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2005年8月30日 (火)

「威厳」の喪失

にっけいしんぶん新聞さんのブログで、「家電製品の発達が親子の断絶の一因となり、父親から威厳を奪ったのではないか」、という主旨の記事がありました。

これに対して、コメント欄には、「一理あるが、要は使い方であり、お互いの気持ちの問題だと思う」というまっとうなご意見も見られました。このようなお気持ちは非常によくわかります。

父親の威厳の喪失について、私は、「家事をする男性」のメンタリティというものをかんがみれば、「威厳」というものが、男性用の衣装のように「作られたもの」「着せられているもの」である以上、家事をすればするほど威厳はなくなっていくものと思っています。

一年前に書いた記事「男が家事育児に参加すると」で、乳母車を押しながら育児仲間とお喋りに興じるお父さんたちの光景を描きました。

例をあげればいくらでもありますが、例えば、妻に頼まれてスーパーマーケットで食品などを買う時、あまり慣れていない人は特に深く考えもせず手に取ってかごにポイと入れてしまいますが、日付があまり新しくなかったり、ちょっと傷があったりしたら、帰ってから妻に文句を言われたりします。それで、瑕疵がないか商品をあれこれ吟味して選ぶようになります。
スーパーで、ああでもないこうでもないと品定めしてる男性、どうですか? 
たいていの女性は「ああもういや、男のクセに」とか思うんじゃないですか?

「いや、私はそんなこと全然思わない」という人ももちろんいるでしょうね。

しかし、家事全般にわたって、男性が女性のように細かく創意工夫を重ねる努力をずっと続けることによって、男性は徐々に女性化(ホルモン関係ではなく、精神的にです)していくのではないかと思います。着せられている「威厳」もはがれてきます。

でも、このことは決して悪いことではないのです。
女性も同じように職業を持って働いているのに、男性だけが家事を免れるというのはまことにもって不公平です。
女性が男性に家事分担を要求するのは至極当然。

しかし、それならばそれなりの覚悟が必要となります。「男のクセに細かい」とか「男のクセにおばさんみたい」とか「男のクセによくしゃべる」とか決して言ってはなりませぬ。

ずっと前、yahoo掲示板で、「夫在宅ストレス症候群」について話をしたことがあります。
休日や定年後、夫が家事もせずじっと家にいるのが耐えられないという妻の心の病のことなのですが、女性陣の言い分は男性も家事を分担するべきだ、というものでした。
しかし、ある40代の男性が次のようなことを言いました。男性の率直な意見というのはなかなか聞けない貴重なのものなので、保存しておいた文章です。

【・・・だって今の男の子は「美学」なんてないじゃないですか?
無頼とか硬派なんて死語に近いし、そもそも女の子とコミュニケーションをとれない男の子は相手にされないときてる。
彼らの「美学」とは、センスが良くて、会話がスマートで、ノリが良くて、面白くて・・・というところではないですかねえ。
では、そういう今の若い子が大人になり、そして、高年令になった時、今のような「夫在宅ストレス症候群」というのがあり得ない!となるのかというと、決してそうではない。逆にもっと増えていくと思うんですよ。
つまり「優しくて、家事にも協力的で、会話も自然で楽しい」夫であったとしても、妻の不満がなくなるとは言えないんです。
かえって、「貴方にはないものを持ってる」と、ワイルドで無口で、家事なんてやれないしやろうとも思わない、まさに昭和一ケタのような男に心を奪われて出ていってしまうかもしれないじゃないですか。】

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コメント

はじめまして。
kakukさんのところからきました、haruと申します。

>「いや、私はそんなこと全然思わない」という人ももちろんいるでしょうね。

はい、居ます。(挙手)
えーっと、「威厳」って何でしょう。
私は着せられたり作られたりするものでは決してないと思っています。それは実力に伴って醸し出されるものではないでしょうか。
家事を手伝う事などによって決して剥がれるような性質のものではないと思うのです。
私の中で父親世代の威厳ある父親像は精神的DVだと思うくらい暴力的威張り方をするイメージですので、魅力なんて感じないし、オムツやミルクを楽しそうに買っている男性のほうがよっぽど素敵だなって思います。

投稿: haru | 2005年8月31日 (水) 01時42分

(続き)あと、家庭でお父さんの威厳がないとしたら、それは妻が夫を尊敬していないと言う事に尽きるのではないですか。
夫婦の信頼関係、意思の疎通がちゃんとできてないから、妻はイライラをつのらせ「亭主元気で・・」ってことになるのではないかと思うのです。

私は仕事で遅くなって帰ってきた夫に自分でチンさせたりはしません。疲れてるだろうなと思えば許す限り私がやるし、逆に私が疲れて帰ってくれば夫はコーヒーを入れてくれます。家族でお互いを思いやるのって当たり前の事じゃあないんですか。社会の変容に伴って補い合う形が変わってきている、ただそれだけのように思います。

なんて、うわー、偉そうな事をそれもいきなりいっぱい書きこんでしまいました(汗)でもお手柔らかになんて言いません。バッサリ斬っていただいて構いませんのでよろしくお願いいたします。

投稿: haru | 2005年8月31日 (水) 01時43分

よーし、バッサリ斬っちゃうぞぉー(笑)

初めまして、haruさん。
いやー、斬るところなどどこにもありません。全くの正論。
旦那様ととても良い関係を築いていらっしゃるんですね。

>「威厳」って何でしょう。
私は着せられたり作られたりするものでは決してないと思っています。それは実力に伴って醸し出されるものではないでしょうか。<

これについては、「人生は演技の積み重ね」と思っている私は、「正論」とは別の観点を持っています。
たしかに、「実力」に伴って威厳は醸し出される、それはその通りです。
しかし、例えば、こういうことがありますね。
多くの男性は女性に「しとやか」「ひかえめ」「上品」などを求めます。

投稿: robita | 2005年8月31日 (水) 09時10分

(つづき)
でも、そういうのは、社会構造が女性に押し付けてきた衣装であって、本来は女性だって男性と同じように強く主張もしたければ、ばりばり仕事もしたい。でも、そういうホンネを出せば敬遠されるだけ。

この「威厳」やら「しとやかさ」やらを内面から実際に醸し出している人もたしかにいます。
でも、社会の変化に伴って、少なくなってきています。
実際、男(女)らしい男(女)がいなくなった、と世間は嘆いているではありませんか。

私が例に出したyahoo掲示板での議論では、あの男性の文章の前に、「ラストサムライ」が話題になっていました。
渡辺謙演ずる勝元のような男の「威厳」を「威厳」とするか、あんなものは威厳ではなく、単なる男の自分勝手な「美学」をふりまわしているにすぎないとするか、まあそういった話が出た後の結論的な書き込みだったわけです。

投稿: robita | 2005年8月31日 (水) 09時16分

(つづき)
サムライ男を「ステキ〜」と思う女性がだんだんいなくなるのか、それとも、時代がめぐってまたああいう男がたまらなく懐かしくなるのか、それはわかりません。

結局、女性の要求に従って、男は変わらざるを得ないんじゃないか、と近頃とみに思います。

投稿: robita | 2005年8月31日 (水) 09時18分

大事なこと言い忘れました。
人間の行動はそれが継続的であればあるほど、その人間の精神を変えていく・・・、私の動物行動学的推論です。

投稿: robita | 2005年8月31日 (水) 09時25分

早速のレスをありがとうございます。

読ませてもらっていて、ふと、異性に求める「らしさ」って結局幻なんじゃないかと思いました。

周りを見渡してみても、内と外とで振る舞いの違わないしとやかな女性なんて見たことないし、男だって家では女の人に甘えちゃうんですよね。
女らしいやら男らしいなんてのは夢幻。そういう意味で衣装ってのはわかる気がしました。
異性へのアピールとしての衣装。

そう考えると、相手に興味を持つきっかけとしては必要なものかもしれないですね。
でも今は衣装を身に着けないのがトレンドになりつつあるのかもしれません。

>人間の行動はそれが継続的であればあるほど、その人間の精神を変えていく

そうなんですか?だとしたら夫はしっかりおばさん化してしまいそうです。

投稿: haru | 2005年9月 1日 (木) 14時54分

>haruさん、

女の「しとやかさ」だの「優雅さ」だのの衣装は自分で勝手に着られるけど、男の衣装であるところの「威厳」は自分で着る、というより、まわりで着せてあげる気遣いも必要なんですね。それなら、そんなめんどくさいものやめちゃえってことになりますよね。

>ふと、異性に求める「らしさ」って結局幻なんじゃないかと思いました<

そうですそうです。世の中ほとんど幻想です。だからこそ、美しい幻想を見たいと人は思うんじゃないですか。

投稿: robita | 2005年9月 2日 (金) 12時16分

(つづき)
>だとしたら夫はしっかりおばさん化してしまいそうです<

まさに社会全体としてその傾向にあると言っていいでしょう。

しかし、ちょっと昔を振り返ってみませんか。
例えば開拓時代、アメリカ西部でも北海道でもいいんですが。
そういう時代の男たちはきっといろいろなことをやっていたと思うんです。料理だってその他細かい家事も必要に迫られてやってたんじゃないでしょうか。
でも男のおばさんはいなかった。
この違いはね、たぶん、「オスとしての腕力」なんじゃないかと私は思うんですがどうでしょうね。

投稿: robita | 2005年9月 2日 (金) 12時17分

私も昨日、偶然、「大草原の小さな家」で読んだアメリカの開拓時代のお父さんや、北海道で1ヶ月お世話になった酪農農家のお父さんの事なんかを思い出してました。
 確かに彼らにおばさんの影が忍び寄ってる印象は受けませんでした。

 自然に対する畏怖の念が生活の中に確固として存在しているということが大きいのでしょうね。大きな自然の中での生活は、人を謙虚にしますし、ちっぽけな無力な存在でしかない自分を思い知らされる環境だといえます。

 都会で生まれて育ったら「オスとしての腕力」なんて必要ないのですもんね。結局人は環境に適応しているって事でしょうか。

 

投稿: haru | 2005年9月 2日 (金) 15時51分

>haruさん、
>結局人は環境に適応しているって事でしょうか。<

その通りですね。
だから、「おばさん化した男」に不満を言ってはいけないのです。
あるがままを受け入れ、仲良く巣作りして子孫繁栄に励むのが生物としての正しい道なのです。
子孫が繁栄せず、絶滅したとしても、それはそれで天の摂理でしょう・・・なんちゃって。

投稿: robita | 2005年9月 5日 (月) 10時12分

家事が出来ない人間は男であろうと女であろうと人間失格とまでは言わないが人間として半人前、未熟、未成熟であろう。
炊事、洗濯、掃除をしない、できないと公言する人間は男女問わず一定数いるが、本来であれば恥ずかしいこと。よく自慢気に自慢話のように話せるものだと感心する。厚顔無恥とはよく言ったものだ。
だいたい炊事、洗濯、掃除といった家事を何一つ出来ない人間に限って、他人にはそれが当然に出来ることも要求する。不思議なものだ。一体何様のつもりなのだろうか?王様、神様にでもなったつもりなのだろうか?
仕事が忙しい、時間がない、そんなことは言い訳にならない。限られた時間の中で仕事も家事も趣味もこなすのが成熟した一人前の大人というものだ。

投稿: 森田先生子育て終了世代 | 2018年11月11日 (日) 14時50分

★ 森田先生子育て終了世代さん

昔の記事にコメントをありがとうございます。
ずいぶんご立腹でいらっしゃいますね。

>よく自慢気に自慢話のように話せるものだと感心する<

私はあんまりそういう人見たことないですけど。

時代が時代ですし、仰る通り生きるための人間の基本でしょうから、ほとんどの人は貴方様の仰るようなことわかっていると思いますよ。
わかった上で、最後に紹介した文のようなことになりはしないか、と思う人もいるんじゃないかということです。
なんせ人間の心理や男女間の情感は理屈じゃないですから。

お手数ですがコメント欄をお読みいただくとよろしいかと思います。

投稿: robita | 2018年11月11日 (日) 17時38分

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