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2006年5月19日 (金)

「炭焼物語」

「国家の品格」に書かれていること、それとあの勢いのある文章、私は大好きだ。
著者の藤原正彦の「わしの言うことは正しい。わしの言う通りにすれば必ず日本は良くなる」と言い切る潔い頑固親父ぶりも好ましい。

好ましくはあるが、やはり、理想的な提言は、「そのようにはいかない」のである。

「そのようにいかない」点はいくつかあるが、今日は「農業」のことについて書いてみる。

藤原先生は「農村を荒廃させてはならない」と仰るが、誰でも考えるように、今の日本で誰が農業をやりたがるだろうか、ということだ。

いくら年寄りが「最近の若者はだらしがない、昔はみんな喜んで体を使う仕事をやったもんだ」などと言おうが、きつくて汚れる仕事は誰もやりたくないのである。

食糧自給率を上げることは国の最重要課題であるのに、充分な対策も打ち出せないまま、外国の農産物がどんどん入ってくる。

誰が日本の農業や林業を継承していくのか。
いま、そういう生産業についてはどのような対策が考えられているのだろうか。
ニートに農業をやってもらおう、なんて話も出ているようだが、もともと何に対しても意欲の薄いニートにそんなことを要求するのも無理がある。

しかし、もし自分の息子が「俺、農業やるよ」なんて言い出したとしたら、たいていの親は喜ぶんじゃないだろうか。うちの息子達がもしそんなこと言ったら私はすごく嬉しい。だって、自分からあえて地味できつい仕事を選ぼうなんて、それはその人間が「気骨がある」ということの証拠だもの。それは男の子を育てる母親にとって最も嬉しいことだ。
男の子は、出世しようがしまいが、金を儲けようが儲けまいが、「気骨」さえ育ってくれれば母親は満足するものだ。

だけど、農業やってる男に嫁は来ないだろうなあ、とも思う。
私だって農家の嫁になって泥にまみれ腰の曲がったお婆さんになりたくないから農家の嫁なんかになりたくなかった。

みんな自分は農業やりたくないくせに、「日本の農業を荒廃させてはならない」などと言う。

どうしたらいいのか。

ずっと前、「農役」 という記事を書いたが、子どもの頃に土から物を生産する経験をさせるのは(しかも本格的に)、何かのきっかけになるのではないかと思うのだがどうだろうか。

芽が出るのは嬉しい。収穫も嬉しい。

過日、夕食に食べたゴーヤの種、いつもと違って茶色く熟していたので6・7粒プランターに蒔いてみた。
昨日芽が三つ出ていてとても嬉しかった。お向かいのお宅に夏になるとゴーヤの涼しげなすだれが庭先にできていて羨ましかったのだが、うちも緑のカーテン、いつかできるだろうか。

長男が小学生の時、庭に埋めた柿の種から育った柿の木。春先に新芽をたくさん出す。その新芽の天ぷらは一年に一度の楽しみである。
新芽自体は味のあるものではないが、カリッと揚げるとたまらなくおいしい。なにより、含まれるビタミンCの量は凄いらしい。

個人的な園芸のレベルでは楽しい。しかし、農業はつらい。

でも、集合住宅に住む子供たちに、芋ほり遠足や校庭花壇の世話などよりもっと本格的で継続的な農業生産の経験を与えることはできないだろうか。

農業は辛い。でも辛いこともまた教えなければいけないのが教育だ。

______

去年、新聞の漫画評で知ったのだが「炭焼物語」という漫画がある。
昭和30年代の頃の炭焼きを生業とする青年の日常を描いたものだ。
職業選択の発想も自由もなく、ただ父親の仕事を自分のものとして引継いで行く職人の日々の暮らしの描写の中に、自然と一体化する人間の原点みたいなものが伝わってきてちょっと羨ましい。
ドラマチックな展開などは何もないが、とても好きな漫画だ。

高級品としての備長炭は近頃は空気清浄剤、石鹸、シャンプー、ご飯に入れて炊く、など、燃料以外の需要が多くなっている。

以前「木炭日和」という、村田喜代子のエッセイを読んだことがあるのだが、備長炭の空気清浄効果が文面から体に感じられるほど伝わってきて、「ぜひとも備長炭を買わねば」という気持ちに駆られたことを思い出す。

都会の人間が憧れるあのマイナスイオンを放出する備長炭は、今もどこかの山林で、寒い思いや熱い思いをしながら誰かが焼き続けているのだろうか。

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コメント

robitaさん、こんにちは。

私は学生の頃、北海道で一ヶ月間住み込みの酪農体験した事があります。
朝は4時から休憩を挟みつつ遅い日は7時頃まで、かなりの重労働でしたが、本当に貴重な体験になりました。

自然と向き合いながら生きていくことの過酷さを感じ、自然と敬虔な気持ちになったし、仕事はきついけど、都会の生活では決して味わえない充足感に心が満たされました。

でもこの地で私も・・・とはならないんですよね、やはり。本当に大変な仕事だし、心身ともにタフじゃないととてもやっていけない。都会でぬくぬくと生きてきた私には一ヶ月が体力の限界でした。
ただ、もし経営に関与せず、いち働き手として給料をもらいながら通いで働けるなら、こういう暮らしも悪くないなあととは思いました。個人経営が圧倒的多数の状態では無理な事ですが。

一つの職業として簡単に転職が可能なら、農業やってみようって言う人は結構いるのではないのかなあって思います。現状、農業を生業とする事は、社長になるってことですから、結構ハードル高いのですよね。農地だって簡単には手に入らないし。

いち社員として農業できれば、憧れの田舎暮らしがかなり現実味を帯びてくるのだけどなあ。田舎育ちの母には「あんたらみたいな甘ちゃんに田舎暮らしが耐えられるものか」と言われるのですけどね。

投稿: haru | 2006年5月19日 (金) 16時04分

>haruさん、

私も独身時代、北海道でアルバイト一ヶ月やりましたよ。
ジャガイモ農家なので、酪農ほどきつくなかったと思います。小学生の子供も3人いて結構楽しかったです。
私、若い頃田舎にすごく興味を持ってて、長野県小谷村の過疎対策なのですが「名誉村民」(という名称だったかな)、会員になって紅葉狩りやスキー大会なんかに参加したこともあります。
ちょうど昨日、日本テレビの「バンキシャ!」で小谷村の山村留学を取り上げてて、とても懐かしかったです。

今、地方の建設会社で農業に参入するところがあるとか言いますよね。
会社形式になったら、若い人も入りやすいのかな。
でも、日本の農業というのは大型経営には向かない(というか、できない)なんて話も聞いたことがあります。
むずかしいですね。
でも農業問題、大事な問題だから、考えていかなくてはね。

投稿: robita | 2006年5月22日 (月) 11時44分

実は、今の日本の人口は、既に日本の国土ではまかなえない数になっています。つまり、農作物を輸入しないと、もう食べてはいかれない、ということです。

それはそれとして、じゃあなんで農業に魅力がないのか?といいますと、有り体にいえば「儲からないから」に尽きてしまうのです。日本が戦後復興を遂げた背景には、世界の経済が「工業化社会」になったことがあげられます。つまり、工場で作られる製品が、農作物よりも高く売れた。だから「加工貿易立国」つまり「原料を輸入して、加工して製品を売って、そのお金で食料を買う」が可能だった。もしも工業製品が農作物より安ければ、このモデルは成立しません。

今後、たとえば中国その他の途上国で、もしも爆発的に工業生産力が増大していきますと、どんどん工業製品の価格が下がるでしょう。そうなると、相対的に、食料の価格が上がることも考えられます。世界的な人口増加は、この傾向を加速します。

農業が見直される日は、近いのかもしれません。ただし、そのときが、我々が想像するような豊かな農業が帰ってくるとは言い切れないと思います。

ちょっと暗い話になってすいません。。。

投稿: single | 2006年5月29日 (月) 17時23分

>single(短くなった!)さん、

>有り体にいえば「儲からないから」に尽きてしまうのです<

このところ日照時間の不足で野菜の出来が悪く、値段が高騰してるとか言われます。
農業専門家は「高くても、外国のでなく日本のものを買ってください。でないと、農家はいっそう儲からず、農業もすたれます」などと言います。
私もそう思うし、野菜の高騰を世間が騒ぐことについて少々言いたいこともあるのだけど、「ぎりぎりの生活を余儀なくされている人たち」のことを持ち出されるとグウの音も出ないので書きませんが、結局、どんな状況も私たち自身が選んでいるということなんですよね。
singleさんの仰る、「儲からないから」は、どんな場面にも当てはまりますね。それは我々自身の選択ですよね。

>農業が見直される日は、近いのかもしれません。ただし、そのときが、我々が想像するような豊かな農業が帰ってくるとは言い切れないと思います。ちょっと暗い話になってすいません。。。<

いえ、全然暗くないです。
見直される農業とはどんなものか、私はぜひ見届けたい。

投稿: robita | 2006年5月30日 (火) 11時23分

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