戦後60年の呪縛
昨日の記事のコメントでkakuさんから勧められた「文藝春秋」8月号を読んでみました。
その中で、作家の塩野七生さんがこういうことを言っています。
【靖国問題は、たいした問題ではないことをたいした問題にしてしまった、歴史上の好例として残るのではないか。】
もしそうであるならば、たいした問題にしてしまったのは、日本人自身であるのは間違いないでしょう。
先日のTVタックルでの西尾幹二氏の言葉を借りるならば、「中韓による呪い」を、自ら解く努力をしなかった日本人の主体性のなさが原因であると思われます。
人類の歴史を俯瞰する塩野さんにとっては、「敗者イコール戦犯」という呪縛に、60年もの間からめとられている日本は、滑稽にさえ見えるかもしれません。
ところで、この靖国問題で浮かび上がるいわゆる「自虐史観」というもの、ここを読んでくださってるみなさんはどうお考えなのでしょうか。
私はこの問題を一部の論客だけのむずかしい議論にしてしまってはいけないと思っています。
ちょっと前までは、こういう話題はタブーでしたよね。堅固な壁の向こうで一部の人たちだけが「論壇」という世界でやり合っていたにすぎません。
でも、インターネットはその壁を壊しました。
普通の人も意見を言いやすくなりました。
いろいろな意見が飛び交えばいいなと思います。
私は右でも左でもありませんよ。
真ん中です。
むしろ、わたしのような意見を「右翼」だと誤解すること自体、「呪い」にかかってるということなんじゃないかと思いますが、どうでしょう。
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コメント
robitaさん、早速読んでくださり有難うございます。
robitaさんは私と真魚さんの論争を「儀式のあり方」が焦点、と捉えられた様ですが(もちろんそれは、見ている人の自由です)、私としては>日本人の主体性<の問題として焦っているんです、「靖国を否定するならするで、主体的にやって、“ちゃんと”傷つけ!」と。
>私はこの問題を、一部の論客だけのむずかしい議論にしてしまってはいけないと思っています。<
そういう意味で、↑に全く同感です。これは多分、テロや拉致問題をなかなか解決出来ずにいることと根っこは一緒だと思うので、何となくで流して発言せぬように決めてます。
投稿: kaku | 2005年7月16日 (土) 11時21分
>kakuさん、
読んでる人に「何でもいいから書け書け」とせっつくとかえって書きたくなくなると反省したので、記事の後半、書き直しました。
投稿: robita | 2005年7月20日 (水) 10時51分