続:必需品としての愛国心
前エントリーで、tomoさんにいただいたコメントから、さらに「愛国心」について書いてみます。
【 ただ、心配なのはrobita様のお考えになる「愛国心」と私の考える「愛国心」、政府の考える「愛国心」・・・など共通認識は存在するのか?という点です。つまり、「背骨」というのがよく分からないんです。】
私はこういう疑問に出合うと、「どうして人を殺してはいけないのですか」という質問を耳にした時と同じ戸惑いを覚えてしまいます。
誤解しないでくださいね。決してバカにしてるのではありませんから。わかっていただくために適切かどうか迷いながらも、敢えてこういう例を出させていただきました。
若い世代が「愛国心」がよくわからない、というのはやはり、日本で左翼勢力がとても強かった時代の名残だと思います。だから、「よくわからない」という戸惑いは若者自身のせいではなく、その時代に教育を担当した者のみならず、そういう風潮を支持した世代の責任だと思います。いつの世も「風潮」というものはありますから、それはそれでいいのですが、その呪縛はあまりにも強く長く続いてしまったと思います。
私自身、戦後生まれで、愛国心がどうのこうのと言われて育った世代ではないので、長い間、そんなもの自覚すらしないで生きてきました。
でも、少なくとも、子どもの頃は学校で君が代を何の疑いもなく歌っていたし、日の丸だって、学校はもちろんのこと、普通の家庭でも祝日には門前に翻っていました。私の家も掲げていたように記憶しています。
ところが、いつの頃からか、なんだかそういうことが悪いことのように言われ始めたのです。
あれはいったいなんだったのでしょう。日教組のせい、とか言われますね。国民がなんで皆それに乗っちゃったのかよくわかりません。
「国が発展すれば国民は豊かになり幸せになる」「その発展には自国を大事に思う心が欠かせない」、こういった当たり前のことを、「愛国心」を教育基本法に盛り込むことで国民に自覚してもらおう、というのが教育基本法改正派の考えてることだと思うのですが、私はその「愛国心」という言葉がないと、子供たちに「国家」や「国土」についてのきちんとした教育はできないのかな、という素朴な疑問があります。
諸外国ではどうなんでしょうね。法律に「愛国心」とか「国を愛する心」とかしっかり書いてあるんでしょうか。
私自身はそんなこと法律に書いてあろうがあるまいが、日本という国家と国土を意識させる教育は必要だと思いますけどね。あまりにも無関心だから。
「国の背骨」とか「国の土台」は、言うまでもなく、国にとって必要なものだと思いますが、私は次のように考えます。
例えば、家庭において、両親が仲が悪い時、子供はとても不安になりますよね。
自分の拠って立つ土台が壊れてしまうと、自分はいったいどうなってしまうのだろう、という生存の危機を感じると思います。
それは何も、「家族仲良くしている光景は美しく、それを破壊してはならない」とか、「喧嘩ばかりしていると神様の罰が下る」とか、そんな哲学的宗教的道徳的な発想によるものでもなんでもなく、人としてごく初歩的で素朴な自己防衛本能が働いているだけだと思います。
だからこそ親は子供にとって幸せの土台となる家庭を作ろうと、子供を愛し一生懸命働くわけです。
基本的に「家庭が壊れてもいい」などと思ってる人がいないように、国が壊れてもいいと思っている人もいないでしょう。
国を大事に思い、その発展を願って努力しなければ個人だって幸せになれません。
愛国心について、tomoさんの仰るような、「心配なのはrobita様のお考えになる「愛国心」と私の考える「愛国心」、政府の考える「愛国心」・・・など共通認識は存在するのか?」といった高尚な分析をする必要があるのかどうか、私にはよくわからないのです。
「鍋釜並みの必需品」ではいけないのでしょうか。
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