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2005年11月16日 (水)

意見の交換は楽しい

あるときさんと、「日本の選択」のコメント欄で議論(とまでいかないか)をしました。考え方が違う人と話すのははりあいがあってなかなか楽しいものです。

同じ考えの人ばかりが集まって、中韓をけなし合ったりとか、政府やアメリカの悪口を並べ合ったりしてるだけではなんか面白くないなあ、と私は思います。
しかし、違う意見の人同士がいくら話し合っても接点がないのであれば、喧嘩になってしまったり、あるいは、適当なところで切り上げて異論は去り、結局、同好の士だけが残留する状態になってしまうのもしかたがないかな、とは思います。

私は話し合いというのはとても大切なことだと思いますし、話し合いでたいていのことは落着すると思いますが、それでも、どこまで行っても平行線でしかない問題は、結局、個人個人の根っこにある人生観によるものだと思っています。

だから、「こっちが正しい」と主張することはとても傲慢なことだと思います。 →参照

「こうしたほうが日本のためになるのではないか」「日本のためにはこうするべきなのだ」などと、みなさん真面目に考えます。私もある程度はそうです。国のため世界のためを思って色々考えます。それが結局自分や家族の幸せにつながると考えるからです。

でも、色々な人がいろいろなところで「こうするべきだ!」「こうするべきでない!」などと、強い意志で断言しているのを見ていると、ほんとに偉いなあ、と思います。

根拠があって、熟考した上でたどりついた方策を信念をもって提示することはとても勇気のいることです。

誰もが「どっちがいいのかわかんな〜い」とか「どっちでもいい〜」なんて意志薄弱なことを言っていたら世の中なんて成り立っていきません。

だから、意見はぶつかって当然だと思います。
時には、「何でわかんないんだ!」と怒鳴りたくなるのもわかります。

だけど、最後は民主的に多数決で決めるしかありません。

決まったら、「馬鹿が多いから」などとブツクサ言わず、その決めたことの範囲内でなんとかやっていくしかありません。
人間は後悔もするし反省もします。
______

真魚さんのブログで「ALWAYS(三丁目の夕日)」が話題になっていて、コメント欄が盛況です。

私が「真魚さんの素敵な文章はコメント欄にはもったいない」と書きましたら、真魚さんは、「ブログといえども、自分の意見を一方的に発信するだけではつまらない。コメント欄は重要です」と仰いました。

なるほどそうですよねえ。
コメント欄はつけたしではなく、ここでさまざまな意見が交わされるからこそ、ブログの意味があるんですよね。

だから、ライブドアに言いたい。
字数制限を設けないでほしい。
色んな意見が交わされるのが、ブログの醍醐味じゃないんですか。

わかってないなあ・・・。

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コメント

多数決かあ。

やっぱりそうなっちゃいますね。

(他にいい方法がみつかりませんし)

ただ、民衆が情報をあたえられていない

状況での多数決は本当に民意を代表して

いるのかなあ?

と思ったりしちゃいます。

「年次改革要望書」をみんなしってたら

こうも自民が圧勝しなかったのではないかと、

変な想像をしてしまったりするわけですよ。。

だからネットでのディスクロージャーってのは

本当にいいものではないかと思うわけです。。

また自画自賛かよ(ヲイ

投稿: あるとき | 2005年11月16日 (水) 23時54分

>あるときさん、
「年次改革要望書」を読んだことはありませんが、そういうものがあり、だから「日本はアメリカの51番目の州と言われる」などというような事情は、ワイドショーのコメンテーターなどによって語られますので、けっこう一般大衆も知り始めているんじゃないでしょうか。私もワイドショーで知りました。

しかしそれでも「身のため」と思い、甘受しているんだろうなあ、と私は思ってるんですけどね。「誇り」は大事ですけど「誇り」だけじゃメシ食えませんから。

因みに「年次改革要望書」で検索してみたら、「深夜のNEWS」(真魚さん)が上位に出てきましたよ。

投稿: robita | 2005年11月18日 (金) 09時26分

誇りだけではメシくえないですよね。

武士は食わねど高楊枝というのは

江戸時代でも崩壊してましたからねえ。

(バイトでしてた絵が有名になって画家として

後世に名を残した人とか多いですし。)

けど、誇りをすてるぐらいなら貧しくてもいい

という変り者もたまにいますよ。

私は、誇りも金も欲しい贅沢者ですが(笑)

投稿: あるとき | 2005年11月19日 (土) 00時56分

あら、そうですね。いつのまに。

コメントについてですが、僕はパソコン通信を知っているから、そうしたことが言えるのだと思います。やはりネットでの会話というのは、それなりの経験と訓練が必要だと思うのですよ。その昔、ネットは活字だけの世界で、ニフティの会議室は文章だけの世界なんですけど楽しかったですね。僕は、そこで多くを学びました。今の時代で、最初からインターネットやブログから始めた人々にはそうした体験はありませんから、ネットについて、僕とは違う考え方をしているんだろうなと思います。

投稿: 真魚 | 2005年11月20日 (日) 00時07分

>あるときさん、

>けど、誇りをすてるぐらいなら貧しくてもいい
 という変り者もたまにいますよ。<

私はね、実はですね、そういう変わり者なんです。
貧しかった時代知ってます。
親から倹約生活たたき込まれてます。

その時、「うわははははは、オメェら、耐えられんだろ」って笑ってやるんだ。わははは。

投稿: robita | 2005年11月21日 (月) 09時22分

>真魚さん、
>パソコン通信
わ、古い・・・と思ったけど、今、検索してみたら1990年ごろが成長期だったんですね。ほんの15年程前なんですね。

パソコン通信と言えば思い出すのは、読者からパソコンで意見を求めながら執筆していた筒井康隆の新聞小説「朝のガスパール」。
面白いことやるなあ、と思いながら読んでいたけど、結末はどうだったかさっぱり覚えていません。
もう一つ、後藤久美子と高島政宏主演のテレビドラマ。無人島でのサマーキャンプでボツリヌス中毒に罹り、一人免れた後藤久美子がパソコン通信で救助を求める、というものでした。なんとなく、アマチュア無線のような感じだな、と思いました。

パソコン通信での会話は、今のように誰でもできることではなかったので、きっと知的でお行儀の良いものだったでしょうね。

投稿: robita | 2005年11月21日 (月) 09時25分

後藤久美子のそれ見ました。高島政宏も出ていましたか。うー、ゴクミしか覚えていませんね。

確かにあの時代、パソコン通信をやっていた人は「一部の人々」だったですね。アメリカのパソコン通信をやり始めた時、最初にアメリカにアクセスした時は感動しました。今では「あたりまえ」になっていて、感動もなにもありません。インターネットだって、最初は驚きの連続だったんですけどね。昭和33年どころか、つい10年ぐらい前なのに「あの頃は楽しかった・・・・」と思うようになっています。これは、僕が歳をとったからなのかも。

投稿: 真魚 | 2005年11月22日 (火) 00時04分

高島政宏はたしか漁師かなんかで、漁を終えたあと、パソコンを開いてゴクミのメッセージを発見し、連絡役をした、という程度で、ちょっとしか出てきませんでした。

>僕が歳をとったからなのかも。<

いつの世も「昔は良かった」となるなら、今の世の中を「何かおかしい」と危惧するのも、実は問題なかったりして。

でも、今の中高生やニートと呼ばれる若者はやはりおかしい。

投稿: robita | 2005年11月22日 (火) 12時58分

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