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2005年8月29日 (月)

国家と教育

総選挙に向けて、連日ワイドショーなどでも政治の話題で持ちきりです。
テレビは面白おかしく情報を伝え予測をし、今までにないほど選挙が盛り上がりを見せています。

こういう傾向に対し、「政治に面白さが必要か。政治は遊びじゃない。」と不快感をあらわにする人も出てきます。

お気持ちはわかりますが、それでは、面白くないものに無関心な国民はどうしたらいいんかね。
「面白くなくてもすごく大事なことだから関心を持つべきだ」、と言うなら、学校教育の中で子どもの頃からもっと政治を教え、徹底的に国家意識を叩き込むことこそ必要だと思うのだがどうかね。

それができないのなら、やはり、「選挙に無関心な人々」の関心を引くには、面白おかしく盛り上げるしかないんじゃないかなあ。
「国家の安定あってこその個人」、という理屈がどうしてもわからないなら、そうするしかないです。
私は、「面白い選挙」、良いと思いますよ。

ところで、選挙戦においては、「教育」はあまり語られません。
各党のマニフェストには一応「教育」の項目もありますが、候補者が口角泡飛ばして力説するのは当面の諸問題であり、何年何十年も先にしか成果が出ない「教育」については有権者もあまり関心を持ちません。
まあ、それは当然のことで仕方がないのですが、それでも、人づくりが国家の基本であることにはどなたも異論を唱えないであろうと思います。

民主党のマニフェストの「教育」の項に、「教員養成を原則6年に」というのがあります。
・・・・・、これ、違うよねぇ。養成期間長くしたってだめなものはだめだと思うんですけど、どうでしょう。

私は、「優秀な教師はものすごく儲かる」みたいなしくみを作ることが大事なんじゃないかな、と思うのです。

今の時代、教師と言えども、聖職意識や意気込みだけで頑張れというのはあまりに酷です。「カネが儲かる」→「ゆとりができる」→「さらに頑張れる」。こういうことじゃないでしょうか。

「教師というのはそんな市場原理で語られるものではない。子どもに対する愛あればこそ成り立つ職業なのだ。そんな考え方は教師を堕落させるのだ。」と思われるかたもいらっしゃいましょうが、人間というものは、市場原理で動くからと言って実はそんなヤワな生き物ではなく、職業としてのそういう割り切った考え方で児童生徒を教え導く過程の中からでも、互いに信頼関係や愛情は育まれるのではないか、それが人間の人間たるゆえんではないか、と私は思います。
そして卒業式には、教師は自分の作品が立派に仕上がったことに感激して涙を流し、子どもたちは我が師の恩を感じながらちゃんと「仰げば尊し」を歌えるようになるんじゃないですか。

しかし、「優秀な教師はものすごく儲かるしくみ」って、・・・これが難しいんでしょうねえ。
やっぱり予備校方式になっちゃうんでしょうかねえ。

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