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2006年8月31日 (木)

年上の女

娘が勤め始めて数ヶ月。
特別辛いこともなく何とかやっているようだ。
アフター5はなかなか楽しいらしい。
学生時代のグループだけでなく、同期入社の同輩や先輩と食事したり飲んだり、給料のほとんどは交際費で消えてしまうようだ。
でも、良い投資の仕方だなと思う。できるだけ多くの人と知り合い語り合ってほしい。

帰りが遅くなると、駅まで迎えに行き、短い時間だが、世間話などする。
「やっぱり男の人って一度は年上の女の人と付き合わなきゃだめだなあって思う」と娘は言う。
男性を見ていると、みんな良い人だけど、30歳ぐらいでも、どこか幼さが抜け切れないのだと。「年上の女性に鍛えてもらえばもっと大人らしさが身につくんじゃないのかな」
娘だってついこの間まで学生だったし、人よりずっと幼いくせによう言うわとは思うが、自分のことはさておいて、客観的総合的に今の男性を評価するに、そういうことになるのだと言う。

そんな話をしながら十八代目中村勘三郎を思い浮かべた。
勘三郎は、勘九郎時代のまだ19歳ぐらいの頃、年増の(といっても今思えば30代後半の若さであったろう)女優、太地喜和子と付き合っていた。
結婚前で男女関係の機微などまるでわからなかった私はその交際に何か不純というか道に外れた所業のような不快な感じを持った。熟女がうぶな梨園の御曹司をもてあそんでいるような図が思い浮かんだ。

交際もやがて終わり、太地喜和子はその後、海で溺死する。
のちに勘九郎は「彼女には人生のすべてを教えてもらった」と語った。

十八代目中村勘三郎はすごく魅力的な男だそうだ。
人間味に溢れ、飽きさせない話し方に人は惹きつけられると言う。
エネルギッシュで、昔ながらの芝居小屋の建設など、歌舞伎振興のための努力を惜しまない。
きっと「いい男振り」なんだろうと思う。
大人の女に仕込まれた成果なのだろうか。
この場合の「いい男」は、「頭が良い」とか「教養がある」とか「行いが正しい」とかそんなこととは無関係に、人間的面白さや男性として女性を魅了する何かがあるということだろう。

(「大人の男」の話が「面白味のある男」の話になってしまった。これについても思うことがあるがまたの機会に。)

以前、「料亭文化」という記事で、「男が遊ぶこと」によって派生する文化には味のあるものが多い、と書いた。
加えて、そういうところのプロフェッショナルな女性たちの「女振り」にも注目したい。
花柳界や遊郭の女性などによる男の成長は物語などにも見ることができる。
大人の女が大人の男を育てるのだろう、たぶん。
すると、「この若造を男にしてやろう」という「奇特な女性」が少なくなった現代では、やはり、「大人の男」は生まれにくい、ということなのか。

男女同権の世界では、「男が遊ぶんなら、こっちだって遊んでやるわよ。不公平じゃないの」ということになる。

フェミニズムは、だから、正しいことではあっても、「薄っぺら」の印象を免れない。

フェミニズムは嫌い、と言いながら、どうしてもその「薄っぺらさ」を容認しながら物を言うしかないのが現代人のジレンマとも言える。

男が気ままに外で遊んで、女はそれを耐え忍ぶ、なんて構図はやっぱり許されないのだ。

娘には、「それじゃあ、男の子を産んで責任もっていい男を育てなさいよ」と言いたいところだが、残念ながら「いい男」を育てるのはどうも母親ではないようだ。
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2006年8月28日 (月)

「美しい国へ」

自民党総裁選が安倍さんで決まりらしいので、つまらない、しらける、とか皆さんよく仰います。

でも、そうでしょうか。安倍内閣ができた後、どうなるか、私は楽しみです。
安倍さんが小泉路線を引き継いでいくのなら、それに反発する自民党内の勢力が行動を起こすにちがいありません。
もし行動を起こさないのであればそれは筋が通りません。
反小泉反安倍なのに、批判しながら自民党に居続けるのはおかしいと思います。
自民党を出て、民主党と連携すればいいのです。

以前は、政界再編、二大政党のためには民主党を盛り上げてもっと大きな勢力に育てることじゃないかと思っていたけれど、そうでなく、小泉自民党を持ち上げて反対勢力を居づらくするほうが手っ取り早いですね。
どんなに小泉さんが独裁的でも、それを批判しながら自民党にしがみつく人がたくさんいます。それはおかしい。
小泉路線はもっともっと過激になればいいのでしょう。そして反対勢力がもっともっと飛び出しやすい状況を作ればいいのでしょう。
そして格差社会を弱者いじめと批判する勢力と、改革途上では格差はある程度仕方がないとする勢力に分かれればいいのでしょう。
どっちを選ぶかは国民の考えること。

「美しい国へ」 、読んでみようか。

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2006年8月24日 (木)

「夕凪の街 桜の国」

小林よしのりも絶賛の漫画「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)を読みました。
感想文は苦手なので書けませんが、すごく良いと思いました。
二年も前の作品で大きな話題になったそうなので読んだかたも多いとは思いますがお勧めです。

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2006年8月 7日 (月)

右寄り・・でなく、「日本人の誇り」ではないのか

小林よしのりの「靖国論」と「いわゆるA級戦犯」の半分ほどを読んだ。
漫画形式ではあるが、すごく字も多いので、読むのに結構時間がかかる。

8月を迎えて、靖国を考えてみる。
議論は出つくし、決着はつきそうにない。

しかし、私の心の中では一つの考えがまとまりつつある。
冒頭に挙げた本を読んだことで着地点を見出しつつある。

「首相の靖国参拝反対」とか「A級戦犯分祀論」を唱える、いわゆる「現在の靖国神社否定論者」の言い分はつぎのようなものに集約されると思う。
「A級戦犯のかたがたに責任をとってもらう形で、天皇と国民を守ったということに意味がある。それが正しいとか正しくないとかの問題でなく、いわゆる『外交上の手打ち』という形で、あの戦争に決着をつけたのだ。東京裁判が裁判の体をなしていないひどいものだったということは事実だが、しかし、サンフランシスコ講和条約でそれを受け入れたことで、日本は国際社会に復帰でき、未曾有の戦後復興を経てこんなにも平和で豊かな日本を作り上げることができたのだ。その恩恵に60年もの間、自分たち自身、浴してきていながら、今さら、『東京裁判は間違いだった』とか、『A級戦犯は悪者ではなかった』とかほじくりかえして、いったいどうするのか。あまりにもナイーブだ。」

これは、一見もっともな論理である。
私も似たようなことを思う時期もあった。

しかしだ。
私たちは知らなかったのだ。
50年以上もの間、「東条もその他の多くの閣僚も戦争回避のため最後の最後まで努力していた」とか「日本はアメリカに追い詰められる形で開戦した」とか「東京裁判が裁判とはいえないひどいしろものだった」とか「日本を裁いた国々はもっとずるくもっと酷いことをしていた」とか、そんなことを私たちは全然知らないまま生きてきた。日本人だけが悪いと信じこまされて生きてきた。

学校の歴史の授業で昭和史を習うこともなく、ただただ、日本は他国に侵略し、そこで残虐の限りを尽くし、その責任者である当時の指導者は極悪人だと、まあ、このように単純に思い込まされてきたのだ。
もちろんすべての真相をわかっている人々は政治家にも一般人にも沢山いたことだろう。
しかし、そういう人たちの意見は公になることはなかった。
公にした途端、国をあげてのバッシングにさらされ、その言論は封殺され、一部の勇気ある人だけが、叩かれながらもマイノリティとして戦争の真実を語り続けた。それらの意見はまるでアンダーグラウンドの抵抗運動のようであったし、誰もそんな「異端」の考えを本当のことだとは思わなかったのだと思う。
こうした言論統制にも似た空気が日本全体を50年以上もの間、覆っていたのだ。

「今さらほじくりかえしてどうなる」、と言う人たちは、では、「何も知らないままの50年間」をこのまま継続していれば良かった、と言うつもりなのだろうか。
ほじくりかえさなければ何もわからなったではないか。
ほじくりかえしてくれたおかげで私たちは色々なことを知った。
ほじくりかえしてくれて本当にありがとう。
少なくとも私たちは「知る」必要はあった。

小林よしのりは、「わしが8年前に『戦争論』を書いてから、日本は変わり始めた」と言う。

私は「戦争論」は読んでいないが、これを読んだ人々が正気を取り戻し、その正しい歴史認識の空気がまわりまわって、私のような主婦にも及んできたのだと思う。
「お坊ちゃまくん」のようなギャグ漫画を書く人物による戦争論ということで受け入れられやすかったのだろう。若者を中心として、日本の誇りを取り戻そうという気運が高まってきた。彼らの中には曲解して過激な考えに走る者も出てきたようだが、そんな輩は早晩淘汰される。

小林よしのりの言うことは筋が通っていると思う。
アメリカの独善的なやり方は昔も今も変わってないじゃないか、として、反米の立場をとっている。
反米の立場をとっているからこそ、日本はあんなアメリカの言いなりになることはない、日本は自分で自分を守らなければいけない、だから、「団塊の世代のじじいたちよ、最も人口の多い世代の者たちよ、祖国の危急存亡の際には共に武器を持って戦おうではないか」、と言っている。
ギャグ的な言い方だが筋が通っている。

アメリカに世界をまかせれば、一応平和になるだろうから、そこから世界の秩序についておいおい考えて行こう、などという、ドライな私の考え方などとはまったく違う。

非常に純粋だ。

アメリカに守られながら反米を叫ぶという筋の通らないことをやっている人たちとも違って格段に潔い。

私はこう思う。
現実的なことを考えれば、日米安保条約を堅持し、アメリカと仲良くすることも必要だし、諸事情を鑑みて首相の靖国参拝を控えるということも必要だろう。
しかし、だからといって、首相の靖国参拝が間違ってるなどと、日本人ならば言わないでおこうではないか。
戦犯と言われ、石もて追われた人々を、「あれで決着がついた」として真実に目をつぶり、A級戦犯は悪者だから分祀せよ、などと日本人ならば言わないでおこうではないか。

連合国によって一方的に悪者にされた「いわゆるA級戦犯」を、我々日本人までもが、何も知らないくせに石をぶつけるような行為をしないでおこうではないか。

首相の靖国参拝が終わりなき混乱を招くのであれば、しないほうがいいと思う。
そのかわり、そうだ、例えば赤穂浪士のように、まわりを欺きながらも、ひとりひとりの心の中にだけでも「我々はわかっているのだ」という正義と真実の共通認識を持つことはできないものか。
赤穂浪士のような内向的が故のテロ行為は容認しないが、その精神は見習ってもいいのではないか。

「幸せのつかみかた」で書いたように、「あいまい、したたか、器用、ドライ、ちゃっかり、何とでも言え。生き延びるということは、そういうことだ。」などと言う私の考えはまるで筋が通っていない。

しかし、少なくとも筋の通った右派言論人をまともだと思うし、その純粋さに心から敬意を表する。
彼らのその純粋でまっすぐな精神が、封殺されることのないよう、擁護し守っていくことが、その他大勢の「あいまいな日本人」である我々のやるべきことではないのか。
おおっぴらに擁護の弁を述べることができないのなら、せめて心の中で彼らの潔さを応援していこうと思う。
そういうのは同じ日本人として、他人ごとみたいな言い方だが、「決着のついたことを今さら騒ぎ立てることは日本のためにならない」とか、「それこそ、戦後左翼に言論封殺されたのと同様の、今度は右翼によるその状況を作り出す」という懸念があるならば、我々は筋を通そうとしている潔い人々を心の中で応援するしかないのではないか。

言論なしに、共通認識を持つことなど不可能かもしれない。しかし、せめてマスコミは中韓を煽るような報道をやめたらどうか。
国民は戦後処理の虚構を知った上で、静かな気持ちで靖国に敬意を示してはどうか。
それぐらいの仲間意識は持ったっていいではないか。一国を成す国民として。
                             
                            
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2006年8月 3日 (木)

辛い経験

我が家の22歳の娘が、小学校3年生の頃の給食について語ったことがあった。
娘は食が細く、好き嫌いも多くて、給食の時間は好きな献立でなければちょっと苦痛な時間であったらしい。

家庭での日々の食事を通して、目を白黒させながら必死で飲み込もうとしている娘の様子など見れば、彼女が単なるわがままで好き嫌いをしているのではないとわかるので、私は無理やり食べさせたり、食べないからといって叱ったりすることはしなかった。

娘の担任の女教師は、「世界には、食べるものがなくて飢え死にしている子供がたくさんいるのよ」とかなんとか言って娘が給食を残すことを叱ることもあったようだ。

「そんなことよくわかってるし飢え死にする子供はほんとうに可哀想だと思うけど」と、後になって娘は言った。「世界に飢え死にする子供がいるからって、『目の前のものを無理にでも食べろ』という理屈がわからなかった」

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飢えた子供たちのことを考えれば何でも食べられるはずだ、とか、もっと苦労している人のことを考えればどんな苦労にも耐えられるはずだ、と人は人を励まそうとする。


「やれ家のローンだ、子供の教育費だ、やれ医療費負担が増える年金が減らされる、たいへんだたいへんだとは言っても戦中戦後の苦しい生活を知っている我々からしたらそんなもの何が不幸なものか」と戦争を知る人たちは言うかもしれない。

そう、昔の人は貧しくて苦労が多かった、貧困国の子供たちは飢えている。それは知識として誰もがよく心得ている。

でも、だからといって、こんなに平和な日本で「辛い」と思ってはならない、あんなことやこんなことに比べてまだまだ苦労が足りない、とか、わずか60年前には、10代の若者が国のために闘って死んでいったのだ、それに比べて今の若い奴らのだらけきった精神はなんだ、などと言われても困るのである。

人は結局経験してみないとわからないのだ。

飢餓のこと戦争のこと、世界にはこんなに辛い思いをしている人が沢山いる、と知ることは不可欠である。継続して語り継いでいかなければならない。
しかし、そのことを話としていくら聞かされたって、今の子には退屈でしかない、というのもよくわかる。

もっと辛い人がごまんといる、そんなことはわかっている、でも、その時その時の心の許容範囲でしか人は耐えることができないのだ。

それでも、豊かな時代の我々は、「ヨイトマケの唄」  を聴いては涙を流し、「男たちの大和」を見ては涙を流し、自分はなんとちっぽけなことで悩んでいるのかと、自省、奮起をさせていただくのである。

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2006年8月 1日 (火)

薀蓄と屁理屈の男

kakuさんのところで、TVドラマ「結婚できない男」についての記事を読んだ。
kakuさんはこのドラマを一回も見ていないとのことだが、私はいまのところ全部見ている。
前回は、「トリック」ファンである末息子も「上田教授(「トリック」の役)とキャラかぶってるよ」と笑いながら見ていた。
阿部寛演じる主人公桑野信介の、40才を過ぎて独身の理由は、独り暮らしの気楽さを手放せないことと、女性の扱いに全く慣れていない、ということのようである。

喋ることといえば薀蓄や屁理屈や皮肉ばかりで、せっかく知り合った女性たちを怒らせてしまうことしばしばである。

女性ってこんなことで怒るのかぁ、と私なんぞは思うのだが、とにかく女たちは腹を立て、「こんな男と結婚する女なんているのかしら」と姦しく陰口をきく。

薀蓄、屁理屈、皮肉、それだけを取り出すと、いやな男、ということになってしまうが、要するに、「誰が」それをするかという個人の問題だ。
魅力のない男が薀蓄屁理屈皮肉をふりまけばイヤミになるが、それをする男自体が信頼できれば、言葉がキツイとか皮肉っぽいとかのことは特別問題にならないどころか興味深い個性となることもある。

女性を喜ばせるような言葉や気遣いはないし、逆に意地悪な言い方をしたり毒舌を平気で発する、そういう男が私の身近にもいないではない。しかしその彼が男女を問わず友人が多く、40年近く連れ添った妻との関係も良好なのは、根が嫌な人間ではなく教養も見識も人並みに備わっていて楽しく会話ができるところにあると思う。心優しい妻から時々「あんな言い方したら失礼じゃないの」などと苦言を呈されるが、多少は反省はするものの一向に改める様子はない。
薀蓄や屁理屈は、受け取る側の、その人に対する好悪の感情に左右される「セクハラ」と似たところがあるかもしれない。

ところで、ドラマの中の女たちはデリカシーのない男の発言にいちいち腹を立てるが、現実の女性たちは男の真の価値を見抜く力を持っていないのだろうか。
そんなことはないと私は思う。
会話が上手で、洒落たレストランやバーを沢山知っていて、気配りがあって、・・・って、そういうことさえできたら女性はなびくかといえばそんなことはない。
「いい女」ほど、男の中身を見るものじゃないか。
そして昔より確実に「いい女」は増えていて、男を見る目も肥えていて、彼女らは別に「甘い言葉」なんか求めてないと思うのだがどうだろうか。

結婚したくば女性に気に入られるようにすればいい、とも思うが、それでは信介のような面白キャラの男はいなくなってしまい、世の中はつまらなくなる。

かといって、ぶっきらぼうで偏屈な男に女性の方から近づいてなんとかその気にさせてはどうか、などというのも、男の自立心はどこへ行った、という情けない話になってしまう。

やはり、昔ならば「お見合い」で結婚できていた要領の悪い(女性の扱いに関して)男たちが、現代では行き場を失っているということなのか。

これらのやっかいではあるが面白みのある男たちと、「車庫」に入ったままの「いい女」たちを活用しないで放置しておくのはなんとも・・・MOTTAI-NAI

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過去にこんなのも書きました。

          ↓

「望む相手がみつからない」 

「ほんとに中身さえ良ければ?」  

                      

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