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2004年12月 7日 (火)

貧しさに負けるのは

主人は、私が今まで「貧乏」を経験したことがないので、貧乏には耐えられないだろう、と言います。
そして、裕福でない家庭に育った自分の学生時代の困窮生活の苦労話など披露して、俺は貧しい生活は平気だ、と胸を張ります。

しかし、私にはそうは思えません。なぜなら、日々の生活の中で、ちょっとした不自由不都合にすぐ不機嫌になるのは私ではなく、主人だからです。
寒さや暑さにも、こらえ性というものがありません。ちょっと寒ければすぐにヒーターをつけ、ちょっと暑ければすぐにクーラーをつけるのも主人です。
細かいことを言えばきりがありませんが、ともかく、主人がつましい生活に耐えられるとはとても思えません。
貧しさに負けるのは主人のほうで、たぶん、私のほうが生き残るのではないかと思います。

最初の頃は、「ひ弱なやっちゃなあ」と思っていましたが、他の奥さまがたの話など聞いているうちに、どこのご家庭でもご主人は多かれ少なかれそういう傾向があることに気付き始めました。
要するに、女というものは環境に適応しやすく、男はそうではないらしい、ということがわかってきたのです。

その頃からです、男の人をいたわってあげなければなるまい、と思い始めたのは。
生まれつきそういう環境適応遺伝子を持たされていない男の人たちが可哀想ではありませんか。

女性の皆さん、男の人をいたわってあげましょう。女は男に「私を大事にして」などと要求するけれど、男にしてみれば、「こっちこそ大事にしてほしいよぉ」とすがりつきたいんじゃないでしょうか。

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コメント

貧乏を経験したことがあっても、そのときの経験をもう2度と経験したくないと思えば、むしろ貧乏を知らない人のほうが強い気がします。
花粉症などのアレルギーみたいなものと一緒じゃないかな。

投稿: おまーにゃ | 2004年12月13日 (月) 00時58分

おまーにゃさん、コメントありがとうございます。
日本全体が貧乏だった時は、貧しさはそんなに辛くはなかったでしょうね。
国全体が豊かな時に、自分だけ貧乏なのはこたえるでしょうねえ。
今の日本に「赤貧」の人はいません。どんなにお金がなくても絶望さえしなければなんとかなる国になっています。
しかし、貧乏は経験してみないとわからないのもたしかですね。
ちかごろ、刹那的な若者がよく問題になりますが、若者に希望を持たせるには「もう一度貧乏になる」か、「心身鍛錬の初等教育」かのどっちかしかないなあ、と私は思うんですよ。

投稿: robita | 2004年12月13日 (月) 12時43分

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