りだと思います。
でも、今の世の中、正義感に燃えて、進んで警察官になろうという骨のある若者がいるでしょうか。
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チャチャチャ・チャチャチャ・チャチャチャチャ・チャチャ あの手拍子で始まる感動的なオープニングの音楽。 2003年夏、この団塊の主婦をも思いっきりわくわくさせてくれた高校生の物語がパート2として、今夏再び登場しました。
前シリーズでは、ありきたりの表現ですが、高校生らしい素朴さひたむきさに懐かしさで胸が疼くような思いを味わい、終わったあとしばらく余韻を引っ張ったクライマックスは、それこそ体中の毛が逆立ち、涙がにじんでくるほどのできばえでありました。
あんなに魅力的なドラマは久しぶりでした。愛だの恋だの一本調子のドラマ界にあって、まさに、新しい風が吹いてきたような心地がしたものです。
2週間前に始まった2004年版、どうでしょうか。
私の感想では、一回目は「うん、悪くないね」、これは、音楽の力が大きいと思います。前シリーズの佐藤直紀の音楽や、シンクロ演技で使った音楽をそのまま引き継いでいます。音楽が変わっていたらきっとがっかりだったでしょう。
二回目がねェ、ちょっとねェ、・・・・、あの「オトコアレルギー」の女先生、わざとらしすぎて引いちゃいますね。井上和香ちゃんのせいじゃなく脚本だと思うんですが、なんとかしてください。
それから、田舎の高校生の雰囲気が今回は出てないような・・・。ま、今の時代、「田舎の高校生の雰囲気」自体、幻想なのかもしれないけどね。
でも、とにかく、クライマックスに向けて、これからも楽しみに見ていきます。
そういえば今夜ですね。
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主婦の生きてる世界って、社会から隔離されているようで、ちょっと見、いかにも狭そうです。家事全般はほとんど家の中、外出するのもせいぜいスーパーへの買出しや子どもの学校の用事、主婦仲間とのささやかなランチ、まあ、そんなところでしょうか。
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中村うさぎという作家がいます。
今、NHKの「今夜は恋人気分」という、著名人夫婦を招いて話を聞く番組の司会をやってるそうですが、この人の最近のエッセイで、その番組を題材にしたものがありました。
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男も家事をする時代になりましたねえ。「家事をする」というより「せざるを得ない」時代です。
「自分の食べるものぐらい自分で作れなくてどうする」とか、「結婚前は母親に、結婚後は妻に身の回りの世話をしてもらう男は自立しているとは言えない」、こういうことを、口角泡飛ばして力説する必要もなくなってきたようです。
私は、男の家事については、男女平等などという思想をちょっと離れて、「文化」とか「進化」の問題だと思っています。
こういう光景を思い浮かべてください。
「初老の男が台所で背中を丸めてひとりネギをきざんでいる。」
そんな姿はいわゆる男の悲哀を表現する道具立てとして映画などで使われることが多いですよね。男は家事をしないもの、という前提のもとでの話ですが、男がそういうことをしている姿自体が、人の心を動かし、人間のドラマを構成する重要な要素ともなります。
しかし、男女の区別のない社会が名実ともに実現し、男が女と同じように何の違和感もなく家事や育児をするようになると、そういう表現方法は無意味なものとなります。
「初老の男が台所でネギをきざんでいる・・・・、え、それがどうしたの」という反応しか返ってこないでしょうね。
男と女の文化的な境界線がなくなるのは避けられません。
「文化なんて時代と共に変わっていくものだ。人間の幸福の追求こそが大事なのであって、旧弊にとらわれることで、そのことがさまたげられてはならない」という考えもよくわかりますし、女性の社会進出が著しい現実をかんがみれば、女性だけに家事の負担が課せられるのはまことにおかしな話だとも思います。
だから、変わること、つまり、男も普通に家事をする社会に変える、ということを恐れてはならないと思います。
しかし、「変わることを恐れてはならない」というなら、「日本の文化的風景も根本からくつがえるかもしれない」、ということも覚悟しておいたほうがよさそうです。
文化が根本からくつがえる・・・・ってそんなおおげさな、と思われるなら、もっと言いましょうか。
家事や育児によるストレスは結構きついものです。
妻たちはどうやってそれを乗り切っているかというと、グループを作って「お茶」や「ランチ」や「ショッピング」をし、「おしゃべり」をするのです。
これは、ストレス解消以外にも情報交換の手段としてかなりの効果があります。
男の人たちが他に家事ストレス解消の方法をみつけられるかどうかわかりませんが、男性が女性と同じように家事育児をするようになると、きっと、街のあちらこちらで、ベビーカーを押しながらおしゃべりに興じる男たちの姿が見かけられるようになるのではないかと想像してしまいます。
それはまさに、男のメンタリティの「進化」なんじゃないでしょうか。
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「子どもを安心して生み育てられる社会じゃないから」とか、「経済的にとても無理だから」女は子どもを生まなくなった、などとよく言われ、一律にそれを言い訳として、女は子どもを生むのを躊躇しているように見えます。
そういう理由の人もたしかに大勢います。でも、全部が全部そうじゃない。いえ、大部分がそんな理由じゃない、と私は思います。
子どもが受ける災難といえば、昔だってあったし、経済的に苦しかったのは昔だってそうだったのです。
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曽我ひとみさんは無理をなさってないでしょうか。
北朝鮮では家族4人幸せに暮らしていらっしゃったようです。平壌に住み、待遇も良かったようですね。
夫のジェンキンスさんもすっかり北朝鮮の国民でしょうし、お嬢さんたちも生まれ育った北朝鮮しか知りません。
そんな家族を言葉もわからない生活習慣もまったく違う日本に無理やりつれてきて、あの北朝鮮での生活より幸せな生活をさせてあげられるだろうか、と不安に思っていらっしゃるのではないでしょうか。
曽我さんの日本の親族が他の拉致被害者家族に比べて奪還に熱心でないように見えるのは、そういうところをわかっていらっしゃるからではないでしょうか。
→追記
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「子どもを大事にする」のは大事なことなんですが、「子供に人権はない」というのもまた一理ありまして、私など、子どもはある程度の年齢までは、有無を言わさぬ「調教」が必要だと思っております。
中には、早熟で自立心が強く「調教」などという強制に耐えられない子どももいるでしょうが、そういう子たちへの配慮をした上での学校教育の工夫が大切になってくると思います。
子どもに人権はない・・・・・、しかし、私はもっと基本的な意味での人権をぜひ子どもに持たせてあげたいと思います。
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ブログを始めました。 国家論なんていうとほんとにおおげさでこっぱずかしいのですが、主婦だって、いや、主婦だからこそ、国のあり方について考えることって多いんですよ。 何から書いたらいいのか迷っておりますが、まず「戦争」について軽く書いてみます。あっ誤解しないように。戦争を軽く考えているのではなく、国際問題のむずかしい諸事情のわからないおばさんが単純思考で単純な文章を書いてみる、という試みです。
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「戦争反対」と人はよく叫びます。特に女性は叫びます。中でもおばさんは頑固に平和を守ろうとがんばります。
残虐なことはなるべく避けて通りたいのは誰しも同じだし、ほとんどの人間は平和を願っているのでしょうから、「戦争反対」のシュプレヒコールを発するのは当然の衝動でしょう。
しかし、自国の政府が戦争に加担するような政策を実行する時、いったい、なにゆえ政府はそうするのかを人はあまり考えないのではないでしょうか。
よく、「国益」という言葉が使われますが、人々はこの言葉の持つ具体的な意味も深く考えたことがないのではないでしょうか。
私たち日本人は世界有数の豊かな国をつくり上げ、その豊かさの中に当たり前のように何十年も浸り続けてきました。私たちはもう、貧しさに戻ることなんてできないどころか、その貧しさがいったいどういうものであったかさえ忘れてしまっています。
国というものが国際社会の中でうまく立ち回って生き延びる努力をするからこそ、国民はその恩恵に与るのだと思います。
資源に乏しい日本は世界中で上手に商売をしなければ豊かさを維持できません。
「戦争は嫌いだ」といって、危険地帯を回避ばかりしていると、国際社会からは、「日本は自国の安全だけに執着し、危なくて汚い仕事は他国にまかせ、戦争が終わって危険がなくなったところへのこのこやってきて、石油をください、商売させてください、と言い始める。金もうけの話だけ首をつっこんでくるずるい国だ」と思われはしないでしょうか。
そう思われることは国際的な立場上どういうことになるのでしょうか。結局不利益をこうむることになるんじゃないですか。
「後ろ指さされても、貧乏になってもかまわないじゃないか、戦争に加担するのはやめようよ。みんな仲良くしようよ」、というのなら大いに賛成します。
もし、「国益なんかいらない。戦争に加担したり大国の言いなりになるのはやめてほしい」、と言うのなら、国民自身それなりの覚悟をしたほうがいいと思いますよ。
「私たちは豊かでなくてもいいんです。石油がなくたって人力でなんとかします。喜んで農業や漁業や林業に従事いたします」、そのようにはっきりと意思表示することが必要だと思います。
しかし、「平和主義者」でそれを口にする人を私は見たことがありません。
石油をたっぷり使った快適な生活ででっぷりと肥え太った大国の文化人などが(はっきり言うと映画監督のマイケル・ムーア氏なんですが)、こぶしを振り上げて自国の大統領を糾弾している姿を見ていると、「戦争反対を叫ぶ前に、あなたのその豊かさを少し削ってもうちょっと痩せたら?」とつっこみを入れたくなる私は意地悪でしょうか。
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