傷つきやすい心
私たちの世代は、子どものころ、大人たちからよくからかわれたものでした。いやだなと思うこともあったけれど、特に深く考えもせず、大人とはそうしたもんだ、と無意識のうちに受け入れ、とりたてて不機嫌になったり反発したりすることはありませんでした。
ちょっと気のきいた子などは大人顔負けのジョークで切り替えしたりもしていました。
くすぐったいような居心地の悪いような思いをしながらも、子どもたちはそういう状況を乗り切る力をつけていきました。大人とのそういう関係は、子どもたちの心に何かしらの強靭さを育んでいたように思います。
しかし、今どきの子どもはからかわれるとムスッとして口をきかなくなります。本気で悩む子もいます。それで、大人たちはだんだんそういうことをしなくなりました。
子どもたちは傷つきやすい壊れ物になってしまいました。
心を傷つけられ、トラウマになってしまった、などと言います。なにかというと、トラウマのせいにする人が増えてきたようにも思います。
お笑い芸人たちが、いじめや虐待にも見えるような過激なコントなどを繰り広げているのを毎日のように笑って楽しんでいながら、人間、こと現実の自分にふりかかると、いともたやすくこわれてしまうのです。
大事なことは、「親しみをこめたからかい」と「言葉の暴力」の区別ができるかどうかじゃないでしょうか。
人間関係が希薄だと、そういう区別はできにくいのかもしれません。
昔は、家族の関係、親戚との関係、隣近所との関係、すべてもっと濃密で、相手の発言の真意を読み取ることが容易だったと思われます。
口の悪い親戚のおじさんにからかわれたり、おばさんの世間話に付き合ったり、大人数の兄弟姉妹の中での憎まれ口のたたき合いは日常茶飯事でした。子どもたちはそうやって腹を立てたり言い返したりしながらたくましい心を作り上げていったのだと思います。
人間関係の濃密さは、大人にとってははなはだだ鬱陶しく面倒くさいことではあるけれど、子どもの成長にはとても良いことではないでしょうか。
つまり、親戚づきあいという面倒くさいことを受け入れる「大人の覚悟」が子どもを育成するんですね。
大家族や地域コミュニティ、また、法事や祝い事、祭りのたぐいは子どもたちが大人たちと接することのできるとても好ましい場ではありますが、それらが簡素化され、省略されつつある今、親戚や隣近所にわずらわされない快適さを選ぶか、もう一度、昔のような面倒くさい人間関係を取り戻すか、さあ、どうします、大人のみなさん、子どもたちのために。
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