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2005年11月26日 (土)

はなやぎの27才

今から30年ほど前、同世代の友人知人の女性たちが次々と結婚を決めていく中、私はなかなか相手が見つからず、それでもとりあえず結婚相手にめぐり合うことを目標に毎日を過ごしていました。

25歳までは、お見合いなどしながら、適度に青春を謳歌していましたが、26歳になろうとする時、ちょっと不安な気持ちが湧いてきたのを覚えています。

25歳と26歳じゃ随分ちがう、あの頃はそんな滑稽な感覚も結構普通に受け入れられていました。
その時代でも、外で働き、着々とキャリアを積み上げている女性たちにとっては25だろうが26だろうがたいした違いはなかったでしょうが、「嫁にもらわれる」ことを選択した私のような者にとっては「若さ」は「売り」のひとつであり、「このまま売れないと商品価値が落ちてしまうよぉ」みたいなあせりを感じていたのだと思います。
なにしろ、大学生でも、ピチピチの新入生が入ってくると、上級生が「私たちおばさんは」などと自分たちを自虐的に呼ぶ時代でしたから。

毎日が不安でいっぱいであせりまくっていた、というわけでもありませんが、「このまま結婚相手にめぐり会わなかったらどうしようかなあ」という、軽くヤバイ、状態であったと思います。

そして26才、27才とあっという間に歳は重ねられていきました。

そんな時でした。カネボウ化粧品の広告だったと思いますが、「はなやぎの27才」というキャッチフレーズを女性誌で目にしたのです。

その輝くようなフレーズとともに、落ち着いた笑みを浮かべる大人の女性の美しい横顔が紙面を飾っていました。

「そうだ。そうなんだよね。もうガキじゃないんだ。大人の女性としてこれからが華やぐ時なんだ。あ〜、27才ってなんて素敵な年令!」と、目からウロコが落ちたようでした。

その広告コピーはそれ以来あちこちで見かけました。今考えればおそらく団塊世代という巨大市場をねらったものだったのでしょうが、その世代の女性たちを大いに元気づけたことだったろうと思います。

今という時代だからか、それとも生物学的にたしかに若くなったのか、27才を「年取った」という感覚でとらえることはもうありません。

おそらく10年、いやそれ以上、女性年令は若返っています。→「恋をしなければ生きていけない

あの頃の「27才」という感覚は、今なら「37・8才」ではないだろうか、と思います。

近頃の女性はほんとうに、より若くより美しくより賢くなりました。

変わっていく女性たちの後姿を見ながら、「女性よ、キミたちはいったいどこまで行ってしまうのか。」と、男たちは、一向に変われぬ自分を情けなく思い、一応は努力するがなかなか追いつけません。

「男は女を養うもの」という古びた価値観は捨て去らなくてはならない、と気勢を上げる女性たち。
一方で、過去の価値観を見直すべき、という復古調の動きも盛ん。

ああ、男はどうしたらいいのかわからない・・・・。


毎週日曜日の連続ドラマ「恋の時間」をご存知でしょうか。→「黒木瞳 最高!

主演の黒木瞳は、40代、未婚、仕事人間、気が強く、家事はダメ。
こんな女は男から敬遠されて当然、・・・・と誰もが思うでしょう。

でも、たまらなく魅力的なのは、歳を重ねたがゆえのその混沌とした人間性です。
男っぽいし女っぽい、やり手で人が好い、仕事はできるがそそっかしい、おとなだけど純情。そして最も大きな混乱は、結婚したくないけど結婚したい、これです、たぶん。

女性のこの年代というのはそれまで持ってきた価値観一本槍でなく、世間を知って色々なことがわかってくるのだけど、しかもまだ達観するには若過ぎる、そんな年令ではないのかな、とあのドラマを見ていて思いました。

「黒木瞳だから魅力的なんだよ」とも言えます。
そうですね。あの可愛らしさは見習ったほうがいいですね、見苦しくない程度に。

うじうじした専業主婦の妹より、人生を面白くしてくれそうな姉に魅力を感じる男性がこの日本に増えるとなんかいいね。


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