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2006年8月 3日 (木)

辛い経験

我が家の22歳の娘が、小学校3年生の頃の給食について語ったことがあった。
娘は食が細く、好き嫌いも多くて、給食の時間は好きな献立でなければちょっと苦痛な時間であったらしい。

家庭での日々の食事を通して、目を白黒させながら必死で飲み込もうとしている娘の様子など見れば、彼女が単なるわがままで好き嫌いをしているのではないとわかるので、私は無理やり食べさせたり、食べないからといって叱ったりすることはしなかった。

娘の担任の女教師は、「世界には、食べるものがなくて飢え死にしている子供がたくさんいるのよ」とかなんとか言って娘が給食を残すことを叱ることもあったようだ。

「そんなことよくわかってるし飢え死にする子供はほんとうに可哀想だと思うけど」と、後になって娘は言った。「世界に飢え死にする子供がいるからって、『目の前のものを無理にでも食べろ』という理屈がわからなかった」

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飢えた子供たちのことを考えれば何でも食べられるはずだ、とか、もっと苦労している人のことを考えればどんな苦労にも耐えられるはずだ、と人は人を励まそうとする。


「やれ家のローンだ、子供の教育費だ、やれ医療費負担が増える年金が減らされる、たいへんだたいへんだとは言っても戦中戦後の苦しい生活を知っている我々からしたらそんなもの何が不幸なものか」と戦争を知る人たちは言うかもしれない。

そう、昔の人は貧しくて苦労が多かった、貧困国の子供たちは飢えている。それは知識として誰もがよく心得ている。

でも、だからといって、こんなに平和な日本で「辛い」と思ってはならない、あんなことやこんなことに比べてまだまだ苦労が足りない、とか、わずか60年前には、10代の若者が国のために闘って死んでいったのだ、それに比べて今の若い奴らのだらけきった精神はなんだ、などと言われても困るのである。

人は結局経験してみないとわからないのだ。

飢餓のこと戦争のこと、世界にはこんなに辛い思いをしている人が沢山いる、と知ることは不可欠である。継続して語り継いでいかなければならない。
しかし、そのことを話としていくら聞かされたって、今の子には退屈でしかない、というのもよくわかる。

もっと辛い人がごまんといる、そんなことはわかっている、でも、その時その時の心の許容範囲でしか人は耐えることができないのだ。

それでも、豊かな時代の我々は、「ヨイトマケの唄」  を聴いては涙を流し、「男たちの大和」を見ては涙を流し、自分はなんとちっぽけなことで悩んでいるのかと、自省、奮起をさせていただくのである。

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