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2006年2月21日 (火)

熱くなる

末息子の受験、今のところ練習校しか受かっていない状況で、浪人が決定しそうな気配です。

私は実はこうなることは予想していました。

なぜなら、息子が受験勉強をしているのをほとんど見たことがなかったからです。たまに部屋を覗くとPCの前に座ってなにやら遊んでいた様子。ゲームをやっていたのでしょう。でも私は何も言いませんでした(ちょっとは言ったけど)。 勉強をやっているかやっていないか、そんなことは本人が一番よくわかっているはずです。

それで、ひそかに、ある本を取り寄せておきました。浪人が決まったらプレゼントしようと思って。

吉野敬介「だからおまえは落ちるんだ、やれ!」という本です。

暴走族から代々木ゼミナールの人気講師になった人で、何年も前に話題になったのでご存知の方も多いでしょう。

これには、「とにかくがむしゃらに勉強した」という自分の経験と、「合格不合格は、やるかやらないかの違いなんだ」という主張が始めから終わりまで書いてあるだけなんです。

同じ主旨の繰り返しに終始してるだけなのですが、不思議と飽きないし、いちいちそうだそうだと頷けます。読後は爽快。

それで思い当たりました。

これは、心の筋トレなんだ、と。

今、簡単計算や音読などの繰り返しトレーニングが脳の活性化に有効だと言われます。
きっとあれらと同じように、単純で同じようなことの繰り返しを吹き込まれることによって、心も鍛えられていくのかもしれない、と思いました。

この繰り返しを胸に刻むことによって、エンジンが始動し、熱くなっていく。
「熱くなる」ということが大切なんだ、と、この本は教えてくれます。

この先生は、暴走族の頃から、熱くなりやすかった。
バイクにも、喧嘩にも、掟を守らせることにも、恋愛にも、すべてに熱くなりやすかったのです。

だから、自分を振った彼女が大学生と楽しそうに付き合ってるのを見て「大学生がそんなにいいのかよ。よーし、やってやろうじゃん」と奮起したのです。

つまり「負けん気」です。

これがこの人は人一倍強かった。これが原動力です。

ところで、世の中は負けん気の強い人ばかりで成り立ってはいません。

「譲り体質」の人も「脱力系」の人もいて、そういうごちゃ混ぜで世の中は成り立っています。

しかし、それでも、生き残るためにはどんな人も一生のうち何回かは必死に頑張る時があるものです。(のほほん系の私だって二回ありました。受験じゃないですけど)

この本の中には、「頑張れない子」の例がたくさん出てきます。
そういう子たちに「熱くなること」の気持ち良さを体験させるにはどうしたらいいのか。モチベーションを上げていく、その機能を発達させるにはどうしたらいいのか。

私はやはり学校教育に期待したい。(これについては別に書くつもりです)

こういう子たちが、一生に一度だけでも死に物狂いで頑張ることができたら、それだけでも人生は意味があるよね。

   
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コメント

こんにちは。
自分も大学受験は昔に体験したことがありますが散々な結果でした。元々大した能力じゃなかったし、大した努力をしたわけじゃないのだから、当然のカタチに落ち着いたわけですが、それでもロビタさんの息子さんが在りし日の自分と重なってしまうようで読んでいて耳が痛かったです。
自分の場合は試験中に問題用紙とにらめっこをしている時だけ熱くなれた気がします。

息子さんの受験うまくいかれるといいですね。

投稿: コウイチ | 2006年2月23日 (木) 05時35分

>コウイチさん、
>息子さんの受験うまくいかれるといいですね<
ありがとうございます。
でも、それはないだろうし、また、そうなっちゃまずいんじゃないかと思います。

もし、何かの間違いで万が一志望校に受かったとしても、彼は、そんな「万に一つの僥倖」を頼りに、「何もしなくてもなんとかなるじゃん」といった努力のない人生を送ることになるんじゃないかと思います。
それ、まずいでしょ。
やっぱり、「奮起」してこそ、若さの価値もあるんだと思いますよ。

昨日の夕方、突如として「体動かしてないから。」と言って犬の散歩に出かけていきました。
出かけると言えば友だちとの「街中での遊び」しかしたことないのに、何か考えたんでしょうかね。
でも、まずは体を動かすことも大事なんじゃないでしょうか。

投稿: robita | 2006年2月23日 (木) 10時30分

robitaさん、

私は大学受験をしていないのでエラソーなことは言えませんが、赤ちゃんを育てていると、知識の習得とは「パターン(繰り返し)」の果てにあることがよく分かります。

始めは全く反応を示さぬ音楽でもTVでもダンスでも、同じ時間に同じ様に流していると、ドンドン反応するようになっています。最近では、自分で勝手にスイッチを入れてます(汗)。

結局、何かを成すには「持続性」であろうかと、思う次第です。悲しいかな、それもまた、才能ですが。

それでついでに私は思うんですよ、日本の「知性の可能性」を測る手段って間違ってる。もういい加減、「一発勝負」と言うのはヤメて、TOEFLやSATやGREみたいに、何度も受けて一番良い成績と論文を提出する方が実力は確かに現れると思います。

追伸 ほんと、このデザイン素敵!

投稿: kaku | 2006年2月24日 (金) 12時41分

>kakuさん、

子育てって苦労が多い反面、親のほうも色々なことがわかって、ほんとに面白いものですよね。

>結局、何かを成すには「持続性」であろうかと、思う次第です。悲しいかな、それもまた、才能ですが。<

そうですね。「持続性」を持つ人持たない人、いろいろありましょうが、持続性のない私もこの年になってもまだ、「持続性」を手に入れるにはどうしたらいいか、なんて日々悩んでます。

>何度も受けて一番良い成績と論文を提出する方が実力は確かに現れると思います。<

時間と費用の問題でそれができないんでしょうか。
記事で取り上げた吉野講師が、「受験勉強なんてくだらないんだ。そのくだらないものに全身全霊をかけて取り組むことに意味があるし、そのくだらないものなんか早く突破して次の段階に行かなければ人生の意味がない」というようなことを言っています。

一発勝負はたしかに不合理だとは思いますが、不合理な壁を乗り越える過程で心を鍛える、という精神論的なものがあるんですかね。日本人的とでもいいましょうか。

投稿: robita | 2006年2月25日 (土) 10時11分

>受験勉強なんてくだらないんだ。そのくだらないものに全身全霊をかけて取り組むことに意味があるし、そのくだらないものなんか早く突破して次の段階に行かなければ人生の意味がない

そうなのかなあ…私が学生時代一番苦しんだのはここです。
今、振り返ってみても、「若かりし私よ、キミは正しかった」と思ってます(笑)。

学部生と言うのは人間として哲学を理解する為に勉強するんであって、つまりそれはliberal artsと言う基礎/教養ですよね。精神修養はその土台に上がってからすりゃあいいのに、入り口を狭めるやり方はつまらんと思います。

robita次男さんなら、外国の大学(≠アジア圏)が良いかもしれませんね。入ってから自ずと鍛えられますし、意外とそれに乗れちゃうタフさがありそう。

投稿: kaku | 2006年2月25日 (土) 11時20分

ごめんなさい、robita末息子さん、ですね。

投稿: kaku | 2006年2月25日 (土) 11時23分

>精神修養はその土台に上がってからすりゃあいいのに、入り口を狭めるやり方はつまらんと思います。<

それもそうですねえ。

>外国の大学(≠アジア圏)が良いかもしれませんね<

あ、そういう選択肢もあったのか。
なんかいい響き。
ありがとうございます。

投稿: robita | 2006年2月25日 (土) 11時58分

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