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2006年3月 3日 (金)

笑いの偏差値

先日の新聞の生活面に載っていた米国人タレント、パックン(パトリック・ハーラン)の文章に共感した。

【日本人は真面目だね。行動は丁寧だけど、遊びがちょっと少ないかもしれない。でも、大豆商品の食べ過ぎのせいか、僕も最近日本人の感覚に近づいているらしい。今は逆にアメリカに帰るとそのストライクゾーンの広さにとてもびっくりする。
先日驚いたのは米国内線の機内アナウンス。離陸前に副機長のアナウンスが普通に始まったが、途中で変な方向へ。「ポン! シートベルトは緩まないようしっかり締めておいてください。下っ腹のお肉に食い込むくらいでちょうどいいのです」と。
乗客がちょっとざわめきだした。アナウンスは続く。「荷物は前の座席の下、または頭上の棚にしまってください。なお、上に入れるものは20キロまたは4歳までとなっています」。この時点で、彼の冗談に気づいた乗客が上機嫌で笑う声が聞こえる。
さらに続く。「まもなく離陸します。携帯電話を持っている方は必ず電源をお切りください。機長のペースメーカーが心配です」。ここで、この飛行機はライブ会場と化した。
飛び立った後も「機長がシートベルトサインを消しました。どうぞご自由になさって下さい。本日は空席もあるので、近くの窓側の席が空いていたら、どうぞ移動して下さい。ライバル会社から満席に見られるよう、ご協力お願いします」。
そして、「ご存知の通り、弊社は今、倒産中ですので、こうした戦略をとっています。もう一つ、赤字対策として、誰かクレジットカードを貸していただけますか?」と、フリートークに発展していった。着陸したら、僕も弟子入りを申し込もうかと思うぐらい面白かった。
でも笑いながら、「仕事でそんなにふざけちゃだめだろ」と心の中の日本人がつぶやきだした。やはり『出る杭は打たれる』精神になっているのだ。外国人で芸人である僕が12年でこうなっているのだったら、日本で育ったみんなはその何千倍もまじめだろう。
もちろんそのお陰でサービスも丁寧だし、頼り甲斐もあり安心できるわけ。でもちょっともったいないかもしれない。仕事でも遊びでも、人生は楽しいものであるはず。周りをそこまで気にせず、もっと気楽に、自由に、自分ならではの生き方で生きられるともっと充実するのでは? 心の中のアメリカ人はそうつぶやく。】

定まった形があるものに対して、私は昔から「こんな紋切り型じゃつまらない。こんなもの誰も関心持たないじゃない。関心持たれないんじゃ何のためにこんなことするのだろう。」と思うことが多かった。

たとえば、形式的な文書、真面目な場での挨拶のスピーチなど、決まりきった言い回しにしておけばそれは無難だろうが、なんかそれじゃつまらない、と思っていた。

それで、たとえば、お礼状、挨拶状などにちょっとしたユーモア表現を失礼のない程度に盛り込んだりすることもあったが、受け取った側がクスっとしているのか、それとも「ヒジョーシキ」と冷たく笑っているのかそれはわからない。

「**さんの奥さんは頭がおかしい」といった噂がたつと夫の出世に差し支えるので、そういうことはあまりしないほうがいいかもしれない。

ところで、先日の末息子の卒業式に出席して、このP.ハーラン氏の文を思い出した。

近ごろの高校の卒業式は、厳粛というより、「打ち上げ」的な楽しさを大事にするところが多いのだろうか。
名前を呼ばれて「はい」以外の答え方をしたり、壇上の担任にクラス全員で「**せんせ~い、」と大声を上げたり。

そういえば、もう8年も前になる長男の高校の卒業式も生徒たちによる「サプライズ」があった。

しかし、長男と末っ子の卒業式には大きな違いがあった。

末っ子のほうは、始めから終わりまでざわざわとして、てんでんバラバラにふざけているという印象だったが、長男のほうは、粛々とした雰囲気の中、突如として面白いことが起きる、という感じだった。それが3回ぐらいあっただろうか。その時だけ会場が「おー」と沸く。最後は「仰げば尊し」でしんみりと厳粛に。感動的な良い卒業式であった。

長男の学校は偏差値高めの中高一貫男子校。

末っ子の高校は偏差値だけで言えば中の中程度。

やっぱり頭の良いヤツというのはユーモア表現力にも優れている、と思い知ったのであった。

頭の悪いヤツと思われたくなかったら、もっとめりはりのきいたふざけ方を演出すりゃあいいんだ。

どんなに勉強ができなくても、どんなにやる気のない人間でも、式の最中に静かにすることぐらいできるはずだ。

思い浮かべるのは、テレビで見るお笑い芸人。彼らの頭の良さには脱帽だ。

彼らのお笑いのルールは実に厳しい。
ちょっとでも噛んだりスベったりすると、それがどんなに面白いコメントであろうと、言い直すことは絶対に許されない。
とにかく「間」が大事なのだ。その「間」こそが、笑いを誘う最も重要な要素だからだ。

高校生にプロのお笑いと同じものを目指せとは言わない。

しかし、少なくとも、満座を笑わせようという動機があるんなら、少しは「間」や「めりはり」を考えたらどうか。

それとも、ただふざけてなんとなく自分が気持ちよくなりたいだけ?

それじゃまるで幼稚園児でしょ。

そういうの「やっぱり勉強のできないヤツはお笑いの程度も超低い」って、おばさん言っちゃうよ。

そう言われてくやしかったら、もう少しマシな笑いをとってみなさい。

お笑い偏差値をもう少し上げてみなさい。

真面目な場で笑いをとる時の鉄則は、決して「基本の型」をくずしちゃいけないということだと思う。

・・・しかし、式のあと、先生や保護者たちと歓談している生徒たちの様子を見ていると、「なかなか良い子たちじゃん」と思ったのでありました。

平和で豊かな日本に育った陽気で幸せな子供たち。
厳しいこと言ってごめんね。

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