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2005年12月24日 (土)

怖い人

年末になると、休みの日に主人は家の外回りをきれいにしてくれる。
午前中いっぱい使って、網戸をはずしてごしごし水洗い、ガラス窓はホースで水をかけて洗い流し、玄関の靴箱の下までデッキブラシで掃除する。

私は家のなかで通常の家事やその他もろもろの年末仕事などやっているのだが、主人がガラス窓の内側やサッシの隅のほうまで雑巾でキュッキュッと拭き始めるとにわかに胃のあたりが痛み始める。

なんだか「汚いなあ。普段掃除してんのかよ」なんて言われてるような気がして。

してません。そこまで手がまわらないの、・・・なーんて言うのは勝手な言い訳。

専業主婦なんだから、もっと家事に命をかけて普段から隅々まで磨き上げなきゃだめなのよね。

いつも思うのだ。年末が近づくと、「彼が掃除始める前に普段やってないところを済ませとかなきゃ」って。

でも、あれよあれよという間に年末は押し迫る。まったく学習しない私だ。

主人はきれい好きだけれど、私に「汚いぞ」と怒ったりすることはない。でも無言の圧力はある、ような気がする。

私の父も几帳面な人で、それを家族にも強要した。私たちはしょっちゅう叱られた。「だらしのないヤツは人間のクズだ」と。

厳しい父に叱られ続ける母はさぞかし苦しかっただろうと思う。

でも父の言うことはまことにもって正しく、私たちは怖い父のおかげでなんとか自分を律する心を作り上げてきたのではないかと思う。

「怖い人」がいなければ人間のたがははずれてしまう、と思う。→「哲学の時間

私たちは怖い人がいなくたって長い人生経験が自分を作り上げていくのだと思いがちだが、子ども時代に「有無を言わせぬ強制」を受けることは必要なことなのかもしれないし、ありがたいことだったのかもしれない。
昔は怖い人がまわりに沢山いた。怖い親、怖い先生、怖い警官、怖い近所のおじさん。子どもたちは叱られることを恐れていた。

私は主人の無言の圧力が怖い。でも、だからこそ、しっかりしなきゃ、と自分を鼓舞できる。(その時だけかもしれないが)

すみません。こんなところで国家なんか論じてる場合じゃないのよね。
専業主婦は家を快適空間にするという大切な仕事があるんだから。

主人、今日ゴルフ。だから書いてます。

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コメント

うちも同じです!
オットの無言の圧力の怖いこと,怖いこと.(大声で怒られたことなど,一度もないのにねぇ.)
本人はその怖さを自覚していないので,余計に恐ろしい.

思えば実家も,同じような感じだったなぁ.

最近は,わたしがPCを開けていると,必ずなにかひとこと言うので,オットのいるときにはPCには触れません.

投稿: とと | 2005年12月24日 (土) 16時05分

>ととさん、

あはは、こういう家庭、多いんじゃないですか。

で、夫のほうも、どこかで妻のこと怖がってたりして。
お互いに怖がって、それが緊張感ある夫婦関係の極意てェもんかもしれません。

でも、ととさんはお勤めがあるけど、専業の私はすごく後ろめたい。

投稿: robita | 2005年12月25日 (日) 13時33分

「怖い」というのは、ヒトが持つ原始的な本能だそうですね。そしてヒトは、怖さから逃れ、克服し、自分を成長させるためにも、怖さというものを認識しているのだと思います。

子供の頃、私はとても臆病でした。だから怖い人に敏感で、怒られないように、目を付けられないように、小さなアンテナを張っていたように思います。
それが中学生にもなると、その怖さの元凶?であるその人個人に興味を持つようになりました。
「この怖いオーラを撒き散らしている人とは一体何なんだ?」と。
怒るのはともかく、人なのだから笑い悲しむことだってあるはずだ、とね。

投稿: いのっぴ | 2005年12月31日 (土) 13時29分

大人になり、充分過ぎるくらい図々しくなってしまうと、そんな「俺は怖いんだぞ」というオーラを出している人に聞いてみたくなります。
「他の人に怖れられていますよ」って。

でも聞くとね、「あ?俺のどこが怖いんだよ?!」と睨み付かれたりして。
「そういうところが怖いんだけどなー」
すると「俺くらい優しい男はいないんだけどなぁ」なんて返ってくることが多いのです。
まぁパンチパーマとかベンツのような威嚇的な道具を使い、意図的にしてる人は別にして、意外と「怖いと思われている人」は、少し声が大きいだけだったり、自己主張が人より強いだけだったりという事もあると思うんですよ。

だけど昔は、大きな声で何か言われるだけでも叱られていると感じた。怖い人がいたのではなく、自分の心の中に言い知れぬ不安と怖れがあったのではないか?と思うんです。

長くなってしまったので二回に分けましたー。

投稿: いのっぴ | 2005年12月31日 (土) 13時30分

>いのっぴさん、
なまはげの季節ですね。
なまはげに噛みつかれそうになってる子供たちの恐怖にひきつった顔がおかしいです。同時にPTSDになったらどうすんだ、という心配も頭をかすめます。

でも、子どもを教え導く時、「そんな悪いことすっとなまはげが来るぞー」というのは非常に有効ですね。
いのっぴさんの仰る「怖い人がいたのではなく、自分の心の中に言い知れぬ不安と怖れがあったのではないか」というのは子どもの頃のこんな怖い体験がものを言ってるのかも知れません。

投稿: robita | 2005年12月31日 (土) 21時03分

ごく小さい時には、なまはげとかオバケなんて有効ですよね。
でも、いつかはバレる。なまはげなんか作り物で、オバケなんていない。何故ならそもそも大人がその存在を信じていないから。

ヘルメットをかぶらないで赤信号の交差点を突っ切る若者のバイク・・最近とてもよく目にするんです。
彼らの幼児期になまはげはいなかったのか?オバケはいなかったのか?と思うと、いやいや、いたはずでしょうと思うんです。
そしてそんな若者の家にはすごく怖いお父さんやお母さんがいる可能性だって、あながち低くないと思うんです。

なんか突っかかってしまっているようでゴメンナサイ。そんなつもりは全くないんですけど。
ただ、最近の映画で「三丁目の夕日」とかの感想でよく言われている『昔は怖い大人が多かった・・』というのが、(そうかなぁ?)って思うことが多くて。

あぁ、また長くなっちゃいそうです。

投稿: いのっぴ | 2005年12月31日 (土) 22時25分

確かに昔は怖い人は多かった。だけどそこには畏敬とまではいかないまでも、ある程度の尊敬に似た思いがあったはずだと思うんです。

けれどもね、今は非常に情報量が多いんです。「うちのお父さんより隣のお父さんの方が立派なんだ」母親がそんな事を言う場合もあるし、実際に直接子供が体感する事だってあるはずです。
怖いお父さんが、実はそれが小心者の裏返し故の暴力だったとか、お母さんがキレるのは感情のコントロールがうまくいかないだけだったとか。
尊敬のない怖さから生まれるものは、疎外感だけではないと思いませんか?

日本は豊かになりました。
ですが、その豊かさに合わせた、人の情緒的成長には「怖さと優しさ」だけでは足りないと思うんです。

投稿: いのっぴ | 2005年12月31日 (土) 22時43分

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