仰げば尊し
卒業式の季節です。昔書いた文、載せます。
__________
おごそかな気持ちになることが、人間には時に必要だと思う。
厳粛、謙虚、敬虔・・・、そんな気持ちになれることが他の動物とちがうところだ。
卒業式で「仰げば尊し」を歌わない学校が増えているそうだ。
先生は尊くはないし、一段高いところにいてはいけないし、生徒と同格でなければいけないんだそうだ。
なんと味気ないことかと思う。
尊敬できない教師がいるのは事実だろう。しかし、「仰げば尊し」を歌う時、少年時代青春時代を最も多く過ごした場所として、学ぶことも結構あったなあ、と感慨にふけることはできないものだろうか。
学校生活のしめくくりとして、その気持ちを「わが師の恩」に託し、おごそかな気持ちにひたるのはなかなか良いことではないか。
恩を感じる先生に出会わなかったのなら、辛かったなあ、と思いながら歌うのも良いし、心の中の理想の教師を思い浮かべながら歌うのも良い。
「不条理」を学ぶのもまた学校である。
でも実際の話、誰でも多かれ少なかれ先生の世話になっているのだ。生徒が求め、すがっているのに教師が一人も答えないなんてそんな学校あるはずがない、と私は思う。
生徒自身が少しでも過失や責任を感じているのなら、反省もこめて「先生ごめんね」と思いながら歌えば良い。
卒業式は「恩」というものを、情感としてとらえる絶好の機会である。
ひとりひとり、それぞれの思いを込めて歌えばいいのだ。
厳粛、謙虚、敬虔・・・、そんな気持ちになれることが他の動物とちがうところだ。
卒業式で「仰げば尊し」を歌わない学校が増えているそうだ。
先生は尊くはないし、一段高いところにいてはいけないし、生徒と同格でなければいけないんだそうだ。
なんと味気ないことかと思う。
尊敬できない教師がいるのは事実だろう。しかし、「仰げば尊し」を歌う時、少年時代青春時代を最も多く過ごした場所として、学ぶことも結構あったなあ、と感慨にふけることはできないものだろうか。
学校生活のしめくくりとして、その気持ちを「わが師の恩」に託し、おごそかな気持ちにひたるのはなかなか良いことではないか。
恩を感じる先生に出会わなかったのなら、辛かったなあ、と思いながら歌うのも良いし、心の中の理想の教師を思い浮かべながら歌うのも良い。
「不条理」を学ぶのもまた学校である。
でも実際の話、誰でも多かれ少なかれ先生の世話になっているのだ。生徒が求め、すがっているのに教師が一人も答えないなんてそんな学校あるはずがない、と私は思う。
生徒自身が少しでも過失や責任を感じているのなら、反省もこめて「先生ごめんね」と思いながら歌えば良い。
卒業式は「恩」というものを、情感としてとらえる絶好の機会である。
ひとりひとり、それぞれの思いを込めて歌えばいいのだ。
そうして、儀式は厳粛なものとなり、感動を生む。
| 固定リンク
« 資本主義への脱皮 | トップページ | 人体は不思議 »
コメント
私も「仰げば尊し」好きでした。
小学校も、中学校も、高校も、
卒業式でこの歌を声をそろえて歌うときに
自分が感じた暖かくて切ない感情は
記憶に鮮明で、幸せな記憶の一つです。
学生時代、子供はものすごく長い時間を
学校で過ごします。
そこで一緒だった先生に
「なにも感じない」なんて悲しい。
「儀式が厳粛なもので感動を生む」という言葉にも
私も実感をもってそう思います。
結婚式もお葬式も、ありとあらゆる儀式に
若い頃は「お金をかけてばかみたいかなあ」と思っていましたが、自分が参加してその大切さを思いました。
面倒でも厄年にはお払いをうけて頭を下げるとか、
赤ちゃんの命名式とかおくいぞめとか・・・
まあ、いろいろありますが。
みんなが静かにして静寂の中でそれぞれに思いをめぐらす
時間は記憶に残ります。
投稿: naomi | 2005年3月 6日 (日) 10時46分
naomiさん、コメントありがとうございます。
>自分が感じた暖かくて切ない感情は
記憶に鮮明で、幸せな記憶の一つです。<
同感です。私は特に先生と密接な関係を築くタイプの生徒ではなかったけれど、学校は嫌なことも良いことも全て含めて学びの貴重な場所だったんですよね。
「仰げば尊し」を歌わなくなったのは、いったいだれの意向なんでしょうね。
昨日の朝日新聞の「天声人語」には「子どもたちは文語調の歌詞に親しみを持てなくなってしまったようである」と書いてありましたが、卒業式を子どもたち自身に演出させるようになったからこういうことになってきたんでしょうか。
>若い頃は「お金をかけてばかみたいかなあ」と思っていましたが、自分が参加してその大切さを思いました。<
そう、若い頃って、どうしてもそんな風に思いがちですよね。
でも、年を重ねるにしたがって無駄のように思えたものが持つ意味に気付くんですよね。
ちかごろは年配者自身が(私も)、あわただしい世の中の動きにつられて、いろいろな儀式を簡略化する傾向にあります。
でも、しっかりと継承していこうと努力する人々もおられるわけで、偉いなあと思います。
投稿: robita | 2005年3月 7日 (月) 11時31分
俺は小学校から高校まで、仰げば尊しを卒業式に歌いました。綺麗で無駄のない歌詞。美しいメロディ。すごく好きな歌です。
歌詞が分かりにくいのであれば、学校側で教えればすむことです。俺はちゃんと授業で教えて貰いました。いい歌だなとその時に思いました。
先生は尊くない。学校側でそれを肯定するのは、情けないことです。教える先生がいなければ、教育は成り立ちません。そして、その批判を肯定する学校側の教育に対する自信の無さが、今の学校教育の現状を表していると思う。
先生への感謝の気持ち。時の流れの移り変わりの早さ。友達との別れ。先生や友達や学校に感謝をしつつ別れを受け入れる。そんな気持ちを凝縮させたいい歌だと思う。
「今こそ別れめ いざさらば」
この歌詞が一番好きです。今こそ別れの時。さようなら。別れを受け入れて、未来へ目を向けている。そんな歌詞だから。
投稿: 武蔵 | 2006年2月 4日 (土) 03時17分
>武蔵さん、
はじめまして。
素敵なコメントありがとうございます。
>学校側の教育に対する自信の無さ<
学校に対し、文句や要求が多すぎる保護者側の問題でもありますね。
投稿: robita | 2006年2月 5日 (日) 09時29分