« サボる子どもたち | トップページ | 子どもを生むということ »

2004年8月 2日 (月)

お酌する?

「居酒屋文化の変化により、女がお酌をしなくなった」と、ある女性文芸評論家が新聞のコラムに書いておられました。はっきり言うと斉藤美奈子という人なんですが。
つまり、個飲化が進み、「おビール2本ね」から「生中三つね」などと注文するようになったためだと。

この女性文芸評論家は、女性が男性のために酌をすることがお気に召さないようです。

お酌をするしない。
そんなものは男や女の自立論でもなんでもありはしません。男をねぎらうためのちょっとしたサービスにすぎません。その程度のことで男が喜ぶのならお安い御用ではありませんか。
なにをつっぱらかっているのです。

フェミニストの言い分はわかりますとも。
そんなことを許していると、男がつけ上がってだんだんエスカレートしていくとでも仰るのでしょう。

つけあがって、エスカレートして手がつけられないほど傍若無人になっているのはいったいどちらでしょう。

|

« サボる子どもたち | トップページ | 子どもを生むということ »

コメント

わあ!!


今度は 倶利伽羅悶々 何でもお見せします、のスタイルになっちゃいました。

口は慎まなくっちゃ。

ついでに もうひとつ聞いちゃお。

robitaさんに、二重投稿になっているひとつ消してくださいと頼まれています。削除 がメニューに出て来ないでそのままになっています。


ご教授下されば幸いです。

>お酌をするしない。<

わたしは、そんなこと考えたこともございません。

二人以上集まれば、お話、お話、

では女子先生は、男性からお酌されると どうなるのでしょう。

人と話していると色々教えて頂いたり、面白い話があったり、本当に感謝、感謝です。

投稿: kutinasi1 | 2004年8月 3日 (火) 11時32分

>robitaさんに、二重投稿になっているひとつ消してくださいと頼まれています。削除 がメニューに出て来ないでそのままになっています。
ご教授下されば幸いです。<

私もブログ初心者ですので何もわかりませんが、自分がやったことあることならわかります。

kutinasiさんは私と同じlivedoorですので、まず、ログインしてください。画面左に「コメント管理」という項目があります。そこをクリックすると、今までのコメントが出てきます。削除したい項目をクリックし、削除ボタンを押します。

投稿: robita | 2004年8月 4日 (水) 12時03分

削除 出来たようです。

有難うございました。

皆さんよく知ってられますよね。自分のサイトもそれなりに飾ってらっしゃって。

私なんか、Blog が走れば まいっか。

ですから人さまにご迷惑かけています。

こんなこと頼めたこでないですが、よろしくお願いします。

投稿: kutinasi1 | 2004年8月 4日 (水) 15時48分

はじめまして。ちょっと前の記事にトラックバックしてしまいまして恐縮です。ただ、Livedoor辞書で「個飲化」という新語についてクリックしましたら、こちらのブログにリンクされていましたので、お邪魔いたしました。
私(男性です)としては、「お酌」がなくなるのは寂しいのですが、決して、決して女性にお酌してもらって鼻の下を伸ばしているわけではなく(笑)、周りに対する気遣いがなくなっていくのかなという寂しさです。自分の隣の人、飲み物足りているかな、ちゃんと食べているかな、楽しんでいるかな、という心配りができるような学生に育っていってほしいなと思い、コンパの席でそうした話をしています。
コラムののっていたのがどの新聞だったかなど、またコメントなりでお教えいただければ幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: よしなが | 2004年11月11日 (木) 22時13分

よしながさん、コメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
過去の日記にコメントいただくのも一段と嬉しいものですね。
「コメント表示」をつけたので、どんな過去のものでも一目瞭然です。これをつける前は、せっかくコメントいただいても見落とすことがありまして、礼を失するばかりでした。

 >決して、決して女性にお酌してもらって鼻の下を伸ばしているわけではなく<

よろしんじゃないですか。鼻の下おおいにお伸ばしあそばせ。男性のさがというものでしょうに。

個飲化について、
日本では「手酌で飲む」というのは、とくに女性はあまりお品がよろしくないということで、人についでもらうのが慣わしですよね。
これを聞いたアメリカ人が驚いて「じゃあグラスが空になったらどうするんだ。だれかがついでくれるまで待っているのか」と訝りました。
「私はグラスを持ってせき払いなどしているの」と答えて大笑いになったそうです。知人の話ですが。

仰るところの日本的な「心配り」が期待されるわけですね。

「個飲化」の記事ですが、朝日新聞の夕刊でした。切り抜きがあると思っていたのですが見つかりませんでした。

投稿: robita | 2004年11月12日 (金) 15時24分

なるほど~、と最新記事とコメント欄まで、楽しく読ませていただきました。
日本も刻々と変わっていっているのですね。

恥ずかしながら気の利かない方なのですが、お酌だけはちょっと得意、というか、うるさいことを聞かれたり、突っ込まれる前に、早いうちに、ガンガンお酌しておだてて気持ち良くさせとけば、その後の宴会は楽勝という、保身の術だったのです。最近はずいぶん変わってきたのですね。
今いるところでは(米国)、ホームパーティーをすると、大皿を切り分けるのも、お酌をするのも(はじめの一杯だけで、あとは手酌のようです)、一家の主人、男の人がする作業のようです。でも、仕事場で簡単なランチョン・パーティーなどがあるときは、部屋の飾りから後片付けまでほとんど女性スタッフがしますが、誰も『男女同権!』とか目くじら立てる人はいないです。日本の職場より、男女ともジェンダーを強く打ち出す(女らしい身だしなみ、いつもにこやかで優しい雰囲気、男は男らしく体格よく礼儀正しく、女性に親切で力持ち)ことが、むしろ多いようにみえます。日本でもマスコミが騒ぐだけなのかもしれませんね。ただし、お茶汲みはなく、職務の上下関係は男女入り混じっています。

結婚したてのときに、かいがいしく夫に尽くす妻とかやってみたら、すぐに「母親みたいに振舞うのはよしてくれ」と言われて嫌がられてしまい、”ガーン”とショックでした。まぁでも、本当に相手のことを思いやっていたというよりは、日本的良妻を喜々として演ずる自分に酔ってただけかもしれません。今や手抜きで良いから単に楽なんですが。

投稿: ap_09 | 2012年3月15日 (木) 12時27分

★ap_09さん

日本のお酌文化というのは独特じゃないでしょうか。私は英米事情しか知りませんが、みんな自分の飲みたいものは自分で酌んでると思います。
でも、「ま、ま、おひとつ」なんて言いながら会話のきっかけにするのも微笑ましくて好きです。日本で両方のやり方が合わさっているのはなかなか良いんじゃないでしょうか。

>部屋の飾りから後片付けまでほとんど女性スタッフがしますが、誰も『男女同権!』とか目くじら立てる人はいないです。<

なるほど。男女同権などもう当たり前のことで、特に声高に言う必要がなく、男女それぞれ得意分野で自分のできることをすれば良い、という社会的コンセンサスができあがっているのでしょうね。
それが、女性は女性らしく、男性は男性らしく、という基本の上に成り立っていれば好ましいと私は思いますが。

ap_09さんの旦那さまはアメリカのかたですか?

妻に「母親」的なものを期待する日本の男性は、そこのところを世界標準に合わせて直したほうがいいのでしょうか。それとも、それが日本男性の特性だし、日本の文化でもあるのだから、世界のことなど気にせず貫けばいいのでしょうか。
グローバルな時代だから、日本独自の感性を持ち続けるのは困難ですが、いずれにしても、日本女性が何を選ぶのかによりますね。

投稿: robita | 2012年3月16日 (金) 10時52分

Robitaさま
お返事ありがとうございます。長文ですみませんが、さらにご返信。

>「ま、ま、おひとつ」なんて言いながら会話のきっかけにするのも微笑ましくて好きです。<
私も好きです。お上げになった表現などは、落語の一節か何かのような味わいすら感じます。

>男女同権などもう当たり前<
ではない、という風に米国では聞きますが、私がいたころの日本社会に比べると、女性も外で働き、男性も家事育児を共にする、というのは普通です。そうではない伝統的であったり、いっそうカッ飛んでる生活スタイルはもちろんあり、人それぞれで良いということなのではないかと思っています。
ところで、主張することは、すべき場所をわきまえてするということで、不都合があっても、その場で仕事の流れを乱すことは許されないので、その場では誰もわめき立てたりしないということなのかもしれません。
ひとつ驚いたのは、米国の女権運動というのは『闘争』であり、日本では女性差別がある(あった)といっても、男と女が文字通り『戦う』という感覚は、私にはピンと来ませんでした。
アメリカ人の女の子は世代が下がるほど、ガサツで、日本風に言うと、まるで粗忽なしつけの悪い男の子のようです。男性の方が、若くても落ち着いてしっかりしているように見えます。ちょうど、昔の日本の男女の性格が逆になっているかのようです。北欧や英国の女性の方が、もっと男女平等社会なのに、伝統的な価値観も保ち、女性は一層女性らしく振舞うように見えます。

私の主人は、祖父母の代からアメリカに住むアメリカ人ですが、遺伝子の上では100%日本起源の日系人です。それでも、文化摩擦というか、いろいろ違いがあってぴっくりしました。まったく異民族の相手との結婚と比べると、あまりアイデンティティーの混乱や葛藤はなくて楽だったのだろうとは思っています。

>妻に「母親」的なものを期待する日本の男性は、そこのところを世界標準に合わせて直したほうがいいのでしょうか。それとも、それが日本男性の特性だし、日本の文化でもあるのだから、世界のことなど気にせず貫けばいいのでしょうか。<
日本には住みづらいと感じて出てきたので、全く勝手な物言いなのですが、日本は日本らしくがいいのではないかと思います。世界標準なんて存在しないと思っています。誰でも自己民族中心主義で、そのとき勢力のある民族、国の価値観に、他が従っているに過ぎないのではないでしょうか。現在は、人権意識に目覚めた西洋文化でラッキーだったのではないでしょうか。これが中華風が席巻していたのだったら、たまったものではありません。
大多数がそこそこ幸せに暮らせる社会という点では、日本文明は本当に優れていると思います。もっと多様性が受け入れられれば、さらに良いのにと思っていましたが、最近は、集団主義の文化で、倫理、道徳を個人に荷す強い宗教がない日本文明では、集団の縛りがなくなると、社会秩序を保つタガがなくなって、アナーキーになってしまうのではないかという気もして来ました。

投稿: ap_09 | 2012年3月17日 (土) 13時00分

★ap_09さん

>主張することは、すべき場所をわきまえてするということで、不都合があっても、その場で仕事の流れを乱すことは許されないので、その場では誰もわめき立てたりしないということなのかもしれません。<

なるほど。

>米国の女権運動というのは『闘争』であり<

上野千鶴子先生や田嶋陽子先生が思い浮かびますが(^^)、そういうのとは違うんですかね。

>世界標準なんて存在しないと思っています<

たしかに文化面で日本らしさをなくして世界に合わせる必要はないのですが、政治やビジネスの面でも、文化というのは微妙に影響してくるんでしょうし、損得を考えれば、合わせなくてはならないこともあるんじゃないのかなと思います。

>現在は、人権意識に目覚めた西洋文化でラッキーだったのではないでしょうか。これが中華風が席巻していたのだったら、たまったものではありません。
大多数がそこそこ幸せに暮らせる社会という点では、日本文明は本当に優れていると思います。<

同感です。

>最近は、集団主義の文化で、倫理、道徳を個人に荷す強い宗教がない日本文明では、集団の縛りがなくなると、社会秩序を保つタガがなくなって、アナーキーになってしまうのではないかという気もして来ました。<

「出る杭は打たれる」で、協調してうまくやってきた日本ですが、果たしてこれから先、その文化のまま豊かさを保っていけるのか、あるいは、欧米のように「みんな違うことが良いことなんだ」とばかりに自己主張をしなければ日本は沈むばかりで世界で生きていけなくなってしまうのか・・・、日本の長所でもあり短所でもある「横並び」「協調」の精神をこれからどう考えていったらいいんでしょうね。
まあ、一番良いのは、丁度中間のところをうまく歩いて行くことだと思いますが、変革期の今、「まあまあ」な精神でやってる暇はないとも思いますね。
日本人は、そうはいっても「おまかせ文化」の国民性ですし、真面目でもあるので、一応「政府」をいただき続けるところはあるでしょう。任せるに足る指導者が出てきてほしい、といつも思っているのですから。

投稿: robita | 2012年3月19日 (月) 10時06分

日本人ならではの良さですか?こちらの記事への私のコメントを参照してください。

国際標準では容赦なくかつ冷酷に爆笑してしまうようなことでも、日本人は憐憫の情をもって美しく語り継いでいます。

投稿: Σ・亜歴 | 2012年3月24日 (土) 10時23分

★Σ・亜歴さん

難しくて意味がよくわかりません。すみません。
義経のような人間は世界ではバカにされるけど、日本ではこういう人物への共感が大切にされる、ということですか?
それがいかにも日本人らしいと。まあ、そうかもしれませんね。
真魚さんはブログ再開されてたんですね。

投稿: robita | 2012年3月24日 (土) 13時48分

あそこで言いたかったのは、源義経とドン・キホーテは紙一重だというころです。ということは、何かがわずかに違うと、爆笑の対象もヒーローになってしまう?

義経が世界では馬鹿にされるということはないと思います。何と言っても「源義経=ゲンギケイ=ジンギス・カン」という仮説を唱えたのは、あのフリッツ・フォン・シーボルトです。ただ、この説は世界レベルでは馬鹿にされています。というより、中国でもモンゴルでも、この説自体はほとんど知られていないそうです。

投稿: Σ・亜歴 | 2012年3月26日 (月) 22時03分

★Σ・亜歴さん

>「源義経=ゲンギケイ=ジンギス・カン」という仮説を唱えたのは、あのフリッツ・フォン・シーボルトです。<

そうだったんですか!?
私は高校生の頃、高木彬光のミステリー「成吉思汗の秘密」を読み、びっくり仰天しました。
これは絶対真実だと思わせるくらい細部の辻褄が合っていた(いや、別に私は歴史に詳しいわけではありませんが、辻褄合わせの出来栄えが見事に見えた)のを思い出します。

投稿: robita | 2012年3月27日 (火) 10時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: お酌する?:

» 個飲化という新語 [民法教員(と皆さん!)のタテマエ?ホンネ!]
以前、ビール人気急落(2004.10.07)という記事を書きました。その中で、学生とのコンパに行っても、瓶ビールをお互いのコップについで、、、ということがなくなり、各自が勝手に飲みたいものを頼むという傾向があることを指摘しました。 これ、社会的な傾向のようですね よしながさん、コメントありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。 過去の日記にコメントいただくのも一段と嬉しいものですね。 「コメント表示」をつけたので、どんな過去のものでも一目瞭然です。これをつける前は、せっかくコメントいただいても見落とすことがありまして、礼を失するばかりでした。  >決して、決して女性にお酌してもらって鼻の下を伸ばしているわけではなく< よろしんじゃないですか。鼻の下おおいにお伸ばしあそばせ。男性のさがというものでしょうに。 個飲化について、 日本では「手酌で飲む」というのは、とくに女性はあまりお品がよろしくないということで、人についでもらうのが慣わしですよね。 これを聞いたアメリカ人が驚いて「じゃあグラスが空になったらどうするんだ。だれかがついでくれるまで待っているのか」と訝りました。 「私はグラスを持ってせき払いなどしているの」と答えて大笑いになったそうです。知人の話ですが。 仰るところの日本的な「心配り」が期待されるわけですね。 「個飲化」の記事ですが、朝日新聞の夕刊でした。切り抜きがあると思っていたのですが見つかりませんでした。 [続きを読む]

受信: 2004年11月11日 (木) 22時04分

« サボる子どもたち | トップページ | 子どもを生むということ »