愛は力____絶望から這い上がる
「愛は力」の記事に、「深夜のNews」の真魚さんからコメントをいただいたのでその返事です。
>必ずしも家庭が万能ではないのではないでしょうか<
私がここで書いたことは、「家族の躾けや教育がだめで、愛が不足しているから少年非行が起こるのだ」ということではありません。「愛さえあれば非行に走らない」、ということではありません。
つまり、どんな人にも幼児期というものがあり、その時期に愛情を受けることは人の心を強くするための重大な条件の一つではないか、ということです。
家族の愛を経験したその子どもがその後どんな人生を送ることになろうが、(たとえ、犯罪や戦争に巻き込まれて悲惨な経験をしようが、あるいは、自分自身が犯罪を犯してしまうことになろうが)、絶望から這い上がる力を育むのは、自己の土台を作ってくれた「愛」ではないのか、ということです。そして、その「愛」が育まれる場は、多くの場合、家庭であろうと思うわけです。
万全の愛を授けられる家庭などおそらくないでしょう。
ちょっと思い出したのですが、北野タケシの例をあげますと:
「オフクロは怖かったよぉ。容赦なかったね。めちゃくちゃ叱られひっぱたかれるでしょ。で、晩メシの時にね、なんか知らないけど俺のとこにだけ玉子焼きが置いてあったりするんだよね。」
飲んだくれで生活力のない親父と理不尽に叱り続ける母親。
タケシ君ちは理想的な家庭からは程遠いと言えます。
教育的に論理的に考えれば、叱ったあとに慰めのつもりだか何だか、他の子ども達に配慮も何もないこの母親の思いつきのような行動は、「愚かしい」と否定されるかもしれません。
でも、これこそが理屈抜きの愛情ではないのか、と感じます。
考えるに、どんな形であれ、「お前のことを気にかけている」という大人がいること、が必要なのかな、と思います。ありきたりの言い方ですが。
それはもう、ほとんど動物的な愛と言っても良いでしょう。
人類は全員がまっすぐに育つ必要はなく、何かが起こった時に、再び立ち上がる力を持っているかどうか、子ども時代にその根っこが形成されているかどうか、それが問題なのだと私は思うのですが、間違っているでしょうか。
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