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2006年11月14日 (火)

夕日に向かって走る

「たけしの日本教育白書」にぐーたんさんからコメントをいただきました。返信です。

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今の子どもは子ども時代にしっかり「子ども」をしていない、というのはたしかにそうでしょうね。
世論は「子どもには強制が必要だ」に傾いていますが、実行は難しいです。
世の中自体がそれができにくい状態ですから。つまり、学校で「強制」したところで、世の中が同調しない限り、「学校とは息苦しい場所だ」という意識を植え付けるだけになってしまいますよね。

それでもなお、子供たちを正しく教え導くのは学校しかないと思うわけです。
よく「家庭教育が一番大事」なんてことが言われますが、そんなことは当たり前のことであって、親が優しく時に厳しく丁寧に愛情を持って育てれば基本的に子どもがおかしくなんてなるはずがないんです。

でも、社会とのギャップはそれをできにくくしている、ということと、子育てに関心のない人が「親」になっている、この二点こそが問題なんですよね。
ネットやゲームやその他の子どもに悪いものは禁止できないし、自分の子どものことより自分の恋の行方が気になる親も増えています。

ぐーたんさんはじめ、子育てしながらあれこれ考えて意見を述べる人たちは、悩みながらもなんとかかんとかやっているわけです。昔からたいていの人は大なり小なり子育てには苦労しているのですから。

問題なのは、社会情勢。
それと、子どもより自分の欲望を優先してしまう人たち。

大人ひとりひとりが子どもをしっかり育てればいい、なんて何度叫ぼうが、どんなに大きな声で言おうが、そういう声はこういう人たちには届きません。だってどんな育て方しようと自由なんですから。

そういう人たちを今から育て直す手立てなどありません。

だから、教育とは、将来の親になる子どもを今から育てるという壮大な意味も持つわけです。

自由と豊かさが子どもをおかしくしてしまったのはほぼたしかだけれど、それが一大事だと本当にみんなが心から思うなら、大人は子どものために自分たちのさまざまな不自由を我慢すべきじゃないですか。

でも、大人に我慢を強いたり自由を制限したりすることで世の中が停滞し、日本の経済にも良くないことになるのなら、子どもの歪みはある程度仕方がないものとして受け入れるか、または、豊かで自由なまま子どもを正しく教え導く方法をひねり出すかどっちかしかないわけです。

太田光は、人間には「青臭い時期」が必要だ、として、「平和教育」に力をこめているのだと思いますが、私も前々回の記事で「近代化を成し遂げた国家では堕落は仕方がないのでだましだましやってくしかない」みたいなことを書いてはみたものの、やはり、青臭いと言われようが、「プライド」だとか「正義感」だのを小学校低学年までにたたき込むべきだ!と力説せねばいけないのだろうなあ、と「教育白書」を見ながら思いました。それが年配者の仕事なんだとも思います。
小学校3,4年にもなれば、子どもはたけし的毒舌やシニカルなものの見方の面白さがわかるようになりますから、その年令以前に基本を教え込まないとだめなんじゃないでしょうか。

道徳教育は充分やっていると学校の先生は言いますが、効果が上がってないのは方法が間違っているんじゃないかなあ。
こういう方針を徹底させるにはやはり、国家の号令しかないわけで、それがいやならやっぱりなるようにしかなりませんね。

学校で道徳教育さえしっかりやっていれば子どもがまっすぐ育つという保障もないわけですけれども、道徳教育は悪いことではないので、やらないよりはやってみたらどうでしょうかねえ。

もちろん、学校で発生する様々な問題についてはそれぞれが努力して対症療法を施せばいいのですが、4~5歳から9~10歳くらいまでの時期、基本の基本、土台作りは国の主導でしっかりやってほしい、と私はこう思いますです。

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コメント

こんにちは。
返信記事ありがとうございます^^

記事を書いたので、TBしようと思ったのですが、TBのURLが無くて・・・。
記事はこれです。
http://blog.goo.ne.jp/ale-cole/e/3061f7804c2025f72a67f0b4d05efc4f

投稿: ぐーたん | 2006年11月15日 (水) 14時16分

>ぐーたんさん、

意味不明のTBやコメントがどっさり来るので、止めてあるんです。呪われてるのかな(笑)
ご不自由おかけします。

投稿: robita | 2006年11月16日 (木) 09時40分

子どものうちに強制してでも「正しさ」をたたき込んじゃえ!というのは、主張としては「いいところをついてる」と思うのです。少なくとも、そうあるべきだと私自身も考えていますし(笑)。

だけど、、、実行するのは難しいだろうなぁ。やっぱりrobitaさんのおっしゃるように「近代国家は堕落するもの」なので、それができない体質になっちゃっているのです。今までできなかったことが、これから出来るようになると期待するのは難しいような気がしますね。

いや、民主主義の論理からすると、その堕落こそ「正義」かもしれないですね。シニカルで、先生に見つからないようにイジメをするのが上手で、個性が大事だといいながら将来なりたい職業を聞くと皆「芸能人(それが個性を発揮することなのだそうです。。。笑)と異口同音に応える、、、それが「正しいこと」とされるようになる可能性は充分あるように思います。

「ま、なるように」というのが正直な感想で。なんといっても40過ぎて独身男ですと、後世のことには関心が薄くなるのは否めません(苦笑)自爆ですなぁ。

投稿: single40 | 2006年11月17日 (金) 12時06分

>single40さん、

>民主主義の論理からすると、その堕落こそ「正義」かもしれないですね<

その通り。呉智英さんによらずとも、「民主主義とは『バカは正しい』という思想である」であれば、行き詰った人類がどのように方向転換するのか、あるいは螺旋のようにぐるぐるまわるしかないのか、きょう書いた文章も偶然そんなことになってます。

投稿: robita | 2006年11月17日 (金) 12時33分

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