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2006年4月25日 (火)

必需品としての愛国心

「愛国心」を教育基本法に盛り込むことについての議論が盛んだ。

よく言われるのが、「愛国心は押し付けられるものではなく、自発的に芽生えるものである」というもの。

これを論ずるに、「自分が生まれ育った美しいふるさと」としての「国」と、「統治機構」としての「国」を区別しなければ、議論がかみ合うことはないのではないかと思う。

「美しいふるさと」を愛する心は、なるほど、自然に湧きあがってくる感情以外の何ものでもない。

しかし、「統治機構としての国を大切に思う心」は、極端な言い方をすれば、押し付けて当然のものとも言えるのではないか。

作家の曽野綾子さんが、「愛国心というのは、高級な信条ではないのである。その人が生きて行くために必要な鍋釜並みの必需品なのである。」と言っているが、私はこういうさばさばした考え方が大好きだ。

「統治機構」を愛することはできない、というととさんの意見はもっともだと思う。

しかし、考えてもみてほしい。
例に出した中国という国は共産党独裁政権の国だ。そんな国でも中国人は愛国心を持っている。これを危険とか危険でない、とか騒ぐのは他国人であって、当の中国人は生き延びるため、豊かになるため、「愛国心」を持つことを悪いことだとは露ほども思わないのである。

私は「国を愛する」というのは次のようなことだと思う。

「今の日本の政府のやり方は間違っている、という自由な意見を表明する」ことはつまり「統治機構としての国を自分の足場として大切に思い、その是正に努める」ということであり、日本のような民主主義の国では愛国心を怖がる必要もない。

愛国心が「全国民一丸」を連想させ、戦争につっぱしるんじゃないか、という心配もナンセンスであると思う。そんなことまで心配していると、その他のこともことごとく心配になって、日本人は身動きがとれなくなってしまう。

物心両面で近代化を成し遂げた今の日本と、戦争を起こしたあの頃とは、時代背景がまったく違う。

ちょっと長くなるが、漫画家の小林よしのりの「英霊慰霊顕彰勉強会」での講演の一部を紹介する。
小林よしのりという人をよく知らず、過激な右翼という認識しか持っていなかったのだが、雑誌でみかけたこの言葉に感心した。

「首相になる人は、参拝するんだったら言葉を尽くして内外に説明しないといけない」、として、例えば次のように言ったらどうか、と提案している。

【 「その時代というのはあくまでも帝国主義の時代だった。どこの国も銃に手をかけているような時代で、ゲームのような戦争によって、勝てば植民地を割譲するようなことが当たり前だった。そういう時代の中で、日本人はまだ近代国家になっていなかった中国や韓国というところに出て行った。それは中・韓の後世の若者が屈辱と感じるという部分もあるでしょう。当時はそれが当然だったとはいえ、彼らのことを慮ると、非常に申し訳ないという気持ちもあります。

しかし、われわれがもしあの頃に近代国家として出て行かなければ、ロシアは南下を狙っていたし、欧米諸国はアジアを草刈り場にしていたでしょう。香港もイギリスの植民地でした。ひたひたと迫る欧米列強のアジア侵略に対して、われわれは怯え、苦しみ、葛藤しつつも外へ出て行かざるを得なかったのです。その代わり、300年もオランダの植民地だったインドネシアを解放し、大東亜会議には、すでに日本が独立を承認していたビルマ、フィリピンなどのアジアの国々が参加していた。もし、あのとき日本が南方に進出しなかったとしたら、今日のアジアはアパルトヘイトのような状態に置かれていたかもしれません。

今の価値観から見れば日本は非難される部分も持っているかもしれませんが、当時の状況をアジア諸国の方々もぜひ考慮してほしい、と思います。われわれはあの帝国主義の時代に、何百万人もの国民を犠牲にして近代国家を作り上げました。その方たちに、わたしは政治指導者として感謝の念を捧げざるを得ません。だからこそ靖国参拝をしたのであります・・・・・」

と、まあ、これぐらい丁寧な談話をしなきゃいかんと思うわけです(拍手)。・・・・・あ、政府はもっと、しっかりした文面を作ってくださいね。
それを堂々と演説することが、果たして次の総理大臣にできるのかどうか。そのことを事前に外務省の人間が、中国や韓国あるいはアジアの諸国に根回しして説明していけるのか。 ____後略___ 】

上記のようなことはあらためて書くこともないほどよく言われることだが、愛国心は日本においては決して危険なものではない、とわかってもらうために、こういうところから説明しなければならないのが、非常にやっかいである、とまず言わせていただく。

戦争というのは残酷なものである。
でも、その残酷なことをしたのは日本だけではない。
むしろ、日本よりずっと残酷だったのは他の戦勝国ではないか。
そして、現在もなお残酷なことをやり続けている国はいくらでもある。

私は「他の人もやったのだから、自分だって許されるはずだ」などと言っているのではない。

みんな悪かったのだ。 「日本だけが悪い」という呪縛からいい加減目覚めようではないか、と言いたいだけだ。

私は日本人が他の国の人に比べて穏やかさ優しさ賢さ潔さの度合いが高いと思っているので、愛国心教育をしても、一丸となって他国を攻撃したりすることはないと信じている。

何より、自由と民主主義を手にしているのだ。

「左翼」と言われる「平和主義者」の最大の矛盾は、日本の軍国化をやたら心配するくせに、周辺軍事大国の日本侵攻を想定だにしないことだと思う。

自分の国は信用できないが、他国はみんな良い人だ、という何ともおかしな前提で物事を考えていらっしゃる。

こういう考えの人々に、愛国の何たるかをわかってもらうのは本当に大変だ。

日本はあの頃、近代化をなんとか成し遂げようとしていた。国が豊かになるために。国民が幸福になるために。

そして、戦争を煽ったのもまさに当のその国民だ。
A級戦犯だけに責任を押し付けて、糾弾するのは卑怯だと思う。

たしかに、戦犯が責任を取ることで、日本は国際社会に復帰できた。

しかし、そのこととは別に、あの頃の指導者の一人一人の心情に思いを致すことを怠ってはならない。

私はこのごろようやく、A級戦犯に対する自分なりの筋道だった見解にたどりついたように思う。

大衆は政治家を批判する。たしかに優れた政治家が今の日本では生まれにくい。

愛国心を危険視しているうちは、優れた政治家は出てこないと思う。

背骨のない国に優れた政治家なんか生まれるものか。

しかし、それでもなお私は、ことさら「国を愛せ」と子供たちに押し付ける教育には違和感を覚える。

教育基本法に「愛国心」を盛り込むかどうか、などという議論に時間を費やすより、学校教育の中で、「国家」「領土」に関心を持たせる、この最低限のことをやればいいだけなのではないか。

「日本ってほんとに長いんだ」にも書いたのだが、日本人は自国の領土にあまりにも無関心だ。

「竹島?いいんじゃないですか、そんな小さい島、なくたって」、そういう若者の言葉はしばしば街頭インタビューなどで耳にする。

何故どの国も必死になって土地や島や海域の領有権を主張するのか、そういう疑問さえ持たない日本人もいるのだ。

子供たちに「国家」の概念を教えることは大切だ。いずれ遥か遠い未来、国家がなくなり、地球が一つになる時が来るまで、我々は「国家」の中で生きることを余儀なくされている。

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 追記):ととさんからご指摘を受けましたので、お詫びして少し訂正いたしました。(4/26)

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コメント

我が意を得たりという記事で、実に爽快です。たった一度敗戦を体験したくらいで、何をそこまで卑屈になるのか、全く理解できません。日本には戦犯は存在しないし、第一戦争の罪というのは問えません。戦勝国が敗者を裁くという、歴史上稀にみるほど非道な「東京裁判」というものがあったのです。あれですべての決着はついているのですから。
まして豊かさを享受している世代が「愛国心」という表現に過敏になるのは矛盾というものでしょう。家族を愛することは、そのまま愛国心に繋がるという、ごく単純な構造です。家族は大事、でも愛国心という言葉には反発するという方々は、じゃ自分だけ良ければいいのね、と思ってしまいますよ。
国家という概念を、何故教育の場から遠ざけたのか、その狙いは何か、そこまで考えて欲しいものです。
ちなみに私、小林よしのり氏とは同郷です。

投稿: ねこっち | 2006年4月25日 (火) 22時56分

>しかし、考えてもみてほしい。

これは,私に言われているのですよね.

でもその後に書いてあること,例えば

>愛国心が「全国民一丸」を連想させ、戦争につっぱしるんじゃないか、という心配もナンセンスであると思う。そんなことまで心配していると、その他のこともことごとく心配になって、日本人は身動きがとれなくなってしまう。

このようなことは,私の記事には全然書いておりませんけど.
また戦争に対する私の気持ちも,どこにも書いてないです.戦争のせの字もありません.

書いていないことで,このように言われちゃうとたいへん困ります.

>「今の日本の政府のやり方は間違っている、という自由な意見を表明する」ことと、「統治機構としての国を自分の足場として大切に思い、その是正に努める」、ということは別のことだ。

この部分など,私の記事のどこに書いてあったのかしらと思ってしまいます.

中国の話を出したことのみが接点であり,この点では私とrobitaさんの考えは違うということはわかりました.
そのうち,TBいたします.

投稿: とと | 2006年4月26日 (水) 00時13分

>ねこっちさん、

ありがとうございます。

>ちなみに私、小林よしのり氏とは同郷です。<

そうですか。どちらなんですか。
小林よしのりの漫画「靖国論」というのも買ってみたんですよ。まだ、全部読んでいないのですが、最初のほうに、「遊就館に展示されている若い将兵たちの遺書を読むたびに思う」として、次のような記述があります。

【戦前の若い将兵の
 遺書を見ると、
 文面の純粋さに
 胸を打たれるが、
 なによりその
 達筆さに
 羞恥心を覚える。

 これが同じ日本人の、
 しかも20代の
 若者の文字か?

 この遺書を見るたびに
 戦前と戦後の、
 日本人の精神の
 断絶を感じてしまう。

 靖国神社を
 「軍国主義の象徴」などという
 イデオロギー的な偏見でしか
 見ない者が多いが、

 果たして戦後の
 ふしだらで、
 未熟な大人たちが、

 この戦前の若者たちの
 遺書から放たれる
 透徹した精神の輝きを
 正視できるのだろうか?

 戦後の日本人が
 戦前の日本人を
 批判するという
 風潮自体に、
 わしは大きな疑問を覚えるのだ。

 戦争さえしなければ、
 戦前の日本人より
 優れているとでも思っているのだろうか?

                 ・・・・】


もちろん小林氏のこういう思いに対してはいろいろな意見があると思いますが、私自身はひたすら恥ずかしい、そういう思いです。

ねこっちさんは、首相の靖国参拝を支持していらっしゃると思いますが、私は、こういう記事を書きながらも、「参拝はやめてみたらどうだろう」という考えです。
また、分祀についてもハマコーさんの案(宮司に土下座してこっそり頼む)がなかなか賢いんじゃないか、とも思っているのですが、こういう考えは変でしょうか。
とにかく、中・韓も引っ込みがつかなくなって気の毒に思えてしまうので。

投稿: robita | 2006年4月26日 (水) 10時29分

>ととさん、

ととさんの記事をリンクさせていただいて、そのあとそのまま、自分が普段から思っていることを続けて書いてしまったので、まるでととさんに向けての意見みたいになってしまいました。本当にすみませんでした。

一文を加えておきます。

また、【「今の日本の政府のやり方は間違っている、という自由な意見を表明する」ことと、「統治機構としての国を自分の足場として大切に思い、その是正に努める」、ということは別のことだ。】

この文は変でした。自分で書いておきながら、よく読んでみると別のことじゃなく、同じことですよね。訂正しておきます。

不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。m(_ _)m

投稿: robita | 2006年4月26日 (水) 10時38分

はじめましてではありません。自分の未熟さゆえコメントをずっと控えてまいりました。のでこれからは議論ではなく疑問に思った点を最小限にコメントさせていただくことがあるかもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。

私は「愛国心」を教育基本法に盛り込む事に対して反対出来るほど確固たる信念がありません。ただ、心配なのはrobita様のお考えになる「愛国心」と私の考える「愛国心」、政府の考える「愛国心」・・・など共通認識は存在するのか?という点です。つまり、「背骨」というのがよく分からないんです。そういう若者は少なくないと思います。それなのに・・・見切り発車でいいのでしょうか?それが漠然と「怖い」のです。

(私のlivedoorのブログはなぜか自然消滅していました。現在はMixiでのみ自分の意見を公開している状況です)

投稿: tomo | 2006年4月28日 (金) 01時14分

>tomoさん、

お久しぶりです。「火垂るの墓」の話題以来ですね。

>私のlivedoorのブログはなぜか自然消滅していました<

「お気に入り」に入れてあるので、さっきクリックしたら出てきましたよ。

さて、「愛国心」について、書き始めたら長くなってしまったので、今日のエントリーにします。

午後、載せますね。

投稿: robita | 2006年4月28日 (金) 11時31分

robitaさん、お返事が遅れましたが私の郷里は福岡です。
でも、小林よしのり氏は私のことなど知りません(笑)。
あと首相の靖国参拝に関しては、論理だけで突き詰めると
robitaさんのようなお考えになるのではと思っています。
「国家の品格」をせっかくお読みになったのですから、政治や外交の問題だけで靖国を見ない方がよろしいかと…
高橋哲哉氏の「靖国問題」の中で、靖国信仰のことを「感情の錬金術」と言っています。自ら進んで国のために命を捧げる国民を量産するためのシステムなのだとか。なるほど、中・韓に利する人たちの考えとはこういうものかと思いました。それこそ教育の段階で、こういう人を量産してきたのですね。靖国を否定するということは、何を失うことになるのか、よくよくお考え頂きたいとお願いしておきます。

しかし、このトピックにはもっと皆さんのコメントが寄せられても良さそうなのに、思ったより少なくて驚きです。

投稿: ねこっち | 2006年4月28日 (金) 13時57分

>ねこっちさん、

「国家の品格」については、そのタイトルの過去の記事で、「思うことはいっぱいある」と書いたきり、そのままになっていましたが。そのうち書きます。メモしてありますから。
あの本に書いてあること、半分「共感」、半分「無理がある」、といったところです。でも、ああいう主張、好きですけど。

>しかし、このトピックにはもっと皆さんのコメントが寄せられても良さそうなのに、思ったより少なくて驚きです。<

そうですね。
でも、読んでる人少ないですから。

投稿: robita | 2006年4月28日 (金) 14時31分

え?!私のブログまだ健在でしたか(^^ゞ

それにしても小林よしのり氏(よしりん)の影響力ってすごいですね。

投稿: tomo | 2006年4月29日 (土) 03時20分

TBしようかと思ったけど,なかなか書けそうもないのでコメントを・・・・.

中国についてですが,あの国の人たちの愛国心は,私の愛国心とは違います.天安門事件を経験した彼らは,自国の政府の非情さを知っているでしょう.本当は民主化を言いたいのに言えないで,愛国的に振舞う人もいると思う.それはまさにrobitaさんの言われる『生きるための愛国心』なのでしょうが,私はいやだな.自分の愛国心が政府に利用されるのは.
本当かどうかわからないけど,最近の反日デモは中国政府が煽ったんじゃないかと言われていましたね.そしたら思ったより激しくなりすぎて,今度は数人が逮捕されたりもしました.今は,インターネットでの情報がマイクロソフトの協力で制限がかけられています.そのような国では,自国への愛国心にためらいがないのは当然だし,公教育で中国の素晴らしさのみを教え,日本の悪口を叩き込まれていたら,愛国心と反日感情を持つのは当然です.悪いことだなんて露ほどにも思わないでしょう.

>私は「国を愛する」というのは次のようなことだと思う。
「今の日本の政府のやり方は間違っている、という自由な意見を表明する」ことはつまり「統治機構としての国を自分の足場として大切に思い、その是正に努める」ということであり、

全く同感です.
だからrobitaさんのお嫌いな"左翼"の人も,「国を愛する」気持ちから自分の意見を言っているだけなのではないでしょうか?

>「竹島?いいんじゃないですか、そんな小さい島、なくたって」、そういう若者の言葉はしばしば街頭インタビューなどで耳にする。

マスコミの流すことですから,この意見が100人中90人なのか,100人中1人なのかわかんないですよね.メディアは,センセーショナルなことや,珍しいことを好みますので.この場面でのみ若者の意識を理解してしまったら,判断を誤るかもしれません.

それにしても,竹島や尖閣について政府の姿勢ははっきりしていたのでしょうか?(現在も含めて)
私が学生の頃は,この島々のことは正直言ってよく知りませんでした.でも,北方領土のことはよく知っていましたよ.教科書にも出てきたし道端にもたくさん看板が出ていたし.『北方領土は日本固有の領土です』って.
そう考えると,領土のことを大切にしていなかったのは,若い世代なのではなく,国を動かしてきた人たちだとも言えます.(そういえば,拉致問題に知らぬふりを決め込んで,北朝鮮にコメを送っていた自民党議員もいましたしね.)
それが全部"左翼"のせいだったのかどうかは知りませんが,一応,政権を持っていたのはほとんどの期間自民党ですので,自民党の中に"左翼"がいたのかもしれません.

>物心両面で近代化を成し遂げた今の日本と、戦争を起こしたあの頃とは、時代背景がまったく違う。

そうでしょう.だから戦争に巻き込まれない,とは言えませんが.戦争は今でも,近くにあると思います.

愛国教育という,個人の心に触れるような法律を作るとき,多少臆病になっても「よく考えよう.100年後もこの法律が残ることを考えて,いろんなことを想像してみよう」という日本人は,私はすごく健康だと思います.
愛国教育にためらいを感じると発言できる日本のことを,私は大好きです.

ちなみに私の愛国心は,勤労と納税で実行しております.(笑)遅れることなくきっちり払っておりますし,不正にお手当てをいただいたこともありません.
それに比べて一部のお役人の官製談合やら,天下りやら,無意味な施設の建設やら,私からみると愛国心のかけらもありません.

投稿: とと | 2006年4月29日 (土) 21時22分

robitaさん、

ゴネルわけではありませんが(笑)。小林よしのりの言っていることは正しいかもしれませんが、それはあまりにも、日本人の、それも政府や軍部の観点から見た「正しさ」であると思います。例えば日露戦争では、ごく普通に暮らしていた満州人の方々の村や街で、日本人とロシア人が戦争を始めたわけです。

自分の生まれ故郷の山河の上で、他の民族が勝手に戦争を始めて、それを心良いものと思うでしょうか。小林よしのりは「当時の状況をアジア諸国の方々もぜひ考慮してほしい」と言いますが、その「当時の状況」と、例えば、奉天なら奉天の、なになに村のお百姓さんの陳さんとか、周さんとかいった人々の個人の人生とどう関わるのでしょう。これに対する納得できるものがありません。その時代のその場所に、満州人として生まれたから「しかたがないのだ」とでも言うのでしょうか。そうした事態を招いた北京の清朝政府が悪い、そんなだらしない政府を持った満州人が悪いのでしょうか。

当然のことながら、当時の日本人もロシア人も、上記のようなことを考えませんでした。なぜ考えなかったのかというと、簡単に一言で言えば、帝国主義の時代とはそうしたものだった、ということです。これ以外の何物でもありません。そうだったことは、事実なんです。しかし、被害にあった満州人のみなさんに向かって「そうしたものだった」の一言で片付けるわけにはいきません。この問題のややこしさは、ここにあります。少なくとも、被害を受けた方々に向かって、胸をはって正々堂々と「当時の状況をアジア諸国の方々もぜひ考慮してほしい」と日本人が言うのは倣岸だと思います。(でも、国連とかの席で、世界に向かって正々堂々とそう言うのはいいです)

さらに、小林よしのりの言うことに誤りを感じるのは、あの当時、大日本帝国にはアジア解放の理念があったことは事実ですが、その統治内容は「アジア人の解放のため」とはとても思えない、おそまつな統治政策を行っています。せいぜいうまくいったのは台湾統治ぐらいです。他の地域では、日本はことごとく恨まれています。例えば、シンガポールでは、イギリス統治時代の建物が今でも残っていて観光名所にもなっていますが、日本はどうかというと、歴史館みたいなところで、いかに日本は悪逆非道であったかみたいな説明になっています。シンガポールの人々にとって、イギリスは善であって、日本は悪になっているんです。イギリスだって、すべてがすべて正しいことをしてきたわけではありません。それなのに、イギリス統治はよかったみたいなっているのはなぜか。これは、統治者として大英帝国の方が上手だったということです。つまり、大日本帝国はアジアを解放するという崇高な理念を掲げながら、やっていることは暴力団の支配とあまり変わらないような統治だったということです。日本人は、他民族を統治することに長けていません。

であるのならば、他民族の統治能力を努力して高めようとしたのかというと、そういうことをした様子もないわけです。政府は大東亜省を作ってなにをやろうとしていたのか、よくわからんですね。本気になって、植民地を経営しようとしたそぶりすら見えません。これは外交についても同様です。小林よしのりは、大東亜戦争は「やむをえなかった」「避けることはできなかった」「日米の戦争は運命的なものだった」と言っていますが、それでは戦争回避の努力をどれほど行ってきたのか。戦争に突入する以外の他の選択肢をどれほど深く考慮したのか。このへんが見えてきません。実際のところ、政府も外務省もそうしたことは行っていないわけです。ただ、ずるずると軍部に引きずられただけでした。

そうした実態を明らかにする。当時の日本はこうだったんですと正直に言う。そうしたことがまず前提にあって、それでは今の日本はどうかという話になるはずです。

投稿: 真魚 | 2006年5月 2日 (火) 12時02分

robitaさん、

愛国心という前に、郷土愛があって欲しいと思います。僕は、三代続いた江戸ッ子ではありませんが、自分が生まれて、今住んでいる江戸・東京が大好きです。育ったのは埼玉県です。ですから、僕は関東という場所が好きです。関西とか行くと、ここは違う国か?と思います。京都も好きですが、数日いると、もう東京に帰りたくなります。僕は江戸文化も好きだし、明治のハイカラ文化も好きです。そして遠い昔、関東がまだ坂東と呼ばれていた頃の、この大地を耕していた開拓農民の精神が好きです。彼らが後に武士と呼ばれる人々になります。源義家の家来の鎌倉源五郎景政なんかいいですね。さらにもっと遠い昔、弥生時代や縄文時代の遺跡も関東には多いです。関東地方には、数万年前から人々が住んでいました。そして、この関東に流れる数万年のタイムスケールで見れば、天皇というのは、つい最近100年前に西の京都から徳川氏の居城にやってきた公家と神主の親玉ぐらいの認識しかありません。

つまり、なにが言いたいのかといいますと、こうしたことは関東だけではなく、日本各地いたるところがそうなんです。日本は近代国家になって100年ですが、日本の各地の暮らしには、もっと長くて大きくて、深くて豊かな歴史があります。日本というのは、多種多様な地域の文化と時空間が多重構造になっているんです。さらに、大和民族ではない、エミシやクマソ、アイヌ、ウィルタ、在日朝鮮・韓国のみなさん、帰化外国人、琉球のみなさんもいます。そうした、たくさんのごちゃごちゃしたものが日本列島の上に集まって日本という「くに」を作っています(国内だけではなく、国外に住んでいる在外日本人や日系移民のみなさんもいますね)。しかしながら、政府が今言っている愛国心というものに、こうした「たくさんのごちゃごちゃしたもの」が感じられません。

そうした「たくさんのごちゃごちゃしたもの」があると思うと、なんか楽しくなってくるじゃあないですか。この楽しさ、人が暮らしていく上の明るさというものが、今の政府がいう愛国心というものから感じられません。日本国家=天皇+日の丸+君が代+桜+富士山+東京の政府、これだけ、というイメージしか感じられません。このイメージは、明治の日本政府が作ったものです。平成の今になっても、このイメージをそのまま使おうとしているとしています。だから、戦前の政府がなにをやったのか知識として知っている人々は、なんかこー抵抗感を感じるわけです。「また、そうやって、進め一億火の玉だ、とか、欲しがりません勝つまでは、とか言うじゃないだろうな」と思っちゃうわけです。今ならば「福祉のためだ、消費税アップ」とか「払います、公共放送と国民年金」とかになるのではないでしょうか。ようするに、全部、国に都合がいい話ばっかりなんです。もちろん、そうしたことをなくさなければならないというのではありません。国家は必要でしょう。税金も必要ですし、戦争になったら徴兵になるかもしれません。

ただ、人は国家だけに帰属しているのはなく、生まれ育った郷土があり、「たくさんのごちゃごちゃしたもの」があって、国家というのは、その「たくさんのごちゃごちゃしたもの」の中のひとつの行政単位なんだということを理解することが必要だと思います。そうしたことを理解する人は、国歌や国旗を(国はひとつの行政単位なんだから)きちんと敬うのではないでしょうか。しかし、政府から国のために死んでくださいと言われた時は、(その他「たくさんのごちゃごちゃしたもの」があるのだから)それはできませんと言うことができると思います。(職業軍人は別ですけど)

投稿: 真魚 | 2006年5月 2日 (火) 12時45分

>真魚さん、

仰ることはほんとに正しくて公平で、突っ込みようがありません。たしかにその通りなのだと思います。(一つ目のコメントね)

>簡単に一言で言えば、帝国主義の時代とはそうしたものだった、ということです。これ以外の何物でもありません。そうだったことは、事実なんです。しかし、被害にあった満州人のみなさんに向かって「そうしたものだった」の一言で片付けるわけにはいきません。<

だから戦争を起こした国はみんな贖罪の気持ちがあり、悪かった、と思うんですよね。、
小林よしのりも、この問題については長年にわたってずいぶんと意見を交わしてきたことと思うので、人間としての優しい気持ちを持つことの大切さもわかっているとは思うんですよ。
でも、こういう倣岸とも思えることを言わざるを得ない気持ちもわかります。
あまりの自虐史観に呪われたままの日本人に対するメッセージなんだと思うんですよ。
それに、あまりに中国・韓国の非難がすさまじいのもあるし。

ただ、たしかに、「首相となった人」がアジア諸国への説明として、そういうことを言うのは仰るとおり不適切であるかもしれません。
すると、うーん、やはり、その根拠の説明をしなくてはならない「靖国参拝」はやめておいたほうがいいのでしょうねえ。

>統治者として大英帝国の方が上手だったということです。<

そうですねえ。
日本も遅れじと張り切ったはいいけれど、所詮、ついこの間まで鎖国をしていたような国では大英帝国にかなうはずもありませんねえ。

>日本人は、他民族を統治することに長けていません。<

そうでしょうねえ。

>そうした実態を明らかにする。当時の日本はこうだったんですと正直に言う。そうしたことがまず前提にあって、それでは今の日本はどうかという話になるはずです。<

戦後60年もたってようやく日本はこういうことが自由に議論できるような雰囲気になってきたのでしょうね。60年も前のことをいまさらほじくりかえす、ではなく、ようやくほじくりかえすだけの器量が日本人に備わってきたのかもしれません。
ただ、国民も政治家も今のことだけで忙しくてせいいっぱいなのに、あんな昔のこと、はぁ~、めんどくさ。

ちょうど、今朝の朝日新聞の1面に【東京裁判「知らぬ」7割】という見出しの記事が載っていました。「歴史と向き合う」という関連記事もあります。

今、あの戦争の検証と総括を始める時なのかもしれません。それをしなければ、日本は毅然たる国家にはなり得ないのでしょう。面倒くさがらずにやらなきゃなりませんね。
そのためにも、「国家の一員であること」を自覚させる教育が必要となると思います。

二つ目のコメントについては、真魚さんのお考えはわかりました。
でも、私が「愛国心が必要」と言っている理由はわかっていただけてないようです。
時間がないので、そのうちに。


投稿: robita | 2006年5月 2日 (火) 15時31分

初めまして、「石原慎太郎」の事を調べていて、こちら様に紛れ込んでしまいましたw
で、ちょっと拝見させていただきました。

「真魚」さんの意見、柔らかく書いてありますが、私の考えるところとまったく同じなので、笑いながら拝読いたしました。

更に、どなたかの書いておられる、「統治機構としての政府」という言葉にも共感を覚えます。

これらを考えると、郷土としての国と機構としての国家を分けて考える必要がある気がしますね。
そういった国家論から考えないと、感情や理論がごっちゃになって論じられている現状が怖いし、残念です。

投稿: jiang | 2006年8月27日 (日) 15時14分

jiangさん、はじめまして。

>「真魚」さんの意見、柔らかく書いてありますが、私の考えるところとまったく同じなので<

5月に「言葉は希望」( http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_a188.html )で紹介させていただいたのですが、真魚さんのブログにもぜひ行ってみてくださいね。私の思うことをわかりやすく説明してくださっています。
私の考えることはごく単純で、人は「個」では生きていけないでしょう、「国家」という土台がなければ到底生きていけないでしょう、ということなんです。
その「国家」をいいものにするために国民としてできることを考えるのは当然でしょう、ということなんです。
それが愛国心であって、「一丸となって戦争に突き進むことにつながるから怖い」と考えるのは飛躍しすぎだと私は思います。
日本人は国のためにできること、という意識があまりにも希薄で、「個」に偏りすぎている、ただ、それだけのことだと私は思っています。

>郷土としての国と機構としての国家を分けて考える必要がある気がしますね<

郷土としての美しい国日本を良いもの誇らしいものに保つためにも、統治機構は良いものにしなければなりませんね。

jiangさん、今後ともどうかよろしくお願いします。

投稿: robita | 2006年8月28日 (月) 09時32分

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