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2006年9月11日 (月)

我々のやりかたのほうが正しいのだっ

民主主義国では、国民は自由に政府批判ができる。言いたい放題だ。

政権が変わってもそれは止むことがない。

小泉政権は「アメリカ追従」「弱者いじめ」「独裁者」などと、左派ばかりでなく、中道の人たちからも強い批判を受け続けた。

リーダーが変わろうとしている今、その新しいリーダーにもすでに批判の声は集まる。

かといって、たとえば民主党が政権とって小沢首相が誕生しても、その他の誰が政権取ったとしても、国民は政府批判を続けるだろう。

そんなこと当たり前じゃないか、と言われそうだが、私は時々、人はなぜ「政府批判」をするのだろうかと考える。

自分の得になるから自分の考え方に近い政権を望む人と、自分は損をしてもみんなが幸せになれるからという考え方で政府を作ろうとする人を比べてみれば、後者のほうが明らかに立派だ。崇高な精神の持ち主だと言える。

しかし、その「崇高さ」を持つ人間はこの地球上ほんの一握りだろうし、その「崇高さ」を全人類に期待することもできない。

大地主の家に生まれ、何不自由なく育った娘が、貧富の差に憤りを感じて左翼運動に身を投じたなんていう話は昔はよく聞いたような気がする。偉いなあ、と感動したものだがそんな偉い人は少ない。

憲法9条を持っていさえすれば、ブッシュのような人も石原慎太郎のような人もビンラディンのような犯罪者もみんないなくなるだろうか。この世はみんな「良い人」になるだろうか。

「悪い人」「傲慢な人」「自分勝手な人」「過激な人」などというのはどんな世にも出てくる。
もしそういう人たちが出てこないようにしたいのであれば、力で押さえつける以外ない。

そういう人たちが出てこないような政治システムを築けばいいのだ、という考え方にも無理がある。
不満が出ないようにみんなが等しく幸せになるという「理想社会」を築くためにはやはり、人間らしい欲望を抑えた分配システム、つまり社会主義以外ないからだ。

それはもう誰も望まない。

結局人間は、どんなシステムがいいのか、より良いものを模索しつつ、主張し、対立し、争い、失敗し、失敗に学べ、などと反省しながらどこかへ向かって歩み続けるしかない。

(あはは、なんだか、「なぜ人間はこんなにも利己的なのか。なぜ争うのか」と、反戦フォークを聴きながら考えをめぐらせていた青春時代の気分だ。)

平和は大事だから憲法9条は絶対変えてはならないのだ、と叫ぶ人が、実生活ではまわりの人と喧嘩ばかりしているのは、なんかヘンだなあという気がする。

だから私は、このとりあえずの平和の中で、自分のまわりの人との関係を大事にして生きていきたいと思う。

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