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2006年10月30日 (月)

haruさんへ

前記事のharuさんのコメントへのお返事です。 

>でも、となると、(主張は)日本みたいな国があってもいいじゃないのってことなのですか?それともやはりそれじゃあまずいでしょうって事なのでしょうか。<

いえいえ、私は元々「主張」などないです。
大衆が主張などするとロクなことないですから。あ、いやいや冗談。
「国際社会で『ズルい国』とも言われたくないし、生き延びるために合理的な方法をとることも大事だし」というのは私は前から「主張」してるんですけど(笑)、そういうことは政治家が適宜判断してやってくれればいいでしょう。
ま、文句があれば言っても良いですけど。民主主義国ですから。

政治家に任せる場合、問題は政治家が立派かどうか、ということに尽きますね。
だから私は「教育」が一番大事でしょう、と言ってるわけです。

「教育」とは「人間を造り上げる」ためにするものですよね。
ところが、「立派な人間を造り上げる」という教育を、「政府が従順な国民を造り上げるための教育」として危険視する人が大きい声を挙げ過ぎていますね。

これも前から何度か書いてるのですが、教師も医師も裁判官も父親も母親も政治家も官僚も、この国に生まれた以上、全ての国民が基本的にこの国の教育で育つわけです。
立派な政治家がほしいのであれば、「立派な政治家になりたい。なってこの国を良くしたい」という立派な志を持つ子供を育てなきゃならないんじゃないですか。

そういう立派さは必要ないというのであれば、もう現状を我慢するしかないですね、文句たれながら。

教育基本法を改正する、というのはそういう意味を含んでいると私は思っているんです。

>自衛隊と国民との関係なのかとばかり。<

専業主婦のことはもちろん国内の問題も含んでますよ。
だって、徴兵制なんかになったら女の私は絶対戦場に行きたくないもん。
そういうのは男の人にやっていただきたいわ。そのかわり、普段は大事にして差し上げます(笑)。

>防衛に関しては、何が正しいのかよくわからないでいます<

そうですね。庶民には本当のことはよくわからないですよね。
「武力」は、たとえ使わなくても、持っているだけで立派な外交手段となるそうですし。
鄧小平がイギリスから香港を取り返したのも武力行使をちらつかせたからですよね。
日本も北方領土や尖閣の海域失いたくないのならちょっと考えたほうがいいのかもしれません。

危険な海外で復興支援活動などする時も、武力行使できないがために他国の軍隊に守ってもらう自衛隊のみなさんの立場は情けなくてお気の毒だと私は思います。

私は今の世の中で、何も悪いことしてないのにどこかの国が攻めてくるなんてこと有り得ないと思ってるんです。
だから攻められたらどうしよう、なんていうことじゃなく、国の立場を有利にする一つのカードとして武力を持つことは考えたっていいじゃないの、ということです。
だって、国民のみなさん、もっと豊かになりたいんでしょ。

>どよ~ん<

あっはっは。
haruさんのご主人は優しくて家事をやってくださるんだから、それでいいんじゃないですか。
え、もしかして、頼んでも快くやってくれないの?
それはもっと話し合いが必要ですね。

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2006年10月25日 (水)

八朔の皮

以前、八朔の皮(中袋)をきれいにむいて夫に供するのを見た人に「へえ~~、そんなことまでやってあげるの」と言われたことがある。

私は狩りもしたくないし、防衛のための戦いにも行きたくない。
そういうのは男のかたにやっていただきたい。

女性の私はそういう体力勝負の危険な仕事を免れるために、他の仕事、つまり、家の中のこまごまとした仕事、家事ということだが、そういう仕事に励みたい。
家の外で戦う男をねぎらい、癒す役割を果たしたい。
外敵と戦わずに済むなら、私はそうしたい。
体を張って家族を守る男に、家内のこまごまとした仕事もやってくれ、と言う気持ちが湧かない。

こういう考え方が女性の足を引っ張ることは知っている。また、男性自身も困惑するだろうこともわかる。

しかし、生き方を自由に選択できるこの世の中で、女性全体のためにならないからと、ひいては国のため、あるいは人類の幸せのためにならないからと、私はそういう生き方を選択してはいけないのだろうか。

・・・とまあ、これは私のこととは言わないが、こういう考え方をする女性がいたとしたら、これはどう答えたらいいのでしょう。

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2006年10月24日 (火)

みんな平和が好きに決まっている

同じように平和や幸福を希求しているにもかかわらず、なぜわかりあえず対立してしまうのか、そのわけは、single40さんの以下の二つの記事を読めばよくわかると思う。
卓見である。

「オオカミ少女」 
「寝床で読む『論語』」 

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2006年10月23日 (月)

乙女

女優寺島しのぶが、渡辺淳一の官能小説「愛の流刑地」の映画化で主役を演ずる、ということについて、母親である女優富司純子が「こんな大きな役をやらせていただけるほどの女優に成長したことを嬉しく思います」という発言をしていた。

寺島しのぶは女優になって間もない頃、裸身を晒したり刺青をしたりの衝撃的な役を演じたことがあって、その役を受けると知った富司純子は「腰を抜かさんばかりに」驚き、大変に心を痛めた、ということを聞いたことがある。

しかし娘が役者としての力をつけ、どんな役にも挑戦する女優に成長した今、もう「わが娘」でなく、わが道を歩む一人の人間として見守っていこうと腹をくくったということか。

たいていの母親は愛娘には、結婚をして夫に大事にされ平凡でも幸せな家庭を築き、平穏な一生を送ってほしいと願うと思う。

男に伍して茨の道に挑戦し汚れ傷つき歯を食いしばって立ち上がる、なんて人生はなるべくなら選んでほしくないと思うと思う。

男の子はいくら汚れてもいいが、女の子はそうあってほしくない、男女平等の世の中であっても母親の本音はそうではないか。

もうこんなことが問題になる時代ではないと思うが、結婚前の性交渉についても、なるべくあってほしくない、と私などは思う。

こんなこと言うと、「愛し合うことを何か汚いことのように思うのが年配者の頭の固いところだ」などと突っ込まれるのは承知だ。「男を知る」ことが、けしからんことのように思えてしまうのは、私にも説明できない理不尽な感覚である。

普通の家庭の普通の娘も20歳も過ぎれば、そんなことは別にたいしたことではなく、友人で寄り集まりあっけらかんと男女の秘め事であるべきことを話題にしたりするらしい。そんな中、未経験であれば話の輪に入れないこともあるだろう。「取り残され感」を味わうのが嫌で、適当な男に軽い気持ちで体を許すこともあると聞く。

まるで、「みんなが見てるテレビ番組を見ないと話題に乗れない」とか「みんなが持ってる携帯を早く自分も持たないと友だちが減る」とか、そんなレベルのことのようにも見えてくる。

結婚前に性交渉をするな、ときつく言い渡すことも人権蹂躙になるのだろうし、軽い気持ちでそういうことをするな、とは言ってあるものの、その時「心から愛してる」などと感じたら許してしまうかもしれない。
娘はグループ交際で複数の男友達はいるようだが、その中で「適当な男」と「適当な気持ち」でそんなことになってしまわない節度をわきまえてほしいと思う。
「身持ちが堅い」とか「貞操観念がある」って良いことだったはずなんだけどなあ。
まあ、もうそういう時代じゃないんだろうなあ。
価値観はいろいろだしなあ。

・・・・、しかしもっとはっきりと本音を言おう。

嫁入り前の娘が易々と殿方に肌を見せるもんじゃありません!

言うたった。

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2006年10月22日 (日)

いくつになっても恋したいの

ととさんのところで、「恋愛のさわりを楽しむ」を読んだ。

「いくつになっても、結婚していても、ときめきを忘れてはいけない」ってこういうことなんだなあ、と思う。

私は58歳で、その年令と既婚者であることから考えれば、「ときめき」なんてなんだかちょっと「気持ち悪い」とか思ってしまうのだが、それでも、テレビに出てくる人などを「まあステキなお方」なんて思うことはあるわけで、夫以外の男性と恋愛したいなどとはつゆほども思わないのであるが、夫以外の男性を「ステキだなあ」なんて気持ちで見てしまうのは悪いことでしょうかどうでしょうか。

いやあ、それは「ヨン様」レベルの話でしょう、と言われればそれもそうなので別に悪いことではないのでしょうけど、実生活での知り合い同士でお互いに「好きなんじゃないか」なんて波長が合いそうになると、ちょっと危険な匂いがしてくる。
恋心遮断機能付きの私には到底起こり得ない話なのではある。

ちょっと前、「恋愛して結婚したいの」のコメント欄で、「夫に対する恋愛感情なんてとっくにない」と書いた。確かに恋愛真っ盛りの時と同じ気持ちがあるはずもないのだが、それが夫婦愛に移行した今、男女の気持ちがまったくないのかと言えば、そんなことはなくて、生涯でただ一人の人であれば、その人と28年間共に生きているその事実だけでも私はものすごく心が満たされていると言える。
のろけと思われるのも恥ずかしいし、また、読者の未婚女性に余計な幻想を抱かせては申し訳ないので、恋愛感情などないと書いたのではあるが、やはり、私を好きになってくれたたった一人の人にめぐり会った幸せに感謝せずにはいられない。

他の人と結婚していたら、などと思うこともないし、ただただ命果てるまで夫婦でいたいという気持ち以外ない。

ずっと前に「恋をしなければ生きていけない」という文章を書いた。

恋愛はいつしか終わる。死ぬまで恋をしたければ、夫以外の人に目を移すしかない。

でもそれもまた人生を豊かにし、女性を美しく輝かせるのであれば、不倫にならない程度に楽しむのも、ひとつのお遊びとして大目に見てあげてはどうか。
妻がいつまでも若く美しいのは夫にとっても喜ばしいことだろう。

いつまでもそれをやってるとそれこそ「年甲斐もなく」ということになるが。

しかし、いつまでもそれをやりたいのが女の女たる所以なのかも知れぬ。

男性各位、覚悟めされよ。

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2006年10月20日 (金)

人の心の中は誰にもわからないが

私は小さい頃から内気でおとなしくて自己主張ができず、対人関係においてエネルギーの乏しい人間であった。

小学校3年の時、担任の女教師からひどい叱られ方をしたことがある。授業中、クラス全員の前で。

それは教師の誤解であり、幼さゆえ適当な弁明の言葉もみつからないまま、下を向いていた私に、彼女は容赦なく罵声を浴びせ続けた。私が言葉を発しないので余計に怒りは増幅されていった。

そのあまりの恐ろしさに、私のまわりの人垣は私を避けてじりじりと広がって行き(みんな立っていた状態だった)、私はひとり立たされ晒された形になった。

どう言えばいいのかを必死に考えながらも、教師の怒鳴り声に私はひたすら耐え続け、やがて彼女は叱り疲れたのか、うんざりした様子で授業を続行し始めた。

授業が終わって教師が退出した後、何人かの友だちが私の身を案じて「大丈夫?」と寄ってきてくれたが、私は平気を装って作り笑いをしながら何がしかの言い訳をしたのを覚えている。

後から考えるに、普段素直な大人しい女の子があれほどの叱責を受けるような悪行をするはずがないことは担任教師ならばわかっていていいはずだ。プロの教師なら、このように口下手な子にはどのように対処すればいいかわかっていなければならないはずだ。そういう子を怒鳴りつければ萎縮して余計しゃべれなくなるということもわかっていていいはずだ。トロい子が嫌いな彼女はイライラをぶつけただけなのだろう。

ところで、内気な私は、教室内であれほどの恥をかいて、「死にたい」と思ったのだろうか。そんな記憶はまったくない。
翌日も普通に学校に行った。
しばらくは嫌な気分だったろうとは思うのだが、2.3日もすれば忘れていただろうと思う。どうしてかというと、トラウマにも何にもなっていないからである。

以上は一例であるが、のろまで間抜けでドジな、いわゆる「要領の悪い」子供であった私はからかわれたり、バカにされたり、赤っ恥をかいたことが数多くある。

いや、私だけでなく、多くの子どもが、教師にひどく叱られたり嫌味を言われたりすることはよくあったし、子供同士のトラブルも今と同じようにあったと思う。

今、教師の質が落ちているなどと言われるが、昔の教師が立派だったかと言えば、別にそんなこともなく、立派な先生もいれば、意地悪でヒステリーで理不尽な先生もいたのは、今とそんなに変わらないと思う。というより、今ほど保護者側が強くない時代、むしろ先生はもっと威張っていた。

子供同士のいじめだってあった。(もちろん、執拗ないじめが長期間にわたって続く、犯罪ともいえるものに関しては別問題だが)

でも、子供たちが自殺をしなかったのは、単にそういう「発想」がなかったからなんだと私は思う。

今の子供は「自殺」という手立てを知ってしまった。

私が今の時代に子供だったら、「自殺」を考えただろうか。
それとも私が私だから、今の時代でも自殺など発想しなかっただろうか。

それとも、昔はもっと先生が怖かったので、怒鳴られたり嫌味を言われたりすることをそれほど深刻にとらえなかったのかもしれない。

世間の空気、子供の心の変化、大人の無責任、個々人の気質、いじめや叱責の程度の違い、何が一線を越えさせるのかは誰にもはっきりとはわからない。

「先生がもっと優しければ」、「先生がもっと子供の気持ちを考えていれば」、「いじめがなければ」、などといった言葉では済まされない何かを抱え込んでしまった時代なのかもしれない。

       

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2006年10月 9日 (月)

人間は複雑なのだ

いったいどうしたいのか、どうなりたいのか、近頃、人間は自分でもよくわからなくなっているみたいだ。

いろいろな論議をみているとそう思う。

女だけが家事をするのは不公平だ、男も家事育児に参加すべきだ、と言う一方で、家事好きな男性が流しをピカピカに磨きあげると「おばさんみたいで気持ち悪い」と陰口きいたり、環境を大事にしなければ、と言いながら、多大なエネルギー(そのエネルギーがどこからくるのか考えたこともないかもしれない)を消費する都会的な快適な生活を捨てられなかったり、コウイチさんが言われるように、地域社会から遠ざかっていながら地域社会の援助を期待したり、「平和が大事」だから「もっと謙虚にもっと仲良く」と言う人が一方で「団塊のやつらが人数が多いから俺らの取り分が少なくなる」などと恨みをぶつけたり、平和が好きと言いながら、主義主張が気にくわないから死んでほしいと言ったり、首相の発言があいまいだと「自分の言葉でもっとはっきり言え。個性を出せ」と文句をつけるくせに、はっきり表明すると今度は「右翼だタカ派だ日本が危うい」と騒ぎ立てる。なんやねん、もう。

この世はダブルスタンダードであふれかえっている。

でもまあ、それは人間であるかぎり仕方のないことだ。
価値観も生き方も年々複雑化している今の時代、なおさらそうならざるを得ない。

なるべく筋を通そうとするなら、自我を抑え、単純素朴な生き方を選ばなければならないだろう。
そして実際にそういう生き方を、理屈もこねずに黙々と実行している人々がこの地球上にいる。たいしたもんだと思う。

そういう生き方のできない情けない私でも、例えばこういうことなら言える;
「団塊世代がいなくなると楽になるんだが」と言われても、「人生はサバイバルなのだ」という真理を普段から標榜している人ならお友だちになれるが、そうでなければ表面上のお付き合い以上のものは期待しない。

私は筋の通った毒舌なら大好きなんである。

同時に、ガスや電気を使わない生活を貫くアーミッシュの人々や、「どこかの国が攻めてきたらみんなで潔く死ねばいいじゃないですか」と言う経済評論家の森永卓郎さんには心から敬意を表する。

「私の方が絶対に正しいのだから思想を異にする人間は邪魔、死んでほしい」「自分の取り分が少なくなるのは嫌だ」、こういう思いこそが戦争の原因となることに、憲法9条大明神を神棚に上げて拝んでさえいれば平和になるはずだと主張する人々は気付いているだろうか。

戦争をしてでも平和憲法を守り抜く、という奇妙なロジックを招き寄せていることに気付いているだろうか。

        

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2006年10月 6日 (金)

好きな人嫌いな人

コウイチさんが、主義主張への賛否とそれを発する人物への好悪の感情が必ずしも一致しない、と述べておられる。→「『69』 村上龍
すごく上手にそのことを表現されているなあ、と思う。

本をよく読まれるのだろう、色々な作家評論家について論評なさっている。

上野千鶴子は、私は本も読んだこともなく、まなじり決して男女平等を叫ぶ「フェミニズムの旗手」というような認識しかなかったのであるが、コウイチさんの記事を読んで、上野千鶴子も読んでみねばなるまい、と思った。ああ。忙しい。

石原慎太郎については、ずいぶん前に上杉隆というジャーナリストが同様の感想を述べていた。
上杉氏は必ずしも石原の考え方に与しないようだが、彼の人間的魅力に言及し、「あの笑顔にやられる」と書いていた。

以前、経済評論家金子勝が石原慎太郎を前にして、「僕はあなたが死ねばいいと思ってるんですけど」と真顔で言っているのをテレビで見たことがある。
強気の石原、右翼の石原、育ちの良い石原、作家としての石原、何もかもが嫌いなのだろう。

金子勝の主義主張は正しいのかもしれないが、この人に人間的魅力を感じる人は多くはないのではないか。

たぶんこの世は、正しいとか正しくないでなく、好き嫌いで物事が決まっているのだろうと何となく思う。

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2006年10月 3日 (火)

息子の読書に親は喜ぶ

末息子が手術を要する病気で17日間入院した。
テレビも見たくないというので、良いチャンスだと思い、読書を奨めた。
私自身が読書家ではないので、18歳の男の子に何を読ませたら適当なのか皆目わからなかったが、書評などで前から気になっていたもの、人から奨められたもの、店頭で平積みになっているもの、家にあったものなどみつくろって、2・3冊ずつ届けた。

・東野圭吾「放課後」
・村上春樹短編集、表題「レキシントンの幽霊」
・浅田次郎「蒼穹の昴」全4巻
・同「地下鉄に乗って」
・須川邦彦「無人島に生きる十六人」
・エッセイ集「母のキャラメル」
・同「最高の贈り物」
・北村薫「ターン」
・奥田英朗「イン・ザ・プール」
・椎名誠「インドでわしも考えた」
・浜辺祐一「こちら救命センター」
・ウィリアム・ゴールディング「蝿の王」

この他、父親が届けた漫画版「その時歴史が動いた」2巻

一日に一冊の割合だ。
本を全く読まなかった息子がこれだけ読んだことに私は感激した。
本当にちゃんと読んだのかなあと疑念も湧いたが、感想など話してくれたので、やはりちゃんと読んだのだろう。

「他にすることがないから」と息子は言うが、これをきっかけに「することがない時」じゃなく、「読みたいから」本に手を出してほしいと思う。

本を読まない、と嘆いたこともあったが(「子供時代」)、まさに怪我の功名、こういうこともあるのだ。

因みに、息子が笑いながら「面白かった」と言ったのは、「イン・ザ・プール」
考えさせられた、と言ったのは「こちら救命センター」

今後は自分で積極的に本屋に立ち寄ったり、新聞の書評を読んだりするだろうか。
しないかもしれないけど、私も良い本があったら奨めたいと思う。
本好きのかた、18歳の読書初心者に、何かお勧め本はありますか。
やはり、古典からでしょうか。

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