やっかい者になりたくない
昭和22年から24年にかけて生まれた団塊世代は他の世代に比べ飛びぬけて数が多く、この大きな塊が後代の背にずっしりとのしかかる。
このことが少子化を食い止めなければならない最大の理由であるのは言うまでもない。
私は団塊世代真っ只中昭和23年生まれである。
次世代に迷惑をかけないようなるべく早く死のうと思っている(ウソです)。
singleandover40さんのところで、少子化についての記事を読んだ。
少子化は豊かさの必然なのだから、無理やり子供を増やそうなどと思わず、少子を前提に社会システムを変えるべきなのだ、という主旨だ。
私も、日本人が貧乏になる気がないのならそれしか道はないと思う。
団塊世代の年金支給を減らしたり退職金課税強化については、実は私はそれをしてもいいのではないかと思っているが、怖くてなかなか言えない。
収入がなくなることで老後の暮らしはどの程度苦しくなるのだろう。でも、子供たちにかけるお金は不要になるし、贅沢をする気は毛頭ないので、蓄えも合わせれば何とか暮らしていけるような気がする。
当の団塊世代からの反論はあろう。
しかし国の存亡を考えるなら、そうそう強弁はできないはずなのだ。
団塊世代にもいろいろな事情や境遇の人たちがいて、一律、年金を減らすとか税金強化するというわけにもいかないのだろうし、堺屋太一氏のように、団塊世代に同情的な人もいる。
でも、私は他の世代から白い目で見られてまで金を確保しようとは思わない。
主人が企業戦士として苦労しながら真面目に働いてきたのを30年間見てきた。
家族としても慎ましく暮らしてきたつもりだ。
子供3人生んで充分楽しい思いをさせてもらったので、さあ、これから楽しもう、という思いはあまりない。
大きな声で「団塊世代狙い撃ちせよ!」というつもりはないが、そういう事態になっても反対はしない。
こんなことを言ってしまった以上、プラットフォームの端っこには立たないようにしよう。
もし、団塊世代狙い撃ちは理不尽だ、当然の権利として受け取れるものは受け取ろうと言うなら、地域社会への貢献などするべきだし、余裕のある人は何か社会の活性化につながるような消費をするべきだと思う。
国際的には、損をしてもいいから他国と仲良くしたいと考える人でも、自分の生活となると喧嘩をしてでも自分だけは損をしたくない、と思うものだ。
そんなことを責めるつもりは毛頭ない。
誰だって損をしたくない。普通の人は仙人でも神様でもないのだから。
しかし日本人同士の争いは見たくない。しんどい。
・・・・・それにつけても金の欲しさよ
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コメント
robitaさん、そんなに思い詰めないでくださいな(笑)私が罪悪感にかられます。そうじゃなくても、気が弱いのですから。
思うに、団塊の世代って、別に生まれたくて団塊に生まれたわけじゃなし、それがどんな現象につながっていようが、世代の責任に帰するのはムリがあるわけですよね。じゃあ、何がマズイかというと、それは団塊の世代でも、子どもを作らない現役世代でもなく、現在のシステムのほうである、と。だから、どうシステムを変えれば良いかを議論するのが本筋であって、ある世代や「産む産まないの選択」を責めるのは筋違い、ということだろうと思うんです。
もっと言えば「豊かな国だから幸福」という価値観は、戦後の裏返し(もっと言えば、物量不足ゆえに負けた戦中から)であるでしょうが、いよいよこれからビンボーになるよ、と。そう言ったときに、じゃあ、お金以外の幸せってあるんですか、ということもあります。
今の子どもはお金しか信じてないでしょう。だからホリエモンを支持する。これから、もっとお金持ちになりそうもない、だから子どもはつくらない、となっているわけです。
お金以外に誇れるものをつくってこなかった国の問題が本質だろうと思うんですけど、もう戻れないだろうと思うと、なにやら少し寂しい気もするんですがね。
投稿: single40 | 2006年6月14日 (水) 16時00分
>single40さん、
何を仰います。私ども団塊の世代こそ罪悪感にかられておりますものを。生まれてきてすいません。なかなか死なないですいません(笑)。
singleさんの記事を読んだからそう思ったわけでなく、前からそう思ってましたよ。この文章も以前書いたもの(「団塊は数、だけじゃない」 http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_355c.html 書いた時に)ですが、「余計なこと言うな」なんて団塊おやじに怒られそうで怖くなって削除したものです。
主人は同い年なんですが、私がそういうことを言うと、「お前アホか」みたいな顔します。「俺たちが苦労して蓄えてきたものじゃないか。こうなったのは国の責任だ」と。だいたいがこういう思いでしょうね。
「悪いのは世代じゃない」とは思いますが、社会システムを変えると言ったって、それこそが困難を極めるわけで、変わる前に日本がつぶれるという懸念があります。
でも、稼いだのは主人だし、老後はしたいこともあるでしょうから、私はそれについては言わないことにして、「早く死ぬ」ほうにします。
「老人が死ぬ」ってそんなに恐れることじゃないでしょう。老人は死ぬもんなんです。
それを団塊の世代はちょっと前倒しで早めに死んでくれればみんなが助かるんです。
「しばしば、暴言というものは、正論である」というsingleさんの言葉は全く同感なので、私もはっきり言わせてもらいます。
問題は、なかなか自分の思うようには死ねないことなんですね。
>いよいよこれからビンボーになるよ、と。そう言ったときに、じゃあ、お金以外の幸せってあるんですか、ということもあります。<
たぶん、貧乏そのものが新しい価値観を生み出すんじゃないですか。それはもちろん、国全体、みんなで一緒に貧乏になった場合に限りますけど。
「子どもが減って何が悪いか!」、面白そうですね。そのうち読んでみたいと思います。
投稿: robita | 2006年6月15日 (木) 10時54分
あの・・私は政治や経済という問題にとっても疎いのですが、先日(と言っても5月14日)に読売新聞に掲載されていたレスター・ブラウン氏の記事を読んで、けれども自分の中で消化しきれずに、書いています。詳しい記事や情報をお知りになりたい方はどうか検索してください。
お読みになった方も多いと思いますが、記事はまず「中国の資源の消費量(特に穀類・肉類)がアメリカを上回った」と伝えています。そして中国における現在の経済成長がこのまま伸び続け、2031年に(仮に)中国の個人所得がアメリカ並みになってしまうと・・、と続きます。
そうなると紙類の消費量は現在の生産量の二倍となり、森林は消滅。自動車の保有台数が増えるならば、一日の原油生産量を超えて消費されてしまう。
そして中国の後にはインドの人口大爆発が起こり(2031年には人口が中国を超えると予想される)、その後にも多くの国々の人口が倍増するという予測が立てられています。
「つまり欧米の経済モデル、石油と車に依存した使い捨て経済は、中国では成立しない。もしそうなら、2031年の予測人口が中国を上回るインドでも成立しないだろう。「米国の夢」にあこがれるそのほか30億の途上国の人々にとっても、事情は同じである」
ブラウン氏はこう書かれています。
そして、
「経済的発展を維持するような経済の建設には、世界的な協調と努力が求められる。それは、貧困を根絶し、人口を安定させ、ひいては世界の貧しい人々に、新たな希望をもたらすことを意味する。貧困の根絶は、家族構成の小型化を促す。そしてちいさくなった家族が、今度は貧困の根絶に貢献する」
・・と続きます。
少し前に見たNHKの番組で、「排出権」についてのものがありました。そこで中国の炭鉱で働く人々や経営者に意見を求めたところ、
「これまで先進国と呼ばれる諸外国では多くのエネルギーを使い豊かな生活を享受してきた。これからは我々の番だ」というものがあったんです。
これは一部の人々の意見でありますが、同時に多くの中国人が持つ「豊かさへの憧れ&当然の権利」なのではないだろうか?そして私は思うんです。これは私達日本人が当然のように持つ「貧しい暮らしはごめんだ」「世界のエネルギー事情などわからん。そんなことよりもまず、我々の老後の生活はどうなる?」・・と同じではないのか?って。
私だって少子化による未来について不安は沢山あります。凄く心配しています。けれども、これまでの歴史で類を見ない「資源の枯渇」ということには心配を通り越して恐怖を感じてしまうんです。
そうすると、人口が抑制されつつある日本という国を希望に近い気持ちで見ることも出来るのではないか?と思うんです。
苦手な分野の話なので、拙さを感じます。反論やご意見はどうかお手柔らかに。
投稿: いのっぴ | 2006年6月15日 (木) 23時45分
>いのっぴさん、
私も世界の政治経済については無知ですが、仰ることはその通りと思います。
資源の枯渇や環境汚染は人間全体で考えなきゃならない重大問題ですよね。
もうアメリカ型消費の仕方はやめなきゃいけません。
人口増については、「後進国や、先進国の中でも低所得層の人々ばかりが子供を生み、『上級の人々』が子供を生まなくなったことが問題だ。差別的なので誰もはっきり言わないが」というような文章を何かで読んだことがあります。
ほんの少数の優秀な人々が大勢の無知な人々を支配するようになる、ということなんでしょうか。
人間の数がただ増えりゃいいとか増えなくてもいいとかいう問題でもなさそうです。
おかしなことにならないうちに世界を早く安定させて、教育の普及に全力を尽くさなくちゃいけないのだと私は思うんですけどね。
日本の場合は年金問題が深刻です。
長生きは 迷惑ですかと 国に聞き
老人は 死んでください 国のため
これらの川柳を肝に銘じなくては。
投稿: robita | 2006年6月16日 (金) 20時17分
robitaさん、お久しぶり。
積もる話はありますが、まずは気になることだけ。
私は団塊世代の「死に様」に期待をしています。
なぜか。彼らは、彼らの親の世代とは異なり、
「人生の豊かさ」を経験することが出来た世代だからです。
これはrobitaさんのお言葉が裏付けています。
長生きが迷惑なのではありません。
早く死ぬことが国のためでもありません。
そんなことを年配者に言わせざるを得ぬ悲しさよ。
私は傷ついてしまいます。
死ぬ側送る側がよく認識すべきは「よく生きる」こと。
それはつまり「よく死ぬこと」。
そうであるならば長生きは「長寿」であります。
わが日本、そんな国でありたいものです。
さて、この「よく死ぬこと」。
精神論的にも語るべきことは沢山ありますが、
個人的な経験から言いますと、
同時に技術的すなわち金銭と
制度の有効な使い方についての知識が必要です。
年取ると面倒になるので脳がまだ働くうちに。
現在の日本の状況では、「よく死ぬこと」を選択し
最後までそれを通すのは至難の業、です。
私がわかりえた範囲で、
その為に何が必要か…と言うことに関して
そのうち何らかの形で文章にしますね。
投稿: kaku | 2006年6月24日 (土) 15時41分
>kakuさん、
お久しぶりです。
大丈夫ですよー、深刻じゃないから。
それより、こっちこそ、私のいつもの軽口で、真面目に高齢者問題に取り組んでいるkakuさんを傷つけてしまってごめんなさい。
でも、kakuさんの思いやりあふれる言葉は、団塊世代ばかりでなく、今まさに不遇をかこっているお年寄りのかたがたを優しく包み込むものだと思います。
(でもやはり「後世にのしかかる笠の雪」には誰もなりたくないんですよ)
私はまだ、家族にしてあげなければいけないことがたくさんあるし恩返しもしなくちゃいけないので、死んでたまるかと思ってます。もうしばらくは図々しく生きるつもりですのでご心配なく。
>技術的すなわち金銭と
制度の有効な使い方についての知識が必要です。<
>私がわかりえた範囲で、
その為に何が必要か…と言うことに関して
そのうち何らかの形で文章にしますね。<
お忙しいでしょうが、楽しみにしていますのでどうぞゆっくりと。
どっちにしても私は多く受け取る側が少し譲歩すりゃあいいじゃないかと思うんですけどね。
投稿: robita | 2006年6月26日 (月) 10時21分
現在の日本の70歳以上人口が約2000万人という
のは明らかに老人福祉をやり過ぎた結果でしょう。
年齢で一律には論じることは出来ませんが
所謂、介護を受けなければ食物を咀嚼したり排泄行為すらままならなくなったら静かに死んでいくべきでは
ないでしょうか?
当方45歳の独身男性。病死することにならなければ
遅くとも65歳ぐらいで自死したいと思っています。
年金受給などはなから期待していません。
人生65年で十分です。80歳、90歳まで生きたい人の気持ちが正直、理解できません。
投稿: | 2009年1月 9日 (金) 10時56分
上記コメントに対して。
アハハ。先日ミステリーチャンネルで、イギリスの推理ドラマを見ていました。老人ホームで起こった殺人事件です。
若い刑事が、老人からの聞き取り調査現場から帰ってきて言いました「僕はあんなに長生きしたくない。89歳まで生きるためにはどうしたらいいか、なんて考えるなんて、想像できない」と。
上司の警部は言いました「そりゃ、僕も考えない。そう考えるのは88歳の人だよ」と。
実は私20歳の時、人生60年、と思っていたのですが、その60歳に今年なります。アハハ。
投稿: 街中の案山子 | 2009年1月 9日 (金) 12時23分
★名無しさん、
>遅くとも65歳ぐらいで自死したいと思っています。<
名無しさんの冗談だとは思いますが、自死は成仏できないと思います。あるいはまともな生まれ変わりをしないと考えたらどうでしょう。
私は特定の宗教を持っていないのですが、「宗教心」は持っていたほうが良いと思います。
昔、「ソイレント・グリーン」という映画がありました。人間が増えすぎて食糧危機に見舞われた世界では、高齢者が自分の意志で「ホーム」という安楽死の場に出向くようになる。安楽死のあとに続く秘密については伏せますが、なんともやりきれず、暗い雰囲気の漂う映画でした。
たしかに、高齢者の福祉にはお金がかかります。若い世代にのしかかる負担はこれからますます増えていきます。本当にどうなるのかと思います。
でも、高齢者を尊重し労わる社会というものは、人間の作り上げた珠玉なのではないでしょうか。
若い世代が可哀想だから高齢者はもっと負担すべきだというのは私は賛成なのですが、それは迷惑をかけないうちに早く死んでくれ、ということではありません。
そういう風潮は、医療や介護に莫大なお金がかかることとは比べ物にならないほどの害悪を人間社会にもたらします。
>所謂、介護を受けなければ食物を咀嚼したり排泄行為すらままならなくなったら静かに死んでいくべきでは
ないでしょうか?<
これもなかなか難しい問題で、私自身ももしそうなったら、すぐに終わりにしてほしい、と思っていますが、一方で、人間の死を「効率」だけで考えていいものだろうか?という気持ちもあります。
私は実母を在宅介護中です。「母の幸せ」 という記事のコメント欄にも書きましたが、介護というのは本当に貴重な経験です。
ただ、「日本人の死に時」という本でも語られていますが、無理やり生かすことの害悪もよーく理解できます。→ こちら
要介護者の状態にもよるし、それぞれの家の事情もちがいますから、よく考えて最善の策をとることが大事ですね。この「よく考える」行為自体が人を成長させます。
「積極的安楽死」と「消極的安楽死」の問題、また、リビングウイル(生前に意思表示した書面)の問題をもっと広く議論すべきだと思っています。
名無しさんのくださったコメントのおかげで、大事な問題について改めて考える機会を得ました。ありがとうございました。
投稿: robita | 2009年1月 9日 (金) 14時57分
★街中の案山子さん、
>「そりゃ、僕も考えない。そう考えるのは88歳の人だよ」<
アハハハ、いいですねー。
こういうユーモアが世の中を明るくするんですね。
私ももうすぐ61歳になりますが、62歳まで生きるにはどうしたらいいか考え中です。
投稿: robita | 2009年1月 9日 (金) 14時58分
>robitaさん
丁寧な投稿文に、非常に好感を覚えました。
私は、65歳までには自死したいと述べた
者ですが、勿論、冗談ではありません。
私自身、絶対に介護とは無縁の人生を
送りたいと思っているのです。
私には、世の多くの人が介護を受けてまで
生き永らえたいと思っている事が心底、
理解出来ないのです。そういう意味で
世の多数派の人たちを私は軽蔑しています。
老人介護を含む、老人福祉などより、母子福祉
こそ優先すべきです。
十分に老いたら、死んでいくのが当然ではないですか?
私は、robitaさんの介護に対する考え方には
全く賛同出来ません。
唯、些か矛盾していますが、robitaさんの投稿文
から偲ばれる人柄の良さには強い感銘を
覚えました。
実母の介護をされているようですが
ご自身の健康維持には十分気をつけて下さいね。
投稿: | 2009年8月25日 (火) 23時04分
★名無しさん、
お久しぶりです。
仰ることはわかります。
人は順番に死んでいくものだし、社会の活力のためには若者世代、雇用、産業振興にお金をかけるべきだと思います。
「効率さえ良ければ良い社会と言えるのか」との思いもありますが、今の国の状態やこれからのことを考えると、そういうことばかりも言っていられません。
老人世代には全体として巨額の財産があるわけですから、そのとてつもないお金を吐き出させる具体的な政策をもっと強く打ち出せばいいと思います。老人自身も国の未来を考えてそれに賛成すればいいと思うのですが、損をしてまで吐き出さないでしょうね。今吐き出さないと結局損をする、という政策、なんかないんでしょうか。
名無しさんは、「世の多くの人が介護を受けてまで生き永らえたいと思っている事が心底、理解出来ないのです」と仰いますが、誰もそうなりたいとは思っていないのに、そうなっちゃうんですよね。
実際、介護される人が「死にたい」「殺してくれ」と懇願することもありますし、そう思っていても意思表示さえできないこともあります。
みんな辛いのです。
これは安楽死問題につながりますし、安楽死が頻繁に行われるようになったらこの世の空気はどんなことになるのか、人間性は劇的に変化するのか、恐ろしいような気もします。
なんか暗い話になっちゃいましたけど、適当なところで人生を終えることができて、残された人も泣いたり笑ったりしながら送れるような、そんな死がいいですね。
私の両親は、介護もしばらくありましたけど、残された者にとって良い終わり方だったなあ、と思います。
>robitaさんの投稿文
から偲ばれる人柄の良さには<
いじわる婆さんを標榜している私としては、ありがとうございますと言ったらいいのかどうか、西川史子医師じゃないですけど、「つまんない女になっちゃってすみません」(笑)
投稿: robita | 2009年8月27日 (木) 10時26分