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2007年3月 4日 (日)

追悼 池田晶子様

哲学者池田晶子さんが亡くなった。
亡くなる直前まで週刊誌連載エッセイを続けておられたそうで、私もその連載を読んでいたので、昨日の朝刊で死亡を知って本当に驚いた。
自分の病気について何も語らず、昔から変わらぬ「自分の存在の不思議」について書き続けていた。

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私も子供のころから、「自分」と言う存在が不思議でたまらなかった。

この「自分」は他の「自分」ではなく、まさに世界の中心である「自分」なのである。これは心理学でいう「自我の芽生え」ということでなく、当然のことながら、性格としての「自己中心」でも「自分大好き」でもない。
この「自分」がこの世のすべてを認識するがゆえに、この世というものは存在するのであり、この世を認識し考える主体たる「自分」が存在しなければ、この世は存在しないに等しいではないか。
これほど不思議なことがいったい他にあるだろうか、そんな思いを人に言ってはみたものの、拙い言葉ではとても伝えることはできず、親きょうだいにも友人にも誰にもわかってもらうことはできなかった。

ところが、10年くらい前だったと思うが、偶然手にした週刊誌で、私の思いとピッタリ合致する文章に出会った。
それが池田晶子さんのエッセイだった。→「生きる」 
                         「ブラフマンってそういうことだったのか」 

それ以来、池田さんのエッセイを読むことが多くなったが、書かれていることはだいたいいつも同じ、「自分というものの存在、この摩訶不思議な現象について」だった。
最後まで興味はそのことにあった。

独身を貫いた彼女は「孤高」の印象が強く、おそらく人間関係も最低限にとどめていたであろうから、「自分という不思議」と向き合うことにおいては、俗世間に生きる普通の人々と違い、非常に濃いものであったろう。
結婚して、子供でもいれば、あのような哲学者たり得なかったかもしれない。

彼女はおそらく「自分の死」を重大事にとらえていなかっただろうと思う。これを「達観」とか「悟り」とか称するのかどうか、私にはわからない。
私は池田さんではないので死に行く彼女の脳に去来したものはわからないが、想像するに、新たに存在を始める「自分」がどんなものであるのか、死に直面して、彼女の思いはその興味だけに集約されていたのではないか、そんなふうに思うのだが、ちがいますか、池田さん。

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コメント

robitaさん、

池田晶子さんは、ご結婚されていたようです。喪主がご主人になっていますから。僕は、この人のいわゆる「哲学」については意見がありますが、いずれにせよ、ご冥福をお祈りしたいと思います。

投稿: 真魚 | 2007年3月 4日 (日) 22時15分

>真魚さん、

ええっ、そうなんですか。
エッセイなどでは、愛犬と二人だけの暮らしとか、連れ合いはいないので、みたいなことを確か書かれていたと思うんですけど、私の思い込みだったのでしょうか。
そういえば、本名は別の姓になっていましたね。

>僕は、この人のいわゆる「哲学」については意見がありますが<

たぶん、学問としての哲学でなく、エッセイなどでは「自分の存在の感覚」という極めて素朴な思いを語り続けていただけなのかもしれませんね。著書をちゃんと読んだことがないのでわかりませんが。

投稿: robita | 2007年3月 5日 (月) 10時24分

ロビタさん、
私も、新聞で池田さんの死亡記事を読み、驚きまました。私の書いた記事をトラックバックさせていただいてのですが、誤って2回送ってしまいました。一つは削除していただければと思います。

投稿: 拓庵 | 2007年3月 6日 (火) 06時29分

>拓庵さん、
初めまして。
拓庵さんの記事は、「池田晶子」の検索で既に読ませていただいておりました。
一日のアクセス数が500を越えたそうですね。凄い!
長くやってるくせに200を超えるのがせいぜいの拙ブログですが、今後も読んでいただけると嬉しいです。

投稿: robita | 2007年3月 6日 (火) 09時51分

池田晶子さんが亡くなっていたことを、きょう、知りました。ネットを見ました。私も主婦で子供がいます。池田晶子の本を読んでいました。
傲慢ながら、彼女とは違う人間だけど、同じ色の魂を持って生きているように思っていました。
このホーム頁は初めて見ましたが、池田さんを追悼するに、過不足のない、すばらしい文章だと思いました。
すてきなひとでしたね。
自分の病気のことを、一切書いていないようですが、
彼女の興味は、あなたも書いていらっしゃるように、あたらしい存在のかたちの模索にあったのかもしれない。
あのひとの魂は、死なないのですから。私も静かに、生身の池田さんがいなくなったことを、追悼することにします。
わたしは平凡な人間なので、肉体が消滅するとさびしいのです。

投稿: 中野昌代 | 2007年3月 6日 (火) 12時01分

>中野昌代さん、

はじめまして。コメントありがとうございます。

>あのひとの魂は、死なないのですから。私も静かに、生身の池田さんがいなくなったことを、追悼することにします。<

死の捉え方は人それぞれですから、追悼の仕方もいろいろですね。
中野さんは霊魂不滅というお考えですか。
私は「すべての事象を認識する主体たる自分」は存在をやめることはない、と思っているのですが、それが霊魂不滅ということなのかどうかわかりません。
また、輪廻転生とどう違うのかもわかりません。
ただただ、「存在」のためには「認識する自分」が必要だ、ということがわかるのみです。

投稿: robita | 2007年3月 6日 (火) 20時11分

robitaさん、既に私の記事をお読みいただいていたとのこと、ありがとうございます。500アクセスは、あの日一日の瞬間風速です。ああいう日に、読んでいただいた方に、その後も読んでみようと思っていただける内容の文章を書けるかどうかだと思っています。今後も、よろしくお願いします。

投稿: 拓庵 | 2007年3月 7日 (水) 21時22分

>拓庵さん、

>読んでいただいた方に、その後も読んでみようと思っていただける内容の文章を書けるかどうかだと思っています。<

そうなんですよね。
世間で話題の事柄を記事にすると、色々な検索サイトから来てくださるんですが、その後も読んでいただけるかどうか、これは読み手と書き手が感覚を共有できるかどうかが大きいですね。
お互いに励みましょう。

投稿: robita | 2007年3月 8日 (木) 10時27分

こんにちは
「いきる」のほうで、「自分が存在しなければこの世は存在しない」。 しかし、「世界は存在する」の意味がわからないのですが?

投稿: ななし | 2007年3月15日 (木) 00時56分

>ななしさん、

今日の記事にしました。
私自身わかったようなわからないような難解な問題なので、わかっていただけるかどうか。

投稿: robita | 2007年3月15日 (木) 14時28分

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牧野昇先生 池田晶子氏の訃報  牧野昇先生(86歳)は三菱製鋼で磁石の研究をして東大で工学博士を取得した。その後、日本の製造業の生産技術や技術開発論で多くの提言をして、高度成長期の産業発展へ貢献した。三菱総合研究所の会長などを歴任した。  池田晶子氏(46歳)は慶応大学の哲学科を卒業後、哲学を誰にでも分かりやすく説明するエッセーなどでは、専門用語などを使わない活動を続けていた。数年前に刊行した「14歳からの哲学」では、生と死という人の根源的なテーマについて、自分の言葉で考えて表現することの大切さ... [続きを読む]

受信: 2007年3月 4日 (日) 17時02分

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受信: 2007年3月 6日 (火) 06時22分

» 人の死は悲しいのか  池田晶子の死  『人生のほんとう』  [試稿錯誤]
                                           「。。親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、おそらく第一に「もう会えない」という思いがあります。その次がたぶん、「かわいそう、気の毒だ」、「死んだひとは悲しいんじゃないか」、そういう思いもありますね。 でも、これはよく考えてみると、わからないんですよ。ひょっとしたらそれも思い込みではないかと考えることもできます。死んだ人が悲しい... [続きを読む]

受信: 2007年3月 6日 (火) 20時49分

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