「子供を守る」にいただいたぐーたんさんのコメントへの返信が長くなったので記事にします。
広い世間を見渡せば、夫婦が不仲になる事情や離婚に至るケースは種々雑多で、一概に「すべきでない」とか「すべきである」とか決め付けられるものではありませんね。(夫婦関係に限らず何事もそうですが)
「変質者」というのは「自己の欲望のために子供を犠牲にする」という広義の解釈で言えばそういうとらえかたもあると思います。もちろん、いわゆる子供をもてあそぶ性犯罪者とは全く違うのは言うまでもありません。でも、あの奈良の放火事件の父親は家庭を崩壊させ、その後も有無を言わさず子供を勉強に駆り立てた、この残酷さをあんまりだと私は思いました。いずれにしても、「変質者」というイメージは非常に悪いので、誰もそういう表現は認めないでしょうけど。
少年は家を出る時、元の家族の写真を持ち出したかったけれど見当たらなかったので、お父さんの写真を持って家を出たそうです。この子はお父さんが好きだった、というより、元の家族をあきらめきれなかったんじゃないかと思います。
この人たち(新しい母と子供)さえいなければ、元の楽しかった家族に戻れるんじゃないかという妄想は抱いたでしょうね。非常に幼い発想ですし、やったことは許されるものではありませんが、「何もかもいやになった」というほど追い詰められていたその救いのない身の上には激しく同情します。
ぐーたんさんの言葉; 【子どもと暮らしたいと思う自分のためだよ】
ちょっと違うかもしれませんが、似たようなことを思います。
と言うのは、行動の動機というのは何ごとも「自分が幸せになるため」じゃないですか。
私は偉そうなことを書き並べていますが、「可哀想な子どもを見たくない自分」「自分のために我慢してくれている人を見たくない自分」がいるから、子供を可哀想な目にあわせないようにするし、夫をサポートする側にまわったりしてるんだと思うんです。
つまりは、最終的にはすべて「自分の幸せ」のためなんですよね。
前にも書いたのですが、「自己実現に比べれば自己犠牲のなんとたやすいことか!」(エリック・ホッファー)で、私はすごくたやすいほうを選んでるんですね。自分の幸せのために。
結局「自分」の幸せのためであるなら、自己主張なんて面倒くさいことするほうが損。・・・私、人間じゃなくてまるで・・・・言うなれば、そう、ミミズだよー。
苦しんでる人は、いっそのことミミズになっちゃったら楽なんですよね。
でも、みんながミミズになるわけにいきませんね。そんなことしたら、国全体が沈んでしまいますね。やっぱりそれぞれが夢と希望を抱いて大空を飛び回る鷹のようでなくっちゃあ。
ね、家庭を幸せな場に作り上げることができないのは誰の責任かな。
誰の責任という単純な問題ではないのだ、というのが普通の答えですよね。
でも、論理的に責任論で言うなら、その家庭内の大人の責任だ、と私は思うんです。だから、その責任が果たせないような人は、どっちみち家庭を形成するのに向いてないんじゃないかと私は思います。もちろん理想的な家庭を築く、という意味でなく、喧嘩をしながらも、どたばたしながらも、家庭の崩壊をぎりぎりで食い止めるくらいの努力はできるんじゃないでしょうか。
私は人間同士、たいていのことは真剣に話し合えば分かり合えると思っています。
テロリストや北朝鮮みたいな、話の通じない相手ならともかく、通常の人間だったら、話して平和的に解決できないもんでしょうか。
もしそれができないような人間であるなら、夫であれ妻であれ、離婚も仕方がないかもしれませんね。テロリストや北朝鮮と我慢しながら仲良く付き合うなんてそんな無体な。
【離婚の形が悪いのではない、皆が結婚と言う形に拘らない社会だとしたら、両親が揃っているかどうかは大きな問題ではない気がします。】
そうなんです。
人間社会は長らく、「両親と子供が揃った形」が普通の家族とされてきました。
その「普通」からはずれることで、子供は不幸を感じます。
社会学者宮台真司氏が「以前の家族像が崩壊しても、それに替わるものが出てくれば問題はない」と言ってます。
この人は、フランスが少子化を食い止めることに成功しているのは、シングルマザーを容認する社会がある、ということが大きい」とも言っています。
色々な形の家族を社会が何の違和感もなく受け入れるような時代が到来すれば、お父さんが家庭外の女性を好きになって出て行こうが、ママと称する男性が家族の一員として参加しようが、宗教団体によくあるような集団生活をしようが、なんでもありの家族形態の中で、子供はすくすくと育つことでしょう。
ただし、はるか未来のことではあると思いますよ。この宮台先生にしてからが、そういう説を口にしながら、しとやかな奥さまと最近お生まれになったお嬢様とのほのぼの家族の幸せを満喫していらっしゃるようですから。
「昔の家族に戻れ、といった見当違いのバックラッシュも、過去の記憶を持つ世代が退場すれば、じきに終わる」と、先生は仰いますが、「幸せな家族」という「過去の記憶」はこれからも継続して作り続けられるわけで、何も、ある世代から前が退場すれば、それがなくなるというわけではないのですよね。
私自身は、「お父さんお母さんと子供たち」という家族形態が別のものに切り替わるということはないんじゃないか、と思います。
もし、そういうことが起こる時代が来たとしたら、その時にはもう、人間は今と同じ「情感」を持つ生き物でなくなってると思います。真の意味での「新人類」の誕生でしょうね。
でも、そんなこと、今の私たちが考える必要もないほど遠い未来のことだと思います。
(これはシングルマザーの問題とは離れてしまいましたが)
それはさておき、おとといの新聞の生活面に熟年離婚についてのリポートがありました。
例1: カチャ。ドアの音が聞こえると、高校3年生のひとり息子との和やかな空気が凍り付く。帰宅した夫は無言で自室へ直行。結婚して20年余。埼玉県内に住む女性(53)と夫の間に会話がなくなって久しい。
大企業勤めの夫は仕事一筋。女性はお茶にお花、外国語教室に通い、働きに出たことはない。「何が不満なの」。周囲から言われる。
だが、結婚直後から違和感があった。自転車で転んでけがをした時、最初に夫が言ったのは「卵割れなかった?」。妻の体より、買い物袋の中身を心配する人だった。「独身のときよりさびしかった」。心身のバランスを崩してしまった。妊娠中、夫は浮気をしたようだが、もうどうでもよくなっていた。息子が生まれても、「忙しいから」と遊ぶこともなかった。
育児に夢中になり、精神的に強くなったが、息子が4歳のころ、母子べったりはいけないと我にかえった。それからは、「いつか離婚すること」を心の支えにするようになった。受取人を自分にする個人年金に入り、終身年金が商品化されたらすぐ加入した。金利のよいころに投資信託をした。年金分割の話にもピッとアンテナが立った。
最近は日々電卓をたたいて、離婚後の懐具合を試算している。いよいよ年金分割が実施される来年度以降が、決断のとき。どれぐらいもらえるのか、判例などでわかってきて、条件が整えば踏み切るつもりだ。
これまでは、離婚への抵抗感があり、働く勇気も力もなく、耐えれば済むと思ってきた。でも今は「1回の人生ですもの。もう我慢しなくていいと思う」。別居も考えたが、夫の姓の墓に入りたくないから「やっぱり離婚したい」。夫には、これまで何度か「離婚したい」と手紙で伝えている。返事は一度もない。
例2: 朝6時の台所に「トントントン」とキュウリをきざむ音が響く。簡単なサラダをこしらえ、鍋で1人分のみそ汁を作る。
東京都内に住む60代後半の元会社員の男性は、定年直後から自分で朝食を作っている。結婚40年を過ぎた妻は、別の部屋でぐっすり眠っている。
昼はたいてい別々に外食。唯一、夜は同じ物を食べるが時間が違う。男性は6時ごろから食卓で妻の用意したものを食べ、独り晩酌をする。隣の居間に移る8時ごろ。妻が食卓につき、男性はテレビの画面を見始める。
台所のホワイトボードには「11時銀座」「2時歯医者」・・・・。互いに買い物や病院通いなどの予定を書き込む。泊りがけで出掛けるときは、宿泊先の電話番号も。話せば喧嘩になる。できるだけ会話を減らせるよいアイデア、ともう何年も続いている。
ズレは定年後に広がった。「酒を飲みすぎ」「音はたてるな」「水を飛ばすな」。妻の言うことすべてが小言に聞こえる。「昔、子どもに言っていたようなことばかりでうるさい。もううんざり」
専業主婦の妻は「年金は夫婦の共有財産」と主張する。男性が「僕の稼いだ金でかけたもの」と言えば「あなた一人で稼いだと思ったら大間違い」と大げんかになったことも。
離婚は何度も頭をよぎった。でも一緒にいられないとの思いは膨らんだりしぼんだり。風船が割れるように破裂するきっかけはあるのかどうか。わからない。
来年度から始まる年金分割は妻にとっては心強い制度だろう。「こっちにすれば半分とられたらたまったものじゃない。内助の功は認めるが、半々と言われるとちょっと違う気がする」
この「熟年離婚」についての記事は、上・中・下のシリーズで、きのうは、妻と夫、それぞれ相手のお金の細かさに強い不満を抱く2例の紹介でした。
そして、今日の記事は、夫に嫌気がさして何度も離婚を考えたが、「きちんと自分の思いを伝えてこなかったことに気づいた」「夫も寂しかったのだろう」「なぜこの人と結婚したのか思い返した」・・・、そんな風に思って、まず自分を変えた。「自分が変わったら夫も変わった」、そして、今は「私が最期をみとる人」になった、という内容でした。
「家庭を壊したくない」という強い思いが危機を乗り越えるエネルギーとなったのでしょう。
お金に細かい夫についての昨日の記事を読むと「こんな男はとても我慢できるものではない。離婚しかない」と思いましたが、たぶんこんな例はそんなにあるものではなく、ちょっとした行き違いがだんだん大きなズレに発展していった関係であれば、話し合いや歩み寄りで必ず修復できる、と信じている私には、今日の記事は、うんうん、と大きく頷けるものでした。 最初に挙げた2例も、他方の言い分を聞いてみなければ真相はわかりません。
相手にきちんと自分の思いを伝えたり、自分のほうから歩み寄ったりすることは、そんなに困難なことなんでしょうか。
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