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2006年11月13日 (月)

「たけしの日本教育白書」

土曜日、フジテレビの「たけしの日本教育白書」を見た。延々6時間、ところどころ座をはずして全部は見られなかったが、非常に面白かった。

特に、爆笑問題の太田光の指摘していたことは現代の子どもの問題点の核心をついていた。

【僕たちが子どもの頃、たけしさんがテレビに出てきて、それまでの子供たちの人間観とか世界観をガラッと変えた。「夕日に向かって走る」(若者特有の情熱)といった表現に対して、「夕日に向かって走ってどこまで行っちゃうんだろうね」というようなギャグを連発して、僕たちに「現実」を示唆してくれた。僕たちは美しいものや理想から抜け出して、ああそうか、現実というものはこうなんだ、ということを知った。テレビはただ面白おかしいことに笑うだけじゃなく、世の中はキレイ事じゃないという、大人になればわかることを子どものうちに修得してしまうツールになった。でも、キレイ事じゃないことを知る前にキレイ事もちゃんと知る、という段階を踏まなくちゃいけないんじゃないか」と、太田は、表現はこのようではなかったが言葉を要約してわかりやすくすると、こんな風なことを発言した。

チャーチルが言ったという(ウソかホントか)「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」という言葉に通じる。

「子供がおかしくなったのは俺のせいだったのか」とたけしが言ってスタジオは大爆笑だったが、たけしのせいかどうかはともかく、大人の価値観を子どもが共有するようになったことは否めないのじゃないかと思う。

太田光は自らが総理大臣になって模擬国会を開くという番組をやっているが、そこで、青筋たてて平和論をまくしたてている。
彼はたぶん、自ら子どもになって「こうあるべき」論をわめき散らすことによって、段階を踏んで成長することの大切さを主張しているのではないか。

頭の良い人であり、馬鹿と思われることを恐れない人だから、それは充分考えられる。

つまり、たけしがテレビでやったことの逆を、同じテレビでやろうというわけである。

気持ちはわかるが、もうテレビでそれはできない。

理想は大事だが、理想に乗っかっているだけでは国策を誤る、ということを、国民の多くがもう知ってしまった。

明らかに現実論のほうが説得力があり、現実をわかった国民にサポートされる政治家が堂々とテレビで国防を論じる時代なのである。

思えば、本当のことを何も知らずに理想を叫んで若者が騒いだあの頃のほうが、子供たちにとっては幸せな時代だったかもしれない。
それは、大人が「悪者になって」「攻撃される」という時代でもあった。

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コメント

今の子どもを見ていると「子どもだなあ」と思います。私達の方が大人だった。それは、私達が子どもの時に大人が思っていたことかもしれないですが。心が成長していないというのを感じます。
が、一方では大人と同等に扱われる。子供時代に、しっかり子どもをしていない。だから、成長しない。いつまでも、親の膝に座ろうとする。電車に乗ると我先に席を取ろうとする子ども。杖を突いた老人がやってきても押しのけて座る。ゴク普通の光景になっています。席を譲る子どもは「偉い」と言われる。
子どもを子どもとして扱う事が大切なのではと思うのです。子どもなんだから立ちなさい。子どもなんだから外で遊びなさい。子どもは見なくていいテレビがある。踏み入れてはいけない世界がある。だから、成長しようとがんばる。心が成長しなくても大人として扱われる。そんな風に感じます。
大人と子どもを明確に分ける壁があった。それが無くなっている今、心を成長させなくて良い子どもが出来上がってくる。
夢が無くなると言うのはそう言うことかもしれないですね。現実を知りすぎているということでしょうか。


投稿: ぐーたん | 2006年11月13日 (月) 14時05分

ぐーたんさん、コメントありがとうございます。
明日お返事します。

投稿: robita | 2006年11月13日 (月) 15時58分

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