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2006年6月12日 (月)

結婚しよ!

前エントリーにコウイチさんとととさんからコメントをいただいた。
返事を書いていたら長くなってしまったので、今日の記事にする。

まず、ととさんの記事を読む。

私はコウイチさんの言わんとすることがよくわかるのだが、思っていることをこのように字にして表わすと、結果的にワーキングマザーに居心地の悪い思いをさせてしまうというのはよくわかる。
しかし、「こうだからこうなる」という非常に単純な因果関係を述べているだけのことで、「変えるべき」とか「元に戻すべき」などということでは全くないと思う。
それは、私も男女問題について以前からそういうスタンスでずっと書いてきているのでわかるのだ。
なぜなら、いま人間が直面していることは、進歩の必然であり、たどるより他ない道だからだ。おそらくコウイチさんも同様に思っておられるだろうと推察する。あれらの表現は「逆説的」ととらえたほうがいいだろう。

もし、「昔のように、女は家庭に戻って家事育児に専念すべきだ」などと思う人がいたとしたら、その人は何もわかっていないのだと思う。

我々には、現実に合わせて(いろいろな考え、生き方に合わせて)制度を整えていくしか道はないのである。

しかし少なくとも、女性が外で働くようになったので、核家族化の元、家事育児の担い手や地域社会の担い手が非常に少なくなった、この因果関係だけは認めなくちゃいけない。
良いも悪いもこれはたしかなことだ。

「だから女は家に帰るべきだ」と言ってるのではなく、これまでも何度も言ってきたように「そういう事実があって、その事態は男女のメンタリティさえ変えつつある。そのように変わった男を、女を、受け入れるしか道はないでしょう。その覚悟ありやなしや」と、言っているだけなのだ。

このことが理解されないかぎり、奮闘中の子育てママはいつまでたっても、「そういう考え方がワーキングマザーの肩身を狭くしているし、少子化も改善されない」と繰り返し同じことを言い続けなければいけなくなる。

【良い国というのはどういうことかというと、
戦争が起こる。男が徴兵される。
その時に「なんで男だけが徴兵されるんだ。女だって戦わなきゃ不公平だろ」という声があがらない国のことです。】

コウイチさんのこの言葉は私にはよくわかる。
「良い国」というのは誤解を招きやすいと思うが、これは、今まだ地球上に「男は弱い女を守るもの」という価値観が残っていることを指すと思う。
その価値観はあまりに長い間人類の共通のものだったので、「良い」とか「正しい」とかいう言葉で表現されがちだということだ。
しかし、人類は変わりつつある。
「男が女を守る」という構図は女性みずからが崩しつつある。
そしてすでに男には女を守る余裕がなくなりつつある。

コウイチさんの「変質者」という言い方は、健全な大人のかたがたには大変ショックな表現だと思う。 しかしこれも、動物界の法則から逸脱した変異の現象ととらえればなんの不思議もないのである。
そもそも、人類自体が他の動物とかけ離れた進化の道をたどっていることは変質以外の何ものでもないのではないか。

言ってることがよくわからん、とか、そんなおおげさな話か、とか思う人は、たぶん女性問題について突き詰めて考えたことのない人だと思う。

子孫存続という自然法則が、人間の特殊性ゆえ大きなひずみを生じている、という因果関係はたいていの人にはわかる理屈だ。

で、ここからは少子化問題の具体的な話に移るが;

例えば、共働きが増えて、地域社会が空洞化し、子供が犯罪に巻き込まれやすくなった、などと言われるけれども、それは何もワーキングマザーのせいじゃないのだ。
そんな事態になっているのなら、専業主婦とか退職者とか、そういう人たちが地域の安全を担えばいいだけのことであり、女性が仕事と子育てを両立できない社会だから子供を産みにくいのなら、産みやすいように制度を整えればいいだけのことなのだ。

子育てが困難な世の中であるというのも事実であると思うが、そういうことは本当に困っている人の要望に答えて国にしっかりやってもらうとして、私はやはり、結婚しない男女が増えていることに注目したい。

朝日新聞(5/28)に掲載された調査結果によると、30代前半の未婚者の割合を1950年と2000年で比較すると;
 
    男性 8%→43%
    女性 6%→27%

となっている。6年後の今はもっと増えていることだろう。
しかし、結婚を望まない人が増えているのかというとそうではなく、大半の人が結婚したいと思っているとのこと。
結婚に至らない理由として、「適当な人にめぐり会わない」「昔はあったお見合いや職場結婚が減った」などと、これまでこのブログで書いてきたことが、アンケート結果として出ている。

上記の43%や27%は大きい。これらの男女が結婚して1人でも子供を生むだけですごいことになるのではないか。
いや、子供生まなくたっていいじゃない。カップルが誕生するだけで、世の中明るくなると思うよ。

だから、私は30代40代独身男女の本音を知りたくて、ブログ上で該当する人がいないか、あちこち見ているのだけど、そういう人どこにいるんですか。特に女性があまりみつからない。おーい、負け犬ちゃん、どこにいるのー。

今日はサッカーの日本戦で、日本中が気もそぞろ、ブロガーたちも独身男女問題どころじゃないとは思うが、ものすごく大事なことだと思うので、おばさんは朝も早よからがんばった。

さー、洗濯しよ。

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コメント

私もこの問題の当事者(笑)の一人なんですが、やはり「起こるべくして起こっている事態」というだけ、のような気がします。
現在の男女関係を見ますと、結婚しないとできないのは「出産」だけ、じゃないでしょうか?それ故、同棲生活は妊娠によって「結婚」に移行するか「精算」されるかの道を辿りますよね。
それ以前の男女交際の自由化という奴は、早い話が「もてる男(女)」「もてない男(女)」という二極分化を招いただけでありまして、そもそも欲求水準があがってしまった「もてないチーム」が結婚しなくなるのは必然にすぎませんから。
で「もてるチーム」は「もっと良い人」に巡り会う確率があるわけで、必然的に婚姻率の低下と晩婚化に至るだけです。

事実、人口が多いのは発展途上国(この言葉は欺瞞で好きでないのですが)でありますから、少子化が問題なら先進国を止めるとか、戦争でもしてみりゃいいのですが(笑)さすがにそりゃ暴論でしょう。途上国化にしろ戦乱にしろ、よりよい配偶者を選択できる機会が減りますから、出生率の向上に結びつくことは間違いないんですがね。
ようは、クーラーや自動車と配偶者も一緒で、贅沢になっただけのことかと思われます。人口学的に言えば、子どもは「高級消費財」らしいですし。

すでに「出来ちゃった結婚」が結婚の半数に達したということ、このままですと「順番」が変わるほうがスタンダードになりましょう。

むしろ、論理としては「結婚制度の廃止」または「少子化万歳」という議論だってアリなはずで、そっちのほうが現実的なんじゃないか、と思うのです。少なくとも「産む選択」だけを優遇する根拠は、再び軍国主義に戻れないわけだし、乏しいと思うのですがね。

投稿: single40 | 2006年6月12日 (月) 14時46分

こんにちは。

まずはととさんへのレス、こちら側で失礼します。
不快に思わせてしまったら申し訳ありません。
自己実現の方が~の件がどういった人間を指すのかは既に発信した手前、受け手の方々に委ねたいと思いますが、子どもよりわが身を案じる親がいるのならその人のことは憎く感じます。他国では親と子どもの関係についてどう捉えているのかわからないですけど、僕は親が子を思えないというのは犯罪だとすら思ってしまうのです。
それが僕のポジションなんです。

私は違うわよ、と思われるのならその通りなんです。でも現実には自分の子より、好きな男のことを大切にする女が過去にいたのです。そしてその子は母親のことを憎むのではなくて男の方を憎むんです。でも、それが同じような他所の子のケースを眺めたときに、その子は(他所の子の)母親の方を憎んじゃうんです。
でもそんな人間は稀なんです。僕の主張も今の時代では稀であるべきだと思います。無神経だった発言は本当に申し訳なかったと思います。

>>robitaさん
おっしゃっていることは正論だと思います。

そして、僕は「いきすぎた個人主義」(これ本当に正しいのかな)に身を委ねるしかないと思ってるんです。
single40さんのおっしゃるとおり、少子化万歳なり結婚制度廃止の方が僕も現実的だと思います。

ただ、教育基本法改正にせよ、一時(一部で)話題になった憲法24条改正にせよ、僕はrobitaさんが書かれていたような「社会がヘンになっている」ことにたいする解決として出てきて、
ちがう、と言い続けることが、何らかの解決になるのであろうか。
ちがう、と言い続けることが、何らかの前進をもたらすのであろうか。
と思った時期があって共感を抱いたときがあったんです。

でもやっぱり乗れないんです。だって、抑圧されるのは僕じゃなくて、きっと僕とは違う性別の人だから。
自分の考えと照らし合わせたたとき、やっぱり怖いんです。縛り付けちゃうってのは。

投稿: コウイチ | 2006年6月12日 (月) 20時22分

robitaさん、こんばんは。
コウイチさん、レスありがとうございます。

>コウイチさんの「変質者」という言い方は、健全な大人のかたがたには大変ショックな表現だと思う。 しかしこれも、動物界の法則から逸脱した変異の現象ととらえればなんの不思議もないのである。
そもそも、人類自体が他の動物とかけ離れた進化の道をたどっていることは変質以外の何ものでもないのではないか。<

私は、コウイチさんが言われる『変質者』の意味を、次のように受け止めました。
つまり、女をレイプする男も、自己実現のために子どもを置いていく女も、結局は目の前の女や子どもの感情より、とにかく自分の気持ちが優先なのだ。他者の気持ちは無視して、自分の欲望だけを優先することこそが『変質者』なのである。

それがrobitaさんの言われる動物界の法則から逸脱しているということなのかどうかはわかりませんけど、自分としてはそのように理解していたので、それほど大きなショックはありませんでした。
ただ、私のエントリーの中で『?』としたのは、レイプする男と自己実現を望む女には決定的に違いがあるから。それは、レイプする男には快感しかないということ。自分の暴力の犠牲になる女への哀れみや同情は一切ない。でも、自己実現のために子どもを置いていく女は、子どもが泣くのと同じように泣いているんです。保育園でのお別れのとき、後ろ髪を引かれるのが辛くて走って仕事に向かうんです。その気持ちは周りの人には伝わらないのでしょうけど。

コウイチさんの周りにいた『子どもより男』という母親については、思いもよらないことだったので、この場合の『自己実現』は仕事をする女性を念頭に置いていましたが。

さて、私はコウイチさんのように考えている人は多いと思います。つまり、女を抑圧することで家庭や社会が良くなると思う人。私は、この抑圧を家事育児のために家に帰すと理解しているのですが。

>もし、「昔のように、女は家庭に戻って家事育児に専念すべきだ」などと思う人がいたとしたら、その人は何もわかっていないのだと思う。<

私もそう思うけど、実際はどうなんだろう?
介護保険のことが話題だった頃、亀井静香議員が『家で年寄りを看るという日本の美徳が壊れる』と言ったのを、私は忘れられないです。家で年寄りを看るのは誰でしょう?女ですね。それも嫁という立場の。亀井さんご自身が下の世話をするとは、とても思えない。男を頂点とした一昔前の家族に戻ったほうがいいと思っている人は、多いんじゃないかと思うわけです。

コウイチさんのコメントは、そう思う自分の気持ちを隠しておらず、それが女性への無言のプレッシャーとなることを認めていると感じました。この無言のプレッシャーの部分を自覚していない人もいるのが、困ったことなんです。

今の家族のあり方は、現在の都市一極集中の問題を抜きにしては語れないと思います。つまり、女が家に戻れば、大家族ができたり地域社会が復活するわけでもないだろうということ。地方で生まれた人間がそこで生きていくということがもっと容易にならなければ、都会の核家族と地方の老夫婦世帯という構造は、なくならないだろうと思うのです。

>僕は「いきすぎた個人主義」(これ本当に正しいのかな)

コウイチさんのこのコメント、私も考えていたところです。「いきすぎた個人主義」って具体的には、どういうことなんだろう。自己実現を目指す女のことか、家を継がずに都会に出て行く長男のことか、駐車違反を咎められて監視員に食って掛かる人のことか。

そのうち、まとめてみようっと。

投稿: とと | 2006年6月12日 (月) 23時36分

すいません。つけたしで。寝る時間なので簡単にですが……。
男が女を守る云々を崩したのは女だっていうのはそうなのかそうじゃないのかはっきり言い難いのですが、

僕は今の「男女平等」や「自由」というものが担保されるには男の命は女の命より価値が低いし、男の性は女の性より価値が低いということが前提になってると思うんです。オスとメスなので当然といえば当然なのでしょうけど。
これを文句言わず、受けて、立つ。というのが現代の男らしさだと思ってます。

問題は、その男らしさに耐え切れなくなってるのがいるんですね。実際にあれはこれはそれは男性差別だなんだと言ってる人たちがいるんです。
これが女性のせいだというとちょっと女性がかわいそうだと思うんです。何故ならお互いの性の価値の差を大前提に自由競争してるわけだから。

あの戦争の例えはそういうことで、実際に男がそういうことをするのは当たり前なんだよってことが当たり前じゃない不公平だって声があがってきてるんです。

で、そこまでならいいんですが、次第に女性を抑圧しろって声が出てくるんです。これって男らしさの前提を男が自分で崩してることだと僕は思うんです。
前にシャイな男がどうのこうのとここのブログでありましたが、僕はどちらかといえば男が合わせるべきだと思うスタンスなんです。それが現代の男と女だから。
でもそれなら、と男らしさを降りる。降りるんだけど、まわりからはあーだこーだ言われる。それじゃあ女をなんとかしろとなる。女としてはなんとかしたくない。

それでこの先どうなるかというとどうなるかわからない。わからないけど、もしかしたら制度で縛り付けにくるかもしれない。それはちょっと怖い。

そうならないように、女性の皆さんには女らしくなってほしいと僕は思ったのです。女らしさとはもてない男のためにあるのです。おとなしめの女が好きだと抜かすならば、サナトリウム帰りの物憂げな文学少女でも演じてもらおう。それが日本の平和のためなのです。と。無理がありすぎるのですが。

投稿: コウイチ | 2006年6月12日 (月) 23時42分

>single40さん、

子供を持つと女性も男性も大変だ、というのなら無理して持つことはないと私は思うし、国が少子化対策としてあれこれやっても実はあんまり効果はないのでは、と思っています。
「もっと金銭的援助を」とか「保育園の整備を」とか「企業の意識改革を」とか、もっと支援してくれれば子供を是非生みたいと叫ぶ人はいるけれど、そしてそれは真実だとは思うけど、それらの人々はたぶん大きい声のminorityじゃないかと思うのです。
少子化の原因はもちろん一つではなくそりゃあ色々あるのは事実だけれど、たぶん人間社会全体から考えれば「子供を欲しがらない人が増えた」、これだけのことだと思うんです。

1月7日「国家の構成員としての自覚」( http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_75e3.html )という記事で下の方に緑の字で引用したのですが、ジャーナリスト勝谷誠彦氏の言葉は過激ではあるけれど、「試しに保育所やなんぞをもっと充実させてみるがいい。誓って言うが人口は決して増えない」というところは同様に思いました。

私はそんな国の対策に期待するより(もちろん子供が欲しくても余裕がない人への対応は必要ですが)、結婚しない男女に目を向けるほうがずっと現実的だと思うわけです。
おじさんやおばさんはいつまでも自分探しやってないで、まわりの独身者にもっとおせっかいをしたらどうかなと思うのですが、やっぱりおせっかいかな。ここのところがよくわかりません。

投稿: robita | 2006年6月13日 (火) 10時41分

>コウイチさん、ととさん、

お二人のコメントを読んで、今思うことをまとめるのは難しいですね。あまりにもいろいろなことが浮かんでくるので。

【もし、「昔のように、女は家庭に戻って家事育児に専念すべきだ」などと思う人がいたとしたら、その人は何もわかっていないのだと思う。】
この、「その人は何もわかっていない」というのは、「すべて人間社会はなるべくしてこうなっている」という人類の必然がわかっていない、という意味で、わからない人はわからないだろうということです。(なんか池田晶子的ですみません)
女を家に戻す(抑圧する)というのは、民主主義をやめて全体主義にするというのと同じことです。

(ところで亀井さんはそういう無神経なことを言う人ではあるけれど、過激な小泉改革に反対で「弱者の味方」でもあるんですよね。日本人がNOと言って排斥した「みんながほどほどに平等で幸せな日本型社会主義」の権化みたいな人なんですよね。)

ただ、ここで難しいのは、今の日本は個人主義が行き過ぎているので、もう少し「国家」への貢献を考えたらどうか、ということも叫ばれているわけです。

私はそういう意味で個人主義をとらえていたのですが、コウイチさんの「single40さんのおっしゃるとおり、少子化万歳なり結婚制度廃止の方が僕も現実的だと思います。」という言葉で、「もう少し個人主義に身をゆだねてみてもいいのではないか」という意味がわかりました。

こういったことをつらつら考えてくると、国家と対峙する「個人主義」を言う時、それを「働く女性」に向けてはならない、とはっきり思いました。
国家の一員としての教育というのはあくまでも「子供をしっかり教育する」ということでなくてはいけないはずです。
 
>男が女を守る云々を崩したのは女だっていうのはそうなのかそうじゃないのかはっきり言い難いのですが、<

これは、もう女性なのはたしかでしょう。(女性を責めているのでは決してありませんよ) 
女性が目覚めたという「極めて正しく好ましいこと」がそうさせたんです。

>今の家族のあり方は、現在の都市一極集中の問題を抜きにしては語れないと思います。つまり、女が家に戻れば、大家族ができたり地域社会が復活するわけでもないだろうということ。地方で生まれた人間がそこで生きていくということがもっと容易にならなければ、都会の核家族と地方の老夫婦世帯という構造は、なくならないだろうと思うのです。<

諸悪の根源は「一極集中」と言われてると思うのですが、そう考えるとやはり地方分権、道州制導入は最重要課題かもしれませんね。

先日、私がよく聞くラジオ番組で首都大の宮台先生が「物事の判断には、視点、視野、視座が必要です。自分の立場だけとか、一つの側面だけで判断せず、多方面から見てみる努力をすることが、結果的に国民としての民度を上げることにつながります」というようなことを仰ってました。
自分の立場だけでものを見る人は短絡的で過激な言葉を発しがちですが、一連の意見を読ませていただいて、ととさんもコウイチさんも実に広い視野を持った人だと私は感心しています。

今はあまり、考えがまとまらなくてこれぐらいしか書けません。
そのうち、また。


投稿: robita | 2006年6月13日 (火) 10時54分

こんにちは。
世代的に結婚20年~30年越の仲間が多くいます。
彼女達に、例えば読んでいる本の話題などを夫の間で話題にするかと聞くと、「いや、関心が違うから…」で一蹴です。
自分の考えていることの基を、議論したり共感したりするという発想が見受けられない(たまたま自分の周りだけでしょうか)。
となると、結婚・夫婦って、なんだろう。生き物として種の保存と自分の口過ぎのために、つがいになっているだけなのか、とそんな風にさえ思ったり。
そんなはずじゃあ、ありませんよね。かけがえのない月日ってものがあるはずだと、言いたいのですが…。
抽象的な議論とは別に、わたしの周りから聞こえてくる現実…です。

投稿: 街中の案山子 | 2006年7月 9日 (日) 11時14分

>街中の案山子さん、

「同志」のように、議論したり同じ夢を追いかけたり、そういうの、若かりし頃は私も憧れましたが、もともと「同志」として惹かれあったのでなく、単なる恋愛(見合い)なので、趣味も違えば、関心ごとも違います。
案山子さんのような方から見れば「生き物として種の保存と自分の口過ぎのために、つがいになっているだけ」となるのでしょうが、私思いますに、趣味が違うだの、関心ごとが違うだの、そーんなもん、一瞬で吹き飛ばしてしまうのが、夫婦の歴史、家族の歴史なんじゃないかな、と。(案山子さんは逆なんですよね。同じものを共有する同士だからこそ、意味のある歴史を綴ることができる、と思われるんですよね)

夫婦の形態はいろいろで、夫と話が弾まなくてそれが寂しいのであれば、他の人とそれをすればいいんじゃないかな、と思います。
私の知るかぎりでも、議論したり同じことに関心持って一緒に楽しんでる夫婦ってあまりいないですよ。
で、それじゃあいけない、とは私あんまり思わないんですよ。
年寄り夫婦には年寄り夫婦の過ごし方があるんじゃないですか。
はは、私、すでに年寄り感覚ですね。


投稿: robita | 2006年7月10日 (月) 14時15分

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