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2005年10月30日 (日)

戦争しないでね

憲法9条改正問題についての議論が活発です。

私は、今回の自民党案でいいんじゃないかと思いますが、護憲派の人たちは、「戦争のできる国になる」ととても心配しています。

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2005年10月27日 (木)

集団的自衛権

ついでにもう一つ書いちゃおう。(書き加えました)

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テロ・ビジネス

昨日取り上げた「Q&Aコーナー」に斎藤駿という人が次のように言っています。

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2005年10月26日 (水)

憲法9条 「べき」か「べきでない」か

お玉おばさんのブログから、「Q&Aコーナー」というサイトを閲覧してきました。

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2005年10月25日 (火)

騒ぐな

靖国問題については、作家の塩野七生さんが「たいした問題でないことをたいした問題にしてしまった歴史上の好例となるのではないか」と仰っていましたが、共感します。この問題には側面が多く、あれこれ考えたり論評したりすることが本当にめんどくさい。(一応過去にいろいろ言ってはいますが。「首相の靖国参拝」「戦後60年の呪縛」「kakuさんと真魚さんの靖国論争」など)

しかし、このところ、ちょっとブログ購読範囲を広げた結果、いろいろなご意見に出会い(というかどうしても首相の靖国参拝を許せないというご意見群)、また考えてみました。
参拝反対の人の中には、小泉はこういうあれを利用してこういうこれに導いてこれこれこういうことに持って行こうと企んでいる、などとあたかも小泉さんが権謀術数にたけたしたたか者であるかのように分析する人もいます。 しかし、私は思うのですが、小泉さんは単細胞のお調子のりの感動屋ではありますが、そんなに頭は良くありません。謀りごとなどしたくてもできないのではないでしょうか。
そりゃあ、4年も総理大臣をやっているので、普通の人よりは策略に慣れているでしょうが、基本的には「感性の人」「思いつきの人」だと思います。

私が不思議に思うのは、参拝に反対する人たちはどうしてこう、自国に批判的で他国に同情するのかということです。 自国にも他国にも両方に公平な目を向けて公平な判断をするべきだ、というのならよくわかります。でも、この人たちは、自国への批判ばかりが肥大してしまってあまりにも公平性に欠けます。 中華思想を元に自国の得になる事ならなりふりかまわぬ中国が、靖国をタネに日本をおどし続けることをなぜこうも擁護するのか。(紫藤ムサシさんは「外交とは相手の嫌がることをやって自国に有利に物事を運ぶことだ」と仰っていますが、中国はまさにそれをやっているわけです。)
小泉さんは「不戦の誓いをたてるため」と言ってるんですよ。「あの戦争は間違いだった」「A級戦犯はA級戦犯だ。有罪だ」とも言ってるんですよ。自分の国の首相がそう言ってるのを信じないで、なぜ、それこそ権謀術数にたけた老獪で油断ならないよその国の肩を持つのか、理解に苦しみます。

日本人が「参拝反対」と大げさに騒いじゃいけないんですよ。日本人が騒ぐから、中国が勢いに乗るんですよ。
私は戦争で亡くなられた人たちの尊い犠牲の上に私たちの豊かさがあると思っているので、そこに祀られている御霊に深く敬意を表します。
靖国についてよくわからなかったけれど、いろいろな人の意見を聞いた結果、「首相が靖国参拝して何の悪いことがあろうか」と思うようになりました。
でも、「小泉さん、中国があんなに怒ってるんだから、参拝やめりゃあいいのに」とも思います。やめてみて、それでもなお中国がその他のことで日本を恫喝したりごり押ししてきたら、その時こそ中国の真意がはっきりするから、外交的に有利ではないかと思いました。
そうしてみたらどうかと今でも思っています。
でも、それはわかりません。やめればいいのか、やめたらもっとまずいことになるのか私にはわかりません。 ただ、中国も外交カードに使っているとは言え、いい加減この靖国問題にはうんざりしているのではないでしょうか。聞けば、日中関係が悪くなって損をするのは中国のほうだと言うじゃありませんか。
たしかに日本をやめてヨーロッパのほうに発注されてしまった事業もいくつかあるそうですが、それより、中国の雇用問題では日本企業はなくてはならない存在だそうですし、技術協力、経済協力はこれからも日本に頼らざるを得ない状況にあるといいます。私が取材したわけではないので、たしかな論拠であると断言はできませんが、日本との関係が悪化すれば困るのは中国だ、という意見はあちこちで聞きます。
日本人が率先して騒がないことです。それが一番。中国が怒ってもオタオタしないこと。
小泉さん、中国にこう言えばどう?「神道の教義上、分祀はできないそうです。でも、私はどうしても靖国にお参りをしたい。困り果てた私は悩んだ末、こうすることにしました。お参りする時、私の頭の中でA級戦犯を思い浮かべないように努力します。これでいかがでしょうか。」
宗教のこと理解できない中国なんだから(少なくとも共産党政府は)、丸め込めるんでないの。

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トラックバックしたら画面がヘンになってしまいました。

以下↓はご放念ください。

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地球上から戦争や飢餓をなくすために

ゆーままさんからご意見をいただいたので、お返事します。

【イラク戦争のように「大量破壊兵器があるから」と言って戦争を始めて、「やっぱなかったー、でもフセインは虐殺とかしてるし」みたいな戦争に加わって、それが本当に国際貢献になるんでしょうか?あと、大国の言いなりにならないのなら覚悟が必要と仰ってますが、それって国益とか石油とかの為にはアメリカの言いなりになる必要があって、その為に戦争に加担する必要があると言う事ですか?】(ゆーままさんのコメント)
お読みになればおわかりいただけると思うのですが、私は、「豊かさをキープするために戦争をするべきだ、アメリカの言うことを聞くべきだ」とか「平和運動をしてはいけない」などと言ってるのではありません。
平和運動をする時、「反対、反対、とにかく、反対」と叫ぶだけでは、全く説得力がありませんね。 例えば、平和デモ行進が、単なる「思い」の示威行為であり、イベントとしてやっている、というなら、それもいいでしょう。そういうことも人間の表現活動としてあっていいのです。
しかし、心底、戦争をやめるんだ、という強い思いがあるなら、為政者への要求を真剣なものにしなければならないと思います。 「覚悟」をアピールしなければ、その心は届きません。戦争反対というスローガンを叫ぶだけでは、それはただのパフォーマンスにすぎないと思いませんか。
私はこれから、「靖国問題」について書こうと思っているので、ちょっと時間がありません。私の過去の記事をいくつか紹介しますので、お読みになって、また疑問が出てきたらどうぞ何なりと仰ってくださいね。
ふたたび戦争について」(2004.7.14)
太ったアメリカ人」(2004.8.24)
テロ」(2004.9.6)
中国が民主化されると」(2005.4.25)
アメリカってそんなに悪い?」(2005.6.20)
人間には慈悲の心がある」(2005.8.1)
この他、9/20から9/26にかけてのととさんとの対話など読んでいただけるといいなと思います。
主婦の話し合いをみなさんに読んでいただきましょう人気blogランキングへ

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2005年10月24日 (月)

トラックバック

私は「人気ブログランキング」というのに登録しているのですが、60位70位あたりをうろうろするばかりで、一向に上昇しませんでした。(もちろん、おもしろくない、共感されない、から押してもらえないということはわかってはいるのですが)

ところが昨日から急に10位ばかりアップしたのです。

おととい、人気ブログランキングでみつけた「お玉おばさんでもわかる政治のお話」というブログを訪問し、共感するところがあったのでコメントを残しました。
上位(すごいですよ。先月始められたばかりなのにもう10位!)にあるだけあって大勢の人に読まれているためでしょう、私のコメントにも目を留めてくださったかたもあったらしく、今回のアップにつながったようです。

やはり、ランキングに参加している以上、引っ込み思案では何の進歩もない、積極的な「売り込み」が大事なのだと思いました。
現実の世界では、「売り込み」はもっとも不得手とする分野ですが、ネット上なら結構図々しくなれるんですね。
なるべくいろいろなところに足跡を残そう・・・・・、ブログで忙しくなりすぎるのも考えものですけれど。

ところで、私はブログを始めてもう一年三ヶ月になりますが、最初の頃、トラックバックについてこんな意見を、どこのブログだか忘れましたが読みました。

 【コメントをもらった時は必ず返事を書くが、トラックバックだけポンと送ってきた場合は無視していいと思う。こういう人はキーワードで検索して出てきた沢山のブログに、ただ自分のを「読め」とばかりに一方的に送ってきているだけなので、返事をする必要はない。】

そんな意味のことでしたが、私は「ああ、これがブログ作法というものか」と納得して、相手の記事を読んでみて書くことがある場合はそうしていましたが、そうでなければ、返信しないできました。

ところが、ものすごい勢いでブロガーが増えている最近では、「TBありがとうございました」という返信をあちこちで見かけます。コメントなしでトラックバックだけの場合でもみなさんそうしていらっしゃるみたいです。

たしかに、トラックバックによって意見交換の輪が広がる、というブログのメリットを考えれば、コメントがあろうがなかろうが、交流のきっかけとして享受したほうがいいのかな、と思うようになりました。

ですので、今まで「TB送ったのに返事がない、無視された」、と思われたかたがた、事情はこういうことですので、気を取り直して、またどんどん送ってください。

押して。→人気blogランキングへ

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2005年10月22日 (土)

山田太一のドラマが見たい

「熟年離婚」というテレ朝系のドラマを楽しみに見ていますが、一年くらい前に、同じような筋書きのドラマを見たことがあります。タイトルは忘れましたが、脚本は山田太一でした。

quimitoさんのブログで、山田太一の「いくつかの夜」というドラマが良かった、というお話でしたが、私は見逃してしまいました。しまった。

山田太一は私が一番好きな脚本家です。

その昔、TBS系列で、「金曜ドラマ」というシリーズがありました。

今のように、男女のトレンディな恋愛物語一辺倒の時代でなかったので、教育や家庭の問題などを題材にしたものが多く、どれも素晴らしい作品ばかりでしたが、中でも、山田太一作品は忘れがたく懐かしい。

「岸辺のアルバム」「高原へいらっしゃい」「ふぞろいの林檎たち」など、きっと、今見ても充分に感動を与えてくれる秀作ぞろいでした。

「高原へいらっしゃい」はちょっと前にリメイクされましたが、期待はずれの出来あがりで、視聴率も悪かったらしく、中途切り上げとなりました。
映像は前作に比べると格段にきれいで、舞台になったホテルや八ヶ岳や森林風景など、それはそれは美しかったのですが、物語の展開や人間の苦悩を表現する台詞や演技は山田作品に遠く及びませんでした。

こんなことなら、前作をデジタル処理(とかいうんですよね)して、映像をきれいにして放映してほしいものだと思いました。

同じTBSで、近く「日本昔ばなし」が、映像処理されて再開されるそうです。
また、さっき知ったのですが、去年のNHK大河ドラマ「新撰組!」の続編がお正月に放映されるそうです。
視聴者の要望が強いのでそれに答えて、ということだそうです。

TBS、「金曜ドラマ」再放送してくれないかな。
メールで要望出してみようか。

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2005年10月21日 (金)

使い方間違えちゃった

あるサイトを読んでいて、「おお、そうだった」と気付きました。

男の哀しさ、女のたくましさ」で、使った「切磋琢磨」という言葉。
これは、「友人同士などで、良い競争をしながらお互いに高めあう」という意味ですよね。

なのに、私ったら、「たびたび紛争を起こして切磋琢磨する」ですって。
「せめぎ合い」みたいな意味でつい使っちまった。
この意味の四字熟語、あったような気がしますが思い浮かびません。

読み返すと他にも出てきましたよ。
女王の教室」の中での「デフォルメ」という言葉。
これは、「変形させすぎて、本質が失われた様子」だと思うので、この文には適当でないような気がします。
「シンボライズ」なんかのほうがいいのかな。

もっと恥ずかしい告白をすれば、私が、「最期」を「さいご」と読むと知ったのは7年ほど前、末っ子が小学校4年の時でした。
「さいき」って言ったら、「お母さん、これ、『さいご』って読むんだよ」と言われてしまいました。てへ。50年間も気がつかなかったんです。
だってさあ、「末期」とか「死期」とか言うじゃん。「さいご」はちゃんと「最後」があるしさあ。


言い訳はさておいて、近頃の若いモンは勉強時間が多いくせに知識がない、などとこきおろしてこのザマだ。

そういえば、漫画「サザエさん」でこういうのがありました。

 【波平が一人でテレビを見ながら、「近頃の若いモンは敬語の使い方を知らん!」と憤慨しているところへ、玄関に「ごめんくださいまし」の声。
 出てみると、すごい美人が「奥さまはいらっしゃいますか」。
 波平はしどろもどろで「は、あの、いらっしゃいません」】


お情けをいただきとうございます→人気blogランキングへ

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2005年10月19日 (水)

「女王の教室」

ちょっと前話題になったテレビドラマ「女王の教室」の話なんですが、昨日、二、三のブログでそれについて読みました。

あのドラマはとても面白く、私は毎週とても楽しみにしていました。最終回が期待はずれで拍子抜けでしたけれど。

ネット上では、教師のありかたについて色々論評がなされているようですが、私はごく単純に、「導く者は自分が嫌われる覚悟をしているか」という問いかけであろうと理解しました。

体罰は許されない、とか、授業中にトイレに行かせないのはあんまりだ、などの意見はわかりますが、「子どもが反発心を抱く教師像」を、ドラマ用に思い切りデフォルメした形に過ぎないでしょうから、あの先生のやり口にそんなに目くじら立てる必要はなかろうと思います。ああいう教師は良いも悪いも、悪いに決まっていますから。
現実にあんな先生がいたら保護者達は黙っていません。

私はあのドラマを見ていて、昔読んだ星新一のショートショートを思い出しました。

死刑囚と刑務所長の話です:

【人情味あふれる所長は、死刑が確定している受刑者が穏やかな心で死を迎えることを願い、せめて死ぬまでの間、暖かく接することを心がけた。所長の真の愛情に触れた死刑囚たちは涙を流しながら罪を心から反省し「今度は必ず真人間に生まれ変わります。あなたに出会ったことは本当に幸せでした。」と言って死んでいった。しかし、その後も凶悪犯の数は減らず、相変わらず死刑囚が次から次へと送り込まれて来た。なぜ、悪い人間は増え続けるのだろう、と悩んだ所長はあることを思いついた。次に送り込まれて来た死刑囚に、今までとは全く違う対応をしたのである。死刑囚を罵り、あざけり、非人間的な扱いをしたのだ。死刑囚の方も負けてはいない。世の中や所長を口汚く罵倒しながら死刑執行に臨んだ。不思議なことにそれ以来凶悪犯の数が激減した。】

これは生まれ変わりを題材にしたファンタジーなので、荒唐無稽ですが、面白い示唆ですよね。

私は短大の時、教えるより怒鳴っていたという印象の教員に出会ったことがあります。(「哲学の時間」)

しかし、その経験は後になって考えるととても興味深い問題提起をしてくれていたのです。

「女王の教室」では、子ども達が怖い先生の本当の姿を卒業式までに知る、という筋書きでしたが、本当は、子ども達が大人になってからの一つのストーリーを最終回のエピソードとして作り上げれば良かったんじゃないか、と思いました。
「仰げば尊し」を、あんなに長々と聴かされるのは、ちょっと辛かった。


人間の自己矛盾の極みとして、「人を育てる教育者の逡巡」がありますね。
つまり、「ものわかりの良い先生」「行き届いた教育」が「賢い人間」を育てるとはかぎらないということを教育者自身が身にしみてわかっていることじゃないでしょうか。

「英国文学は、名門私立の悲惨な学校生活から生まれた、とはよく言われるが、私の通った公立校も、作家を生むに充分悲惨だった」

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2005年10月18日 (火)

富豪のつとめ

ライブドアの堀江さんが、宇宙旅行ビジネスを始めるそうです。

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2005年10月17日 (月)

男の哀しさ 女のたくましさ

ととさんharuさんへの返事、長くなるので、再びこちらに書きます。

>世の中の女性がみんなrobitaさんみたいに,理性的で知性があってエネルギーのある人ばかりなら<

あっはっはっは、ほんと、私の書いた文章読み返すと、「完璧な戦略家」みたいですねえ。短い文章にまとめるとかくも綺麗になっちゃうんですね。

ハチャメチャな私の結婚生活を披露する画面の余裕はないので、話の通じないワガママ男と天然ボケ女の夫婦像を適当に想像していただけるとありがたいです。

私はただただ喧嘩をしたくなかったから、こういうやり方をしてきたけれど、それが最良だなんて思っていません。 haruさんが仰るように、その都度ぶつかり合い、年とともにわかり合っていく、という夫婦の関係だってあるはずだし、そのほうが人間的で、子ども達だってそういう両親の元に育ったほうが成長するかも知れないのです。(このことはずっと前、kakuさんのブログにコメントで書いたことがあります。いずれ、記事にしようと思います)

私は絶対に争いをしたくなかったので、それを回避するために必死になって交渉した、という臆病な人間です。

あのね、しょっちゅう小競り合いを繰り返していると大戦争は起こらない、という戦争の原理があるそうですよ。人間社会では、たびたび紛争を起こしてガス抜きをする、そういうのが自然な形なのかもしれませんね。

いずれにしても、この松坂妻のだまし討ちはいかんよ。

>私はこの奥さんは,選んだんだと思ってます<

そうかもしれませんね。一度きりの人生、「安定した退屈」よりも、「挑戦」を選択したんでしょうね。それはそれで、人生のひとつのあり方なので、自由だと思います。でも、やっぱり、夫に意思を伝えることをしなかったのは残酷です。

ととさんは、「もし,妻がいなくて不便だと思うなら,そりゃ妻を家政婦として使おうと思っていた証拠」と断じるけれど、私は、男の人の姿勢をそんなふうに決め付けるのはちょっと可哀想だと思うんですよ。

男の人はわからない、気がつかないんだと思うんです。だから、「妻を家政婦として見てるのかどうか」きちんと確認する必要があるし、「もし、それだけのためであるなら、私はあなたと結婚生活続けるつもりはありません」とはっきり言ったほうが良いと思います。やはり、ここでも、「話し合い」が必要なんです。

おじさんたちって哀しいですよね。女性は連れ合い亡くしても、かえって元気になって、楽しみいっぱい見つけて人生を謳歌して長生きするけれど、男の行動学上、おじさんたちは定年後どうしていいかわからず、オタオタするばかり。

「そんなの自己責任よ。若い時から仕事以外の趣味を持たず、家事を妻任せにしてきた報いよ」なんて言われるのはあまりにも可哀想。 若い人は共働きも多いし家事にも慣れているけれど、渡哲也の世代のおじさんたちをそんなに責めてほっぽり出すのは、あー、可哀想。

それにしても、ととさんもharuさんも本当に良い意見を仰る。これが女の強みなんだなあ、とつくづく思います。男はおおむね、こんな分析力もなければ、感情の細かい機微に気がつかないし、こういうお喋りもできない生き物なんでしょうね。

女は「わかってほしい」と一方的に要求するけれど、男という生き物の「特性」を、こちらも少しは理解してあげなきゃなあ、というところではないですか。

しかし、こういう議論をしていていつも思うのは、家事労働で家族に奉仕することがこれほどまでに女性を苦しめるものなのか、ということです。 あ、わかってますよ。奉仕しているのに感謝されない、話も聞いてくれない、それが辛いんだ、ってことは。

どうしたらいいんでしょうねえ。 世の奥さまがたってそんなに虐げられているのかなあ。 よっしゃ、聞いてみよう。

おーい、世の旦那さまがたー、 奥さまに関心持ってあげてますかー、

ねぎらいの言葉かけてあげてますかー、

ものごと相談して決めてますかー。

・・・・・無駄かな、若い人ばっかりのブログ界でこんなこと叫んでも。 朝っぱらからこんなに書いちゃいましたよ。ふう。記事に興味を持たれたかたはこちらを押していただけるとありがたいです→人気blogランキングへ

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2005年10月16日 (日)

続・交渉力・ゼロ

前エントリーにととさんからご意見をいただいたので、その返信です。

 >全面対決は,自分の消耗が激しすぎるからね<

そうなんです。仰るとおり消耗するんです。
その都度交渉なんかしてると、相手の機嫌を直すのにものすごいエネルギーが必要で、それだけで疲れちゃう。子ども3人いるのに、毎回毎回交渉なんかやってられませんて。

私は普段はニコニコ「はいはい」と持ち上げ、可愛い妻をやってですね、一、二年に一回ぐらい、きっかけをつかんで思いを聞いてもらいました。
「私はこう思うがあなたはこれについてどう思うか」「あなたのこういうやり方はこれこれこういう理由で非常に理不尽だと思うがいかがなものか」「私は仲の悪い夫婦になりたくないのでぜひともこういうことを解決したいと思うのだが、あなたはそうは思わないか」と、まあ、「理詰め」ってやつですね。
扱いにくい性格の人なので大変でしたよ。そりゃあもう死闘でした。

でも、ふだん喧嘩しないからきくんですわ、これが。

ととさんは「交渉も出来る相手と出来ない相手がありますからね」と、仕事上の上司の例を出されました。いますよねえ、「人の話を聞かない」「問題点が見えてないのは自分なのに、部下をバカ呼ばわりする」「飲み込みが悪いくせに頑固」みたいな人。
バカでも素直なら許せる。でも、バカで頑固、これが一番困る。

業務に差し支えることを考えれば、ひたすらへいへいと頭を低くするのは辛いところでしょうが、いずれはいなくなるし、そういう困った上司であれば、職場のほかの人たちも同じ思いを抱いているわけで、救いがあります。みんなで愚痴でも言い合ってれば何とか発散できるでしょう。

でも、配偶者の場合、交渉が出来る相手だろうが出来ない相手だろうが、一生つき合っていかなきゃならないのだから、覚悟を決めて交渉するしかないんです。
めんどくさがってる場合じゃないです。

また、上司は選べませんが、夫は自分で選びましたね。そうですね。
日本昔ばなしみたいに、怪物に「わしの嫁になれ〜!」なんて強奪された村娘じゃないんですから、だいたい皆さん納得して結婚したことと思います。

亭主選びも自己責任が伴うと私は思っているので、結婚生活を持続させたければ、自分の力で何とかしなきゃいけないんじゃないかと思うんです。

もうほんとに嫌いになっちゃって顔も見たくないというほど修復不可能なら、離婚も仕方がないかな、と思うけれど、松坂慶子は渡哲也のこと「尊敬してる」って言うじゃありませんか。
尊敬してるのに別れたいとはこれいかに。
結局、こんな真面目一方のつまらん男に一日中家にいられたら息がつまってとても耐えられないという「夫在宅ストレス症候群」をいち早く察知して手を打ったということじゃないんですか。
夫と真剣に向かい合う努力を何一つしないで、定年を迎えたから、待ってましたとばかりに「別れましょう」だなんて、これじゃあ、だまし討ちだ不意討ちだ闇討ちだテロリズムだあんまりだ。ひどいよ。(たかがTVドラマになに腹たててるんだ)

しかしまあ、松坂慶子も社会の荒波に漕ぎ出せば、亭主より始末の悪いのに出くわす可能性も大でありましょうし、その時初めて妻は夫の優しさに気づくのであった、・・・なーんて展開だったら面白いんですけど〜。

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2005年10月14日 (金)

交渉力・ゼロ

昨夜のテレビドラマ「熟年離婚」を見ての感想です。

仕事にかまけて家庭をまかせきりの夫に長年耐えてきた妻が、夫の定年祝いの席で離婚を宣言し、定年後は妻と海外旅行などしながらゆっくりと老後を暮らそうと計画をしていた夫は、何年も前からこの日のために着々と準備を進めてきた妻の本当の姿を知って愕然とする、という、使い古されてすりきれた筋書きでしたよ、第一話は。

こういうドラマ見てていつも思うのは、「絶望的に交渉力のない女の悲しさ」です。

「あなたはいつも私の思いなんかおかまいなしに自分の価値観を押し付けるだけでした。」って、お決まりのせりふなんですけど、不満や理不尽を感じるなら、交渉して事態を良くする努力をすればいいんだと思うんですよ。

渡哲也演ずる夫は子ども達に言います。「父さんや母さんのように良い夫婦になって添い遂げる、それが一番の幸せなんだ。」

夫は結婚生活35年間、幸せな家庭を築いていると信じて疑わなかったわけです。

妻も、不満を口にすることなく何食わぬ顔で35年間幸せを装ってたわけです。

それが35年もたっていきなり爆弾落とすなんて、「裏切りだな」と、遅い夕食食べながら見ていた我が家の長男がポツリと言いました。

まあ、現実にはこんな働き者で真面目な夫に離婚を言い渡す妻はあまりいないでしょうけど。ドラマですから。

このドラマがありふれた妻の自立物語でない、何か今までにないメッセージを伝えるものになるのかどうか、ま、来週も見てみましょうかね。

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2005年10月 5日 (水)

株のはなし

ちょっと時間ができたので、更新します。
お休みしている間も、ランキングに票を投じてくださったかたがいらっしゃるようですね。本当にありがとうございました。

村上ファンドの阪神株買いのことが話題になっているので、今日は株の話を少し。

私、しろうとながら株を持っているんです。

最初に買ったのは5年ほど前。何か悪いことをしているような気持ちで、主人にも言えませんでした。

「悪いこと」というのは、私の実家の父が、「株には絶対手を出すな」というそれはそれは堅い人で、その教えがしっかり刷り込まれて、株とは博打のようないけないものだと思い込んでいたからです。

しかし、結婚前から持っていた少しばかりのお金に加えて結婚後もこつこつ貯めたものを、こんな利息でただ置いておくのはタンス預金と何ら変わりはないじゃないの、と悶々とし始めると、思い浮かぶのは主婦でも買える株でした。
頑張ってる会社を応援するのは悪いことではないし、それは市場の活性化にもつながるじゃないか、と意識改革したのでした。

もう一つ、財産はただ寝かせておくのは罪だ、と私が解釈した聖書の一節を思い出したからでした。

別にクリスチャンではありませんが、ミッションスクールで日常的に聖書に親しんでおりました。

天国とはこのようなものである、としてイエスが弟子達に語ります。

 【主人が3人の僕(しもべ)に自分の財産を預けて旅に出た。
時がたって主人が帰って来た時、一人の僕は渡されたお金を元手に商売をして倍に増やし、主人に返した。もう一人の者も同様にした。
しかし、3番目の僕は、預かった金を失うのが怖かったので、土に埋めて隠しておき、元のままの金額を主人に返した。
主人は財産を増やした僕たちの行動にはたいそう喜び、二人にさらに多くの仕事を任せることを約束したが、増やす努力を怠った僕を怠惰だと厳しく叱責した。】(要約ですので、お読みになりたいかたは、新約聖書:マタイによる福音書第25章14節をどうぞ)

そのあとに続く主人の言葉はさらに残酷で、

 【おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
この役に立たない者を外の暗い所に追い出すがよい。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。】

聖書の授業や礼拝でのお説教で、このたとえ話の解説を聞いた覚えがないのでよくわかりませんが、これはたぶん、現世で徳を積む努力をしない者は天国には行けない、という意味であろうと思います。

しかしそれでも、これはその通りお金の話として受け取っても、的を射た教訓だと思います。銀行に預けるのがバカバカしくなるような低金利が続くうち、この一節をよく思い出すようになり、「お金をただ抱え込んではいてはいけないのだ。たとえ少額でも活用したほうが賢い。」と思うようになりました。

私はもともと、ハウツーものを読むのがめんどくさい性分なので、それまでの株価の変動などまったく気にせず、単に「無添加でおいしい加工食品を製造販売している良心的な食品会社」を優良企業と見込んで、買ってみました。

最初のうちは、株価が下がろうが何しようが、配当金だけでも銀行の利子よりずっと良いのでそれだけで喜んでいましたが、5年たった今、その会社の株価は倍近くに上がっています。私はたぶん底値で買ったのでしょう。
もちろん、株価が上がったといっても、売ってないわけですから、差益を受け取ってはいないし、上がり分だってお金に換算してもたいした額ではありませんが、何となく懐が暖かい。
株投資を始めたのは、もちろん「お金がほしいから」に他ならないのですが、「優良企業への支援であり、市場の活性化に一役買っている」という、よい子の誇りもあります。

ちかごろはデイトレードで一日に何回も売り買いをして稼ぐというやり方がはやっているようですね。やってみようかと思ったこともありますが、これこそ何かギャンブルやゲームのような気がして抵抗があります。やっぱり「企業を応援する」「更に良い仕事をしてもらうために投資する」という本来の目的を重視して、配当金目的、長期保有で行こうと思います。

しかし、私が株を持っている企業も、信頼しているとは言え、いつなんどき不祥事や事故などで存亡の危機に見舞われるかわかりません。
下手するとすべてパーになってしまうかもしれないのです。
草葉の陰から父に「あほ、わしの言いつけを守らんからや」なんて叱られる時が来るのかなあ、なんてちょっと心配しながら、時々株価をチェックしています。

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