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2007年2月 9日 (金)

「百年の恋」

篠田節子の「百年の恋」を読んだ。
7年前に週刊誌に連載されていたのを面白く読んでいたのだが、なんとなく尻切れトンボで終わってしまった感があって消化不良気味だった。

最近文庫で出たので読んでみたら、最後に主人公の育児日記が付け足してあって(あとがきによると当初はこの育児日記が主体であって、週刊誌連載のほうはその前史ということだったらしいのだが)、腑に落ちる終わり方ですっきりした。

これを読めば、少子化問題、男女の関係の問題などを考えざるを得なくなると思う。
そのためのすごく良い教材ではないか。読書会でもやってほしいくらいだ。
いちいちうなずいたり、思考があちこち飛んだり膨らんだりするのである。言うまでもないが篠田節子はうまい。

女性が読んでも男性が読んでも面白いと思う。

さて、少子化の原因であるが、「子どもが欲しくない」、「欲しくても授からない」、「欲しいが余裕がない」、「そもそも結婚相手がみつからない」等々、いろいろあると思う。

欲しくても持てない人たちについては政治に頑張ってもらうことにして、問題なのはやはり今までたびたび言ってきたのだが、「結婚相手がみつからない人々」である。
こればかりは国になんとかしてもらうわけにはいかないし、国が何かやってもいい結果など得られないと思う。
自力で頑張れというのも酷な話だ。自分を磨くのは自分でやることだが、出会いというものは頑張ってなんとかなるものではないからである。
私は結婚相手を探すのに苦労したので、結婚したいのに相手がみつからない人の気持ちがよくわかる。
めぐり会いというのはほんとうにむずかしい。
そうありたい(めぐり会う)と願ってもチャンスなどそうない。異性の不足する職場ではなおさらだ。

まわりのお膳立てがぜひとも必要だと思うのだが、そして私も何かできないかとは思うのだが、ただいま家事と介護で手一杯だ。
「結婚できない人々」に並々ならぬ関心を寄せるkakuさんだって家事育児に奮闘中。

私のまわりの現実の世界にはあまりそういった独身者はいない。

しかし、ネットの中ではごろごろいる・・・ような気がする。

うちの近所のお宅のお嬢さんのご主人はネットで知り合った人だそうだ。彼女の母によると、「近頃そういうの珍しくないわよ」というのだ。「息子もインターネットで知り合った友達たくさんいるし」と。

たしかに、「文章」だけでも人柄というのはわかるものだと思う。

会ったこともないから、と尻込みするのも時代遅れなのかもしれない。

ネットは男女の出会いにどんな変革をもたらすのだろうか。

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コメント

家事育児に奮闘するkakuです。
しかし、マッチメイクにも変わらず奮闘しています。実は今、ものすごおーくいい予感のする案件を一件取り扱い中…37歳の男女、です。

将来的に結婚の意志があって、それなりの「身分保証」があって、何より周囲が「お似合い」と思っている相手なわけですから、お見合いほど合理的なものは無い…現代では、そういう事に気づいて、自分で納得して「お見合い」を受けるのが30代に入ってからなのかもしれませんね。

「少子化」問題はある程度「結婚」と関連付けられて議論されて欲しいです。つまり、フランスのごとく「結婚」を切り離してでも止めるぜ少子化!!的なのには、なんかこう…引きますねぇ。

介護、いかがですか。気分転換したくなったらどうぞいつでもお声を!エネルギーだけは豊富に所持する猛獣同伴で伺いまする。

投稿: kaku | 2007年2月 9日 (金) 20時14分

>kakuさん、

>ものすごおーくいい予感のする案件を一件取り扱い中<

わあ、すごいエネルギー。
言うだけじゃなく行動起こすのがkakuさんの素晴らしいところ。うまくいくといいですね。こっちまでわくわくしちゃう。

そうですね。もっともっとお見合いを見直さねば。

>介護、いかがですか。気分転換したくなったらどうぞいつでもお声を!<

ありがとうございます。
春になったらまたね。
kakuさんも子育て頑張ってください。

投稿: robita | 2007年2月10日 (土) 09時55分

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