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2006年3月10日 (金)

子ども時代 2

ゲームが大好きでそれを長時間やるからといって、普段の様子が目に見えておかしいというわけではない。夢遊病者のようにうつろな目で歩いているわけでもなく、とてつもなく変な子供があちこちに誕生しているかと言えばそんなことは全然ないわけで、そのことだけを観察すれば、たしかに、「ゲームで子供がおかしくなる」などということはない。

しかし、子供時代に仮想空間で遊んだがために、その分、現実世界でのぶつかり合いの経験が「割合的に」少ない、という事実は厳然としてあるわけだ。

それに、私には科学的に説明できないが、子供はなるべく太陽を浴びたほうがいいのではないか。

太陽が輝き、風がそよぎ、木々がキラキラしながら揺れているそんな時、部屋にこもってゲームに夢中というのは、たしかに不健康な感じがする。

子供時代の過ごし方の影響は、おそらくある程度の年、高校あたりからあらわれてくるのではないかと私は思う。

子供時代における子供ならではの体験の蓄積の少なさは、大人になってからの精神生活に影響するのではないか。あれも知らないこれも知らない、あれに感動することもないこれを不思議と思うこともないまま大人になるということはやはり良くないのではないか。

子供がみんなそうだというわけではない。しかし、一定程度の「仮想空間で暮らすことが好きだった子ども」が存在すれば、それは負の社会現象としてあらわれる。

たとえば、うちの次男で言えば、前にも書いたが陽気で憎めない性格が彼に幸せをもたらすだろう、ということは予測できるのである。

でもそれは、人間としての中身の充実の度合い、といったこととはあまり関係がない。

ねこっちさんは言う、
>せめて親が手を尽くして様々な場所に連れて行っては色々な人を見せたり、体験させてみたり<

記事に書いたボーイスカウトの親たちも、きっとそんな気持ちで子供たちにいろいろな経験をさせようと努力していたのだと思う。

そういう大人の努力が子供に通じないのだ。

しかしそれでも、と楽観的な私は思い直す。

ボーっとしたまま大人になる子供がいる反面、多くの子供は健全にちがいない。ゲーム三昧で子供時代を過ごしたからといって、みんながみんな空っぽになるわけじゃない。

私はいつも思うのだが人間は強かで健気だ。

ゲームに毒されている子供が多いからといって、人類は滅亡なんかしないのだ。

必ずうまい具合に調整され、立ち直る。

ゲーム業界で働き、それで妻子を養ってる人もいるわけで、腹は立つけど、考えてみれば人間社会は腹立たしい製品だらけなわけだし、これからも、優れたゲーム機やゲームソフトの開発に精を出していただきたい。「ゲームに殺意を抱いた」と書いたのはギャグのつもりじゃ。

うちの息子だって、中身はちょっと足らんかもしれないが、この先どうなるか心配だというわけではない。

コウイチさんは、子供時代ゲームに嵌っておられたそうだが、かなり中身が詰まっているとお見受けする。ブログが面白い。

うん、心配いらないさ。
お母さんは子供においしくて栄養のあるものを食べさせていれば、大丈夫、子供はヘンになりませんて。

おいしくて栄養のあるものが食べさせられない事情を抱えている場合は、慈愛のまなざしで子供と接していれば大丈夫。

子供に慈愛の気持ちが持てない人は、・・・・・難しい問題だ。

しかし、悩めば必ず道は拓ける、と心得るしかない。

いっそのこと、友だち感覚で一緒にゲームしたり漫画読んだりして、感想を述べ合い感動を分かち合ったらどうだろうか。

昨夜、珍しく次男が夕食後居間にとどまり、こたつに入って一緒に「たけしのアンビリーバボー」を見た。

20年前の大島三原山噴火に際しての住民脱出劇だ。

息子、「(こういうことができたのは)普段から、地域住民が家族みたいにつながってるからなんだね」なーんて言うんだ。

母はこんな些細なことでも喜ぶ。

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コメント

こんにちは。先日あのような書き込みをしましたが、現実にはほとんどのゲームを子供たちといっしょにやっている私です(笑)。最初は心配のあまり首を突っ込みました。それでもやはり心配は止まりませんが。親とは心配するのが仕事なのでしょうね。
先日のTVタックルで、東シナ海の石油田開発のことを取り上げていました。その際海自の言葉で「現場の自衛官、将校に聞くと、彼らは覚悟を決めている。私達は、その後殺人罪で起訴されようとも~」というコメントを聞いて「何て立派なんだろう」と2人とも涙をためていました。まぁ、許してやるか、というのが私の心境です。なんて書いてもやはり心配…(笑)。


投稿: | 2006年3月10日 (金) 10時34分

上の書き込みに名前を入力し忘れました。ごめんなさい。

投稿: ねこっち | 2006年3月10日 (金) 22時08分

先日、テレビで脳の活動をしていたのですが、編み物は手先を動かすだけなのに、前頭葉が活発に活動し、ゲームは全く活動してませんでした。ゲームと前頭葉の発達の関係はまだ解明されていませんが、これが解明されれば、キレル子どもの原因もわかるかもしれないと、研究者は答えていました。
のめり込む子どもとのめり込まない子どもがいて、また、ゲームに没頭する年齢によっても変化があるのかもしれません。が、自然を感じられない子ども(人)はやはり可哀相かなと私は思ってしまいます。それは私の感覚なので、そんなものはどうでもいいと言う人もいると思います。ま、なるようにしかならないのが、自然の摂理でもあるので、ゲームで育った子どもも自然に変化をして行くのでしょうね。早寝早起きがいいとか、好き嫌いが無くいろいろ食べるのがいいとかと一緒で、ゲームも程々が良いということでしょうか。

投稿: ぐーたん | 2006年3月11日 (土) 00時15分

>ねこっちさん、

>体力と同じで知力も感性も実経験を繰り返しながら訓練しなければ身に付かないと、私は思っています。いくら「いのちを大切に」とスローガンを掲げたところで、訓練されていなければ思いやりの心など生まれはしないのです。現実とバーチャルなものとの区別もつかず、自分の頭の中身だけが正しいと思いこんでしまうことの危険さは
言うまでもないでしょう。実体験の乏しさは、もっともっと
おそれても良い問題だと思います<

前エントリーのコメントで書いてくださったこの言葉、大いに共感しました。


>先日のTVタックルで、東シナ海の石油田開発のことを取り上げていました。その際海自の言葉で「現場の自衛官、将校に聞くと、彼らは覚悟を決めている。私達は、その後殺人罪で起訴されようとも~」というコメントを聞いて「何て立派なんだろう」と2人とも涙をためていました。<

お子様はおいくつですか。
一緒にテレビを見られるんですね。
私は親子がそういう時間を共有できるのが幸せなことだと思います。
今はあまりそういうことはないけれど、お笑い番組や漫画の好きな私は、よく子供たちとそういう話で大笑いしてました。
「おっかない役」は主人に任せてます。ずるいけど。

投稿: robita | 2006年3月11日 (土) 10時22分

>ぐーたんさん、

>先日、テレビで脳の活動をしていたのですが<

養老孟史とTOKIOの番組かな。私も見ました。
あの番組では、日本人は昔から身の回りの自然を感覚的にとらえてきたが、現代ではそういうことが激減している、というようなことを言っていました。
すごく面白い番組でした。

>そんなものはどうでもいいと言う人もいると思います。ま、なるようにしかならないのが、自然の摂理でもあるので<

つきつめて考えていくとそんな風に思うようになっちゃいますね。

投稿: robita | 2006年3月11日 (土) 10時24分

子供は遊びの天才だって言いますよね。どんなことでも遊びにして楽しんでしまう。それは何もないところから何かを生み出す行為だと思うんです。で、その土壌には「退屈」があると思う。

でもゲームってそれなりにクリアしさえすれば楽しいように面白いようにはじめから設定されているものですよね。自分で苦労して楽しみを開発したりしなくっても楽しいことを提供してくれる。「退屈」せずに済む。幼い頃からゲームにならされてしまえば、意欲的に何か自分からしようって気がおきなくなっちゃうのも仕方ないかなって思います。

ゲームと脳の関係がどうかって言う事は置いておいても、少なくとも発達途上の子供に積極的に与えるのは避けたいんですよね。
とはいえ、安易に外で遊んでおいでといえない昨今、友達と遊ぶ手段がゲームに限定されてくるというのも避けようのない現実だったりします。子供を誘惑する罠はあちらこちらにありますし、親の努力など無に等しいのかもしれません。


投稿: haru | 2006年3月11日 (土) 13時04分

こんにちは。
小学生がふたりいるのに、うちにはゲームがありません。
私は自分の趣味に耽溺しがちな人間ですので、一回与えてしまうと、自分の時間確保の為に使ってしまいそうで怖い。ゲームをやらせていると、ホントに手が掛かりませんもんね…。時間制限が必要なのに、自分はきっと大人しいのに安心して、何時間でもほったらかしてしまいそうで。なので買わない、恐ろしくて買えない。

我が家はゲームが無い分、あちこちに出かけたがるし靴は一ヶ月持たないし、子供部屋には漫画が山積み(普通の本はあまり読んでくれない)、ジグソーパズルが散乱し、うっかり裸足で歩くと、プラモデルの破片が足に刺さります。子供に我慢させている分、親も忍耐を強いられる。自業自得ですが。

田舎なので遊び場には困らないし、町内殆ど知り合いという環境なので出来ることではありますが。だけど、早く大人になって欲しい、静かな生活がしたい!

自分勝手な親です、はい(笑)。

投稿: multivac | 2006年3月13日 (月) 08時12分

>haruさん、
仰ることはすごくよくわかります。
違う観点から、今日の記事書いてみました。

投稿: robita | 2006年3月13日 (月) 10時31分

>multivacさん、
お久しぶりです。
「ゲームを買わない」というのも一つの道だと思うのですが、大抵の場合、ゲームを持っている友だちの家をはしごしたり入りびたったり、という事態に陥りがちですよね。それで、そのお宅にご迷惑じゃないかと、いっそのこと買っちゃったりするわけです。
今、家庭のポリシーを貫くことは非常に難しい時代ですね。

私は次男が小学校一年の時、ゲーム機を隠したことがあります。
二日間ぐらい狂ったように怒りまくりました。禁断症状です。
学校から帰って来てゲーム機がないことを本当に悲しんで辛がっていました。まるで大事な大事な愛するものから無理やり引き離されたかのように。

私は「たかがゲーム」とは思いませんでした。誰だって大好きなものを取られたら苦しいに決まっています。
だから、私も本当に辛かった。でも、話してもわからないのなら、こうするしかない、と思いました。

三日目ぐらいからでしょうか、あきらめたのか、だんだん落ち着いてきて、外遊びの時間が長くなって来ました。毎日毎日いろいろなところへ行って、捨てるに捨てられないヘンなものを拾ってきたり、怪我も多くなりました。ゲームのことはいっさい言わなくなり、私は「脱却」に成功したと思いました。

腕白坊主たちの仲間もでき、2ヶ月くらいたった頃だったでしょうか、もう大丈夫、と思って、時間制限を厳しく言い渡した上、ゲーム機を再び居間に置いてやりました。

でも、だめなんですね。外遊びの楽しさを知れば、ゲームは二の次になるだろうなんていう考えは甘かったんです。

もうこれはアルコール中毒と同じだと思いました。

もちろん、中学高校と進めば、関心ごとはいろいろ広がるし、年がら年中頭の中はゲームでいっぱいというわけではなく、人格形成や生活面で事態が深刻だというわけではないのですが、ただ、せっかくの子ども時代が、ああもったいない、この一言に尽きます。

mutivacさんのお子さんたちはゲーム機をほしがらないんですね。
お友だちもゲーム機持っていないのかなあ。

でも、少しはゲームの楽しさも味あわせてあげたいなんて思いません? なんて。あはは、こういう甘さが私のだめなところで。

投稿: robita | 2006年3月13日 (月) 11時09分

いえいえ、欲しがりますよ。でも買ったら、彼らの性格からみて中毒になるのは目に見えているので。友達の家ではやっていますが、小さな学校で親子共々皆顔見知りなので、親同士示し合わせて一時間ゲームをしたら外に追い出すことになっています。(これも田舎ゆえのメリットかな 笑)

大人になって自分で買うのは構わないけれど、今のうちはうるさくても怪我しても買ったばかりの服を破っても、今しか出来ない経験を積んで欲しいな…と思っています。

でも、成人後に反動でゲームキチになって引きこもったらどうしよう?と恐ろしいことも考えてしまうのですが。たまにはガス抜きにゲームセンターにでも連れていくべきか。

投稿: multivac | 2006年3月13日 (月) 14時25分

>multivacさん、

>小さな学校で親子共々皆顔見知りなので、親同士示し合わせて一時間ゲームをしたら外に追い出すことになっています。(これも田舎ゆえのメリットかな 笑)<

いいなあ、田舎は(笑)。

>成人後に反動でゲームキチになって引きこもったらどうしよう?と恐ろしいことも考えてしまうのですが<

心配ないでしょう。
充実した子供時代を過ごしていることで、何があっても軌道修正が比較的楽ではないでしょうか。

投稿: robita | 2006年3月15日 (水) 11時03分

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