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2006年5月10日 (水)

「踏むがいい」

遠藤周作の「沈黙」をご存知ですか。
私はあの名作を読んでいなかったけれど、有名な結末「キリストの『踏むがいい』という声が聞こえた」という箇所だけは知識として知っていて、アメリカに対しては世界はその判断を採用する必要があるのではないか、といつも思っていました。

この連休、ふと思い立って読んでみました。(面白く読みやすく、あっという間に読了しました)
それは期待していた以上に、大きく強く私の思いを後押ししてくれました。

遠藤にとっては、この作品はキリスト者の信仰の迷いを表現することがメインだったのかもしれません。
しかし、私には、もっともっと大きなもの、個人の信仰を超えた大きなものの啓示と思えてなりません。

私は前エントリーに対して「アメリカのような悪い国に従うのか」という反論を受けたら、この「沈黙」を引用して説明しようと思っていました。

背教した。でも決して悪魔に魂を売り渡したんじゃない。もっともっと大きな愛のためにそれをするんだ。

地上にあるさまざまな宗教など超越した大いなる成果のため、私たちが決意しなければならないことがあると私は思います。

個人のちっぽけな「信仰」を捨てることで、拷問を受けている哀れな農民たちが解放された。この「沈黙」の内容は私の思いと合致します。

アメリカは善意だけの国ではない、たしかにそうでしょう。
自国の国益のためにやっている、たしかにそうでしょう。

しかし、そのアメリカと仲良くしてどうでしたか。
私たち、幸せだったじゃありませんか。
この幸せまで否定しますか。
この幸せを紛争地域に伝えたいと思いませんか。

たしかに未来永劫アメリカが強いとは言えません。

だから、とりあえずの平和でいいんです。

でも、そのとりあえずの平和の中から、人は民主主義や技術の発達の素晴らしさを知り、生活の向上の幸せとそれを維持するための知恵を絞るようになるんじゃないですか。共存するにはどうしたらいいか、真剣に考える余裕も生まれてくるんじゃないですか。

私はミッションスクールで教育を受けました。キリスト教を自身の信仰として受け入れることはありませんでしたが、チャプレンの説教の中、今も強く心に残る言葉があります。

その先生はこう言いました;
「世の中にはいろいろな宗教があります。
 人はそれぞれ違う宗教を信じます。
 でも、どんな宗教も、その根底にあるものは同じです。
 それは愛です」

 

この言葉はキリスト教にさまざまな疑問を感じていた私の心に染み入りました。

普遍的な愛の成就のために、踏絵、踏んでもいいじゃないですか。

情緒的過ぎる言い方になってしまいましたが、ウヨクでもサヨクでもない普通のおばちゃんが世界の民族紛争宗教戦争を見ていて、素朴に感じることです(そしてそれはたぶん真理)。
真理というものは常に単純なものだと思います。

もし、神様が存在するなら、仰ると思います、「踏むがいい」と。

 

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コメント

今日のトピック、いいですね。私もキリスト教の教義には欺瞞を感じ決して好きではないのですが、「沈黙」はずいぶん感動した覚えがあります。「踏むがいい」という心意気で戦争に行った男たちの気持ちが、いまどきの方には分からないことでしょう。現代の視点で裁くことにのみ一生懸命ですからね。
話が前後しますが、仕事上知り得た在日外国人たちに「愛国心」のことを尋ねてみました。すると「買い物をしたらお金をはらうようなもの」「ご飯をお箸で食べるようなもの」と明快に答えてくれました。日本では「タカ派」と称されるような人たちの考えが、海外ではまともなようです。そういう人たちとばかり付き合っているわけではありませんよ。ちなみにアフリカ人・スリランカ人・カナダ人・コロンビア人です。「プチ・左巻きの」方々が好んで使う「市民」や「住民」も「国民という概念の一部でしかない」ということでした。学校でももちろん、家庭でも小さな頃から当たり前のように教えることだそうです。どうやら日本が後進国のようですね。

投稿: ねこっち | 2006年5月10日 (水) 18時04分

robitaさん、こんにちは。

私も、パレスチナやイラク・アフガニスタンの状況を見ていて、「平和ボケ万歳」って思ったんですよね。

筋を通したり誇りを守ったりするために血を流すくらいなら、ボケで結構、生き延びてナンボ、ボケの方が幸せなんじゃないのって。

ただ、みんながアメリカの言うことを聞いたとして、アメリカの推奨するやり方で世界中の人達がちゃんと食べていけるのだろうかという疑問は残ります。

そんな事より何より戦闘がおさまるのが先というのもよくわかるし、逆らわなければ原爆を落とされることも、枯葉剤を撒かれることも、劣化ウランを使われることもないでしょう。でも、この民主主義が世界中に広まったとして、飢餓がなくなるのか?というと決してそうではないのだろうと思います。ほとんどもう各国の順番は決まっていて、上から順番に潤って最後の方には何もいきわたらないということになるなら、切ないなあとは思います。

それでもそれを仕方ない事とあきらめて、平和を手に入れるほうが「今」よりもずっとましなのかもしれません。そして私自身今の豊かさをあきらめられないなら、それを責める資格もありません。

でも本当は手放さなくてはならないと思います。遠い国で飢餓で死んでいく子供達の上に私達の豊かさがあるとしたら、
本当はあきらめなきゃいけない。責めるべきは大国でも政府でもなく、己の欲なんじゃあないか。

若い頃はよく悶々とこんな事を思いました。人に話すと変人扱いされましたが。くそまじめだとも言われますが、決してまじめなのではなく、自分というものに価値を見出せないから、つい理論や理屈や正しい事に寄りかかって、何処までも自分を追い詰めてしまうだけなのですが。日本人、そういう人が多いんじゃないでしょうか。

投稿: haru | 2006年5月10日 (水) 19時51分

今日、久々にロビタさんのブログを見て、ちょっとびっくり。へぇ~・・ロビタさんてこんな風に考えているんだーって。

私だってもちろん、平和を享受していますし、「大」がつく平和ボケの一人ですけど。でもだからといって「アメリカと仲良くすればいいじゃん」とは言えないなぁ・・。
だってなんだか「ヤクザの人にみかじめ料を払ってウチのお店は安泰。店の中で暴れる人もいないし、露骨な嫌がらせもないし」って感じ・・しません?
アメリカが豊かで強ければ、その分だけ拒絶したくなる気持ち、わからないでもないなぁって思うんですけど。

>でも本当は手放さなくてはならないと思います。遠い国で飢餓で死んでいく子供達の上に私達の豊かさがあるとしたら、
本当はあきらめなきゃいけない。責めるべきは大国でも政府でもなく、己の欲なんじゃあないか。

私はこのharuさんの意見に激しく同意デス。

投稿: | 2006年5月11日 (木) 03時28分


久しぶりの投稿で、署名を忘れてしまいました。
スミマセン。

投稿: いのっぴ | 2006年5月11日 (木) 03時29分

>haruさん、

アメリカが力に物言わせて世界がまあまあ平定され、安全になったところで、日本など先進国が技術指導や経済援助をして国づくりのお手伝いをするようになると思います。
仰るように、飢餓や地球環境の問題は世界中で考えなければならないので、戦争なんかしてる場合じゃないですよね。

しかし、戦争が治まって国が復興を始めたとしても、領土争い、資源の取り合いで、戦争はまた、起きるかもしれませんね。
どうします?
分け合いますか?

haruさんは分け合えばいい、と仰います。欲のない人ですね。
私はどっちでもいいです。やはり物欲ありませんから。

でも、大多数の人は分け合うのは嫌だと思うんじゃないでしょうか。

平等を重んじるなら、自分の分が減っても分け合うことを選ぶでしょうが。

私は去年8月の「人間には慈悲の心がある」( http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_cae9.html )という記事で、ある本に、「可哀想だと言いながら、みんな自分の分を減らすのは嫌なのだ」ということが書いてある、と書きました。

困りましたねえ。

他人事みたいな言い方だけど、私はこういう書き方をしながら、「あなたはどうしたいの?」とみんなに問いかけてるつもりなんです。生意気でしょう?

人類というのは、どうも「競争」がないと滅亡してしまうらしい、ということはわかってきました。

だから、平定されて民主主義を手にした国は、大いに議論し、自分たちで良い政府を作る努力、豊かさを手に入れる努力、競争に勝つ努力をしなければなりません。

先進国はそのお手伝いはするけれど、施しになってはいけませんよね。

だから、競争は起きて当然だと思います。豊かな国貧しい国ができるのは仕方のないことです。

等しく分け合おうなどという考え方はそもそも人間には適合しませんね。欲を捨てよというのは人間をやめろというのとほぼ同じ意味じゃないかと思います。

私だって、息子の学費にキュウキュウとしてるのに、なんで他人のために自分の分を分け与えなきゃならないの、そんなの嫌よ、と思うんです。やっぱり「欲」ありますね。あはは。

でもね、これだけは言えると思います。

食糧不足は深刻で、地球上で生産される絶対量がそもそも足りない、と言われるけど、人間の科学技術の力は凄いと私は思っているので、きっと良い知恵が出てくると思います。

そのために世界中で協力して、飢餓と地球環境問題に取り組まなくてはならない。そのために、いったんは平和の小康状態が必要なのだと思います。

投稿: robita | 2006年5月11日 (木) 11時22分

>いのっぴさん、
お久しぶりです。


>ちょっとびっくり。へぇ~・・ロビタさんてこんな風に考えているんだーって。<

そうですか。私は前からこういう考え方なんですけど、ブログの最初から読んでみてください、というのも酷だしねえ。
haruさんへの返信が一応私の考えのおおまかなところです。

投稿: robita | 2006年5月11日 (木) 11時40分

>ねこっちさん、

「沈黙」って、あんなにドラマチックな物語だったんですねえ。もっと早く読めばよかった。

「愛国心」にどうしてもアレルギー反応が起きてしまう人がいますね。
でも、私はそういう意見もあっていいんだと思います。
私は自分で「中庸」だと思っているんですけどね。勝手かな。

投稿: robita | 2006年5月11日 (木) 11時58分

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