老木の存在
「子育て論」や「生き方論」などの講演に中高年の人たち(特に女性)がよく集まるようです。
例えば、瀬戸内寂聴や美輪明宏などの「人生の達人」が「今の世の中はお金だけで動いている。“心”がおきざりにされている。」などというありがたいお話をすると、おばさんたちは熱心に聞き入り、深くうなずき、しきりに感激します。
なんだ、そんな話なら私がしてあげるのに。
お金より心を大事にするほうが良いに決まってるじゃないの。そんな当たり前の話をなぜ大のおとなたちが、何か初めて聞いた話であるかのようにありがたがり、感動するのでしょうか。
でも、そんな話なら私がしてあげるのに・・・・・というわけにいかないのが話術のマジックなのでしょうね。
当たり前の話を宝石のような言葉で飾り、至福の世界へ人を引き込む才能、それを持つ人だけがカリスマになれるし教祖になれるのです。そして、その珠玉の言葉の数々は「癒し」や「助言」を求める乾いた人々にとっては「背中をさすってもらう」とか「抱きしめてもらう」と同様の効果があるにちがいありません。
たしかにああいった達人たちは普通の人たちではありません。
「日本人が元来持っているお行儀良さ奥ゆかしさ上品さを復活させなければだめ」「なにもことさら外見を飾りたててチンケな格好しなくたって、心を磨けば人間は素晴らしいのよ」とかなんとか仰る美輪さんは、髪をまっ黄色に染めてキテレツな装束に身をかためていらっしゃるわけですけれども、そこには突っ込みを入れられないオーラを発散しておられます。
「あなたさまはよろしいのです。どうぞそのままで」、そんな気持ちにさせてくれます。
年輪を重ねた人の、有無を言わせぬ威厳でしょうか。
たしかに。どんなに偉そうなことを言っても許しちゃう。
風雪に耐えて樹齢数百年を誇る楠の老木のような存在かもしれません。
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