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2005年2月 5日 (土)

淳一先生の言い分

主人がきのう買ってきた「週刊新潮」に、渡辺淳一氏のエッセイがありました。

「ネット上でも“愛ルケ”という名でさまざまな意見が寄せられているようである」 「しかし私はただ自分の書きたいものを書いているだけである」と、にっけいさんのブログを意識しているような書き出し。

渡辺氏は、このエッセイで、
「人前で接吻したり、抱擁することなどは公序良俗に反するとして禁じられてきたがエロスを押し殺すのは良くないことだ」
ということと、
「不倫だからこそ緊張感は強く、それだけひたすらな思いも強まる。そういう純粋な思いを抹殺するのは間違っている」
この2点を主張しています。

大人げなくも、反論したい。

まず、「人前で・・・」について。
人が何を不快に思うかは、生まれ育ったその社会の価値観によります。
私は、こういう社会でこういう家庭でこういう価値観で育ってきたから、街中でいちゃつく男女を見て不快に思うのです。その不快感を快感に変えろと言われてもどだい無理な話です。
一方、渡辺氏はまた違う価値観で育ってきて、人前で接吻したり抱擁したりする人を見て麗しいと思う人間になったのです。そういう美意識の違いをお互い認め合わなきゃいけないのです。
でも渡辺氏の論調では、「不快と思うことが間違っていて、みんな私のように思うべきなんだ」となっています。押しつけはいけないと思います。

また、「性的欲望はだれにでもあるのに見せかけだけ気どっている。」と仰る。
ならば、「服の下は裸なのはわかっているのだから、恥ずかしがったり気どったりせずにみんなトップレスで歩くべきだ」と仰るか。

ちなみに、渡辺氏は拉致被害者の曽我さんの熱い抱擁について言っているのだと思いますが(「女というもの」)、私は彼女が非常に賢い人だと思うので敢えて分析しますと・・・。
彼女は心ないマスコミの中傷に精一杯の抗議の演技をしたのだと推察します。(彼女は週刊誌などで夫との不仲などあることないこと書かれていました。)
でなければ、あれほど冷静で賢明な人が、そして19歳まで日本の佐渡で育った人がいくら感情的になったからと言ってTVカメラの前でああした行動は取らないと思います。

次に、「不倫だからこそ・・・」について。
こんな文です。
「たとえばいま、一人の人妻がある男をひたすら愛し、夫も子供も捨ててその男のところに走ったとしたら、ふしだらで身勝手な、無責任女として厳しく糾弾される。純愛を定義どおり深め、純化していくと、世間から抹殺されるのである。」
どう思います、この論理。

「たとえばいま、一人の若者がバイクでの疾走をひたすら愛し、近所迷惑もかえりみず、爆音を轟かせながら暴走行為に走ったとしたら、乱暴で身勝手な、無責任男として厳しく糾弾される。湧き上がる若い衝動を素直に行動に移すと、世間から抹殺されるのである。」
こういうのもありですか?

ここで、きっと、「恋愛と若さゆえの衝動は違う」と渡辺氏は言うでしょう。
ここなんです。ここに、「恋愛至上主義」なる身勝手な考え方が露呈するわけです。
「恋愛」を理由にすればどんな迷惑も許されるはずだ、という勝手な思い込みですね。

人は誰でも欲望というものがあります。その欲望を満たそうとする時、多かれ少なかれ周りにご足労願う、ご迷惑をかける、ということがあります。しかしその時必要なのは迷惑をかけるが納得してもらうよう努力する、ということじゃないですか。

性愛が人間すべてが持っている根源的な欲望であると言うならば、迷惑をかけない範囲でおおいにみだらに楽しめばいいと思います。しかし、人を不幸にする不倫を奨励するのはいかがなものか。

でも、それも価値観なんでしょうから、不倫したい人はすれば? 私はべつに糾弾しません。ひとごとだもん。

それに、不倫小説って相当面白い。にっけいさんのブログ読んでは爆笑してます。

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コメント

robitaさん、こんにちは。

随分前にはやった「失楽園」の時、ダウンタウンの松本さんが、「この作家がどれだけの大先生か知らないが、この男は女を知らないと思う」と言っていたのを思い出します。

話題になっているらしい大先生の小説は読んでいませんが、彼の小説に出てくる女性像がいつでも同じなのに飽きてしまった私です。もはや女性像にupdateが出来ないお年頃なんでしょうね。

彼の書いたもので伝記物だけは結構面白いと思います。与謝野晶子のとか。

投稿: kaku | 2005年2月 7日 (月) 10時37分

kakuさん、こんにちわ。

 >随分前にはやった「失楽園」の時、ダウンタウンの松本さんが、「この作家がどれだけの大先生か知らないが、この男は女を知らないと思う」と言っていたのを思い出します。<

ほうほう、なるほどなるほど。
たしかに、淳一先生は、「自分の好みの女性」=「平均的な女」と思い込んでいらっしゃるフシがあります。
でも、ご自分でも、「私は自分の書きたいことを書いているだけである」と仰っているように、つまりは小説としての構想などにはあまりこだわらず、単なる男の妄想を字で表しているだけ、ということになるのでしょうか。

 >彼の書いたもので伝記物だけは結構面白いと思います。与謝野晶子のとか。<

著作をほとんど読んでいないのでぜんぜんわかりませんが、きっと、良い作品をたくさん残しておられるのでしょう。
だから、ああいういわゆる「ポルノ小説」というのは、先生の「妄想」を文章化しただけのお遊びなのかもしれませんね。

投稿: robita | 2005年2月 8日 (火) 10時15分

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