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2005年2月15日 (火)

地域の子育て

団塊世代の人たち(私もその一員です)がもうすぐ退職の時期を迎えます。
彼らは長年勤めた職場を離れ、第二の人生をどのように計画しているのでしょうか。60歳はまだまだ若く、このまま隠居生活に入る人は少ないでしょう。

重役として会社に残る人。別会社に再就職する人。起業する人。全く別の仕事(農業など)に挑戦する人。
さまざまな道を選択することでしょう。

でも、それらの仕事も終えたあと、まだまだ元気なおじいさんやおばあさんはどうするのでしょうか。
引退後はゆったりと旅行したり読書したりその他趣味をたくさん持って毎日を楽しむ・・・、なんて人は夢想するけれど、いざ時間ができると「こんなことばかりしていても退屈」なんて思ってしまうのかもしれません。

年配者がもっと積極的に子育てに参加するというのはどうでしょうか。
ブログ「珍獣の杜」の「リタイアについて」にこういう記述があります。

 【遊んでいるようで働いている、役に立たないようで役に立っている働き方があることに気づき、それを大切に思い、自然と受け入れられる土壌が育つといいのかなと。子育てなんて、そういうものの一つですよね。】

日本の退職者が、あり余る時間を持たされても結局それをどう使っていいかわからないのであれば、やはり、珍獣さんの仰るように「遊んでいるようで働いている・・・」のような生き方はすごくいいんじゃないかと思います。それは子育て以外にもいろいろあるでしょうが、ひとつ、「子育て」に着目したいと思います。

自分の孫たちとは、遠く離れていて気軽に預かったりすることができない現実があるならば、近所の子供の面倒を見るということをしてもいいんじゃないでしょうか。

そういうことを個人的に行うのでなく、やはりNPOなどの組織として保育所を設立し、地域の拠点にしたらどうでしょう。
これはただ子供を預かる場所というのでなく、勤めていない母親も一緒に集って情報交換し合い、子育てを協力し合えるような場所です。
老いも若きも集まるサロン、つまり、地域のたまり場ですね。
子育てには興味がない、という年配者にとってもそういう場所は貴重です。
そこで出会った大人たちがまた新しいコミュニティを形成する・・・、というふうに地域のつながりが広がっていくかもしれません。実際、少子化で学校内に余ったスペースができ、そこを地域住民のサロンにしているなんて報道もよく聞きます。
そういうサロンから、生き方のアイデアが生まれてくるんじゃないでしょうか。

つまり、こんな面でも「子はかすがい」になると私は思います。

若いお母さんたちは、子供を連れて公園などに集まり、そこでグループを形成して助け合っていますが、それをもっと広げて、地域全体で子供を育てる、ということがこれからは是非必要だと思います。

年寄りが動きの速い幼児の面倒を単独で見るということは体力的に難しいものがありますが、若い人とタッグを組めば安心です。

もうひとつ重要な問題は、なにしろ子ども相手ですから、事故が起きた時の責任問題でしょう。

これはもちろん保険加入で対応されますが、一番大事なのは親の意識の問題ではないでしょうか。

学校での事故や事件でもたびたび問題になりますが、「預かっている側」への過剰な責任追及をあらためなければならないと思います。
明らかに不可抗力であるようなことでも学校にねじ込む親や騒ぎ立てるマスコミがいます。
いつの頃からか、こういう風潮が強くなってきて、学校は萎縮してしまい、とにかく事故がないように、子供に怪我をさせないようにとにかく無事に、とそのことにばかり気を遣うようになってしまったように思います。そのためにのびのびとした教育ができなくなってしまったのではないでしょうか。

学校を萎縮させ、子供たちをおかしくしてしまったのは、誰なんでしょう。

子供を教え育てるというこんなに大変な仕事をしているのに、ちっとも敬意をはらわれず、失点を糾弾されてばかり・・・、これじゃあ、ばかばかしくて教師になろうという人もいなくなり、良い人材は集まりません。かくしてあまり質の良くない先生が増え・・・悪循環に陥ります。

「お母さんたち、腹をくくれ」と誰か言ってくれませんか。「子供が怪我したぐらいでギャアギャア騒ぐんじゃない」って。

私は言う資格ないんです。子供が怪我したり死んだりするのがものすごく怖くて冒険を回避してきたから。(「子供への愛情」) 

しかし私の周りでは、明らかに怠慢、というのでないかぎり、学校に過剰な責任追及する親はいなかったですよ。みんな結構太っ腹でした。
たぶん、ちかごろの扇動的なマスコミが一番いけないのかもしれません。

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コメント

robitaさん、こんにちわ。

拙文「リタイアについて」を引用していただいて、
ありがとうございます。

リタイア組からの直接的な恩恵を生かすも殺すも、
子育てに関しては、

>一番大事なのは親の意識の問題ではないでしょうか。

という点に尽きるような気がします。

どちらかと言えば、わたしは、一家に多くて数人の子供にたいして、「親の意識」が、今後変わるとは今のところ思えないという悲観的な立場です。少子化時代だからこそ、なおさら「親の意識」は変わらないだろうと思うわけです。(だからって、リタイア組の豊かな恩恵をこのまま無駄にしてもいいとは思っていませんから、基本的にはrobitaさんのご意見には賛成です。)

だから、「腹をくくる」ことができた親たちだけが、他からの恩恵を享受できるという流れに、自然となっていくのではないでしょうか。それは、経済的に豊かな親たちは、子供の安全と親の安心を保障したいがためにお金にいとめはつけない反面、それができない親たちは覚悟をして、ある意味子供を手放し、他へ委ねるという旧来からある形です。

どちらの選択が善いのか悪いのか、正しいのか間違っているのか、なんて、誰にもわかりません。教育効果も判別しにくいことだと思います。

だから今言えるのは、積極的に「腹をくくる」親も、やむを得ず「腹をくくる」しかない親も、まずは保育所に預けるなり、学校へ通わせるなり、地域の学童に参加するなりして、子育てを社会に委ねる時には、常に「腹をくくる」ことを強固に意識化できている土壌が、まず必要なのだと思います。その上になら、地域の子育てが上乗せできるかもしれませんね。

もしかしたら、学校教育においてさえ、この「腹をくくる」ということを、気持ちの問題のまま曖昧にさせないために、覚え書きも必要かもしれません。もっといえば、地域の子育ての場合はとくに、万が一のために、責任の所在をはっきりさせるための「法的な契約」を予め交わす必要もあるかもしれません。そうすることによって、「腹をくく」った親とリタイア組の関係も、社会的なものになり、落ち着くのではないでしょうか。

そうじゃなければ、何が起きるかわからない子育て支援の実現は、成立しにくいだろうと思います。だって、法律では比較的守られているであろう先生にさえなりたくなくなるほどの精神状態に追いつめられるのが、現状なんですよね?だとしたら、法律に守られないまま、生きがいや善意だけで、他人の子育てに関わったりする?と思ってしまった次第です。

子育てに他人がかかわるのって、本当に難しいですね…

投稿: 珍獣 | 2005年2月16日 (水) 16時40分

珍獣さん、コメントありがとうございます。
今朝のニュースでこんなのありました。
 【公園で軟球でキャッチボールをしていた9歳の子のボールがそれて、近くで遊んでいた同年齢の子の胸付近に当たり、その子は亡くなった。両親が相手の子の両親を訴え、地裁は「ボールが当たって死ぬことは予見できた」として、加害者の両親に6000万円の支払いを命じた】

亡くなったお子さんの親御さんの怒り悲しみは尋常ではないと思いますし、本当にお気の毒だと思います。でもその怒り悲しみを悪意ない子供とその両親にぶつけるのはどうなんでしょう。私はちょっと納得がいきません。
裁判を傍聴したわけでもなく詳しいことはわかりませんが、裁判所の「死ぬことを予知できた」という判断は厳しすぎるように思います。

この加害者は小学生だったうちの息子だったかもしれない、と思うととても怖くなります。

こういう展開がまさに社会そのものを萎縮させてしまうのではないかと思います。

珍獣さんの仰るように、学校や保育所でも「法律で守られるべき対象」について考え直さなければならないでしょうね。

投稿: robita | 2005年2月18日 (金) 10時34分

robitaさん、こんばんは!
どうしようもない記事を書いてスミマセン・・・;
もう少しまともなことが書けるようになればいいのですが、教養も才能もないので勘弁して下さい・・・

「腹をくくる」面白いですねw
実際今の子育てって過保護ぎみですからね。親がしゃりしゃり出てくるというか、見てるこっちが窮屈でたまりません。
自分が小さかったころはもっと・・・こう、言い方は悪いですが、「良い意味で乱暴な子育て」が世間一般的なものでしたからねw育ちが悪いと思われるかもしれませんが、子供の自立性も育つことですし、早めの「乳離れ」はいい事だと、ぼくは思いますね

ところで年齢を教えて頂きましたが、ブログのいいところは世代を気にしないで意見交換が出来るところでは無いでしょうか?たとえばrobitaさんは大体ぼくの親くらいの御年なんですが、男は親とこんな話のやりとりなんて絶対にしないですからね(笑

投稿: ikki | 2005年2月18日 (金) 22時02分

robitaさん、こんばんわ。

今朝の新聞を、やっと読むことができました。

>「ボールが当たって死ぬことは予見できた」

これは、加害者側だけじゃなくて、
被害者側にも言えることであるはずです。
たしかに、命は大切であって、命を落とすということは重い事実なのですが…

たとえば、昔こんな事件がありました。
個人経営の街の本屋で、中学生が万引きをしました。
本屋の主人は、警察を呼びましたが、中学生は逃げだし、
逃げた直後に、店のすぐ横の踏切で事故死をしました。
「万引きぐらいで、命を奪った」というような批判があり
その店は閉めたそうです。
どうして、こういうときに、
「万引きより命が大切なはずだ」という考え方になるのか。
そこらへんをよく考えないといけないかもしれませんね。

詳しくはしらないままで、憶測にすぎませんが、
今回の事件も、似たような思考回路をしている気がします。<判決

投稿: 珍獣 | 2005年2月19日 (土) 00時46分

ikkiさん、コメントありがとうございます。

 >実際今の子育てって過保護ぎみですからね。親がしゃりしゃり出てくるというか、見てるこっちが窮屈でたまりません。<

平和が続くとこうなるのも必然かな、とは思います。でも、一方で、各地のトピックスなどの報道を見聞きしていますと、子供を甘やかさずたくましく育て上げようと努力している親もまたたくさんいますよね。
勉強やスポーツに、有無を言わせず子供の尻を叩いて頑張らせる親がたくさんいるから、日本はいろんな分野で高いレベルを誇ることができるのかもしれないなあ、なんて思います。
結局、子供の心のたくましさにおいても、「勝ち組」と「負け組」の分かれ目ができてしまうのかもしれません。

 >ブログのいいところは世代を気にしないで意見交換が出来るところでは無いでしょうか?たとえばrobitaさんは大体ぼくの親くらいの御年なんですが、男は親とこんな話のやりとりなんて絶対にしないですからね(笑<

どうかよろしくおねがいします。

投稿: robita | 2005年2月21日 (月) 11時04分

珍獣さん、こんにちわ。
あの万引き少年が踏み切りで亡くなった事件は痛ましいかぎりですが、本屋さんは被害者であって責任はない、というのはおおかたの人が同意したと思います。少数の道理のわからない人が書店を廃業に追い込んだようですね。

投稿: robita | 2005年2月21日 (月) 11時07分

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