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2007年4月 6日 (金)

昔はもっと薄汚かった

「永遠に変わらないもの」では、大人の側から見た、「正すべき姿勢」を述べた。

逆に、子供の立場から書いてみようと思う。

前エントリーでは、今の世の中は軽薄で大人に品格がなくなった、みたいなことを書いたが、それでは昔は大人に品格があっただろうか。もっと世の中は上品だっただろうか。

いやあ、そんなことはなかった。むしろ、世の中は今よりずっと汚れていたように思うし、大人の汚れた世界から子供を遠ざけようとする努力については今ほど熱心でなかったような気がする。

年配の人ならば、自分の子供の頃を思い出してみるといいと思うのだが、ヘンな大人やいかがわしい場所などは割合子供の視野に簡単に入っていたように思う。

街はもっと雑然として薄汚なく、ちょっと裏通りに入ればじゃれ合う男女と子供の遊ぶ姿が入り混じっていたり、ストリップ興行のビラが電柱に貼ってあったりもした。

犯罪だって今と変わらないくらい多かった。

法事や何やらで親戚が集まる時など、大人たちは子供に気を遣うことなく、飲んで騒いでいた。

小学校でさえ、何の行事だったのか今ではわからないが、体育館で先生方や地域の大人たちが玄人の女性のお酌で飲みながら歓談をしていたのを見たことがある。
「学校の先生があんなことをして」などとは思わなかったような気がする。

子供たちは、大人の世界を、自分とはあまり関係のない違う世界のことだと思っていたに違いない。

大人の世界を垣間見て、いやらしいとか、ずるいとか、なんとなく思うことはあっても、「見てはいけないこと」として、目や耳にふたをしてしまっていた。

それより何より、自分たち自身の生活(主に遊び)に忙しくて、いつまでも大人の世界のあれこれに関心を寄せている暇などなかったと記憶している。

つまり、大人と子供は(精神的に)ちゃんと住み分けができていた。子供は自分の領域で、分をわきまえていたと言える。

子供と大人の世界が渾然一体となったことについては、さまざまな経緯、理由があるだろうし、避けられないことでもあったかもしれない。
しかし私が一つ思うことは、これは人間全体に言えることかもしれないのだが、子供に「畏れ」の心がなくなったのが一番の理由ではないかということだ。

「それを見てはいけない」「そこに行ってはいけない」という踏み込んではいけない領域に対する無意識の畏れがあったのではないか。

たぶん、テレビ、さらにはインターネットは、その「畏れ」をなくして、子供と大人の領域をごちゃ混ぜにしてしまった原因の一部であろうと思う。

しかし、現代は現代だ。昔がこうだったからといって昔に戻るわけにはいかないし、第一、昔のほうが良かったのかどうかなんて誰にもわからないのである。

我々にできることは、せいぜい、「昔はこうでしたよ」と経験を語り継ぐくらいのものだろう。

でも、「昔はこうだった」と伝えることがとても大事なことのように、このごろ思う。

年寄りの昔話は、やはり聞かないといけないんじゃないかなあって。

       
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コメント

>年寄りの昔話は、やはり聞かないといけないんじゃないかなあって。

それが愚痴なら、若者が自分で歴史の勉強をした方が良いです。ただ、そこまでやる若者は少ないです。今も昔も、もっと楽しい誘惑が多いので。

投稿: 舎 亜歴 | 2007年4月 7日 (土) 00時15分

>舎亜歴さん、

>若者が自分で歴史の勉強をした方が良いです<

その通りですね。でも彼らは「自主的」に歴史の勉強なんかしやあしない。それが問題だ。

私は個人的には、母に昔の話(戦時中のことなど)をもっといろいろ詳しく聞いておけばよかったなあ、と思います。実体験した人の話を。
今となっては認知症で寝たきりになってしまいましたから。

投稿: robita | 2007年4月 9日 (月) 10時41分

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