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2004年11月29日 (月)

料亭文化

「ビッグコミックオリジナル」という漫画雑誌に弘兼憲史の「黄昏流星群」というのが連載中なのですが、先日読んだエピソードの中で料亭文化の衰退について語られています。

東京には、新橋、芳町、浅草、向島、赤坂、神楽坂の五つの花街があり(柳橋は5年前に廃業)、不況のあおりで景気は悪いそうです。しかし、衰退の原因は不況だけともいえず、花柳界で遊びたがる男などいなくなってしまった、ということなのだそうです。
昔お座敷遊びを楽しんだ男たちはすでにビジネスの一線から身を引き、今や日本の経済界は30代40代の若い経営者(IT関連)による世代交代が進行中で、しかも、そういう若い連中はお金は持っていても、お座敷遊び、三味線や日本舞踊などには興味を示さない世代である、と。

まあしかし、料亭文化の衰退は今に始まったことではなく、伝統芸を理解する旦那衆がいなくなったことや、すでに高度成長期からあった待合政治への批判などにより、それは必然の流れであったようです。

こういう料亭文化をぜひとも残すべきか、それとも、時代に合わないものは淘汰されて当然なのか、そんなことを考えていますと、昨日の新聞のコラムに、「気品と美をたたえた女性へのオマージュ」と題して作家の小松左京氏が一文を寄せていました。

小松氏が70年代に財界や政界の大物との交流を始めた頃、祇園や先斗町に生きる「プロフェッショナル」な女性たちを知るようになり、彼女たちが、それまで自分が「プロフェッショナル」だと思っていた女性たちといかに違うものかを思い知らされた、というのです。
伝統的な日本女性の品の良さやあだっぽさがこんなところに息づいていることを気づかされ、愕然とした、と。
「昨今の若者の振る舞いを見るにつけ現実との乖離は広がっているかもしれないが、」と小松氏はエレガントな女性に対する憧れを語ります。多くの男性が持つ昔から変わることのない偶像化された究極の女性像なのでしょうね。

ところで、「大人の男が遊ばない国の文化は駄目になる」と池波正太郎は言ったそうです。

この言葉を引用して、作家の石田衣良氏が「日本の男性のみなさん、働くばかりでなく音楽や映画や演劇などをもっと楽しみましょう。」と提言していたことがありました。
でも、池波先生の真意はそういうことなのかなあ。全部ひっくるめるとそういうことも含まれるとは思いますが、「男が遊ぶ。日本の文化を駄目にしないために遊ぶ」ってそういうことではないのではないか、と私は感じるのです。

つまり、男のありよう女のありようにまで影響を与える文化とはどういうことなのか。ここを考えないと「大人の男が遊ぶ」という意味がちょっとズレてしまうような気がするのです。

本当はどういう意味なのでしょう。どなたかご存知ありませんか。

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コメント

こんにちは

そうそう 日本にもお説の男文化があったようですね。

ずっと昔から今も 船底で仕事をしてきたような私には 船上での出来事のようなおはなしです。

一生 甲板上を垣間見ることもないようです。

どこその国の首相が のたもうた「人生いろいろ」が妙に現実味が感じられます。

良かろうと悪かろうと文化です。お金のあるお方は どんどん使いましょう。

生霊の一滴となって 船底に御湿りをくださらんことを 祈るばかりです。

投稿: kutinasi1 | 2004年11月29日 (月) 15時11分

こんにちは。

いつも拝見していて、いつも何かコメントしたいような
気がするのに、それを文章にできないのは何故なんだろう?

たぶん、定義や問題点が多岐に渡っていて、自分の中で
もやもやして「ああだけど、こうでもある」ってこんがらがって、結局途中で考えるのをやめて、コメントできないでいます。(笑)

私には「男の文化」も「女の文化」もうまく定義できないけど。「文化」というものがどこかに確かに存在しているということは感じます。

たとえば、それぞれの地方の祭りに、一年のだいはんのエネルギーをかけている「男」の中になどにも一つの「文化」を感じてしまうのです。

むしろ御茶屋遊びが文化かどうか・・というと、
(見たことのないものを評価できないけど・・)
何か、ある意味「違う」と感じるのはそこに「生活」というものがないからなのかなあ・・

舞いも三味線も、一生、それに精進しつづける人のものは「文化」だと思うけれど、商品の一つとして「多種多様な芸」を身につけた人たちのそれは、ある域にはたっしていたとしても「文化」と呼んでいいのだろうか??

もし、ある域に達しているとしても、それを「味わおう」と御茶屋に来る人たちは本当に思っているのだろうか?

むしろ、そういうところに来ることのできる財力と成功をそこで味わうために来ている人が多いのではないだろうか?
それが文化なのだろうか??勘違いなのでは??などと思ってしまう。

たとえば、さっきの祭りなど、のめりこむ男たちは結果として女も巻き込む。「もう、まったくばかねえ」といいながらも女たちは、当日けがをしないようにと祈る。

そういうほうに私は「文化」を感じます。

投稿: naomi | 2004年11月29日 (月) 16時00分

naomiさん、こんにちわ。いつも読んでくださってありがとうございます。

 >たぶん、定義や問題点が多岐に渡っていて、<

そうですね。私もあまり「こうだ」と断言する文章が書けないので、コメントがしにくいとは思います。
単純に「こうすべきだ」とか「こうすべきでない」と断ずることができればことは簡単なんですが、どうしてもゆるい表現になります。クッションですかね。

>むしろ御茶屋遊びが文化かどうか・・というと、<

naomiさんがそう考えて立ち止まってしまうのは、やはり、女性らしさの表れであると思います。
お座敷遊びのような一部の特権階級の自己満足的なものにうさん臭さを感じて拒否反応がおきるのは女性ならではの潔癖さや正義感によるものではないでしょうか。
しかし、バッハやヘンデルが貴族たち特権階級のために作った宮廷音楽の数々が、庶民はその恩恵を蒙れなかった、差別だ、と言って文化ではないとは言えません。文化とは正しいとは限らず、時に理不尽なものかもしれません。上流階級の文化、庶民の文化という分別もあります。

花柳界がどういう文化を派生してきたのか、私は何も知りませんので論じることはできません。若い人の多いこのブログ界でも、そのことについて明確に解説してくれる人もいないでしょう。
しかし、私はごく単純に、例えば料亭が立ち並ぶ黒塀の街並みに響く三味線の音、人力車で乗りつけるあでやかな芸者衆、幇間の芸、そういったものが日本独特の文化でないとは言えないと思います。花柳界がなければ、歌舞伎や落語など日本の伝統芸能も生まれ得なかった演目だらけになってしまうんじゃないでしょうか。文学だってそうです。

男にとって都合の良いことがらは女性陣から攻撃を受けやすいです。だから、男性はこういうことに沈黙しがちですし、意見を述べるにしてもすごくぼやかします。
だから、私はあえて、「沈黙する男性諸君、言い分はないか。」と促してるわけです。
ねえ、男なら誰だって、きれいなお姐さんにちやほやされたいよねえ。金と地位を得た男がたどりつくお山の頂上があの料亭遊びに象徴されているんじゃないですか。なんたって、男はそのために頑張るわけですから。

投稿: robita | 2004年11月30日 (火) 11時02分

robitaさん、こんにちわ。

ただの感想なんですけれど、
(年のせいかもしれないけれど)三味線を習いたいという思いがふつふつとあります。ジャズピアノが弾けたらいいなという気持ちと一緒にあります。
月夜にお酒の見ながら、長唄やどどいつ(まだ詳しくわからないけれど)が、三味線とともに路地に細く響く感じ。
縹色の着物でも着ていたですね。
そいう刹那が、世知辛さを浄化させてくれる気がします。

投稿: 珍獣 | 2004年11月30日 (火) 13時40分

kutinasiさん、コメントありがとうございます。

 >良かろうと悪かろうと文化です。お金のあるお方は どんどん使いましょう。<

そうですね。貯めこんでいる高齢者は、お座敷遊び、ホストクラブ、おかまバーなど体験してみたらどうでしょう。
実は私もこういうところ一度でいいから行ってみたいなと思っているんです。
はとバスツアーでこういう場所めぐりあるそうですね。

珍獣さん、
 >三味線を習いたいという思いがふつふつとあります。<

いいですねえ。ぜひおやりなさいませ。私も独身時代長唄三味線やってました。もう30年近く弾いてないので、しまいこんだ三味線の皮切れてるんじゃないかしら。もう少し落ち着いたらやろうやろう、と思いながらついにこの年まできてしまいました。
ジャズもお好きなんですか?私も好きです・・・、というか憧れだけで何にも知らないんですが、これから詳しくなろうと思っているところです。

 >世知辛さを浄化させてくれる気がします。<

そうですね。立ち止まって文化について考えてみる、浸ってみる、それが大事ですね。
日本人ってなにか忙しそうですね。私もそうなんですが、「落ち着いたらいつか・・・」なんて思ってるうちに生涯を終えてしまうような気がしています。はあ〜、もう少し時間の使い方を上手にしなければなあ〜。

投稿: robita | 2004年12月 1日 (水) 08時27分

はじめまして。私はビッグコミック・オリジナルの愛読者です。また、robitaさんの文章が気持ちよく読めるので敬意を払いつつコメントさせていただきます。因みに、私は30代半ばに差し掛かりつつある男性です。まず、文化について「Wikipedia」というフリー百科事典で調べてみました。
その中から>タイラーの指摘に従えば、茶道や華道が単独で文化を構成すると言うよりも、茶道が発達する社会的背景、慣習、宗教などの複合的全体が文化であると定義付けることができる。
だとするならば池波氏の言葉は実際に花柳界で遊ぶことが出来る者どもを生かしておく社会が文化であると言えないでしょうか?すみません。学がないもので・・・。でも、一生懸命考えてます。(#^.^#)
大人のおとこが遊べる社会を縁の下で支えるのが家族であったり。遊びの中からドラマが生まれ、人間関係という「つづれおり」全てをもって文化である。と、言いたいのではないでしょうか?
因みに今の日本ではおとこをじょせいに言い換えてもいいですよね?

投稿: 友郎 | 2004年12月10日 (金) 02時43分


友郎さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

 >遊びの中からドラマが生まれ、<

人生には、そして、人間社会にはドラマは必然です。
また、ユートピアにはドラマは生まれない、とも言われますね。
退屈な理想社会か、はたまた清濁あわせ持つ人間くさいドラマ社会か。

 >因みに今の日本ではおとこをじょせいに言い換えてもいいですよね?<

そうですね。定型の男のありよう女のありようが急速に変わりつつあります。男の文化女の文化なるものの区別もなくなってしまうのでしょうか。
それを受け入れるかどうかは未来の人にまかせましょう。

 >私はビッグコミック・オリジナルの愛読者です。<

「ビッグコミック」と「オリジナル」両方読んでいますのでちょっと区別がつきませんが、あれらは「漫画」とも言えないほどレベルが高いですね。高すぎてなんだかわけわかんないのもありますけど。

「弁護士のくず」が今一番好きです。友郎さんのお気に入りは何でしょうか。

投稿: robita | 2004年12月11日 (土) 09時34分

robita様、レスありがとうございます。

>定型の男のありよう女のありようが急速に変わりつつあ
 ります。男の文化女の文化なるものの区別もなくなって
 しまうのでしょうか。
 それを受け入れるかどうかは未来の人にまかせましょう。

正直、今まで文化につて考えた事がありませんでした。しかし、私も30半ば・・・。結婚し、子供もいて次の世代の事を考えてもいい年齢にさしかかっています。(独身です)
すると、日本の文化の有り様を考えてもいいのかな〜?とも思います。
 
大昔の書物だか洞窟だかに「最近の若い者は・・・」と書かれていた・・なんて事を(全くうろ覚えですみません)思い出しました。昔は時代の変化も緩やかだったと思います。それでも、先達がそうなんだから今はもっと・・・。  

男の文化女の文化の区別が“なくなる”(やっと本題です!)
現代は継承すべき世代間のつながりが希薄なまま “なくなる”事の方が多いように感じます。そのスピードが早いんです。だから、目につくんですよね。きっと。

>コミックについて

私が学生の頃から唯一愛読しているのが「オリジナル」です。(私は漫画を書くのは好きでしたが今の溢れている殆どの漫画は画風が好きになれないものばかりで一般的な漫画好きとは違います。)

「家裁の人」の頃の「オリジナル」は勢いがありましたね。
(それ以前は知りません(^_^;))あの頃の「浮浪雲」も好きです。「弁護士のくず」の九頭さてタケシ顔の!建て前ゼロで痛快ですよね。私も好きです。「ビックコミック」は実は読んだ事がありません。今度読んでみます。

東京には駅の近くで100円で漫画・雑誌を売っていたりしますね。前に友達とちょっとした討論になったのですが、私は他の漫画は100円で買っても「オリジナル」だけは正規の値段で買いたいと言いました。理由は漫画家さんにがっぽり稼いでもらってそのお金で見聞を広めもっと私を感動させて欲しいからです。投資です。(理由はどうであれ100円に手を出すのはよくない、というのはどっかに置いておいて下さい。すみません。)

robitaさんのブログにこんなに長々とコメントを書き込むのは、もしかしてマナー違反になるでしょうか?そんな事もわかりません、PC初心者です。できたらみなさんのように自分のブログを開いたほうがいいのでしょうか?

最後に言わせてください。robitaさんの以前の記事を拝読させていただきました。私の親ほどのお方の考え方に時には共感し時には耳の痛い思いで。

自分の親とももっと話してみようと思いました。

投稿: 友郎 | 2004年12月12日 (日) 01時47分


友郎さん、こんにちわ。

 >robitaさんのブログにこんなに長々とコメントを書き込むのは、もしかしてマナー違反になるでしょうか?<

まったくそんなことはありません。意見があればコメントが20でも30でも連なればとても面白いと私は思いますよ。長文もとても嬉しい。

ブログを作るのは簡単ですね。PCオンチの私にもできましたから。
毎日書くのは時間的に大変ですが、そんな時は私もコメントだけにとどめています。今日も書きたいことがあるけれど、またいずれ、と思っています。

 >理由は漫画家さんにがっぽり稼いでもらってそのお金で見聞を広めもっと私を感動させて欲しいからです。投資です。<

こういう考え方する人大好きです。そう、いいものには「投資」。それがまたいいものを生み出すんですよね。

 >robitaさんの以前の記事を拝読させていただきました。私の親ほどのお方の考え方に時には共感し時には耳の痛い思いで。<

うれしいですねぇ。ずっと前の記事でも、コメントが表示されるようになっていますので、見落とすことはありません。ご意見があればどうぞ何でもお書きください。

 >自分の親とももっと話してみようと思いました。<

これもうれしいですね。
どうも世間には「親とコミュニケーションをとること」と「マザコン(男の子の場合)」とを混同する傾向があるようなのですが・・・・。あ、これについてもいずれブログで書きます。

投稿: robita | 2004年12月13日 (月) 12時47分

robita様

早速、レスありがとうございました。

他の記事にもいずれコメントさせていただきます。robitaさんのお許しが出たのでまた長くなるかも。^^;

これからの記事も楽しみにしております。

投稿: 友郎 | 2004年12月14日 (火) 02時53分

友郎さん
レスありがとうございました。

投稿: robita | 2004年12月14日 (火) 10時38分

男の人が遊びにお金を使わない。
そのようなことを、先日の「たかじんのそこまで言って委員会」でたかじん氏が類することを言っていました。
「最近の金持ちはお金を使わない。北の新地に飲みに言っても、金持ちはさっぱりいない」と。
きっと、風潮が変わったのです。お金を稼ぐ人たちの層にも変化があったのでしょう。
小松氏のような女性の鑑賞の仕方を好む男性人もおられるのでしょうが、戦後教育を受けてきたトップ層の気質には、会わないのではないでしょうか。
保存するもよし、廃れるもよし。
引き継がれる必然の分量だけ引き継がれていくものでしょう。
ほら、ブログという新しい文化が生まれてくる時代です。
それだけ変化していくということなのでしょう。

投稿: 街中の案山子 | 2008年8月 8日 (金) 22時52分

★街中の案山子さん、

古い記事にコメントありがとうございます。

>小松氏のような女性の鑑賞の仕方を好む男性人もおられるのでしょうが<

記事にも書きましたように、政財界のトップが遊ぶ場所が変わってきているんですね。

ただ、小松さんの言葉の趣旨は、「鑑賞」というようなことではなく、「素敵な女性だなあ」と憧れの気持ちを持てる女性がそういう場所でしか見ることができなくなった、ということじゃないでしょうか。
女性だって、「こういう男性が素敵」とか「男らしい人が好き」とか「雄々しい男がいなくなった」とか男性に対しての意見を平気で口にしますよね。それと同じことですよ。

花柳界の女性の「芸」のみを問題にしているのではなく、細やかな気配り、そこはかとない色気、男に対する支え励ましの力強さ、そういうものが伝統の世界に生きる女性の中にしっかりと息づいていた、という意味でしょう。
そういう女性に憧れの気持ちを持つのは男としてごく自然のことだと思います。
男性も建前では別のことを言うでしょうが、本音は「ああ、こういう女性少なくなったなあ」って思ってるんじゃないですか。

しかし、今、男も女も、要望どおりの異性を見つけることが難しくなってきました。
それが時代の流れというものでしょう。変化は当然の成り行きです。
変化を受け入れるこちら側の心構えも必要となってきますね。

ただ、異性に対する憧れというものは、たとえそれが幻想であっても、持ち続けていたほうがいいと私は思うのですが、古い文化の消滅とともに、それが消えていくような気もします。

投稿: robita | 2008年8月 9日 (土) 17時26分

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