« ガラガラポンへの期待 | トップページ | 戦後60年の呪縛 »

2005年7月15日 (金)

kakuさんと真魚さんの靖国論争

真魚さんkakuさんが靖国問題で論争中です。(真魚さんのブログでは、「ロンドンのテロ」の記事のコメント欄の後半部分です)

こっちも自分のブログで手いっぱいなので、ほとんど斜め読み状態(ごめんなさい)で、たぶんこういうことを仰ってるのだろう、としか認識できないのですが・・・。

興味のある方はご覧になってみてください。(いや、興味のあるなしでなく、いやしくも日本国民を名乗る者であるならば、少しは考えていただかねば)
世間でよく見られる意見から、更に突っ込んだ話に突入してきていると思います。

どういうことかというと、「哀悼の誠を捧げる」とか「死者と対話する」ということに、「儀式」というかたちが必要かどうか、という論点が浮き彫りになってきているような気がするのです。(違います? 違ったらごめんなさい)

死者に祈りを捧げる時、その気持ちが真剣なものであるならば「心の中」だけで充分ではないか、という考え方もありますが、人は「儀式」によってこそ厳粛さを体感することができ、また、その厳粛さを後世に伝えていくことができるのだ、という考え方もあります。

しかし、これは個々人の価値観、宗教観による違いであり、どっちが正しいというものでもありません。

日本という国家の代表たる総理大臣が、国の礎となって死んでくれた人々に哀悼の意を捧げるのは当然の儀式である、という考えもわかるし、
そのことが中韓二国の神経を逆なでするというなら、せめて総理の公式参拝はひとまずやめておけば外交的優位に立てるし次の段階に進める、という考え方もわかります。

私個人としては、若い頃は「儀式」というものに無関心でしたが、年を重ねるに従って、人が何故「儀式」を大切にするのかわかってきました。
だから、靖国に足を運ばないで何の追悼か、という気持ちもわかります。
一方で、中韓はもうこっちの言うことを理解する気持ちなんか全然ないんだから、こっちが折れてやったらどうか、という気持ちにもなります。というより、首相の参拝をやめてみたらいったいどういう事態になるのか見てみたい、という言い方のほうが近いかもしれません。

私はファジー人間なので、「こうあるべき」みたいな感情が湧き上がってきません。
こういうの、「意気地なし」って言うんでしょうか。

____________

ところで、ブログランキングなんですが、さっきジャンルを一つにしぼる変更をしたら、一気にランク上がりました。
五つのジャンルに登録してたので、ポイントが分散してたんですね。なんだそういうことだったのか。ばかですね。
クリックしてくださったかた、ご協力心より感謝いたします。

|

« ガラガラポンへの期待 | トップページ | 戦後60年の呪縛 »

コメント

robitaさん、取り上げていただき有難うございます。

国内問題であるはずの靖国問題は、私の様な考えを持つ人間にとって論争する相手を選びます。今まで、心置きなく論争できた相手って、ネット上では真魚さんくらいで。

一つ言わせていただきたいのは「せめて総理の公式参拝はひとまずやめておけば外交的優位に立てるし次の段階に進める」には何の根拠も保障も無い、という事です。

8月号の文芸春秋で靖国について特集を組んでいます。とても参考になりました。宜しかったら是非。この号で塩野七生さんが「もしも小泉首相が今年も靖国参拝を決行すれば日中韓でニュースになるだろうが、止めれば、世界中でニュースになるだろう」に心底同意、です。

投稿: kaku | 2005年7月15日 (金) 12時26分

robitaさん、こんばんわ。

小泉首相の固執したようにみえる靖国参拝が最大のパフォーマンスだったら、すごいですよね。外交手腕として高く評価できるのかもしれない。いざというときに、あらよと何でもないことのように手のひら返し、非参拝を外交カードとして使るならいいな〜なんて、思います。

投稿: 珍獣 | 2005年7月15日 (金) 22時58分

>kakuさん、
早速「文藝春秋」買ってきて読んでみましたよ〜。
でも、私がこれまでさまざまなメディアで得た情報を越えるものはほとんどありませんでした。つまり、議論は出尽くしているものと思われます。(だから、kakuさんと真魚さんの議論が更に深いと思ったのです。というか、これは「日本人の心の問題」である、という認識を新たにしました)
ただ、桜井よしこ氏らによる討論の中で、中国側の論客が一所懸命日本の神道を勉強し、これはここがおかしいなどと講釈をたれる、そのことがおかしくて私は笑ってしまいました。「共産主義者が魂や神について云々する資格がそもそもあるか。唯物思想はどうした。」という哲学者池田晶子氏の皮肉を思い出します。

投稿: robita | 2005年7月16日 (土) 10時25分

(つづき)
気になるのは、中国側が自分たちの論理を正当化するために、日本国内の「参拝反対論者」や「左翼知識人」たちの言をしきりと持ち出すことです。後藤田さんとか遺族会の一部の人たちとか、また、丸山眞男だとか。
こういうことされると、ああ、ニッポン、挙国一致体制でなくていいのか、という気分にもなってしまいます。

投稿: robita | 2005年7月16日 (土) 10時28分

>珍獣さん、
>小泉首相の固執したようにみえる靖国参拝が最大のパフォーマンスだったら、すごいですよね<

たとえ中韓を怒らせたままでも、日本人の魂はこういうもんだ、と示威し続けるのがいいのか、怒りを鎮めてあげるほうが日本のためになるのか、難しいですね。
小泉さんの場合、なにか外交的な策として参拝してるのじゃなくて、あくまでも「これが日本人の心意気なのだ」という情緒的な動機でやってると私は思いますけどね。

投稿: robita | 2005年7月16日 (土) 10時31分

>こういうことされると、ああ、ニッポン、挙国一致体制でなくていいのか、という気分にもなってしまいます。

そうですね、国内で日本人が右左ど真ん中で喧々諤々やるのは大切で、そういう姿を見るとホッとします。が、こと国民の思想や信条/信仰についてのあり方を、他国から言われた場合は、一致してNOと言う姿勢は、なんら危険なものでは無いと思います。

例えて言うなら、自分の親の悪口を自分が言うなら「前向きな批判」でOKです。しかし他人が“公式に”何らかの利益を狙って言って来たのにも関わらず、余裕ある風にコメントして見せるのがクールなこと、と言う風潮。大嫌いです。自分が喧嘩するのが嫌なのは良いとしても、子孫にツケを回しているだけと言うことに思いを馳せたら、と。

でも、私メ、ここではそういう事を言いに出て来ませんので、皆さん、どうぞ穏やかに話し合って下さい…

投稿: kaku | 2005年7月16日 (土) 11時40分

robitaさん、

僕も「文藝春秋」を読んでみました。(ついでに「中央公論」と「Voice」も読んでみました。)塩野七生の「靖国問題は、たいした問題ではないことをたいした問題にしてしまった、歴史上の好例として残るのではないか。」について言えば、結局、日中で共通の話題ってこういうことしかないんですね。日中関係というのは、基本的に希薄なものなんですよ。日本と中国は聖徳太子の頃から関係がありますが、それはあくまでも文化的な関わりあいであって、正式な国家と国家の関係ではありません。日本と中国が実際に実質的に関係を持つようになったのは明治からです。ですから、中国がいちゃもんつけてくるのは大日本帝国の侵略への恨みみたいな話になります。

投稿: 真魚 | 2005年7月18日 (月) 00時45分

「中央公論」も読んでみたのですが、日本側識者は、戦前の戦死者を靖国神社で慰霊することのどこかが悪いのかという話をしていますが、これは確かにそうなんですけど。では、今の日本の話はどうなのかと思いました。例えば、イラクで自衛官が戦死したら靖国神社へ入れるのだろうかとか。今の平成の時代での国家と国家のために戦死した者の関係はどのようなものになるのかということの考えがなくて、半世紀前の戦死者のことだけを論じているのはへんだと思いました。

あと、靖国神社は、戦前そのままのイデオロギーをこれみよがしに掲げるのは、これはなんなのかと思います。今の靖国神社では、天皇陛下が参拝できなくなっています。これをなんとかしたいという意思は、靖国神社にはないのだろうか。

投稿: 真魚 | 2005年7月18日 (月) 00時46分

>真魚さん
 >文藝春秋も中央公論もVoiceも<

すごい。読む量が違いますね。
私なんか、少々の記事を上っ面で判断するだけだから、突っ込まれるとひとたまりもありません。
でも、基本はちゃんとあるんですよ、「私たちは日本人」という。
 >イラクで自衛官が戦死したら靖国神社へ入れるのだろうか<

これはもう本人の遺志と遺族の意向・・、というわけにいかないんですか。
kakuさんの19日の記事、ご覧になりましたか?
結論と言っていいほど、収斂されていると私は読み取ったのですが。

 >靖国神社は、戦前そのままのイデオロギー<

靖国はその姿勢を改める(というか、戦後の日本人の感覚を取り入れる)必要はあるとは思います。

投稿: robita | 2005年7月20日 (水) 10時38分

自衛隊は靖国神社とは無関係です。まー、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会の方には自衛隊幹部が関わっているようですが。

あと、かりにA級戦犯合祀の問題が解決して、天皇陛下が参拝されるようになったとしても、果たして次の天皇は靖国神社へ行くだろうかという疑問があります。つまり、昭和天皇が参拝をやめられた時から、もはや天皇は今の時代に即した国のあり方を意識していたと思うんです。そうであるのならば、ひたすら「戦前」の時代で時間が止まっている靖国神社はやがて消えゆくことになります。

投稿: 真魚 | 2005年7月21日 (木) 01時42分

>真魚さん、
一昨日の朝日夕刊に「旧陸軍将校OB、陸自OBに接近」という記事がありました。
「偕行社」(旧陸軍将校の親睦団体)が戦後60年もたち、組織の存続のため、陸自OBに戦没者の慰霊顕彰を託そうとしているんだそうです。
別に自衛隊が軍隊色を強めつつある、ということのひとつのあらわれではないですよね?

投稿: robita | 2005年7月22日 (金) 10時29分

偕行会ってまだあったんですか。ネットで調べてみたら、ホームページもありました。しかし、これは老人たちのノスタルジー集会ですね。自衛隊は設立当時は、旧軍関係者が関わっていましたけど、今はもう世代が変わっていますし。

投稿: 真魚 | 2005年7月23日 (土) 02時54分

戦争を知る世代がみんな死んじゃうと靖国問題はどう変化するでしょうね。

投稿: robita | 2005年7月25日 (月) 13時24分

訪れる人は減ると思います。しかし、靖国神社は駐車場経営などでもそれなりに収入がありますから、神社として残っていくと思います。というか、明治の東京招魂社時代の靖国神社って、結構ハイカラさと神道がマッチしたみょーに味のある場所だったそうなんです。見せ物空間的な感じで、今のディズニーランドみたいな場所だったんです。国家神道の聖地みたいなガチガチになったのは昭和になってからなんです。

投稿: 真魚 | 2005年7月27日 (水) 01時18分

>真魚さん、

>明治の東京招魂社時代の靖国神社<

そうですか。いつの日かまたそんな時代が来るのかな。

投稿: robita | 2005年7月27日 (水) 10時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: kakuさんと真魚さんの靖国論争:

« ガラガラポンへの期待 | トップページ | 戦後60年の呪縛 »