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2007年2月26日 (月)

ブログ世界

ブログを始めて2年7ヶ月になる。
社会問題について世間の人はいったいどう考えているのだろう、テレビの街頭インタビューなどではあんな意見言う人が多いけれど本当にそういう人の方が多いのだろうか、主婦の私がこんな意見言えば世間はどんなリアクションするだろうか、もしかしたら私のような考えの人は案外多いんじゃないだろうか、そしてそういう人たちは静かであまり騒ぎ立てないので目立たないんじゃないだろうか、でも民主主義のためには黙っていてはいけないんじゃないだろうか、・・・・とまあ、このように考えてインターネットの世界に入ってみた。

時には激しく厳しいことを書くこともあるけれど荒れることもなく、読んでくださるかたも増えた。嬉しく、有難い。

無知ゆえに後から読むと恥ずかしくなるようなことも書いてある。しかしそれもこれも成長の軌跡だ。

ブログ界はものすごく知識の豊富な人や文章の巧みな人でいっぱいだ。私のように知識も不十分で文法も語彙もお粗末な人間の書くものは文章としては全く価値がない。それでも、思考だけは誰でも個性を発揮できる。

拙い文章ながら発信したいことは毎日でも書けるほどあるが、ブログ漬けになってしまっては家のことがおろそかになる。そろそろ見切りをつけようかなどと思っているところへ、ココログから「お勧めブログ」に載せます、なんてお知らせが来ると、何だろうなあと思いながらもアクセス解析が気になったりする。

今日の午後からアクセス数がぐんと増えた。日刊ココログガイドを見て訪ねてくださったのだろう。有難うございます。

こういうことがあると、忙しいけど頑張って時間を作って書き続けようかと思う。
「主婦の世界」で書いたように、主婦が家庭や地域での経験を踏まえて発言するのは悪くない。

ここで話題にするのもおこがましいほどレベルの段違いなブログだが、お世話になっているKABUさんも開設して丸2年になられるそうだ。 → http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/44964835.html

豊富な専門知識と論理で組み立てられた記事は高度だけれどわかりやすく、よく勉強させていただいている。

その他、いちいちブログ名は挙げないが錚々たるかたがたと文字での交流をするようになった。インターネットのおかげでそういった理論派と社会の片隅の飯炊き女が対話できるのだ。

やはり、ブログは続けようか、あせらずぼちぼちと。

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2007年2月20日 (火)

「オール1の落ちこぼれ、教師になる」

手元に一枚の新聞切り抜きがある。
1996年(平成8年)2月14日
見出しは【中学通知表「1」でも名大合格】

【中学の通知表は、ほとんど「1」。「勉強をやる意味が見出せない」と高校へ進まずに大工を続けた愛知県豊川市の男性が、27歳で名古屋大学理学部の推薦入試に合格した。私立豊川高校定時制三年、山元延春(まさはる)さん。14日に入学手続きを済ませた。
豊橋市内の中学に通っていたころの成績は、音楽と技術は「2」だったが、ほかは全部「1」。一人っ子で、ラーメン屋の父が体調を崩していたこともあって、進学は考えなかった。
中学を出て、豊橋市で大工の修業をし、豊川市の建設会社に就職した。16歳で母を、18歳で父を亡くした。22歳のころ、たまたま、テレビでアインシュタインの番組を見て、「これまでの自分は、時間と空間が不変のものだという間違った自然観を持っていた。もっと違った世界が広がるのではないか」と、相対性理論の世界に目を開かれたという。
進学を思い立ったものの、九九や分数の計算もままならず、まず小学三年のテキストを買い込んだ。三年前に豊川高校定時制に入学し、やっと中学レベルの学力に追いついた。
入学後も、朝8時から夕方5時まで大工の仕事をこなし、同5時20分から3時間あまり授業を受けた。家に帰っても深夜まで勉強を続けたが、時間が足りないうえに疲労がたまり学習のブランクは埋まらない。
2年生になって、担任の土田修一教諭(59)の勧めで十年続けた大工をやめ、同校の理科実験助手になった。空き時間に勉強できるようにはなったが、大工のときは手取りで20
数万円あった月収は三分の一になった。貯金を崩して食いつないだ。】

この記事を読んだのが11年前。
深く心に残り、この青年のその後はいったいどうなったかと時々気になっていた。

去年あたりから、新聞などで話題になるのを見かけるようになり、「とうとう来たか」と感無量だ。

山元さんは結婚して姓が変わり、宮本さんになって、現在母校の豊川高校で教諭として勤務している。

先ごろ、自身の体験を本に著した。→オール1の落ちこぼれ、教師になる」(宮本延春)

そのメッセージは「夢と希望をあきらめさえしなければ必ず道は開ける」という、ありきたり過ぎるものではあるけれど、どん底から這い上がる努力を続ける青年の生き方に、まるで偉人伝を読む時のようなワクワク感を覚える。
一段一段ステップアップして自信を深めていく様子は思わず「ほんまかいな」と疑ってしまうほど劇的だ。しかし結局素直に感動する。読者にも力がみなぎってくるような体験記だ。

「夢を持ち続けて頑張れば必ず結実の日はやってくる」というのは、しかし、本当のことを言えば、誰にでもあてはまるものではない。ダメな自分を知れば知るほどどんどんやる気をなくすだろうし、助言をしてくれる人にめぐり合わなければ何から手をつけていいやらわからない。

宮本さんは、小さい頃から「勉強ダメ」「腕っぷしダメ」「発言力もなし」「イジメラレっ子」、すべてうまくいかない「ダメ人間」の自分に自信がなかったけれど、「このままではいけない」という気持ちは心のどこかに持っていた。
「自分は色々な人に助けられた」と宮本さんは言うが、周りの人の助けを得る以前に「何とかしなければ」という自らの心の発動があったに違いないことは本を読めばわかる。
周りがいくら何とかしてあげたいと思っても、自らの「このままではいけない」「なんとかしなければ」という強い気持ちがなければ人は変わらない。

「このままではいけない」という気持ちはどうやって育まれたものなのだろう。
親だろうか。学校だろうか。いや、宮本さんの場合、親も、小学校中学校の教師たちもほとんどそういうことの助力にはなっていないようだ。
そうだとしたら、持って生まれたDNAにそういうものが書き込まれていたのだろうか。

今、ニートやフリーターを描いた小説が目立つという。
作者自身がそういう体験をしていることが多いのだそうだ。
角田光代、金原ひとみ、モブ・ノリオ、絲山秋子、伊藤たかみなどの芥川・直木賞作家はそういった体験をもつ、と日経の文化面に書いてあった。
私はそれらを読んでいないけれど、「将来に自信は持てないがどうにかして自立したいというおとなしい女性から、この閉塞した世で、夢や目標なんて持つのは面倒くさいと拒否する青年まで、社会の底辺で静かに主張する若者の姿を映し出している。」のだそうだ。

働かない若者に厳しい視線が向けられる一方で、これも時代だ政治の無力だ、と彼らに同情の声も集まる。

たしかに「時代」なのだろう。
他の時代だったらちゃんと職を得て働いていたであろう若者たちが、選べぬ時代に生まれてきたおかげでそういった境遇を余儀なくされている。
例えば勤勉で活動的な性格とは言いがたい私自身、今の時代に若者であったならニートとなっていた可能性は高い。

持って生まれた「DNA」や、たまたま生を受けた「時代」、いかにも不公平ではあるが、しかし、これを不公平だと思った瞬間、「このままにしてなるものか」という原動力が生まれないだろうか。

眠っている遺伝子というものは実はものすごくたくさんあって、人間の行動の違いはそれを引き出すか引き出さないかの違いに過ぎない、のだそうだ。
それを引き出すか引き出さないかは、つまるところ自らの意志に他ならない・・・・、だとしたら、そういう意志の遺伝子が最初から表に現れている人が有利になるんじゃないか。

自分の境遇を愚痴ることもなく、社会を恨むこともなく、ひたすら自己を鍛えることに邁進する宮本さんはやはりただ者ではないのかもしれない。

自分の力ではどうにもならないと思われる環境に立ち向かい乗り越えるのは自分の意志であり、それを引き出そうとする強い力は万人に備わっているのだとしても、それを引き出そうとする意志の力はそもそも・・・・うーん、堂々巡りか・・・・・。

「人間死ぬまで勉強」だそうだから、私も高齢化社会に向けて、脳を活性化せにゃいかん、筋肉も鍛えなきゃならん、ああ忙しい。

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2007年2月18日 (日)

夕方のラジオ

評論家が政府批判をする。
マスコミもする。
国民もする。

今の政治は間違っている、権力の横暴だ、もっと国民のことを考えろ、日本の未来を考えろ、と叫ぶ。

私など政治の素人なので、どうしたら日本の未来が良くなるのか正直言って皆目わからない。

国民の生活に直結する事柄であれば、例えば、もっと保育所を増やせばいい、とか、不足しているという産婦人科医や小児科医がもっと生き生きと仕事ができる医療体制を整えればいい、とか、学校をこうすればいいとかああすればいいとか、そういうことはある程度言いたいこともある。

しかし対外的なこと(外交、防衛など)についてはどうすればいいのかなんて本当のところはわからない。

私はラジオを聴きながら夕飯の支度をする。
金曜日に首都大学の宮台真司先生がその日のニュースについて解説するのがわかりやすく面白いのでよく聴いている。

この人はすごいですよ。政治、経済、国際関係、軍事、法律、教育、科学、情報、食糧問題、マンガやアニメ、オタク文化、そりゃあもうありとあらゆるジャンルのこと、つまり、世の中のしくみというものに、神さまのように精通している。

そして、「こうなっているのです。だからこうすべきなのです」とすべてのことについて断言する。この人にわからないことはない。

キャスターの男性アナウンサーも、言葉の一つ一つに「へえーっ」「うンわーっ」と感嘆の声をあげる。

国際関係のバランスや水面下で起こっていることなど何も知らない私のような主婦が肉じゃが煮ながら宮台先生の「こうすべきなのです」を聴いていると、やはり、「それじゃあ、宮台先生の言うとおりにすれば日本の未来は明るいじゃん」などと思ってしまう。

宮台先生は言う、「このままじゃ、ますます自分の足で立てない国に成り下がっていきます。そのことに安倍さんは気づいてないようですね。」

頭の悪い政治家や国民にイラついている頭の良すぎる宮台先生は、彼らを「田吾作」とか「ヘタレ」とか表現して、溜飲を下げているようだ。

たぶん宮台先生がこの国のリーダーになればこの国は正しい方向に行くんじゃなかろうか。

ところで、短大の頃だったか、心理学の本かなんかで、ある男性心理学者のこんな言葉を読んだことがある。

「私に生まれたばかりの赤ん坊を預けてくれれば、完璧な人間に育ててみせる」

理論と実践の乖離はどの分野にもあるようで。

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2007年2月 9日 (金)

「百年の恋」

篠田節子の「百年の恋」を読んだ。
7年前に週刊誌に連載されていたのを面白く読んでいたのだが、なんとなく尻切れトンボで終わってしまった感があって消化不良気味だった。

最近文庫で出たので読んでみたら、最後に主人公の育児日記が付け足してあって(あとがきによると当初はこの育児日記が主体であって、週刊誌連載のほうはその前史ということだったらしいのだが)、腑に落ちる終わり方ですっきりした。

これを読めば、少子化問題、男女の関係の問題などを考えざるを得なくなると思う。
そのためのすごく良い教材ではないか。読書会でもやってほしいくらいだ。
いちいちうなずいたり、思考があちこち飛んだり膨らんだりするのである。言うまでもないが篠田節子はうまい。

女性が読んでも男性が読んでも面白いと思う。

さて、少子化の原因であるが、「子どもが欲しくない」、「欲しくても授からない」、「欲しいが余裕がない」、「そもそも結婚相手がみつからない」等々、いろいろあると思う。

欲しくても持てない人たちについては政治に頑張ってもらうことにして、問題なのはやはり今までたびたび言ってきたのだが、「結婚相手がみつからない人々」である。
こればかりは国になんとかしてもらうわけにはいかないし、国が何かやってもいい結果など得られないと思う。
自力で頑張れというのも酷な話だ。自分を磨くのは自分でやることだが、出会いというものは頑張ってなんとかなるものではないからである。
私は結婚相手を探すのに苦労したので、結婚したいのに相手がみつからない人の気持ちがよくわかる。
めぐり会いというのはほんとうにむずかしい。
そうありたい(めぐり会う)と願ってもチャンスなどそうない。異性の不足する職場ではなおさらだ。

まわりのお膳立てがぜひとも必要だと思うのだが、そして私も何かできないかとは思うのだが、ただいま家事と介護で手一杯だ。
「結婚できない人々」に並々ならぬ関心を寄せるkakuさんだって家事育児に奮闘中。

私のまわりの現実の世界にはあまりそういった独身者はいない。

しかし、ネットの中ではごろごろいる・・・ような気がする。

うちの近所のお宅のお嬢さんのご主人はネットで知り合った人だそうだ。彼女の母によると、「近頃そういうの珍しくないわよ」というのだ。「息子もインターネットで知り合った友達たくさんいるし」と。

たしかに、「文章」だけでも人柄というのはわかるものだと思う。

会ったこともないから、と尻込みするのも時代遅れなのかもしれない。

ネットは男女の出会いにどんな変革をもたらすのだろうか。

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2007年2月 7日 (水)

謝らなくてもいいのにねえ

「健全」発言で柳沢さん、お気の毒に今日も謝り続けていらっしゃるようだ。

「若い人たちというのは、結婚をしたい。それから子どもも2人以上持ちたいと、極めて健全な状況にいるわけです」という発言、謝る必要などあるのだろうかと私は思うのだが、何を言っても噛み付かれる状況下では謝り続けるしかないのかもしれない。

国の調査によれば、若い世代の9割が「いずれ結婚するつもり」と答え、希望する子どもの数は「2子以上」が85%にのぼるという。私はこれを知って、非常に嬉しく頼もしく思ったのだが、柳沢大臣もこの調査結果を受けて、「若い世代は何も結婚したくないとか子供はいらないとか、そういう人たちばかりでなく、結婚して子供を持ちたいという願望を持っている人のほうがずっと多いのだからさほど心配なさそうだ」という意味で「健全」と言う言葉を使ったのだろう。

でも、野党は、「子供を持たない人は不健全だと言うのか」と噛み付く。

そうねえ・・・・・・、「健全」がだめなら、「普通」はどうかしら・・・・・・、ああ、だめだ、「子どもを持たない人は普通じゃないのかっ」と言われてしまう。

じゃあ、「まとも」はどうか。これはもっとだめだ、「子どもを持たない人はまともじゃないのかっ」ということになってしまう。

うーんと、それじゃあ、「好ましい」はどうか・・・・・・、だめだだめだ、「子どもを持たない人は好ましくないのかっ」とお叱りを受けてしま・・・・・・・・・・ん? そうか?・・・・・・「好ましい」っていいんじゃない?

だって、子供がたくさん生まれることは少子化に悩む社会にとってものすごく好ましいことではないか。国民みんなが少子化に頭を痛め、子どもがたくさん生まれてくれればいいと思い、そのためにわざわざ少子化対策の部署を設けたのではなかったのか。

こう考えてくると、柳沢発言に過剰反応起こす人々はいったい何をとんちんかんなこと言ってるのだということになると思うのだがどうだろうか。

昔の「産めよ増やせよ」と同じだ、と言って批判する人がいるが、少子化対策というのは「産めよ増やせよ」そのものではないか。

というわけで、

「街道をウロつく」 

「産めよ増やせよ、としなければ年金制度は破綻するのではないのか」と仰る竜馬さんに同感。健全なご意見だ。

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2007年2月 5日 (月)

「女性は子供を産む機械」④

そのうち意見は逆転するだろうと思っていたが、テレビなど見ていると、柳沢大臣批判は収まりそうもない。

しつこいようだが、もう一度書く。

野党が批判するのも、マスコミが大騒ぎするのも、自分たちの生き残りのためだからある程度は仕方のないことだとは思うが、一般の人までがマスコミの情報操作に乗ってしまって一向に落ち着きを取り戻さないのは異様である。

私は自民党支持者ではないし、柳沢大臣に縁もゆかりもない。
むしろ、これを機会に自民党が壊れて政界再編でも起こってくれればどんなに良いかと思うくらいである。
しかし、そのことと、誤解を解かなければ、という思いは別だ。

大臣は何も、女性に仕事をやめて子供を生め、とか、誰でもいいから結婚して子供を生めとか言っているわけではないのだ。

むしろ、女は家庭に入って子育てに専念してほしい、という古い考えに凝り固まった頭の固い議員たちを抑えて、働く女性たちへの支援策に熱心な人だと聞く。
奥様も職業を持っているし、二人の娘さん夫婦も共働きで、柳沢さん自身、お孫さんの保育園の送り迎えなど引き受けることもあるという。

柳沢さんがどういう人なのか、周りの人はよくわかっているはずだ。

人の話をよく聞きもせずに、言葉尻だけをとらえて短絡的に怒りを爆発させるから、争いというものが起きるのだなあとつくづく思う。

「女性に頑張ってもらうしかない」というのはその通りで、子供は女性にしか生めないのだから、子供の生産は女性に頑張ってもらうしかないのである。

国として何もしないでただ女性に生めと言っているわけではないのだ。

国も頑張って支援しますから、女性も頑張ってくださいと、これのどこがそんなに女性を傷つけるというのだろうか。

テレ朝のワイドショーに出ていた橋下徹弁護士が、大臣を人でなし呼ばわりするかのような他のコメンテーターの意見に対して語った。
「だって子供が生まれなきゃ困るわけですよ。みんなが少子化を何とかしなきゃと思い、国が少子化対策という方針を打ち出しているのだから、その方針の中に女性に子供を生んでもらうという目的がすでに含まれているじゃないですか。男は生めないんだから女性が生んでくれなきゃ困るんですよ」

その詳しいやりとりをこちらでみつけた。→ http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/45841129.html

動画 → http://www.youtube.com/watch?v=pgbD6bnHnLM

頑張って家族のために働いてきた夫が定年になると「濡れ落ち葉」だの「粗大ゴミ」だの、結婚相手を「三高」だの「三低」だの(これって女のステップアップのための「踏み台」ってことじゃないの?)、男に対するそういう侮蔑的な言葉をはやらせて平気でいる女に、「機械」ごときで大騒ぎしてほしくない、とはっきり言う男はいないのか。ええい、じれったい。

もう一つリンク:
卓上RPGを考える【女性は「産む機械」という捏造】 

「女性を機械に喩えた」のではなく、「女性の人数を機械の台数に喩えた」全くその通りだと思う。

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2007年2月 2日 (金)

「女性は子供を産む機械」③

こんなことで野党に国会審議拒否などという非生産的なことをしてほしくないので、再々度「生む機械」について。

相変わらず、「女性蔑視」だの「少子化の責任を女性に押し付けるのか」だの、見当外れの意見が大勢のようですが、ココログで検索してみたらまともなご意見もみつけることができたので、ここに紹介させていただきます。

「ヴォカリーズ」 

「タネがいっぱい」 

「出会いの連続」 

「永楽亭日記」 

「たまみやん らぷそでぃ」 

探せばまだもっとありそうですが、読む時間がないので、これだけにしておきます。

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2007年2月 1日 (木)

「女性は子供を産む機械」②

「女性は子供を産む機械」の記事に、ぐーたんさんからコメントをいただいた。
ぐーたんさんも私も、このことを「騒ぎすぎ」と思っている。

比喩として人をモノや動物に喩えることはよくあることで、例えば私も「子供の人権」という昔の記事で「調教」という言葉を使った。
「子供の人権を何と心得る!」などという抗議も来なかったし、私自身、子供をモノだとも動物だとも思っていない。

社民党の福島党首は「私たちが何に対して怒っているのか大臣はまったくわかってない」と言い、「機械」に喩えたその表現に怒っているのではなく、自分たちの対策不備を棚に上げて産まない女性に責任があるかのような言い方をするから怒っているのだ、と説明した。

それならばなおのこと怒る必要がないのではないか。

柳沢大臣は、何も対策を考えないで、ただ女性に子供を産め、と言っているのだろうか。目下少子化担当大臣で、いま現在、子育て支援対策について努力している最中ではないのか。
制度案がまずいというのなら、そこのところをこそ野党は攻めるべきだ。自分たちならこのようにする、こうすれば子どもを産みたい人が産みやすくなる、と激論を交わしてほしいものである。

言葉というものは、発する時の声音、表情、間合いなどが非常に重要で、文章のみでよく誤解が生じるのはそれがうまく伝わらないからである。

実際の松江市での講演のその部分をテレビで聞いたが、柳沢大臣は、「女性なんて所詮子供を産む機械なんだから四の五の言わずにどんどん子供を製造すりゃいいんだよ」などというニュアンスで言ったのではないことは確かだ。
産む女性の数は決まっている、その生み出す装置の数は決まっている、とただそれだけのことを言ったに過ぎない。実際「女性が一生に生む子供の数」を「出生率」として「数字」で発表しているではないか。「出生率」の提示でさえ、女性を傷つけるというのか。

とにかく、女性たちよ、ちょっと冷静になってほしい。
いや、これもマスコミの単なる煽りで、ほとんどの女性はわかっていると私は思いたい。
街頭インタビューでは怒る女性ばかりを選んで放映しているのだろう。
野党の女性議員たちが柳沢大臣を訪れて辞任要求をしたのもやむにやまれぬ野党のサガにちがいない。
マスコミも野党も、それぞれの事情があるから辛いよね。

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