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2004年9月10日 (金)

友人からのメール__「知力」で勝つ

了解を得ましたので、このブログを読んでくれている若い友人のメールをご紹介します。

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今回のチェチェンでの学校占拠事件について、私も思うこと・言いたいこと、たくさんあります。けれど自身のblogを作ったり投稿したりトラックバックする程の時間も無いので、ある程度私の思考回路をご存知の***さんに、***さんのコメントに対する「感想」をメールで伝えさせていただきます。


>世界中がテロを憎む、という断固たる姿勢をしっかりと示すことが結果的にテロリストを追い詰めることになると思います。<

まず全面的にこの事に同意します、そして、私たち市民の役割と言うものがあるとするならば、ごちゃごちゃバランス取った意見を言わねばとするよりまず、このメッセージを届けることこそが、9/11で知り合いを失った私としては最優先であると言いたいです。

チェチェンの事情について、私も興味を持ったのはつい昨年頃からです
相次いで出された国連等の資料によれば、ロシア政府による言論弾圧と知識階層の暗殺などもどうやら事実であり深刻なようです。

私でさえ、「プーチン、なぜ、チェチェンごときにそこまでこだわるのか」と言う思いと、結局、追い詰められた者の復讐行為(テロ)の前では、国家と言う、曲がりなりにも法に基づいて行動する組織は対応できない事を先の911、アフガンそしてイラク統治から学ぶべきだと強く思うし、統治者側に対する憤りも感じます。

しかし、それでも私は、全ての答えと判定は、歴史上にMatin Luther King Jr.と言う人が存在していた事実から導き出される、と思っています。

私は南部州に長く住んでいましたので、米国における黒人がかつてどんな扱いを受けてきたか、そして、未だにWASP達に取ってどのような存在に映っているのかを肌身にしみて知っています。

それでも、彼らは市民権つまり選挙権を得、そして、「人として平等である」と言う社会的正義を得た、それはつまり、あまりにKing牧師達の主張も手法も「正論だった」からでしょう。
人間には悪意だけでなく良心もある…それを証明してくれた出来事だと思います。

最大のパワー(権力即ち武力)は常に国家に帰属する以上、これに個々人が“最終的に”勝るには「知力」しかない、そういう正論を、何の迷いも無く吐いてくれる政治家や著名人やbloger(blog参加者)に出会えるのを待っているのですが、なかなか…ですね。好き好きはあると思いますが、私が福沢諭吉を好きな理由はここです、彼には迷いが無かった。


以下のサイトは私と立場を多少異にしていますが、チェチェン情報に関しては充実しています。
お時間のある際に、ちょっと見てみるのも面白いかもしれませんのでご参考までに:
http://chechennews.org/

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コメント

はじめまして。宮台氏のサイトから飛んできました。robitaさんよりも少々年下の兼業主婦です。この間のやりとり興味深く拝見しておりました。
今日は9月10日、いい機会だからコメント投稿させていただきます。ブログに対応できませんので、本日拙サイトの日乗記のなかにかいたものをそのままコピペします。

まさに我々の知こそがためされているのだということだと思うのですがいかがでしょうか。

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テロを憎むという時、同時に何を憎むかをいわないとダメだと思う。テロは憎む。これはもちろんだ。しかし、テロを憎むという時に、テロをうみだした現状に無知であった自分を含めた世界を憎むといはないかぎり、問題解決はない。
その原因に対する解決策は知だという時、そこにもやはり問題を感じる。その知はテロとその敵のどちらにあるのか?ということだ。おそらく、敵の側にあるのだ。そこに問題がある。このブログの投稿ではキング牧師の例があげられているが、キング牧師は博士号を持つほどの教育をうけており、その意味で敵と同じレべルの知を持っていた。かのマハトマ・ガンジーもイギリスでの留学経験をもち、弁護士資格をもっていたのだ。
 したがって、テロ解消の知はあくまで敵の側。すなわち我らの側にあるのだ。それは「テロを憎む」という表現で足りるか?
 知はいつも強い側に独占されている。フェミニストというのは男性なみの教育を受けた女の中からうまれてきたように。

 9.11や今回の学校占拠テロの問題点は、イスラム原理主義と自由主義原理主義とでもいうべき対立であるということだ。キング牧師場合もフェミニズムの場合も基本的にはすでにある論理枠組への参入をめざすものである。しかし、イスラムはそれを望んでいない。我々の側に求められている知は、そのような他者を許容できるような知であって、相手にこっちにこいというものではない。イスラムの側も自由主義側もともに新しい枠組みに向かわなければならないという難しさがあるのだ。テロを憎むというのは出発点であり、聖戦という価値観の前にはそれすら共有できないという現実を重く受け止めなければならないだろう。すくなくとも報復攻撃には全く意味はない。アメリカはテロの憎み方をまちがっていることは明らかだ。

投稿: 竹薮みさえ | 2004年9月11日 (土) 00時21分

キング牧師さんが流行ってるようなので一つ質問。
公民権運動はキング牧師さんが1人で行ったのですか?
違いますよね。
黒人運動が公民権を勝ち取ったと私は思います。
キング牧師の功績を過小評価するつもりはないですが同時期に黒人たちのテロ活動もありましたよね。
僕はすべてをひっくるめて黒人運動だったと思います。
キング牧師が英雄視されやすいのは彼が文字通り牧師だった部分が大きいと思います。
テロが嫌な人やら、良識のある人々が公民権運動の象徴しやすいからキング牧師を必要以上に公民権運動の象徴に従ってるのでは?
彼はキリスト教徒だし、インテリだ。
公民権運動には常にモスリム(黒人のイスラム教)の影あったけど彼らは異教徒だし、大部分の黒人がそうであるように教育程度が低かった。
公民権運動はキング牧師という落とし所があったから、解決に向かった。
要するに白人側が歩み寄ったのですね。
今回のチェチェンの問題やイラク問題が落とし所を見つける事を私は祈っています。
黒人問題のすべてがキング牧師で解決したわけではないけれど大きな前進を見ることが出来ました。
今回もロシアやアメリカの歩み寄りを私は願っています。

イスラムの女性に関してですが自分たちで立ち上がらないと本当のフェミニズムは根付かないと思います。
また、フェミニズム自体も西欧的思想が強すぎると思います。イスラム教的な女性の幸せと言うのもあると私は思います。
どちらにせよ、自発的でない考え方なんて意味が無いと思います、彼女たちが選ぶ事だと思います。

原理主義はやはり反アメリカ的な色彩が強いのであってアメリカの影響が少なくなれば自然と減るでしょう。
ただし、イスラム原理主義をなくさないといけないとする考えはいかがな物でしょう?(たぶんそんな事言ってないと思いますが)
キリスト教原理主義者がいるようにイスラム原理主義者がいてもいいと思います。
宗教や文化が違う以上、目指す到達点が違ってもいいではないですか。
多様な文化を認め合う事が平和に繋がると私は信じます。
憎むのではなく話し合い認め合う事が時間がかかるように見えて本当は近道になるのだと思います。
テロを憎むのではなく無くす事が必要なのです。
私はテロを認めます、しかしなくなって欲しいと思っています。憎みあう事では何も生まれません。

投稿: スノー | 2004年9月11日 (土) 12時24分

竹薮さん、コメントありがとうございます。
私はウィークデーしか書けないので、お返事遅くなり失礼しました。

 >宮台氏のサイトから飛んできました。<

宮台さんの文は私にはとても難しくてほとんど読んでいないのですが、少子化について書かれていた文章に一度トラックバックしたことがあります。
やはり、「専業主婦の国家論」という暑苦しいタイトルがお目に留まったようですね。

宮台さんは、ラジオで時々そのお説を拝聴しているのですが、話すとわかりやすいのに、文章は難解ですね。

彼の言説には「ちがうんじゃないかなあ」と思うところもありますが、共感するところもあります。

平和憲法を後生大事に抱え込んでさえいれば平和になるというわけではない、とか、ブッシュ批判とアメリカそのものへの批判をごっちゃにしてはいけない、とか。

竹薮さんのHPの表紙(「ご挨拶」のページ)に書かれている文章、すごく素敵ですね。私のブログの「主婦の世界」という拙文も読んでいただくと嬉しいなと思います。主婦としての姿勢はほとんど同じだと思います。

さて、テロについてですが、

 >キング牧師は博士号を持つほどの教育をうけており、その意味で敵と同じレべルの知を持っていた。かのマハトマ・ガンジーもイギリスでの留学経験をもち、弁護士資格をもっていたのだ。<

このご指摘はなるほどなあ、と思います。

だからこそ、ものごとの解決には教育がいかに大切かと私は思います。
アメリカが、中東に民主主義を教えてやりさえすればなんとか解決に向かうだろう、と考えておせっかいを焼くのもわかるような気がします。


 >テロを憎むというのは出発点であり<

まさに仰るとおりだと思います。
「憎む」という表現が感情的でありすぎるならば、「無差別テロはやめてください」というメッセージを強く発するという言い方に変えましょう。このブログを読んでくださっている皆さん、よござんすか、これからは、「憎む」でなく、「どうか無差別テロはしないでください」、これですよ。

私は以前参加していた掲示板でよく、こういうことを書いていました。
「テロリストたちが訴えたいことがあって、それを全世界に知らしめたい、ぜひわかってほしい、と思うなら、丘の上にのぼり、すっくと立って、世界中の人々の心を揺り動かすような演説をしたらどうか」

無論、これはシンボリックな言い方です。
具体的に言えば、前も書きましたが、中東にはテロリストの声を取り上げる中立放送局があります。

そこを利用するならば、「アメリカが悪い」「アメリカが憎い」「アッラーこそ偉大なり」の一点張りでなく、世界中の人の心の琴線にふれるような訴え方をしたらいいと思うのです。

どうしてそれができないか、そういう発想がないかというと、やはり、文化の違い、教育の違い、そして民主主義を知らないからではないでしょうか。

ところで、
竹薮さんの仰る「すでにある枠組み」とは、なんでしょうか。

たとえば、「アッラーの神を信じる」とか「フェミニズムの考え方」とかいう“人の個々の価値観”の問題であるならば、それはずかずか踏み込んで、「お前はおかしい。こっちの考え方に直せ」というのはあきらかに間違っています。

でも、同じ地球の上に住むものとして、最低限の普遍的観念はあると思います。宇宙人じゃないんだから。
「言論で訴える」、この人類共通の手法を使おうよ、と言い続けることが、何もできない私たちの仕事じゃないでしょうか。

これはテロリストだけではなく、アメリカやその他の大国の横暴にも同様に言っていかなければいけないことだと思います。

大国もたしかに悪いです。でも、「イスラム原理主義過激派」の無差別テロ(よろしいですか、この「無差別」というところが大事ですよ)をも「価値観の違い」と受け入れよう、ともとられかねない見方は危険かな、と思います。(もちろん竹薮さんはそんな考えは持ってらっしゃらないと思いますが)

私は、中東の人たちがもっともっと日本など自由主義の国に来てくれるといいな、と思います。(もちろん簡単にはできないことですが)一度来てみてください、たいていの人は温かく迎えてくれます。自由とはどういうものか、話し合うとはどういうことか、少しでもその空気にふれて、本国に帰り、それを伝えてほしい。(だから、イラクの戦闘で負傷した子ども達を治療のために日本に呼んだ、などはその象徴的な行為として私は理解しています)
ここまで考えて、そうか、中東の富裕層というのは、自分達は海外に留学などしながら、それを本国の民主主義の確立に役立てないのか、と思ったのですがどうなんですか。

ここまで書いて、「中東の富裕層 海外留学」で、検索してみたら、「テロリストの多くは海外留学組の富裕層で・・・」なんていう記述が出てきて、もう何がなんだかわけがわかりません。

はァー、世界というものは、われわれ一般人のあずかり知らぬところで闇の力が複雑に絡み合い、それによって動かされていて、どうにもならないものなのか、なんて思ってしまいます。

そして、われわれ自身がそういう力で作り上げられたものを土台として、その上に乗っかってまあまあ豊かな生活を築いているのかなあ・・・・・、これはもう、何もかも捨てて、四国巡礼の旅に出るしかないんではないかなんて心境に陥ります。

ところで、
きのうの朝日新聞に、テロリスト側に立つ政治学者とロシア側に立つ政治評論家(両方ともロシア人)の意見が対比され掲載されていました。
どちらの説も「へェー、まァー、そうだったの」と思うので、どっちが正しいのか私には全然わかりません。正しいとか正しくないの問題ではないのかもしれません。

だから私は「世界の共感を得られない無差別テロだけはおやめくださりませ」、こんなことしか言えないのです。

投稿: robita | 2004年9月13日 (月) 09時53分

へー、キング牧師さんは偉いんですね。
私の書き込みをまったく無視する所なんか、まるで黒人の事を無視する白人のような態度ですね。
私もテロでも起こさないと関心を示してくれないんでしょうか。
結局、貴方たちは公民権以前の白人と同じなんですよ。
問題の本質を観ないで黒人って怖いって言ってる白人とね。
へーへーアンクルトムは農場に帰る事にします。
もう、書き込まないから安心してね。
でも、うちのブログの扉はいつも開けて置くので何か意見があったら書き込んでください。
白人たちは差別しているつもりなんか無かったのですよ。
ただ、目の前にあるものを見なかっただけなんですよ。
おかげで差別はなくならなかった。
今回の事で差別する側の論理が勉強できました。
ありがとうございます。
もう、ここには来ないので反論されてもわかりません。
なにか反論、ご意見があるなら私のブログでお願いします。
さようなら。

投稿: スノー | 2004年9月13日 (月) 10時35分

robitaさん、竹薮さんこんにちは。少子化問題について、お二人とは考えが違うかもしれないのですが、当事者としての声を書いてみましたので、TBさせていただきました。宜しければ読んでみてください。

投稿: kaku | 2004年9月13日 (月) 17時44分

kakuさん、TB恐れ入ります。

竹薮さん、訂正です。
宮台さんへのTBは、少子化問題でなく、アメリカについての文章でした。

投稿: robita | 2004年9月14日 (火) 11時05分

私はオンもオフも出無精で、4年間のネットライフの中で、拙サイトへいらしていただく方とは多くの議論をつづけてきましたが、他所様で議論に参加するのは初めてです。ネット上での議論の過程でいろいろなことが起こっていることは承知していますが、私の発言から、なにやら少々議論に裂け目ができているようで、とまどっています。こういう場合どうするべきなのか、心得ておりません。

しかし、robitaさんだけに個人的にメールするのもなにかちがうと感じられ、こうしてここにコメントしています。これも不適当なことでしたら、不心得を御指摘頂きたいと思います。

さて御質問にお答えしたいと思います。

私は、最低限普遍的な枠組みがあってほしいと思っておりますが、それがあるかどうかは信じられないでおります。したがって民主主義はとりあえず選択されるにあたる価値ある方法とは思っていますが、唯一絶対の方法とはいいきれないのです。正確には、民主主義は今ある中では最良だと思いますが、しかし、それ以外の意志決定の方法をとる共同体があって、それが構成員に危害をおよぼしていないならば、それは認めたいと思います。逆に、民主主義を標榜する側がその実体において民主的でないのをみとめないのはいうまでもないです。

民主主義や自由主義は、自己にとって究極の他者をどこまで受け入れられるか?そこにかかっているのですが、現在の状況はそうはなっていないようにおもわれます。その意味ですでにある枠組とは、現在の思考枠組みすべてです。そうやって自分達の思考枠組みを相対化していなければ、なりたたないような地点に今私達はいると思います。

いささか、冗談めかしていえば、男と女が一緒に暮らせるならば、キリスト教徒とイスラム教徒が暮らすなんざ、簡単なことだとおもうのですが。いえ、タチの悪い冗談でした。

投稿: 竹薮みさえ | 2004年9月14日 (火) 23時01分

 >私の発言から、なにやら少々議論に裂け目ができているようで、とまどっています。こういう場合どうするべきなのか、心得ておりません。<

竹薮さんの発言からではありません。当ブログの「テロ」という文章につけられたコメントを読んでいただくと、事情はご理解いただけると思います。
(でも、あのかたの最後のコメント読んで、いい人なんだなあ、と思いました。)

 >こうしてここにコメントしています。これも不適当なことでしたら、不心得を御指摘頂きたいと思います。<

もうまったくそんなご心配はいりません。礼儀をわきまえたかたと承知しております。

 >民主主義は今ある中では最良だと思いますが、しかし、それ以外の意志決定の方法をとる共同体があって、それが構成員に危害をおよぼしていないならば、それは認めたいと思います。<

その通りですね。名君に統治される王国の国民が幸せであるならば(つまり、変な言い方ですが、良い独裁者であれば、愚かな民衆が民主主義を叫ぶよりよほど安定するかもしれないのです)それも一つの形態であると思います。
私だって、賢い王様がちゃんとやってくださるならそのほうがいいです。(国民は幸せ且つ馬鹿になると思いますけど。)

しかし、中東の部族社会が無理やり寄せ集められて国を成している現実と、未来に向けての彼らの幸せというものを考えれば、やはり「民主主義」を定着させてあげたいなと思います。

世界中の国を見渡してみれば、敬虔なイスラム教徒で民主主義の恩恵を受けて幸せに暮らしている人はいくらでもいるのではありませんか。

 >逆に、民主主義を標榜する側がその実体において民主的でないのをみとめないのはいうまでもないです。<

そういう見方もあるかもしれません。でも、私たち日本のことを考えてみても、民主主義にどれだけ守られて幸せか、それはその中に暮らしていると中々気づかないことなのかもしれません。

だから、この幸せを味わえる社会に早くなってほしいと、おせっかいながら願うのだと思います。

でもね、私は世界のさまざまな民族紛争を知り始めたころ、「もう、放っておけばいいじゃないの。憎しみ合い戦いたい人はどんどん戦って滅びればいいのよ。わが日本だって開闢以来、日本人同士憎しみ合い戦った末、こうやってやっと統一にたどりついたのだから。世界中の国がそういう歴史を経験して民主主義に到達したのだから、紛争地域も疲れ果てるまでやればいいんだよ」なんて能天気なことを考えていたのですが、地球化が進む中、世界中がリンクされているのにそういうわけにはいきません。

大国の関与も私には複雑な事情がよくわかりませんが(というより問題があまりにも膨大過ぎて手に負えません)、起こるべくして起こってしまったのでしょうね。

まあ、人間社会とは「治まれば乱れ、乱れれば治まる」その繰り返しなのです・・・、結局こんなみもふたもないオチになってしまいますね。

 >いささか、冗談めかしていえば、男と女が一緒に暮らせるならば、キリスト教徒とイスラム教徒が暮らすなんざ、簡単なことだとおもうのですが。いえ、タチの悪い冗談でした。<

タチの悪い冗談でなく、私はいつもこのことを問題にします。
「戦争はやめてくださいと言う前に夫婦仲良くしなさい、そのほうがずっと簡単でしょ」ってね。

もっとも竹薮さんは、「いえいえ、男と女が仲良く暮らすより民族や宗教紛争を解決するほうがずっと簡単」と仰るかもしれないけれど。(^^)

投稿: robita | 2004年9月15日 (水) 16時36分

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