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2005年12月14日 (水)

脳を操作

ととさんの記事へのコメント、長くなったのでこちらに書きます。

ととさんも、私のところにTBくださったBigBanさんと同じ誤解をなさってたんですね。
私はBigBanさんのブログで説明させていただいたのですが、ご理解いただけたかどうか。そんなに難しいことかなあ、私の書き方が悪いのかなあ、と思って「愛は力__絶望から這い上がる」の記事の最初の方に少し書き加えたりしました。

もちろん「愛」は一番大切なもので、人間は、愛を成就するためにこの世に出現させられたと私は思っています。
でも、健全な社会を形成する時に、それを手段にするな、と私は思います。

万人に愛は期待できません。

家族の愛さえあれば幸せになれるというならば、それを受けられなかった子どもはどうなるでしょう。

愛のない親に対して「愛せよ」なんて命令できないし、命令したってかなうものでもありません。

「愛は力」で言ったことは、むしろ、悲しさ辛さを引き受けなければならなかった被害者の側、また、戦争で愛する家族を失った人たちに適用される言葉だと考えてください、と言えばおわかりいただけるでしょうか。

どんなに辛い目にあっても、涙を拭いてもう一度立ち上がろう、と奮い立つ強靭な心は愛によって育まれるのではないか、と私は言っています。
だって私、世の中に悪い人がいるかぎり、悲しいこと辛いことは起きるもの、と思っていますから。

つまり、悲しみを「乗り越える力」は、愛が育ててくれるんじゃないか、と思うわけです。

別に、「だから愛にあふれた家族を作るべきなんだ」と力説しているわけでもなんでもなく、単に「愛は人の心を救う」という素朴な事実を淡々と述べただけのつもりなんですけどね。

この世には、殺人も起きるし、戦争も起きます。人間ですから。
そういうことが起きないユートピアなんてないんです。
そういう悲しいことは起きるものとして人間社会をとらえるしかないんです。

だから、人間はそれに耐え、乗り越えようとします。

また、異常行動を起こさせる脳内物質についても、
ととさんのコメント;
>こんなことは,ずいぶん前から言われていたことだと思っていたので<

もちろん、脳に何らかの原因がある、という研究はずいぶん前からされているでしょう。
しかし、そういう人たちに外科的処置をするべきだ、などということはおおっぴらには言えないのではないですか。それはロボトミー的な手術を意味すると思います。(外科的処置と刺激療法ではちょっと意味が違うかもしれませんが)

また、私の言う「国家体制の根本的建て直し」などという言葉にアレルギー反応を起こす人たちもまだまだたくさんいます。
「人権」だの「自由」だの「平等」だのを盾に変貌してしまった子どもたちを、国家体制の根本的立て直しなくして育て直すことはできるのでしょうか。
愛や思いやりや人間の自主性でそんなものをどうにかできるんでしょうか。もちろんみんながみんな愛や思いやりを持っていれば可能でしょうが、所詮人間ですから。

「諸刃の剣」と、私は書きましたが、人間はわがままなものです。国家が管理しようとすれば「権力の横暴」だと言うし、人権や自由が若者のたるみを招いていると思えば、もっと管理や監視が必要だ、と言う。
個人情報を保護しろとも言うし、保護するから犯罪者が野放しなんだと言う。
管理社会はだめだ、いや管理しなければ不安だ・・・。

もうすべてこんな具合で、あれもいやだこれもいやだ、と人間は言うんです。

やはり、信じられるのは身近の愛する人々でしょうか。

それにしてもASIMOは可愛い。

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コメント

横から論争を眺めさせて頂いて言える事は、私は今まで生きてきて、「愛」を求めていない人に出会ったことがありませんね、と言うことでしょうか。

愛は一つじゃありませんね。家族愛、恋愛、あ、ジャイアンツ愛も…人間は情を有するので動物と差別化されてるんですね、「愛」が無ければグレちゃう生き物ってことは事実。これ、意外と認めるのを嫌がる人いますよね。なんでかな。

求めた愛を授けて育てる愛に変えること。この並大抵でない努力を続けて来た/いる人々が社会を支えているのでしょ。今まで、その立場からの発言を憚らねばならなかったニッポン社会、やっぱりどっかヘンでした。

投稿: kaku | 2005年12月14日 (水) 20時48分

誤解ですか・・・.

多分,私の立ち位置とrobitaさんの立ち位置は違っているのでしょう.すごくすれ違っているような気がします.

BigBanさんとのやり取り,拝見させていただきました.私は,BigBanさんの言われることがよくわかります.共感できます.


>kakuさん

はじまして.横レスですみません.

私は,robitaさんのようなお考えで発言されている人の方が大多数だと感じています.発言を憚られるようなことはなかっと感じています.また,実際に愛を求め,愛を与え紡いでいく作業を,休み無く続けている人の方が圧倒的に多いと感じています.また,自分もその一人でありたいと思っています.

投稿: とと | 2005年12月14日 (水) 22時47分

>kakuさん、

日本人にとって「愛」という言葉の歴史はまだ浅い、ということが、もしかしたら「発言を憚られる」ふうな雰囲気にしてしまうのかもしれません。

>「愛」が無ければグレちゃう生き物ってことは事実<

その通りだと思います。
愛には仰るようにいろいろな形があります。
去年7月の記事「恋をしなければ生きていけない」(http://blog.livedoor.jp/robita_48/archives/4428712.html)に一つの例を書いたのですが、個人主義が進むと、子どものために自分を抑えるということがどうしても少なくなります。

でも、そういう流れを止めることはおそらくできないでしょう。
家族の形態が変わる、・・・それは人間の営みの変化としてとらえるしかないのかもしれません。

投稿: robita | 2005年12月15日 (木) 10時05分

>ととさん、

私はととさんの仰ることもBigBanさんの仰ることも理解しているつもりなんですよ。
そして、それが私の考えと違うとは思わないんです。
でも、ととさんは、「立ち位置が違う」と仰る。・・・うーん、どう説明したらいいのか。
私は別のことを言ってるだけなんです。
「愛は力」の主旨は「子どもの非行をなくすにはどうしたらいいか」ということではない、と言えばわかってもらえるのかなあ。

でも、ととさんが「すれ違っている」と思われるなら、私のほうがお二人の仰ることの意味を誤解しているのだと思います。
(続く)

投稿: robita | 2005年12月15日 (木) 10時08分

これ以上、私がごちゃごちゃ説明しても、余計こんがらがるだけだと思いますので、もうここらでおしまいにしましょう。
でも、たしかなことは、誰も常識はずれのとんでもないことを言ってはいない、ということだと思います。

>実際に愛を求め,愛を与え紡いでいく作業を,休み無く続けている人の方が圧倒的に多いと感じています.また,自分もその一人でありたいと思っています.<

ととさんは、間違いなくそういう人だと思います。

投稿: robita | 2005年12月15日 (木) 10時09分

ととさん、初めまして。もうこの話題は店じまいとの事なので話が広がらぬようコメントします。

robitaさんが「家族愛に基盤を求める」提唱したのは、少子高齢化で個人主義尊重の現代だからだと私は思います。昔のように家族単位が当たり前でびしっと家長主義が効いている社会ならばこんなことを言う必要は無かったでしょう。当たり前の様な事を言葉で聞く必要が、我々のニッポン社会にはあると私は思っています。

宜しければ、いつか、拙ブログへも遊びに来てくださいね。噛み付きませんて(^^)>

投稿: kaku | 2005年12月15日 (木) 21時33分

私の言いたいことはこういうことなんです。

家族の基盤がしっかりしていて、子どもに愛を与えることが出来れば、まず大丈夫。
でも、家族崩壊の時代が始まってもうずいぶんたち、いまや、現に育てている立場の親たちが既に崩壊した家庭の中で育ってきたという場合も多い。
それは家族崩壊の連鎖です。

こういう現象を、「愛」が大事だから「愛をもって子どもを包め」などと力説したところで、「はい、それでは愛しましょう」などと応じて一件落着とはならないわけです。

私が「愛」とか「思いやり」という「自主性」でどうにかなるものではない、と言ったのはそういう意味です。ととさんのブログで「ようやくここまでわかってくれる人が出てきたのか、という気がします。」と書いたのはそういうことです。
「自主性」がないからこういうことになっているんですよね。
(続く)

投稿: robita | 2005年12月16日 (金) 09時04分

もう、国家でどうにかするしかないんじゃないですか。
将来の「健全な親」を作るべく、「教育」の分野でどうにかするしかないじゃないか、と思うわけです。そういう国家目標を作らなくていいんですか、ということです。

「国家目標」なんて言うとまた怖がる人が出てくると思いますが、それならそういう人たちに聞きたい、なにか策はありますか、と。

それとも、家族崩壊は一部の現象で、おおかたの家族はうまくやっているのだから国家で導かなくても大丈夫ってことですか。それなら私もそんなに心配しないんですけど。
(私が心配しているのは子どもの非行や猟奇殺人もそうなんですが、ニート現象に見られるような「若者の無気力」です。これが進めば国力低下を招きますよね)

投稿: robita | 2005年12月16日 (金) 09時07分

そうですね…愛が何たるか、人の命を奪うことが是か非かと言うことから分解して一から考えるほど市民が「小利口」になってしまった現代。かと言って、昔のように「大衆愚民」で良いかと言われれば決してそうではない…

国力低下繋がりですが、最近、日中で東アジア内での主導権争いをしつつまたしても英霊が槍玉/切り札に上がってしまっている様で辛いものがありますが、そもそも日本がリーダーなんて無理。中国に任せておけばいいと思います。日本は着実に自己研鑽をすることで、結果的にオランダや英国の様な自立した国になることに必死になるべきだと思います。

投稿: kaku | 2005年12月16日 (金) 09時45分

>kakuさん、

>人の命を奪うことが是か非かと言うことから分解して一から考えるほど市民が「小利口」になってしまった現代。<

仰るとおりだと思います。
なんでそんなに理屈こねなあかんの、って感じ。

>そもそも日本がリーダーなんて無理。中国に任せておけばいいと思います<

「リーダーになる」ということかどうかわからないけど、貧しいアジアの国々のお手本になり、サポートしていくことは日本には無理なんでしょうかねえ。
中国にそれを任せるとなると、あの国はまず国体を変えないといけないんでしょうね。

(ついでですが、上の私のコメントに書き加えました。)

投稿: robita | 2005年12月16日 (金) 13時41分

robitaさん、こんにちは。

家庭の「愛」について、私は違う見解を持っています。
誰しも自分の子供は可愛いし、自分の親は(少なくとも子供の頃は)大好きなものです。
そこには理屈なんて存在しないし、教育されて根付くものではありません。

問題はその「愛」自体を誤解していることだったり、捻じ曲がってしまっていることだと感じています。

家族の基盤は夫婦です。
熟年離婚という言葉に象徴されるように、円満な家族に見えていたのにただの張りぼてだったという事が実際に多く起こっています。
仮面夫婦やバラバラの夫婦では、本来の役割を果たす家庭にはなりません。

今後は良いも悪いもそういうことは減っていくでしょう。

両親揃っていようが片親だろうが、愛されて育てば基盤がしっかりしてそうそう曲がる事はないと聞きます。

投稿: haru | 2005年12月24日 (土) 11時09分

続き

でも、親のほうは120%愛しているように思っていても子供の自尊心を粉々にしながら育てているという事もなくはないのです。

甘やかすと甘えさせるを混同して甘えさせないで育ててしまう事もあるだろうし、知らず知らず甘やかし放題になっている場合もあるでしょう。
だめな子供にしてやろうと思う親はきっといないと思うし、その方法が「間違って」いたり、「誤解して」いたりすることがあるのではないでしょうか。あるいは本当の愛を知らないということも。

わが身を振り返って子供達をちゃあんと愛してあげているかというとあまり自信がありません。
自分のことを愛せる、自信が持てる人間にする方法。
正解を知っている人がいたら教えて欲しいです。国が教えてくれるというならほいほい聞くのですけど。

結局、もがきながら自分と闘っていくしかないと思っています。

投稿: haru | 2005年12月24日 (土) 11時10分

haruさん、コメントありがとうございます。
読みながら書きたいことがあれもこれもとワーッと湧き上がってきたのだけれど、まとめるにはちょっと時間がいります。
たぶん来年。
必ず書きますから。
良いお年を。

投稿: robita | 2005年12月24日 (土) 14時41分

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