年上の女
娘が勤め始めて数ヶ月。
特別辛いこともなく何とかやっているようだ。
アフター5はなかなか楽しいらしい。
学生時代のグループだけでなく、同期入社の同輩や先輩と食事したり飲んだり、給料のほとんどは交際費で消えてしまうようだ。
でも、良い投資の仕方だなと思う。できるだけ多くの人と知り合い語り合ってほしい。
帰りが遅くなると、駅まで迎えに行き、短い時間だが、世間話などする。
「やっぱり男の人って一度は年上の女の人と付き合わなきゃだめだなあって思う」と娘は言う。
男性を見ていると、みんな良い人だけど、30歳ぐらいでも、どこか幼さが抜け切れないのだと。「年上の女性に鍛えてもらえばもっと大人らしさが身につくんじゃないのかな」
娘だってついこの間まで学生だったし、人よりずっと幼いくせによう言うわとは思うが、自分のことはさておいて、客観的総合的に今の男性を評価するに、そういうことになるのだと言う。
そんな話をしながら十八代目中村勘三郎を思い浮かべた。
勘三郎は、勘九郎時代のまだ19歳ぐらいの頃、年増の(といっても今思えば30代後半の若さであったろう)女優、太地喜和子と付き合っていた。
結婚前で男女関係の機微などまるでわからなかった私はその交際に何か不純というか道に外れた所業のような不快な感じを持った。熟女がうぶな梨園の御曹司をもてあそんでいるような図が思い浮かんだ。
交際もやがて終わり、太地喜和子はその後、海で溺死する。
のちに勘九郎は「彼女には人生のすべてを教えてもらった」と語った。
十八代目中村勘三郎はすごく魅力的な男だそうだ。
人間味に溢れ、飽きさせない話し方に人は惹きつけられると言う。
エネルギッシュで、昔ながらの芝居小屋の建設など、歌舞伎振興のための努力を惜しまない。
きっと「いい男振り」なんだろうと思う。
大人の女に仕込まれた成果なのだろうか。
この場合の「いい男」は、「頭が良い」とか「教養がある」とか「行いが正しい」とかそんなこととは無関係に、人間的面白さや男性として女性を魅了する何かがあるということだろう。
(「大人の男」の話が「面白味のある男」の話になってしまった。これについても思うことがあるがまたの機会に。)
以前、「料亭文化」という記事で、「男が遊ぶこと」によって派生する文化には味のあるものが多い、と書いた。
加えて、そういうところのプロフェッショナルな女性たちの「女振り」にも注目したい。
花柳界や遊郭の女性などによる男の成長は物語などにも見ることができる。
大人の女が大人の男を育てるのだろう、たぶん。
すると、「この若造を男にしてやろう」という「奇特な女性」が少なくなった現代では、やはり、「大人の男」は生まれにくい、ということなのか。
男女同権の世界では、「男が遊ぶんなら、こっちだって遊んでやるわよ。不公平じゃないの」ということになる。
フェミニズムは、だから、正しいことではあっても、「薄っぺら」の印象を免れない。
フェミニズムは嫌い、と言いながら、どうしてもその「薄っぺらさ」を容認しながら物を言うしかないのが現代人のジレンマとも言える。
男が気ままに外で遊んで、女はそれを耐え忍ぶ、なんて構図はやっぱり許されないのだ。
娘には、「それじゃあ、男の子を産んで責任もっていい男を育てなさいよ」と言いたいところだが、残念ながら「いい男」を育てるのはどうも母親ではないようだ。
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