大学生になるということ 2
誰も彼もが大学に進学するようになって以来、「なぜ猫も杓子も大学に行くのか。大学で特に学問に励むわけでもないのに。高校しか出ていなくたって、頑張れば生きる道はいくらでもあるのだ。」という論が常にある。
私もそう思う。レジャーランドと化した日本の大学に一応籍を置き、「ほとんど授業に出ず、雀荘に入り浸っていたが卒業した」などという軽口が武勇伝として自慢げに語られるのもありきたりの光景である。
特に研究したいこともないのに大学に行く、この摩訶不思議な日本的現象について、我が家の息子の例を挙げて少し書いてみる。
ネット上にあまり詳しく私生活を書くのは趣味ではないし、知らないところで題材にされる本人に対しても申し訳ないことではあるが、世間の狭い主婦としては、取材活動をするわけでもないし、多種多様な文献を精査研究する学者でもないので、身近なことを例とするしか論理展開の手段がないのである。
末息子、現在高校3年生17歳は、大の勉強嫌いである。努力することも面倒くさがる。
しかし、いい子なのである。
「知ってる人に会ったらきちんと挨拶しなさい」と躾けてきたせいか、近所ではすこぶる評判が良い。
「**くんはきちんと挨拶するわねえ」と褒められることが多い。愛想が良いというのではないが無骨ながら挨拶だけはしているようだ。
友だちにも恵まれているし、家庭でも明るく優しく、母のことを「クソババア」などと罵倒したりすることはない。
もちろん、思春期の少年らしい不機嫌さというものは時として現れるが、そんなものは近頃のキレやすくわけのわからない少年に比べたらどうということもない。
とにかく、これからも結構ハッピーな人生を送るだろうなあ、と予感させる「憎めないヤツ」なんである。
ただ一つ、勉強が苦手。
中学受験などは始めから考えていなかったし、高校を出たら、無理して大学など行かず、専門学校へ行くとか、何か手に職をつけるなどして生きる手立てを考えれば良いのだ、と私などは思っていた。
しかし、この日本はどうもそんな道を進むのがとてつもなく難しいしくみになっているらしい、ということに気づき始めた。
いや、たしかに、そんな道はあるし、その道を進んだって一向に構わないのだ。一生厳しいものを抱える覚悟があるなら。
私はこのことを、夫、長男、担任の先生に指摘された。
日本では、大学を出てさえいれば、そこそこの就職は期待できる。しかし、高卒の人間がどんなに苦汁を舐めているか、その世間の実情を知らないことを私は指摘された。
とにかく大学だけは出たほうがいい、と世間を知る男たちは口を揃えて言う。
しかも、近年、専門学校生などは、そんじょそこらの大学生よりよほど頑張るし、そこで何かを身につけるのは大学を卒業するよりはるかに難しくなっているとのこと。
たしかに、大学など出なくたって、何か技を磨き、誰にも負けない、と誇りを持てるものを身につけることができれば文句のつけようはないが、そのことがどれほど困難を伴うか。それほどの努力と忍耐ができる者であれば、始めから、なにをやっても成功する人なのだ、と。
「じゃあ、頑張ればいいじゃないか、死に物狂いで頑張ればきっと何かをつかむはずだ、自分が頑張るのがいやだから安易な大学でも入っておこうと言うのか」、と厳しい人々からお叱りを受けそうだが、そういうことは承知しつつも、これが、今の日本の大学入学事情というものではないだろうか。
私は、「負けん気」のある人もない人も、一生のうち何回かは、必死で頑張る時があるものだと思う。
でも、それはたぶん、人に言われてすることでなく、身のうちから自然に湧き上がるものだ。
何によって人はエンジンを始動させるのか。情熱に火がつくのか。
それは、「感動」、これに尽きると思う。
だから、私は子どもたちに本を読んでほしい。映画を見てほしい。テレビも見てほしい。いろいろな人とつき合っていろいろな経験をしてほしい、と思う。
辛いことだってあるさ。泣くことだってあるさ。
そういうたくさんの経験をして、ゆっくりでいいから大人になっておくれ。
手始めに大学とやらいうところに行ってみる、それでもいいじゃんか。 →(大学生になるということ)
親は、そのために身を削って教育費を貯めてきたのだよ。
文句あっか。
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