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2006年1月16日 (月)

甘〜い抱擁

前エントリーのSちゃんの話;

育児仲間ではよく子どもを預け合った。
ある日Sちゃんを預かった時のこと。何かの拍子にSちゃんが私のひざの上に来たので、両手で抱いてやった。すると、Sちゃんはうっとりと私の胸に頬をくっつけて気持ち良さそうに目をつぶった。Sちゃんのそういう表情を私は見たことがなかった。
しばらくそうやってお互いに心地よい時間を共有した。

Sちゃんのお母さんが帰って来てからそのことを話すと、「私あんまりそういうことしたことないのよねー」と苦笑いしていた。
彼女はとても活動的な人で、生後6ヶ月にはもう母子スイミングスクールに通い始めていたし、あちこちの公園に通って次から次へと友だちを増やしていった。

のろまの私の何倍もの活動量で子育てをしていたからこそ、Sちゃんは知識を沢山取り入れ、他の子より早く成熟していったのだろう。

彼女はよく「なにのんびりしてんのよ。あなたがそれやってる間に私はこれとこれとこれをやっちゃったわよ」という具合に私をからかった。

私は感心するばかりだった。

Sちゃんの振る舞いについて、「Sちゃん、欲求不満じゃないの?」というようなことも育児仲間のあいだで遠慮なく語られることもあったように思う。そういうことが言えたのもSちゃんのお母さんを始めとするみんなの大らかさの賜物であったと思う。

ところで、「たまごクラブ」「ひよこクラブ」のCMだったと思うが、若夫婦と赤ちゃんが3人でリビングに寝転んで、ママが「ねえ・・、私って育ててあげてると思ってたけど、育ててもらってたんだ・・・」(こういうセリフかどうか定かではないが、とにかく、こっちが赤ん坊に癒してもらってる、という意味の言葉だった)とつぶやくのがある。実に気持ち良さそうに赤ちゃんと向かい合っているものだ。

忙しさで余裕のない時は、こういう、うっとり、ゆったりしたひとときはなかなか生まれない。

もう何もかもほっといて、幼児の温かさ、柔らかさの中に自らを委ね、蜜のような至福の時間を二人で心ゆくまで味わったらどうだろうか。

忙しいお母さんには難しいことかもしれないが、一日に一回、そういう時間があってもいいではないか。

両手でふんわり抱いてやる時の幼児のうっとりとした表情は母親の心を幸福感で満たす。それは相乗効果をもたらし、幼児の心も満たされていくのではないか。

「抱きしめてあげてください」などと義務的なものを奨励する「公共広告機構」のCMのようなやり方はちょっとどうかと思うが、それでも、抱きしめることの大切さを訴えたいのだろうとは思う。

当然のことながら、「愛」は考えるものでなく、自然に湧き上がる感情だから、「技術を修得する」みたいなマニュアル的なものは変だとは思うが、「愛し方がわからない」と迷う母親が現に存在するのであれば、「まずは抱きしめてやる」ということを教えてあげるのも一つの方策ではないかと思う。

「型」から入るということも重要だ。
抱きしめているうちに、何かが芽生えてくるかもしれない。

しかし、ここではたと考えるのだが、われわれの世代の親は果たして子どもを抱きしめて親子ともどもうっとりする濃密な時間など過ごしていただろうか。
今よりずっと貧しく余裕の時間などなかった時代の母親たちがいったいそんなことを、・・・とは思うが、たぶんそれに変わるようなことをしてくれていたのかもしれない。

そして私は、子育てにおける父親的、母親的、祖父母的など、まわりの大人たちの役割分担の意味についても、もう一度考えて見る必要があるのではないかと思うのである。

「高校が崩壊する」という本のあとがきにこういうことが書いてある。長くなるが引用する。

【今日の学校で起こっている問題と、今後の対応を考えるにあたって、こんなエピソードを紹介してみたいと思う。
場面はデパートのキッズコーナーで、ある幼い子供が若い母親に対して、「あれが欲しい!」と駄々をこねている。しかもそれは、その幼い子供が手がつけられないほどに暴れまわっているとか、「何で買わないんだよォ」と母親を罵倒するとかいうような、きわめて不愉快な光景である。そして、こういう場面でのこの種の母親の対応には、いくつかのパターンがあるように思う。
第一は、子供に遠慮しながら、「また今度買ってあげるからね」とか、「おうちに同じのがあるでしょ」とかいうように、なんとか言葉で説得しようとする。ところが、子供の側は「あれが欲しい」という自分の気持ちに折り合いがつけられず、ますます激しく暴れることになる。
第二は、「しょうがないねぇ、これでおしまいだからね」などと言って、子供が欲しがっているものを買い与えてやる。しかしそれは、問題を先送りにしただけで、つぎの機会には、その子供はますます激しく暴れまわり、母親を罵倒することになるだろう。
第三は、「いいかげんにしなさい!」などと怒鳴りつけて、子供を無理やり引きずったり、首の骨が折れるのではないかと思うほど激しく叩いたりする。それはしかし、「あれが欲しい」という子供の気持ちをますますかたくなにさせるだけである。
以上の三つの対応は、今日の学校でなされていることよく似ている。

つまり、第一は人権弁護士たちの対応で、そもそも言葉には限界があるということがわかっていないために、「だめなものはだめ」と示すことができないのである。したがって、、母親のさまざまな言葉によって、子供はますます自分の欲望をもてあますことになってしまう。
第二は改革論者たちの対応で、子供たちの欲望には逆らってはならず、すべて満たしてやらなければならないと考える。
そして第三は、今日において「子供の虐待」とか「体罰」とか言われている対応で、ここにおいては子供はたんに憎悪の対象でしかない。

そしてこの三つの対応において共通していえることは、親子の関係そのものがすでに壊れてしまっているということである。つまり、「あれが欲しい」という子供の欲望を、子供はもちろんのこと、母親もうまくコントロールすることができなくて、泥沼化してしまっているのだ。それはようするに、今日における学級崩壊とか学校崩壊の状況そのものである。
ある意味でそれは、日本が豊かになったことの一つの帰結なのだろう。つまり、豊かであるがゆえに、今日の子供たちは昔の子供にくらべて、より多くの欲望をもたざるをえず、それゆえに、その欲望のコントロールがむずかしくなっているのである。

それでは、このようにむずかしい時代の教育とは、どのようにあるべきなのだろうか。たとえば、この場面において、父親が近づいてきてその子供を抱き上げ、父親らしい口調で「だめだよ」と言ったならば、どうであろうか。多くの場合、子供はハッと顔色を変えて、泣きやむということになるのではないか。これはなにも、その父親が特別に厳しかったり、立派であったりするからではない。それはようするに母親とはちがう役割をもった父親であればよいのである。
そして、そのようにしてちがう役割の人が出てきてくれることによって、子供もまた自分の欲望に折り合いをつけるきっかけを見つけやすくなるのである。
そのような意味で、母親がこの種の役割ができるのであるなら、本当はそれは母親であってもかまわないし、事実、そういう母親を私はたくさん知っている。
そして大切なことは、今日においてもまだ、この種の父親や母親のような振る舞い方をする親が世間では多数派なのであり、そのような常識的な親たちは、くだんの若い母親のように事態を泥沼化させないだけの知恵をもっているのである。
そして、この種の知恵とは、特別な能力などではなく、まさに常識的な生活者の知恵とでも言うべきものなのである。

今日の学校問題を考える場合、この種のきわめて常識的な生活者の知恵というものを、よく考えておく必要がある。真理というものはいつでも、このように常識的で単純なものである。その単純な真理にたちかえって、学校という場に何を期待していくのかということを、よくかんがえなければならないだろう。当たり前のことであるが、自分の欲望をコントロールできなくていちばん苦しいのは、当の子供たちなのであるから。】_____以上引用終わり。


これを読んで、そんなに簡単に事が運んだら苦労しないんだよ、という人がいるかもしれない。
たしかに、それはそうである。
しかし、子どもへの対処の仕方の一つの基本の「型」として、心に留め置いてもいいのではないかと思う。

「真理というものはいつでも、このように常識的で単純なものである。」と、著者の喜入氏は言う。

たしかに、子育てにおいて、なすべきことというのは本当はシンプルなことなのかもしれない。
その「シンプルなこと」を実行しやすい社会であってほしい、と思う。

そういう社会はいったいどうしたら作れると思われるだろうか。

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コメント

こんにちは

振り返ってみると、私は母にゆったり抱いてもらったり甘えたりした記憶ってありません。母はべたべたするのが大嫌いな人でしたし、膝枕で寝ている小学生の子を見て「気持ち悪い」とよく言ってました。
「甘えるな」というスタンスがいつもあったように記憶しています。

引用の例ですが、ちょっとずれてる感じがします。(私の目の付け所もずれてますが)
幼児の駄々こねは必要なものであるという認識がまずないし、母親と違う役割の人って何だろう???
この場合、「だめなものはだめ」と絶対に買わないと同時に
「欲しい気持ち」を代弁してやるなり共感してやるなり最大限受け入れてあげて、本人が気持ちを立て直すまで待ってあげる、というのが私の中での基本の「型」です。

そして、この「気持ちを受け入れてあげる」というところが決定的に欠落している場合が多いのではと感じています。

投稿: haru | 2006年1月16日 (月) 15時29分

続き
「抱き癖」にしても「甘えさせるな」という認識は間違いな事が多いですよね。

とにかく形なんてどうあっても愛してあげてればそれでいいのよというのも一つの真理ではあるのでしょうが、ほんのちょっと知識があるだけでその力は何倍にもなるのかもしれないという事を考えると愛にも「技術」や「方法」があるのかもと思うのです。

子供のためを思ってやたら厳しくするのも子供の言うとおりにするのも愛があるからよしではありませんよね。

でも愛と躾の方法とは別のものとして考えれば良いのかもしれないな、と思いつつまとまりませんが終わります。

投稿: haru | 2006年1月16日 (月) 15時44分

母が「昔は忙しくて、今のようなべったりな育児はしてられなかった。だけど、子どもはずーとおんぶしていたから、背中からぬくもりを感じてたのよ。おんぶっていいのよ。」と言っててなるほどなあと思いました。母がいなくても、兄弟や近所の人など、誰か彼かいたものですが、今は正に「密室育児」母子べったり。これはいい面もあり、悪い面もあると思います。
それに、引用されていた話ですが、今は母と子だけでなく、第三者、父であったり、祖父母、または近所のおばちゃんでもの介在がないことが、こうした場面を上手く誘導できないのかなと思っています。母と子の感情を上手く流して抑えさせることができない。もちろん、母親がもう少し上手にできればいいのでしょうが、母親だってただの人間、そんなに立派にはできないでしょう。
(続く)

投稿: ぐーたん | 2006年1月17日 (火) 10時31分

娘を叱り、泣かせておくとき、他の誰かが「ほら、お母さんに謝りなさい」とか「お母さん許してあげて」とか声をかけてくれたら思うことがあります。が、今は隣近所の声が気になり、泣かせておくことができない。または、泣かせておいても母親が感情的になっていて引っ込みがつかなくなる。そんなことが多いのかなって。
娘のことで関連記事を書きたいと思います。

投稿: ぐーたん | 2006年1月17日 (火) 10時32分

はじめまして。思春期の子供が2人いる母親です。上のお二人のコメントを読んで気になったことがあります。それは幼児の駄々こねは当たり前という前提でお話されていることです。我が家の2人の子供は、ただの一度もやりませんでした。決して裕福では無いので、出かける前はよーく話して聞かせたのです。「欲しい物があっても今日は買えない。誕生日かクリスマスにプレゼントするから、ひとつだけ見つけておきなさい」と繰り返し言い聞かせました。よその子供が欲しいおもちゃの前で暴れ回っているのを観ると、おもちゃ以前に訴えたいことがあるんじゃないかと勘ぐりたくなります。母親は、あわてず、まず抱き上げてその場を去り、泣くのをストップさせてから優しく根気よくお話してあげれば、小さいながらも理解できるんじゃないでしょうか?もちろん日頃からそういう教育をしているのが大事ですが。

投稿: ねこっち | 2006年1月17日 (火) 18時48分

haruさん、ぐーたんさん、ねこっちさん、
コメントありがとうございます。
今日は書けないのですが、明日記事にしてみます。

投稿: robita | 2006年1月18日 (水) 09時11分

こんにちは。

ねこっちさんのコメントを受けて、私なりに考えをまとめてみました。良かったら読んでみてください。

投稿: haru | 2006年1月18日 (水) 14時10分

heruさん、丁寧にありがとうございます。こちらに書いたのでまたこちらで書かせていただきます。いくつか誤解があるようですが、我が家の2人は決して大人しい従順な子供ではありません。やんちゃなスポーツ小僧どもです。一度で納得などしてくれず、知恵の応酬でした。そのやり取りが楽しいあまり、わざと長引かせた部分もあるのです(笑)。今も我が家は漫才のような毎日です。人生で思うように行くことなど何ひとつありません。子育てもそう。だからこそ面白いのだとゆったり育てられると良いと思います。
もうひとつ、近所に比較的裕福なお家があり、子供の望む物が何でも与えているようですが、何故かお子さんたちは盗癖があります。欲望のコントロールは生涯を左右します。教育の最も大事な要だなぁと、そんなことを思います。

投稿: ねこっち | 2006年1月19日 (木) 10時08分

こんにちわ。
haruさんもぐーたんさんもねこっちさんも、基本的に同じことを仰ってるのだと私には読み取れます。

私も、子供の駄々こねについて体験談を書こうと思っていましたが、それより、ライブドアブログを使っているので、「ブログ消えちゃうのかなあ」と心配になってきました。
引越しってどうやってするのでしょう。別のサービスに申し込んで、その後は全部コピー貼り付けしまくるのかなあ。すごく大変そう。
どなたか教えてくださいませ。m(__)m

投稿: robita | 2006年1月19日 (木) 11時16分

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