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2006年6月19日 (月)

台所から世界が見える

土曜日の夕刊に「台湾船、掟破りの乱獲」として、台湾がマーシャル諸島周辺の太平洋やインド洋でマグロを獲りあさっている、という記事があった。

日本はこれに対し、「我々はマグロ資源を守るために漁獲を制限する努力をしているのに台湾の態度はなんだ」と怒る。

台湾の漁業者はそれは理解しつつも、自分たちだけが悪者扱いされることに割り切れない思いを語る。
「おれたちが捕ったマグロは日本の消費者が食べる。安くてうまいマグロが食えて幸せだという意識が、日本人にありますか?」

我々は豊かさを手に入れ、多くの日本人はおいしいものを頻繁に食べられるようになった。

手巻き寿司なんていう、昔は贅沢なメニューが、普通の家庭でもよく食卓に上がるようになったと思う。

しかし、そうなると当然のことながら有難みは薄れてくる。

昔は貴重だった食べ物が割合手軽に食べられるようになると、子供たちは食に関心がなくなる。

これはとても危険なことだ。

一事が万事、豊かさの代償だ。

貧乏になるのはイヤだし、政治が悪い、制度が悪い、と人は叫ぶ。

だから、「金を儲けて何が悪い」と言って憚らないホリエモンや村上世彰のほうが正直でわかりやすく幾分なりとも好ましく思えるのは仕方がない。

ところで、single40さんのところで、資本主義の限界についての記事を読んだ。(「限界」でなく「無限」だそうだが)

どんな制度も完璧なものはなく矛盾を生じるものだと思うが、資本主義と社会主義とではその矛盾が、後者のほうがずっと大きいことを人々は理解してきたのだが、ここにきて、無限に豊かになることの危うさが見えてきた。

これは結局、家族制度や女性問題に言及しなければその全体像は見えてこないと私は思うのだがどうだろうか。

限りある地球上の資源を守らなければいけない、とか、贅沢に慣れた子供たちに「めったにないマグロの日の歓び」を味あわせてやらなければいけない、とか、人は思う。

日本人はマグロを食べたいのだろう。マグロが好きだから。

でも、 限りある地球上の資源を守らなければいけない、とか、贅沢に慣れた子供たちに「めったにないマグロの日の歓び」を味あわせてやらなければいけない と思うのだったら、当然、ありあわせのものや安いものをおいしく食べる工夫が必要になってくる。

つまり、人間は台所での長時間労働が必要になってくる、ということだ。

以前、我が家の台所の使い勝手が悪いので、リフォームを依頼したことがある。
やって来た「キッチンコーディネーター」と名刺に印刷された女性は残念ながら専業主婦がどのように工夫をしながら台所を使っているかよくわかっていなかった。
彼女は「働く女性」であるから、「働く女性が使いやすい台所設計」には詳しいと思う。そして、働く女性は増えているのだから、台所設計はそれでいいのだと思う。

しかし安い材料やありあわせのもので工夫しておいしいものを作るには時間やそれなりのスペースが必要になってくるのではないか。
私は専業主婦のくせにそういうことが完璧にできているわけではないから偉そうなことは言えないが、理屈ではそのように思うし、台所仕事をやっていて実感する。

つまり、男も女も子供ももっと台所で働かねば、地球資源を守ったり贅沢を戒めたりすることができない。

しかしだ、みんな忙しいのだ。男も女も外で働き、子供は塾や習いごとで、家でじっくり工夫して料理をすることができない。

疲れて帰って来て、さらに手をかけた料理を並べる努力をしている人もいるにはいると思う。でも、そういうのって痛々しく気の毒な気がしてならない。なんか馬車馬のようにフル回転で働きづめ、というふうに見えてしまう。人生ってなんなんだろう、って思わないかしら。

昔は、お爺さんやお婆さんがやってくれていたことが、今はすべてお父さんお母さんの肩にかかっている。

結局人間は「核家族という自由」を選択することによって、不自由になってしまっている、この構図はともかく認めなくちゃいけない。

それを理解しないかぎり、「女の足を引っ張るのは女」なんて不毛な言い方をいつまでもし続けなければいけなくなる。

誰でもわかっているとは思うのだが、これを取ればあれを捨てなくちゃいけないし、あれもこれも手に入れることなどできないのだ。

高齢化社会でのお年寄りに何を期待するのか、それは、お年寄りも若い人も共に考えていくべきことだと思う。

「老人は 死んでください 国のため」という川柳に、ショックを受けて寝込んでしまうお年寄りもいらっしゃることだとは思うが、一方で、「早いとこおっちんじまえ」なんて言われて「おうよ、おめェなんかに言われなくたっていつだって死んでやらァ。けどな、おめェ、死ぬってェのはなかなかうめェ具合にいかねェもんなんだよぉ。おめェも年とりゃあわからァ」なーんて憎まれ口をきくお年寄りもおいでだろう。

「こんな川柳いちいち気にしてたら、これからの高齢化社会生き抜いていけるかってんだ」というたくましいお年寄りもおられるだろう。

私自身は死生観により「自分の死」は特別のものとも考えていないので、早く死ぬことにやぶさかでない。

「死ぬ時節には死ぬがよく候」ってなもんだ、てやんでい。

日本人が今抱えているさまざまな問題すべてに言えると思うのだが、個人の責任ではなく、制度だ社会だという話になるたび私は思う。その制度や社会を変えるのも、これはやはり個人の意識や決断に帰結するのだということは知っておいたほうがいいと思う。でも、やっぱり鶏と卵だね。ふふ

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きょうのタイトルは「台所から北京が見える」という昔読んだ本のマネをしました。
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コメント

robitaさん、

中国からのわりばしに値段が大幅に上がるという記事を読みました。中国が値段を上げるというのならば、それは日本がどうすることもできません。だから中国は嫌いだと言ってもなんにもなりません。地球資源は有限です、これからこうしたことが数多く出てくると思います。中国やインドが、アメリカ人や日本人のような暮らしをしたいとして国の経済成長に突き進んでいます。中近東の石油産油国も、もうアメリカや日本に安く石油を売りたくないとしています。

これまでの時代は大国アメリカが、その他の国ににらみをきかせて安く資源を買ってきました。そのアメリカに従っている日本も安く資源を買うことができました。しかし、これからはそうはいきません。その他の国々が「俺たちも、かかるコストに見合った正当な収益を要求する」と言い始めてきたのです。資源は安くはないのです。

貧乏な国はコストは安いです。しかし、貧乏な国はいつまでも貧乏なままではありません。やがて、豊かな国になります。豊かな国になると人件費などのコストは高くなります。そこで、先進国は他の貧乏な国(コストが安い国)を探すというのがこれまでの歴史でした。資本主義の利潤とは、このコストの差にあります。資本主義は格差が利益を生む経済システムです。しかしこの話で言えば、世界の全部の国が豊かになれば、資本主義の利潤を生むメカニズムが消滅し、資本主義は滅びることになります。

ところがここに、地球資源の有限というものがあり、世界の全部の国が、今のアメリカ人や日本人のような暮らしができるほどの資源はありません。従って、強い国は軍事力で他の国の資源を確保しようとします。アメリカが今やっているのはこうしたことです。大国の本音とは、貧乏な国は貧乏なままでいて欲しいのです。もしこれが今後も続くのならば、貧しい国は貧しいままであり続け、資本主義は存在し続けます。

しかしながら、そうはならないというのが現代なのです。軍事力でいかに押さえようとも、貧乏な国の人々は、豊かな国になることを目指します。中国やインドを見てもわかるように、グローバル経済の発達は貧乏な国を豊かにしていきます。

すなわち、豊かな国の人々は豊かな国であり続けたいと思い、貧乏な国の人は豊かな国になりたいと思うということは、ある意味で人間としてどちらの側も当然の「思い」であるわけですが、今の世の中の仕組みでは、この二つの「思い」は成り立たないということです。いつか破綻するということなのです。

だからこそ、豊かであり続けたい、豊かになりたいという人の根源的な欲望を肯定しつつ、人類全体が持続可能な新しい経済のあり方を考えなくはなりません。そのための第一歩は個人の意識が変わることです。個人の意識が変わり、人々の意識が変わり、それが政治を変えるというのが民主主義のプロセスなのです。

投稿: 真魚 | 2006年6月20日 (火) 04時12分

>真魚さん、

ニューヨークでコスモポリタン気分、楽しんでますか?

さて、社会主義は人間を堕落させるということを我々は既に学習したけれど、今度は資本主義も破滅につながるというわけで、真魚さんは、ほら、やっぱり社会主義のほうがマシだったじゃないか、と思われるわけですね。(どんなに否定されても、私には社会主義にしか思えないのです)

でも、世界の政治経済に疎い私でも(というか、疎いからこそ余計な知識なしに本質が見えるのかもしれません)、いくら「個人の意識の改革」と叫んだところで、社会主義を選ぶようになるとは思えません。少なくとも社会主義の失敗が記憶に残っているうちは。

でも、ほんの少し「欲を抑える」ように持っていくことはできるかもしれませんね。

私はよく「アメリカ人の湯水のような資源の使い方を苦々しく思っている」と書くことがありますが、こういうことについては、日本人のような工夫のできる人々が率先して教えてあげないといけないと思っています。

でも軍事について同じように言えるかというと、この世界でアメリカに強くいてくれなくては、恐ろしくて夜も眠れません。
アメリカが矛を収めれば、とか、アメリカがおとなしくなれば国際紛争は解決するなんてもんでないのは明らかですよね。そんなことをしたら、かえって世界はとんでもないことになりますよね。

「反戦」「反米」を叫ぶのは、はっきり言えば「無駄な努力」でしょう。だって、反戦を叫んでいる本人たちが、貧しくなることを選ぶとはとても思えないからです。ためしに反戦集会に参加している人に「あなたの持っている財産を半分発展途上国に分け与えませんか。そうすれば戦争はなくなります」と聞いてみるといいです。

このブログの一年前(2005.8.1)の記事「人間には慈悲の心がある」( http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_cae9.html )で、緑の字で引用した部分、「食糧配給制にするしかない。しかし、そんなことを誰も望まない」という言葉に尽きるんですよ。
だから、いっそ、ホリエモンや村上さんは正直でわかりやすい、と思うのです。

私は真魚さんと違って、アメリカの指導者がそんなに腹黒で愚かだとは思っていません。
「他の国は滅びても自分たちだけが幸せになればそれでいい」とか「資源の枯渇にまで考えが及ばない」なんて、そこまで極悪でバカだなんてとても思えない。

そりゃあ、アメリカ憎しの人々はどんなことをしても「アメリカは悪い国だ」という理屈を立てようとします。
私は別にアメリカが特に好きだというわけではありませんが、民主主義を広め、教育を普及させる、というアメリカの理想を信じるほうを選びます。

それでもアメリカは悪い、と言い募るなら、逆に私はこういうことを提案したい。

穏やかな農耕民族である日本人が、国際収支など無視して、みんなで農業林業漁業などに従事するのです。そうなるよう、国の体制を変えるのです。革命を起こすのです。
みんなで体を使って働くのです。
江戸時代のように、国のトップで頭を使う人、第一次産業で体を使う人、流通に携わる人、とはっきり職分化し、それぞれが身分をわきまえ、身分不相応なことは望まない、そういう社会を強引にでも作ってしまうことです。
そうやって、みんなで穏やかに暮らし、それを見た世界の人々は、「おお、なんと立派で幸せな人たちだろう。われわれも見習わなくてはいけない」と思い、必ず日本人のあとに続くはずです。

投稿: robita | 2006年6月20日 (火) 10時27分

旅に出ると自分はもう若くないことを実感します。おじさんの一人旅は出会いもなにもないですね。

それにしても、自分はこうした「じんるい」が集まっているところで、「じんるい」の中にいることを楽しく感じる人間のようです。みんな喜怒哀楽がある人間です。助け合って、社会を作っています。この感覚は、当然のことながら日本では感じることができません。今週末に日本に帰ります。その前にサンフランシスコへちょっと立ち寄ります。

社会主義についてですが、僕は社会主義者ではありません。しかし、社会主義を否定できるかというとできません。ソ連は崩壊しましたが、それはスターリン主義の国家が崩壊したことであり、マルクスとエンゲルスの思想が「間違っていた」わけではありません。人類の社会思想で、いまだマルクス思想を超えたものは出てきていません。

第二次世界大戦の後、焦土と化したヨーロッパを復興されたのは、アメリカのマーシャルプランというヨーロッパ援助政策によってです。アメリカは第二次世界大戦で自国は戦場になりませんでしたから、ヨーロッパの復興を助けることができたのです。日本については言うまでもありません。つまり、戦後世界の回復にアメリカは大きな役割を果たしたということです。マーシャルプランは、別にアメリカが欧州を支配しようと悪巧みを企てたわけではなく、まったくの善意でした。ちなみに、日本の戦後復興もそうです。まったくの善意としか思えないことをアメリカはやっています。まーそういう国なんですね、アメリカという国は。親切というか。

話をさらに昔に遡れば、19世紀から20世紀中頃まで、ヨーロッパからの移民はニューヨークの湾のエリス島というところで入国検査が行われていました。現在はそこは博物館になっています。以前、ここに行ったことがあるのですが、今回、再度訪れてみました。様々な事情で、母国を離れ、アメリカにやってきたわけです。その移民たちの集まった国が、今、世界の超大国になり世界覇権国家になっています。このことが、なんとなく感慨深かったです。でまあ、例によってエリス島でぼおおーと考え込んでいたわけですが。マーシャルプランのことで言えば、自分たちの先祖の故郷の国を助けたいとでも思ったのでしょうか。

話を現代に戻せば、例えば植物の種があります。農作物の種ですね。今、世界中で植物も環境破壊のために次々と絶滅している種は多いです。この植物の種を、アメリカは集めています。アメリカはあらゆる種類の植物の種を保管して管理しています。これを悪く解釈すれば、「世界から農作物の種がなくなくなった時、これを与えるから言うことをきけということのために、アメリカはそんなことをしているのだろう」となります。あるいは、良く解釈すれば「世界から種がなくなった時、無償でアメリカは提供してくれるんだな。そのために種を集めているのだな」となります。

実際のところ、そのどちらになるかは、その時のアメリカの政治状況によると思います。いずれにせよ、世界でそうしたことをしているのはアメリカだけです。そうした国ですね、アメリカは。

投稿: 真魚 | 2006年6月21日 (水) 09時23分

>真魚さん、

>マルクスとエンゲルスの思想が「間違っていた」わけではありません。人類の社会思想で、いまだマルクス思想を超えたものは出てきていません。<

私はそういった思想を勉強したこともないので、なるほど、としか言いようがないのですが、すると、日本の護送船団方式はよく言われるようにあれはあれで良かったのかもしれませんね。ただ、あのまま続けていると腐敗が進み日本全体が沈んでいってしまうということで国民は競争社会を選んだわけですから、選んだ以上、これで何とか工夫しながら生き延びていくしかないですね。
やっぱり、何事もほどほどがいいんですね。

>この植物の種を、アメリカは集めています。アメリカはあらゆる種類の植物の種を保管して管理しています。<

何年か前、生協に入っていた時、集会でこういう話は詳しく聞かされました。
もちろん、悪い解釈のほうで。
生協のおばちゃんたちはアメリカ嫌いが多いですから。
ただし「良い解釈」のほうは、ちょっと考えにくく、やはり、「自分が世界を仕切りたい。そうすればうまくいく」ということなんでしょう。

>それにしても、自分はこうした「じんるい」が集まっているところで、「じんるい」の中にいることを楽しく感じる人間のようです<

地球上みんなが思想や顔かたちや出自などに関係なく仲良くワイワイやってるのを想像すると楽しいですね。
宇宙人が攻めて来ると手っ取り早くそうなるんでしょうけど。

>今週末に日本に帰ります。<

ご無事を祈ります。

投稿: robita | 2006年6月21日 (水) 10時34分

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