子どもへの愛情
子どものころ、夏休みのあいだ中、海辺のおじいちゃんの家に滞在し、毎日、海に通った。
あとから、監視役のおとなが一人か二人、おにぎりなどを持ってやって来たが、午前中出かける時は子どもだけのことが多かった。きょうだい、いとこたちの子ども集団は最年長が中学生などという時期もあったし、まれに小学生だけだったこともあった。
おじいちゃんの家から海にたどり着くには、海岸線に平行に走っている山陽電鉄と国鉄(「省線」なんておとなは言っていた)の二本の線路と、国道2号線の三つの難所を横切らなければならなかった。
少し離れたところに無人踏切のようなもの(ようなもの、というのは、遮断機もなく、草ぼうぼうの踏み分け道の延長が線路を横断している、という程度のものだったからである)があったが、私たちはそこを通らず、夏草をかきわけながら、ひたすら海へ向かう直線最短距離を進んだ。
見通しの悪い急カーブの線路を渡る時は、耳を押し当てて電車が来ないことを確かめて一気に線路を飛び越えた。
二本の鉄道をクリアしたあとの最後の難関である国道は、昭和30年代初頭のそのころでも、結構交通量が多く、乗用車は少なかったものの、大型トラックがすごいスピードでビュンビュン飛ばしていた。
上り下りの車が一瞬途絶えた間げきをねらって子ども集団は恐怖におびえながらワーッと駆け抜けた。
線路を横断しようとした時、大きくカーブした向こうからいきなり電車が現れたこともあったし、国道で年少の子がころんだこともあった。
いま考えると、信じられないほど危険なことをやっていたのに、おとなたちにそれらの行動を厳しく禁止された記憶がない。
運が悪ければ、誰か死んだかもしれない。でも、死んだかもしれないそういう危険なことを私たちは毎日のようにやっていたし、あのころの子供たちはたいていそうだったろうと思う。
昔の子供は危険察知能力や敏捷さを持っていた、などという結論を言うつもりはなく、驚嘆すべきは、おとなたちの覚悟である。
「死ぬこともあるかもしれない」、これぐらいの覚悟がなければ、到底、あれらの子供の行動を許すわけがない。
で、死ぬかもしれない、と思われていたのなら、大事にされていなかったか、というと、全くそんなことはなくて、充分愛されていた、という実感もある。
昔の親たちのこの「放任」は、いったい何であるか。
子供たちを愛し育みながら、何が何でも危険から遠ざけようという必死さが感じられないのである。
これは、やはり、動物的な勘ではないのか。
「子供たちは放っておいても大丈夫だ」という勘ではなく、「危険を回避できない子は遅かれ早かれ危険を回避できずに死ぬ」という、理屈ではない動物的な覚悟の遺伝子を持っていたのではないか。
一見、冷酷とも見える親の姿勢は、実は濃密な動物本来の愛によるものではないのか。そうでなければあの親たちの放任の説明がつかないのである。
愛情というのは、「何が何でも生きていてくれ」ということではなく、「良く生きるための術を授けること」ではないのだろうか。
「何が何でも生きていてくれ」というのは、これは子供に対する愛情ではなく、「あなたがいなくなると、私が辛いから」、という、自分への愛情に他ならないのではないだろうか。
ちかごろは、昔の親が持っていた本能的な愛情がどんどん希薄になりつつある。私自身も含めて。
だって嫌だもの。子供に死んでほしくないもの。私が辛いから。
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コメント
robitaさん こんばんは
robitaさんの コメントは、昔ののんびりしているようで、危ういことを、思い出させてくれました。
親は、心配でなかったんだろうか?
私小1で泳ぎを覚えました。川に一人で行ってはいけない。小5の近所の子供と一緒なら許されました。
その時私から見れば、連れて行ってくれる子供は大きく、安心して付いて行きました。
大人になって五年生の子供見ると、こんなに幼い子達によく自分の子を預けたものだと。
昔の親は、子供を突き離すようなところがありました。
robitaさんのおっしゃるとうり、愛情と厳しさを親は持っていました。
いまそうでないとすると、この辺で立ち止まってrobitaさんが、いろいろ感じられ、警鐘を鳴らされるのがわかります。
平和ボケがひどく、外れ方が大きければ大きいほど、あるべき姿に戻すには、大きくハンドルを戻さなくてはなりません。robitaさんの論調が、徴兵制まで言及されるのも、その現れと承知しています。
本人がきずかなくても、本能はちゃんと警告して、robitaさんは、どうもそれに従っているようですよ。
投稿: kutinasi1 | 2004年7月28日 (水) 23時58分
いつもコメントありがとうございます。
腹の据わった人間を育てるのに「徴兵制」が必要だというわけではありません。
学校教育にもっと工夫が必要だと感じていますが、そのことについてはいずれ書きます。
投稿: robita | 2004年7月30日 (金) 09時47分
子供が死んで欲しくない。
この願いを 込める反戦の人、意外な気がして憶えています。
後藤田 正晴 もそうでした。
投稿: kutinasi1 | 2004年7月30日 (金) 11時20分