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2006年5月13日 (土)

「愛」 「国」 「心」

今朝の読売テレビ「ウェークアップ」での教育基本法改正(第2条)についての話;


与党案: 「我が国と郷土を愛するとともに、・・・」

民主党案: 「日本を愛する心を涵養し、・・・」

 

司会の辛坊キャスターが、「与党案は、『国』と『愛』が入ってて、『心』が入ってないんですね。で、民主党案のほうは、『愛』と『心』は入ってるけど、『国』がないんですね。」と、笑いをかみころしていました。

 

どうも、「愛」、「国」、「心」、この三つが揃うと何かいけないものが発生するようです。

 

笑っちゃうよね。

 

昨日の記事はご支持いただけたようで、
おかげさまでランキング少し上がりました。ありがとうございます。

 

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コメント

「愛国心」議論、だいぶ熟成?されてきましたね。

私は以前、「嫌国教育を止めて」義務教育で「全員海外留学」をすれば充分、と書きました。その目的はただ一つ、構成員が独立自尊すること、そうすれば、愛国心も靖国も国旗国家もなんら恐るるに足らぬことと気づくはずだからです。

私も桜井よしこ女史らが提案する「愛国心のススメ」にはあまり乗り気ではありません。なぜか…誇りに持て、と文章に指摘されるそれらが「理念」ではなく「情緒」だからです。

日本はやはり「和歌」の国であります。「情緒」と言う抽象的なものを無理やり言葉にして「守れよ!」とするのは至難の業です。しっくり来る「理念」とは、己の力で「独立」を成した歴史を持つ米国の様な国家が持つものです。

マイクさんがご指摘されていたように、その「情緒」に頼った愛国心は、構成員が独立自尊していないままでは「権威」として振り回される可能性は充分にあると思います。振り回す側も振り回される側も全てが曖昧なままに。

私が思うに、このblogで展開された一連の愛国心教育に関連する議論では、左右あまり関係ない様に思いました。「国を愛する心」を言葉と法律にすることに対する躊躇の気持ちは、上記の様な「情緒に残された余地」みたいなものに対する漠然とした不安や警戒心でしょう。そうして、多くの日本人には順法精神があるのでしょう。私にはそれが見えたので、何だかほっとさせてもらいましたよ。

robitaさんの仰せのことは、私の「嫌国教育の停止」とほぼ同じで、更に「で、どうやって停止させるのさ、教育する人間がああなのに」と言うことですよね。これはよく分かります。問題です。

今、都の学校式では、教育委員会がビデオを回しているんだそうですよ、誰が口をちゃんと開いて歌ってないか見るために。ああ、バカらしい。くだらん。やだやだ。

私の解決案は単純です、国旗国家に敬意も示せぬ公立教師に関しては解雇。それだけです。そんな甘ちゃん達をなんとかするために大々的に「愛国心」法律、作る必要ないです。

法律はほうっておけばどんどん増えます。無駄に作るのはやめましょう、子供っぽい。何たって私は廃憲派ですからね、オトナです(意味不明)。


投稿: kaku | 2006年5月13日 (土) 12時19分

kakuさん、

>私も桜井よしこ女史らが提案する「愛国心のススメ」にはあまり乗り気ではありません。なぜか…誇りに持て、と文章に指摘されるそれらが「理念」ではなく「情緒」だからです。<

kakuさんの仰る意味はわかりますよ。情緒は押し付けるものではないですね。

>その「情緒」に頼った愛国心は、構成員が独立自尊していないままでは「権威」として振り回される可能性は充分にあると思います。振り回す側も振り回される側も全てが曖昧なままに。<

うん、たしかにたしかに。

ただ、情緒もエネルギーの一つだと思っている私は次のように思います。
以前、改憲にあたって中曽根大勲位が憲法前文をこのようにしたらどうか、という案を提示し、それはかなり情緒的なものでした。
そして、そういう情緒に偏るのは法律としていかがなものか、という批判もあってその案は消滅しました。
でも、私はある人がこう言っているのを聞いて共感しました。
「憲法前文というのは、裁判においての判決の根拠となる条文ではないので(これ、なんか特定の法律用語で言ってましたが忘れました)、この前文の部分で日本人の心みたいなものをある程度情緒的に表現する自由くらいあってもいいのではないか。」

教育基本法にもそういう感性があってもいいのではないかな、と思ったのです。

でも、ま、現場で子供たちをしっかり教え導けばいいことですから。

「嫌国教育をやめろ」、これ大いに賛成です。

>私の解決案は単純です、国旗国家に敬意も示せぬ公立教師に関しては解雇。それだけです。<

わっはっは。明快だ。
しかし、情緒的な日本人にそれができるかどうか、それが問題だ。


投稿: robita | 2006年5月14日 (日) 10時57分

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