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2006年1月 9日 (月)

子どもはみんなで育てるもの

前エントリーへのととさんのコメント;
>haruさんやそのエントリーにコメントしていらっしゃる方々,もちろん私も,そんなことはわかっているんです.わかっているけど,瞬時に図々しくなれない自分がいるし,またそうできない空気というものを感じ取ってしまうのです.それで悩むのです.<

そうですよねえ。
haruさんへの返信文に「長くなるので」と書かなかったのを書きますね。

長男を育てていた時、社宅の育児仲間の他のお子さんとうちの子がおもちゃの取り合いをしたんですね。長男は腕力はだめなんだけど結構気の強いところもあって負けなかったんです。
でもその場の雰囲気で私は長男の手を叩いてしまいました。その時のなんとも言えない悲しそうな泣き顔を今でも思い出します。まるで「なんで僕だけ叱られるの」とでも言いたげな切ない表情でした。まだ1歳だったのに。後悔しました。
そういうことの積み重ねが子どもを気弱にするんじゃないかな、なんて思ったこともあります。

でも、あとで考えると育児仲間のお母さん達の雰囲気だなんて、私が勝手ににカン違いしていただけで、皆も同じように悩みはあっただろうし、みんなすごく良い人たちだったのです。今でもたまに集まれば昔に戻って楽しくお喋りします。
長男のちょっと押しの弱いところは私の子育ての結果なんです。
でもまだわかりません。ほんとに押しが弱いのかどうかなんて。優しそうに見えてけっこう底力を持ってるのかもしれないので、私はまだ楽しみにしています。

その頃の子育て仲間で、ものすごく強い女の子、Sちゃんがいました。
まさに傍若無人。友だちのおもちゃはひったくるわ叩くわつきとばすわ、子供たちもお母さん達も「恐怖のSちゃん」として警戒を怠りませんでした。もちろんその子のお母さんはそのたびにその子を叱っていたし周りに謝ってもいました。
それでも、みんな仲良く、よく集まっていました。
Sちゃんに辛うじて対抗できるのはうちの長男だけで、弱いくせに時々反撃していました。一度、痕がつくほど噛んだときには、こちらも平謝りでしたが、彼女のお母さんは実に寛容でした。
私は彼女と一番仲が良くなりました。ずいぶん年下だったけど。
Sちゃんとは、その後も時々会う機会がありましたが、勉学にスポーツに真面目に取り組み、3人姉妹の長女として家の手伝いも良くするとても良い子。医師になりました。
あのように手のかかる子というのは、それだけ、発信力も生命力も強いのかもしれません。
(これについては大事な言いたいことがあるけれど、別の機会に書きます)

>自分の子もよその子も関係ない、みんなちゃんと育てるんだっていう意識、皆が持てばすごい力が発揮できる。<

haruさんのこの言葉はほんとうに泣けてくるほど共感でき、私は、あの社宅の子育て仲間はすごくそれに近かったんだろうなあ、と懐かしく思い出します。

お母さん同士の息苦しさのみならず、子どものあたりかまわぬ振る舞いが周囲の大人たちのカンにさわり、睨まれる、というようなこともあると思います。

これらを、「無視する図々しさが必要」と私は言い、ととさんは、「それができないから悩んでいるんです」、と言います。

ととのいくじなし!あたしもう知らない!ととなんかもう知らない!・・・ってあたしゃアルプスの少女か。

私も経験してるからよくわかります。できないんですよね。

でもね、「その空気」と闘ってください。

「その厳しい空気」がないところなら私は生きていけます、っていうんじゃ、楽なら子育てしますが、苦労があるならしません、みたいじゃないですか。

そんなの口惜しいじゃないですか。

厳しいこと言いますね、私。

わかってるんですよ、お母さんたちが子育てがんばってること。苦労してること。我慢してること。でも、時々、「大変なの」って言いたいだけなんだよね。聞いて欲しいだけなんだよね。

私たちの時と同じです。みーんな同じ経験してるんですよ。

因みに私は、子どもの泣き声や走り回ること汚すこと、気になりません。こういうおばさんもたくさんいて応援してるから、頑張って。

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コメント

「ハイジ、こんちには、クララです」
なぁ〜んてね(笑)。もちろん、ととです。

なんかこの記事は、すごくあったかいですね。ほかほか気分になっています。

実は、私もこの時代の育児は通り過ぎていて考えていることはrobitaさんとそっくりなんです。カミングアウトしちゃうと、私は周りの空気を無視する人です(←すでにrobitaさんもお気づきと思いますが・・・"^_^")。周りの空気を感じとり、「でも自分は違う」と言ってしまう人なんですよね(-_-;)。
そういう自分なので、ひとつ気をつけていることがあります。それは、そういうことが苦手な人に「言っちゃえばいいじゃん」とか「無視すればいいじゃん」と言うこと。出来ないからしんどいと思っている人に、それを言っても追い込むだけだと思うから。

(続く)

投稿: クララです(笑) | 2006年1月 9日 (月) 13時22分

(続き)

私は今、子育ての次の段階にいると認識しています。この段階でも、母親にまとわりつく重い空気を感じます。短いコメント欄であえて書くなら、この空気感が、少子化を止められないひとつの要因でもあるかなぁ〜と思っています。

じゃぁ〜ねぇ!ハイジ。また来ます。
クララ(←もう、いいってば(*^_^*)

投稿: とと | 2006年1月 9日 (月) 13時23分

あけましておめでとうございます^^
面白く記事を読みました

投稿: ぐーたん | 2006年1月 9日 (月) 13時27分

追伸

ととです。さっきのコメント、一部訂正いたします。

私が周りの空気を気にしないようになったのは、二人目を産み、仕事をはじめてからでした。
それまでは、考え、悩み、壁に頭を打ち付ける毎日でした(大袈裟・笑)。でもそれも、今となってはいい思い出。今の自分に変化していく途中経過だったと思います。

投稿: とと | 2006年1月 9日 (月) 17時25分

>ととさん、
>私は周りの空気を無視する人です<

そうですね。
すごく強いというかマイペースというか、それでいて気配りが優れていて・・・って褒めすぎか(笑)。でもほんと。
文章だけでも人となりってわかるもんですね。

投稿: robita | 2006年1月10日 (火) 10時40分

>ぐーたんさん、
最近のぐーたんさんの記事読んでみました。

よく妻は夫に「どーしてわかってくれないの」とストレスをためますよね。
でも、夫が妻に「どーしてわかってくれないの」と不満をぶつけているのを見たことも聞いたこともありません。

世の夫はおおむね妻に満足していて、妻は一人で何もかも背負って夫に大きな不満を抱いている、ということの証しでしょうか。

記事「鬼嫁悪妻賢母」のコメント欄にどなたかが書いていらっしゃいましたが、「ブログで読むとぐーたんさんの気持ちは痛いほどわかる。これらをご主人に見せたらどうか」というものがありました。私もそう思います。

うちもそうだったんですが、男の人って気づかないですね。何も手伝ってくれなくても良い、わかってさえくれればそれでいい、という感覚がどうしてもわからないみたいです。

(続く)

投稿: robita | 2006年1月10日 (火) 10時44分

世の夫がみな極悪人というわけではないのだから、必死に訴えれば何か感じ取ってくれるんじゃないでしょうか。難しいかな。「やっちゃえばいいじゃん」って結構残酷な言葉なんですよね、ね、ととさん。

私は男の子を持つ母親は覚悟して育てるのがとりあえず大事かな、と思います。

そちらのコメント欄に書くには時間がたち過ぎているような気がしてこっちに書きました。

スキーを楽しんでこられたんですね。
私も短大時代スキー部所属でした。中学生の頃から結構あちこち行ってましたね。
この年になると骨折が怖いのでもう10数年行ってませんけど。

投稿: robita | 2006年1月10日 (火) 10時45分

ありがとうございます。
実は先のコメントの後、長いコメントを書いてしまい、上手に投稿できず断念しました。へへ。
この記事は今の私の実感として、伝わってきましたし、子育ての先輩からの言葉は嬉しく感じました。
以前は周りが気になり、良き母とは?と思っていましたが、今は自分の信念で子育てをすればよいと変化しました。ママ友がどうであろうと、私はこう思うでいいんだと。時代が変化しても躾、社会ルールを教えると言うことは変化してはいけないんだって。
だから、スーパーでこれが欲しいとどんなに泣き叫ぼうとも「だめなものはだめ」と放っておきます。が、案外周りの目は厳しくも無いものだと感じて来ました。
子どもが「みんなそうだよ」と言っても、私がだめなのだからだめで行こうと決めています。
「電車の中で化粧をしない子に育てる」が目標でしょうか・・(笑)
続く

投稿: ぐーたん | 2006年1月10日 (火) 14時32分

私の記事を読んでいただきありがとうございます。
夫婦の先輩として話が聞けたら、それはとても嬉しいことです。
何をどうしたら、どこに向かって行けば良いのか、未だわからずにいます。
ブログに書いたことを読んでもらえばと手紙を書こうかと思いましたが、こうなってくると夫は過去は過去だと嫌がるのではと思いました。過去ではなく未来に向かって夫は歩みだしてるんですよね。女は過去を清算しないと前に進めないと言うか(私だけ?)これからはブログで書くことを夫に表現していこうかと思います。それが解決策になるかどうかはわからないけど。
今回も、積もり積もったことの結果だから、簡単に「はい、終わり」といかないですね。少しずつ、自分を取り戻し、夫婦を取り戻すしかないかなあって。
スキー部だったんですねえ。
嬉しいなあ。。。

投稿: ぐーたん | 2006年1月10日 (火) 14時38分

>男の人って気づかないですね。何も手伝ってくれなくても良い、わかってさえくれればそれでいい、という感覚がどうしてもわからないみたいです。

スミマセン(笑)
確かにそうです。気付かない人は多いです。でもある意味、しょうがないと思うんです。

言い訳になってしまいますが、小さな頃から男はそのように育てられてしまいます。「男のくせに」「男の子なのに」そうやって心を堅くするように期待されてしまってるんです。

思春期になり女の子に興味を持ち始めた頃でも、「グイグイと引っ張って欲しい」という暗黙の期待、綿密なデートの計画、スマートなエスコート、そしてデートの費用を捻出するためのアルバイト・・。
デートから帰った時も、どれだけ女の子に気遣いが出来たかよりも、一日の計画に失敗がなかったか?そんな結果としての形を優先的に思い出してしまうわけです。

投稿: いのっぴ | 2006年1月11日 (水) 01時30分

続き

皆さんはわかっていらっしゃると思いますが、思春期の男の子の異性に対する興味や欲求は女の子の比ではありません。ですから、女の子の望むことをして好かれたい、と強く思っているのです。だけどその方法がわからない・・。
教科書や手本といえば、周りの先輩やデートの経験がある友人達です。しかし彼らは本当の女の子の気持ちに気付いているかというとそうではないんですね。

で、ここで「自分らしく」という言葉が出てくる。それは小さい頃から育んできた「男らしく」なわけですよ。自分は本当は男らしくなんかないんだけど、彼女のために男らしくあらねば、とスイッチを入れ直すわけです。

男らしくというのは単純に言えば勝つこと。都合の悪い事で負けを認めるくらいなら知らない振りをする。都合の悪いところで恥をかくくらいなら近寄らない。こうして体面を保つのであります。

投稿: いのっぴ | 2006年1月11日 (水) 01時43分

>ぐーたんさん、
>スーパーでこれが欲しいとどんなに泣き叫ぼうとも「だめなものはだめ」と放っておきます。<

これについて、ヒントになるある本の一節を思い出したのですが、いずれ書きます。

>「電車の中で化粧をしない子に育てる」が目標でしょうか<

私もそういったことを目標にしてきました。

投稿: robita | 2006年1月11日 (水) 11時28分

>いのっぴさん、
>でもある意味、しょうがないと思うんです<

私もそう思うのです。
女性の気持ちもわかるし男性の気持ちもわかる・・、だから、八方美人的にあっちにもこっちにも共感するわけです。

このことについて長々と書くことはありますが、これもまたいずれ、というか、今までこのブログで書いてきたこともその一部ではありますが、いつかまとめてみようと思います。到底きれいにまとまる話じゃないけれど。

投稿: robita | 2006年1月11日 (水) 11時38分

robitaさん

とっても久しぶりにrobitaさんのブログ拝見したら、
なんと懐かしさ満載の記事でした。
(注:実は私はその社宅に一緒にいました)

Sちゃんは確かに生命力あふれてましたね! 笑

でも、あの社宅での子育てが、
どんなに良い恵まれた環境であったかは
私も今振り返ってありがたく思っています。

もっと書きたいことあるのですが
今日は夜も遅いので
ただ「懐かしい」とだけ書いて終わりにします。

おやすみなさい。

投稿: naomi | 2006年1月15日 (日) 00時01分

気持ちがわかる・・というのはとても嬉しい事ですよね。
「わかって欲しい」これは男の私であっても思うことです。

けれども、この「わかる」で止まってしまってはダメではないかと。
私は正直、女性の事はあまりよく理解できません。出来ることと言えば「わかるよ」と共感することくらいかも。
だから自ずと興味は自分であり男性であったりします。
女性に「こうして欲しい」と思うより、男性に「そのように希望するなら、まずこうした方がいい」と言う方が簡単だからです。

「わかる」というのは、壁にボールを投げて、どのように跳ね返ってくるかを予想できるというもの。予想できるなら、多少面倒でも受け止め、もう一度投げ返してやろう、と。
こんなコミュニケーションを積み上げれば、人は必ず変わります。

投稿: いのっぴ | 2006年1月15日 (日) 15時02分

>naomiさん、
お久しぶりです。忙しくてHPの更新もなかなかのようですね。
でも、さっき見たら、新しい記事が。
貧しさと豊かさと、生きる意味と。永遠の課題ですね。
私は相変わらず出不精です(特に家事に励んでいるわけでもないのに)。

社宅でのこと、面白いエピソードがたくさんあって、書きたいことはいくらでも出てきますよね。
子育て終わった私たち世代が経験したことを次世代に向けて発信することは大事なことじゃないかな、と思います。

投稿: robita | 2006年1月16日 (月) 10時55分

>いのっぴさん、

私は、主人に抗議する時(昔の話ですが)、「あなただって私に言いたいことたくさんあるでしょ。不満があるなら言ってほしい」と必ず言っていました。でも主人は何も言いませんでした。私に不満がないというのでなく、男のさがとして、それは言えないようです。
妻は不満をぶちまけるけれど、男は不満があってもそれをうまく言えない、そういうことがわかってくると、私は「男ってつらいよね」と思うようになりました。
いのっぴさんは男性には珍しく、微妙な人の心の動きを分析する人なので、きっと夫婦間の話し合いもできやすいでしょうね。大多数の男性はそうではないし、また、そうでないことを責めるのも気の毒な気がします。
こういう話をしていても、女性は話に加わるけれど、男性はそもそも話に加わることさえできません。
(続く)

投稿: robita | 2006年1月16日 (月) 11時02分

>女性に「こうして欲しい」と思うより、男性に「そのように希望するなら、まずこうした方がいい」と言う方が簡単だからです。<

これはそのまま男性と女性を入れ替えても同じかもしれません。

>こんなコミュニケーションを積み上げれば、人は必ず変わります。<

むずかしいことですが、そう思います。
私がそういうことができてるかどうかわかりませんが、少なくとも主人との間ではそうなったように思います。

投稿: robita | 2006年1月16日 (月) 11時04分

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