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2005年8月19日 (金)

「自由」とは、「自分たちで政府を作る自由」だそうです。

「とにかく議席さえ取れれば」という自民党執行部のやりかたが批判されていますね。
あまり政治のことわかってなさそうなしろうとを動員する作戦はいかがなものか、と普通の人は思います。
それは誰もが考える至極まっとうな意見だと思います。

しかし、「政治のしろうとを政治家にするのは変」だとか、「反対意見をばっさり切り捨てるのは冷酷非情過ぎる」だとか、まさに、そういう感覚こそ、思い切った改革を阻んできた壁なのではないかと私は思います。

今、この壁を乗り越える時ではないのでしょうか。

ここで、小泉さんが温情を示し、反対派を切り捨てず、「なりふりかまわぬ選挙戦略」を引っ込めたら、果たして小泉自民党は勝てるのでしょうか。小泉自民党が勝てなければ、郵政民営化反対派が勝つのでしょうか。民主党が勝つのでしょうか。そうなったらどうなるのでしょうか。
改革はまた足踏み状態で、いつまでたっても前に進めないのじゃないでしょうか。

「なりふりかまわぬ」という目に見える事象をのみを取り上げて批判するのは、木を見て森を見ないのと同じことではないでしょうか。

「議席獲得」、そのためには何でもやる、場合によってはそういう戦略だってありだと私は思いますね。なりふりをかまっていたら進まないことだってあります。

この政治のしろうとたちが晴れて議員になり、郵政民営化法案を通して、そのあとのことはまた考えればいいことだと思います。

中には、やっぱり政治家として使い物にならない人も出てくるでしょうし、意外とデキる人もいるかもしれない。
デキないやつだと思えば次の選挙で落とせばいいのです。

いづれにしても、「政治のくろうと」ってなんですか。「利益誘導型」ですか。「選挙に勝つだけが目的の人」ですか。「お金集めに必死になってる人」ですか。
プロの政治家にだって国政を任せたくないそういう人たちがたくさんいるはずです。

幕末だって、戦後の改革期だって、汚いことが横行したと思います。裏切り、排除、私怨がうずまき、どろどろの混乱状態だったんじゃないですか。大きな変革というのは、月並みな言い方ですが、きれいごとではなく、「痛み」が伴い、死闘の末に迎えるものではないかと思うのですが、どうでしょうか。
ためしに100年後、50年後でもいいですよ、その頃に生き残ってる人は、現在起こっていることを振り返ってみてください。
きっと、ドラマチックな物語が仕上がっているはずです。
日本がどうなってるのかは、ちょっとわかりませんが。

ところで昨日の朝日新聞夕刊にこんなエッセイが;

【・・・なにしろ「民」といわれると、ぼくら一般市民はどこか嬉しい。自分たちのことだと思って。そして「官僚」にはまるで親しみを感じないので、「官から民へ」と聞くと、よけい身近な感じがしてくる。ところが実際は、郵政民営化の「民」はぼくらなんかではなく、大資本の民間企業のことを指す。つまり「官」よりもはるかに市民から遠い、国際金融市場を支配する巨大な「民」なのだ。
ウォール街はじっと待ち構えている。日本国民が、その一字を取り違えて、うっかり340兆円を落としてくれるのを。】

日本在住のアーサー・ビナードというアメリカ人の詩人なんですけど。
そうなんですか、竹中大臣。それで、それは日本にとってマイナスなんですか。

なにはともあれ、
今回の選挙はとてもわかりやすいので、皆さん選挙に行きましょうね。こういうところを読んでる人は言われなくても行く人なので、「一人でも二人でも誘って行きましょう」、こう言いましょうかね。
民主党が政権取ってもいいじゃないかと私は思います。
どうせ、内部矛盾が噴き出して、分裂せざるを得ないんですから。
そうなったら次に来るのは政界再編ですよ。

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