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2006年3月13日 (月)

私、甘いですか?

前エントリーのコメントで、haruさんは仰います。

>親の努力など無に等しいのかもしれません<

私ね、悪い誘惑から子どもを引き離そうと努力するより、親子で会話ができる関係にすることが大事だと思うんです。

こんなに自由で豊かで誘惑の多い今の世の中だから、それらのものから遠ざけようとすることのほうがずっと難しい。

「お母さん大好き」、こんなふうに思う子どもは「お母さんを悲しませるようなことはすまい」とどこかで思うはずです。

「ねえ、ちょっと真面目に聞いて」と子どもに持ちかけて、子どもが耳を貸すような関係を作るのって、禁止事項を課すよりは簡単じゃないかと思うんです。

子どもが「あれがほしい、これがほしい」とねだる時、思いとどまらせるのは簡単なことではないけれど、それ以前に母子が愛し合っていると、比較的やりやすいと思います。

母子の愛だとか絆だとか信頼関係だとかいう言葉を持ち出すと、きれいごとだ、それこそが難しいのだ、と言われてしまいますが、これだけは説明のしようがありません。

母親の本能がなせるわざだ、としか言いようがありません。

現代では、あまりべったりの親子関係は批判の的です。突き放すぐらいの関係がさっぱりして良い、などと歓迎されます。

でも、私はこう思います。

お母さんは思いっきり子どもを可愛がればいい。それは一緒に過ごす時間の多い少ないではなく、濃密さの問題です。

それは子どもがべったりを嫌がる年令まで続いていいと思います。

あとは、思いっきり突き放せばいいじゃないですか。
中学生になってもべったりは気持ち悪いし。

haruさんもご自分のブログで仰ってますよね。

幼児期はできるだけ気持ちを受け止めてやるのが良いって。→ http://blogs.dion.ne.jp/harupoem/archives/2921289.html#more

それはほしがるものを何でも与えるということではもちろんなく、可愛がる、気持ちを汲んで受け入れてやる、ということだと思います。

私は実際、子どもが可愛かったのでものすごく可愛がった。
甘やかし、と見られたこともありましたが、今、彼らはわがままでもないし、思いやりもあるし、ごく普通の人間です。

町で見かける母子にも色々います。

このお母さんは子どもが好きなんだなあ、可愛がってるんだなあ、という人もいれば、なにもそんなに邪険にしなくても、と子どもが気の毒になる場面にも出くわします。→「子どもの人権」 

今の世の中、親の自己犠牲のもとに子育てを優先する、というのはなかなか難しいけれど、子どもの成育環境と人間形成には因果関係はあるはずです。これは今も昔も変わりません。

子育てにマニュアルなどなく、親の勘や本能に拠らなくてどうして子を慈しみ育てることができようか、というのは誰が何と言おうと真実です。

でも、今は、忙しすぎる親たちのために、まわりが体制を整えなくてはいけない時代なんです。

親の足りない分は、祖父母や地域社会や学校が補完するべきだと思います。

いや、むしろ、昔は普通にそれがなされていたのかもしれません。
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コメント

たびたびすみません。
ゲームを与えるのって時期があると思うのです。
私はせめて、小学高学年からかなと思っています。
おそらくその前に与えてしまうと、脳が洗脳され、正に中毒になってしまうのかなと思います。
また、高学年までの間は、子どもも親の方を見ていますから、親も子どもとのコミュニケーションがとり易い。だから、セッセとコミュニケーションをとるべきだなと思う。でもなあ、私、親と遊んだ記憶ってあまりないんですよね。それより、友人と遊んでいたと思う。遊びでなくてもいいんですよね、勉強でもいいし、食事でもいいし、旅行でもいいし、何でもいいから、親子で対話をするということなのかな?
低学年の間は同じゲームなら、トランプとかオセロとか囲碁とか、そんな遊びをさせるので十分だと思うんです。
このゲームに対する意見って、子どもがいくつの時か、いつからかを言わずに話をする気がするんですよね。

投稿: ぐーたん | 2006年3月13日 (月) 13時10分

無に等しいかもしれないなんて書きましたが、あの手この手で小学校のうちくらいまではなんとか阻止する気満々です。

ぐーたんさんが言われているように、私も10歳くらいまではやめときたい派です。アルコールと一緒で、中毒になる危険性のあるものは年齢制限いるんじゃないかななんて思ってます。

今、テレビもまったく見せていないのですけど、子供達は別に我慢してるって訳ではないみたいです。
が、親にかなり絡んできます。夕方、子供向けの番組をやる時間になって誘惑と戦うのは親のほうだったりします。休みの日ともなると夫からのプレッシャーもあり、時には私だって見たい番組もあるし、かなりの葛藤があります。

それでも、子供のためを思って歯を食いしばって頑張ってるんです。(かなり大げさ)
でもそんな努力なんてそのうち吹っ飛ばされてしまうのだろうな~って。コンセントの場所とスイッチの場所を知られてしまえばそれまで。
そうなればそれは仕方ないかなって思います。

しかし、です。もしテレビを見せないという選択をしていなければ、こんなに子供達に絵本を読んだり一緒に遊んだりしなかったでしょう。仕事から帰ってテレビに子守させつつ忙しく家事をしてテレビ見ながら食事してテレビドラマに夢中になりながら子供の話を聞き流しって事になってたと思います。そんな生活を続けていたら、子供達も親と話をするよりもテレビのスイッチを入れるようになる・・かも。

これって特別なことじゃないですよね。日常の些細な「仕方ない」が積み重なって流れていく普通の光景じゃないでしょうか。

そういう意味で、会話する親子の土壌を作る事と、多くの罠から子供を守る努力をすることは時に同義だったりするのではないかなと思います。


投稿: haru | 2006年3月13日 (月) 18時32分

>ぐーたんさん、

そうですね、与える時期は大切だと思います。
でも難しいのは、複数の兄弟がいる場合ですね。
うちは長男が中二の時にゲーム機を買いましたが、末っ子は幼稚園でした。
お兄ちゃん達がやってるのに、君はダメ、というのは不可能だったなァ・・・。

投稿: robita | 2006年3月15日 (水) 10時42分

haruさんのお宅では、テレビも禁止ですか?
厳しいですね。でも、その分、本を読んであげるとか、他の遊びに興味を持つのなら有意義だと思いますが。
私は子供が小さい頃からテレビは見せていましたが、食事の時にテレビつけっぱなしというのがすごくいやでした。
でも、テレビがなくては生きていけない主人はどうしてもつけてしまいます。
私もそのうち、家族でテレビに笑い、なんだかんだ突っ込みを入れながらご飯食べるのも、ま、いっか、になってしまいました。
うちはそれでも、家族で会話があるほうだと思います。

テレビを見るから家族の会話がなくなるんじゃなくて、やっぱり、別問題だと思うんですよね。

投稿: robita | 2006年3月15日 (水) 10時55分

>子育てにマニュアルなどなく、親の勘や本能に拠らなくてどうして子を慈しみ育てることができようか、というのは誰が何と言おうと真実です。

同感です。言葉が達者で無いコドモは、びっくりするほど全身全霊で己の意思を表現しますね。とにかく真っ直ぐ真摯に見つめること、これが一番大切。片手にマニュアル本を持ちつつナナメ観察、このパターンが多いように思います。


>でも、今は、忙しすぎる親たちのために、まわりが体制を整えなくてはいけない時代なんです。

親の足りない分は、祖父母や地域社会や学校が補完するべきだと思います。<

私もそう思ってました。でも…体制を整えるのは自分達がやるべきことなのではと最近思います。地域社会がやるべきは、やはり「介入」「口出し」ではないでしょうか。

「うちの子の教育に口出さないで!」なんてほざいたら、「たわけ、おぬしは誰のお陰でこの世に生まれたのじゃ」とか「バカモン、アタシの税金使ってんのヨ、有意義に使いなさいよ!」と言い返しましょう。

投稿: kaku | 2006年3月15日 (水) 11時32分

>kakuさん、
おー、kaku節全開。

こういったことを伝えるためにも、ぜひとも主婦の硬派ブログを広めてまいりましょう。

投稿: robita | 2006年3月15日 (水) 11時40分

そうですね。確かに兄弟が居る場合は難しいですね。
だけども、お兄ちゃんやお姉ちゃんはその年になるまでガマンしてやっとできるようになったのだから、下の子もガマンして然るべきだと私は思っています。もちろん、見ているだけと言うのは大変だとおもうので、上の子にも下の子が居る時はしてはいけないと約束させるべきでしょう。
なんて、今は一人しかいないからそう言うことが言えるのだと思いますが、もし兄弟ができたらそうした心持で行きたいなと思っています。ゲームに限らず。
私は長女なので、随分ガマンさせられました。下の子はやはり甘やかされる。だけど私の親は上の子にガマンさせた分は下の子にもガマンさせるようにしていたと思います。だから、親が下の子に甘さを見せても許せたし、私は下の子を可愛がることができたように思っています。
テレビのマンガの光が子どもに悪いと言われるようになったように、幼児のゲームは悪いと言うのが一般的になってくれるといいなあと思う今日この頃です。
それよりも、自分がのめりこむのが怖いというのがあるのかもしれないです。

投稿: ぐーたん | 2006年3月15日 (水) 13時04分

>ぐーたんさん、
>上の子にも下の子が居る時はしてはいけないと約束させるべきでしょう<

あー、たしかにそうですよねえ。
なぜ、私はそれをしなかったのか。
一つ屋根の下で、その綱渡りのようなコントロールを怠ったのです。
もっと真剣に取り組まなければいけませんでした。

>自分がのめりこむのが怖いというのがあるのかもしれないです<

やはり、ゲームは魅力的なのだと思います。
私、知らなくて良かったあ。

投稿: robita | 2006年3月15日 (水) 13時21分

完全にメディア情報なんですが、あまり子どもが外で遊ばなくなったっていう話もききますし、ゲームによる影響もいろいろあるのかもしれないですね。

僕が子どもの頃は同年代の子どもがたくさんいたし、田舎だったので夏休みになれば早朝からクワタガやカブトムシをとりにでかけ、昼になるとザリガニ釣りに出て、夕方になると空き地で鬼ごっこで夜になって寝るまでゲームかテレビなんてことを繰り返していましたが、最近はあまり外で子どもの声も聴かなくなりました。子どもが少なくなったのと、それに伴い、一人で遊ぶ子が多くなったのかもしれないですね。

投稿: コウイチ | 2006年3月15日 (水) 21時13分

haruさんとrobitaさんのTV関連のお話を読んでいて思ったのですが、これって、親と言うかハハにとっての「ツボ」の違いですよねー。

例えば私の場合「パターン」にツボがある。コムスメがまだ半年にも満たない頃から、寝る時間は絶対「20時」を死守。お昼寝時間もお風呂時間も、しかり。5分でも過ぎるともう気になって気になって。イライラさえしてくる。お陰で、B型一家のダンナの実家に行くと「この子(つまり私)は神経質だから」と言われてます。すまん。

だからうちはTVも毎日見せてますが、平日はいつも同じ時間(土日はパパがいるので別枠)。「絶対見せない!」と言うママも確かにいますが、こどもチャレンジのDVDは見せたりしてるのでそれ、どーなの?と思ったりもする。ってゆーか、NHK教育、親の私が面白くて…

結局、TVもゲームもけじめの問題じゃないかなと思います。中学生時代、事情があって引きこもっていた子が、当時珍しいポケットコンピューターを母親から渡されて、その後、若くしてロボット工学博士号取った人を知ってます。

そう、どうせやるならボーっとやるな、ゲーム作るぐらいに真剣にやれ!だいたいオトコのボンヤリ背中丸めた姿はsexyじゃないぞ!と、私は思う。

投稿: kaku | 2006年3月15日 (水) 21時43分

確かに別問題だとは思いますよ。すべては自分次第、心がけ次第だとは思います。kakuさんがおっしゃるように、けじめの問題です。

本当は決まった時間って言うのが一番良いのかなとは思うのですけど、ついてるテレビのスイッチを切るよりも、まったく見せない方がずっと楽なので…これはけじめの教育をちょっとさぼってるって事かもしれません。

テレビなんてなくっても子供は平気です。見せないことは簡単なんです。大変なのは暇をもてあました子供達と向き合うことです。テレビがなくて厳しいのは実は大人のほうです。

私にとってはこれ強制ギプスみたいなもので、無理やり子供と向き合わざるを得ない状況を作って、過ごしていくうちに、だんだん慣れてそれが楽しくなってきたんですよね。子供とゆったり過ごすだけの時間が楽しいし、そうなると可愛さが増してきたというか。

それも自分の心がけ次第ですが、私は元来怠惰で自分本位の人間なのでありのままでいると小さな誘惑に連戦連敗になりがち。こうやって形から入るのも悪くないかなって思ったのですよね。


でも色々考えてると、私は結局自分の子供達に対する愛情の不足を何かで補おうとしているだけなのかなって思えてきました。状況なんかに関わらず子供と関係を作っていく自信も手放しで子供達を可愛がってあげられる寛容さもないから、それを小手先で何とかしようとしているだけみたいな。

それと、よく母が「色々言うけど、愛情を持って子育てしてれば大丈夫」と言いいながら、有無を言わせぬ体罰を与えてきたことがどうしても自分の中で納得できないものとしてあって、つい反抗したくなるのもあるのかな。
確かに母は私を愛してくれましたし、だからこそちゃんと育った面も多大にあるのでしょう。でも肝心なところが抜け落ちていると感じるのです。
本当に幼い頃の子育てには気をつけないといけないことがあるんじゃないかと思ってしまうのですよね。

でもその前にはまず子供をきちんと見つめて可愛がってあげる母の心がないとマニュアル片手にナナメ観察に陥るのかな。良い勉強になりました。

投稿: haru | 2006年3月16日 (木) 10時30分

>コウイチさん、

まわりの子供を見る限り、群れて外で元気に遊んでいる姿も見かけるので、昔と変わらない、と思ったり、いろんな機械モノにはまっている様子を見ると、大丈夫かと思ったり、大人の心配は尽きません。

コウイチさんはうちの長男とほぼ同い年ですが、そうですね、長男の子供のころはまだ大部分が外遊びでしたね。

投稿: robita | 2006年3月16日 (木) 15時07分

>kakuさん、

kakuさんは几帳面ですね。
血液型性格分類なんて何の根拠もないと思っていましたが、このごろ、結構当たってるなあ、なんて思うようになりました。
私、テキトーなB型です。

>その後、若くしてロボット工学博士号取った人を知ってます。<

こういうことがあるから人間っておもしろいんですね。
昔、新聞で読んだのですが、成績がずうっとオール1で中卒で大工さんやってた男性がテレビで何気なくアインシュタインの番組を見て興味を持ち、物理学をやってみたいと、小学校2年から勉強し直して、国立大学の工学部に合格した、というのを読んで面白いなあと思いました。
きっかけはどこにでもひそんでいるんですね。

投稿: robita | 2006年3月16日 (木) 15時08分

>haruさん、

haruさんはほんとに真面目で一生懸命な人なので、私は、自分がいい加減なのを恥じるほどです。
でも、それはご両親がやはり、真面目に一生懸命子育てをされてきた成果だと思います。
私の母はやはり私と同じように適当な人です。生活は子供中心ではありましたが、「ここまでにこれをやらねばならない」といった緊張感がほとんどなかったように思います。

たとえば、夕食の支度も忘れて、勉強のできなかった私にわかるまで教えてくれるような人でした。おかげで夕食が8時ごろになることもしばしばでした。これ、困りますよね。

人間として最低限備えていなければならない生活習慣をharuさんのお母様はお子さん達に教えてらしたんですね。それは厳しくなって当然と思います。

投稿: robita | 2006年3月16日 (木) 15時10分

>私、テキトーなB型です

ああどおりで…私、昔っからB型の人に熱烈に愛されるからなあ(#^.^#)

私は几帳面と言うか殆ど強迫観念的にパターンを守るのですが、実は内容がてんで大雑把。ま、ダンナが超超テキトーで気分屋(B型)なので、両親としてバランスがええやん、と勝手に思うてますぅ。でも、コムスメ、顔も性格もダンナに激似(=B型)…!?

投稿: kaku | 2006年3月16日 (木) 20時26分

kakuさんの熱烈にドギマギ。

>両親としてバランスがええやん<

両親も夫婦もバランスが大事ね。


投稿: robita | 2006年3月18日 (土) 13時21分

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